小話: 小瓶の灰のルーツ
今は誰も使っていない部屋。古い学習机の上に灰の入った小瓶が置かれている。
扉を隔てて聞こえてくるテレビの音に紛れるように、灰の一粒がさわさわと鳴る。
『……日未明、……国首都近郊に落下した隕石による被害は……』
またこの手のニュースですか。いい加減めんどくせぇとしか思わなくなってきた。嘘吐きな報道の裏側に何があるのか、俺みたいな一般人でももう薄々気が付いている。ただその証拠はどこかの誰かがひた隠しにしているのか、決して表には出てこない。それがいいことか、悪いことかも俺達には判断できない。
材料がないからだ。
「奏さん、飯まだー?」
「もうちょっと待っててね」
他愛のない会話をして、その会話すらも楽しんで、俺の日常はとっても平穏です。まあ、月曜日になったらまたあのクソみてぇな会社に行かなきゃならないと思うとうんざりするけど。本当、なんで世の中はこんなに馬鹿ばかりなんだろう。
「ねー、奏さん。あいつにメールしたんだけど返ってこねぇよ」
「あんまりしつこくするからでしょ」
「えー?」
「何て送ったの?」
現実の上を滑る会話。俺らしくない嘘だらけの顔と声と言葉と、それから。
「“退屈。たまには電話ちょーだい♡ パパ寂しいよ~”」
「……どうしてそう、あの子の神経を逆撫でするようなことをするんだか」
「あれ、奏さんヤキモチ?」
「なんで親が子どもにヤキモチ焼かなきゃならないの」
馬鹿を言うんじゃない、なんて言うお前の頬が赤いのは図星を指されて痛かったからか。それとも本当にそろそろ俺に嫌気が差してきているのか。どちらにしろ、お前を逃がすつもりはありゃしねぇ。
「奏さん」
「……何。今シチュー煮込んでる最中なの。焦げるから戻るね」
「あ、そう。戻れば? でも忘れんじゃねぇぞ。……そうやって、煮込んだよなぁ?」
証拠を消すには化学的に分解するのが一番だ。形を残しておけばどこからか足がつく。切断の難しい部位は当時俺が勤めていた会社の取引先にある大きな冷凍庫を借りて、ばきばきに凍らせてから分けた。俺がお前にプレゼントした圧力鍋があの時初めて役に立って、でもそれから一度も使われていない。嫌だねぇ。
「何だよ、未だに怖いだの気持ち悪いだの言ってんのかよ。奏さんだって賛成したじゃねぇか。それしかないって。俺とあいつの幸せのために鬼になるって言っただろ。忘れたなんて言わせねぇぞ、こら」
俺の手が女の首を掴んで、シチューの焦げる臭いが鼻をつく。あれ? もしかして台所に見えるあの鍋って。
「……お前も相当残酷な女だよなぁ」
「だって、昨日まで使っていた鍋の底に穴が開いていたから」
「今日のシチューはすっげぇ不味いんだろうな」
「だったら、食べなければいいでしょ」
「馬鹿。俺達で平らげねぇでどうするんだよ。……どうせ、お前の作るものなんて人間の食い物じゃねぇんだ」
今は誰も使っていない部屋。古い学習机の上に灰の入った小瓶が置かれている。
あいつが置いていったものなんだろうけど、それにしてもなんで灰なんて置いていったんだ?
夕飯を食べ終わって、くだらねぇテレビを見て、いつの間にかソファで眠っていた。奏さんは……いねぇ。玄関に靴はあるし、もう部屋で寝ているんだろう。時計の針は午前2時を指している。マジか。
台所まで歩いていってそこらにあったコップで水を飲んだ。シンクにシチューの焦げ付いた鍋が置き去りにされている。あ? 洗わねぇで寝やがったのか、あの女。俺は明日仕事なんだぞ。クソが。
たとえばここで俺が蛇口をひねったときに出てくる水が真っ赤な色でもしていればおあつらえ向きなんだろう。だけどそんなのは全部でたらめで作り話だ。幽霊なんてもんは人間の恐怖や罪悪感が生み出した幻覚なんだ。だから俺はそんなものがいるとは信じないし、これからも絶対に出会うことはないだろう。
俺がしたことで間違っていることなんて何ひとつありやしない。
「えーと、“もう寝たか~? パパはママが先に寝ちゃってしょんぼり。話し相手になって~”」
送信。返信は一向に来ない。あのクソガキ、いつか絞め殺しに行ってやろうか?
今は誰も使っていない部屋。古い学習机の上に灰の入った小瓶が置かれている。
暗がりの中で灰の一粒が人工的な光を明滅させながらさわさわと震えた。
ほんの小さな一粒が震えると、周囲の灰がさらりと崩れた。
執筆日2015/02/04