小話: 黄昏の星のルーツ
男は黙って地平線の彼方を指差している。そこから今まさに昇り来る“太陽”が世界を鮮やかに染め上げる。紅い夜から橙色の夜明けへ。そして黄金色の朝が来る。
それが俺の知っている世界の全てで、それ以外のものなど知らなかった。知りたいと思ったこともなかった。俺の毎日は決して完全に満たされたものではなかったがそれでもささやかな満足と共に寝床に入ることができていたから、現状を変えようと努力することもしなかったのだ。
「そうやってお前が自分を納得させている間にも、かの星は虎視眈々とこちらを狙っている」
男の指差す橙色の中にぽつりと輝く点がある。男の長い爪の先はその点のわずかに左を指していた。そこに何があったとしても俺の目には見えそうにない。
「やられる前にやるのは不正だとでも思っているのか」
「いや。ただ、俺にはそこの住人が俺達の星を狙っているという事実が見えない」
「そう言っている間にも敵は迫ってくる」
「どこから、どうやって」
「人の知らない道を使って」
「何故、そんなことをする必要がある」
「かの星がすでに内部で行き詰まっているからだ」
その星は俺達の星と比べて格段に資源豊富で、人が暮らすには随分と好条件が揃っていた。しかしものがあることによって生まれる人の占有欲求が争いの種となり、大きな戦いも小さな戦いも絶えることがなかった。そしてそれでもなおかの星の中で人は増え続け、豊富だった資源も枯渇する心配が生じ、今度は残りわずかとみられる資源を巡っての争いが続いた。
「かの星では幾度も世界規模の大戦があった」
「まさか」
「何万という人が数年のうちに戦って死んだ。戦わない者も殺された」
「そんな」
「あの星の人は残酷で強欲だ」
男の指差す先の世界はやっぱり俺の目には見えない。見えないことが恐怖を呼び起こしていくことを、俺自身も簡単には止められそうにない。無知が疑念へと変わっていく。あの星に住む人というのは、一体。
俺は目を閉じ、首を振った。
「俺は、まだ信じない」
「ではどうすればお前は信じる」
「俺自身の目で確かめる。本当にかの星が危険なら、向こうが動き出してからでは遅いというのなら」
「確かめる前にお前が殺されるのが目に見えている」
「俺の目には見えていない」
黄金色に輝く朝の光の中で俺は見えない星を睨む。光が何年かけても到達できないだけの遠くに人がいることにさえ驚きなのに、それがここまで攻め入ってくるとは考えにくい。それが一般の常識だ。そしておそらくはかの星でもそれが常識なのだ。
常識は時を経て変わっていく。状況がそれを変えていく。科学なんて曖昧なものはどんどんと上書きされて、やがて人はかつて神話だったことを事実の裏付けとして利用していくものだ。
ここから光の速度を遥かに超えてあの星に辿り着くことも今はもう不可能でも何でもない。人の知らない道は、かつての人が知らなかっただけの道になった。
「行け」
男はかの星のあるらしい場所を指差したまま言った。黄金色の目映さが俺の視界を溶かして、男のふさふさとした黒髪をも消していく。
「かの星には“黄昏”という言葉がある」
「たそ、がれ」
「橙色は夕暮れの色。迫る薄い闇が人の姿を隠す。星の黄昏に、沈むことに抗いもがくかの星に異邦人を見分けられるものか」
そうか、と俺は遠ざかる意識の中に幻の黄昏を思いながら沈んでいく。かの星では橙色は夕暮れの色なのか。
だったらきっと、黄金から朱に変わり赤黒く滲んでいくこの世界の夕暮れとは相容れない。橙色は夜明けの光だというのに、どうして。
この世界では灰色にしか見えない俺の瞳がかの星の空を映し、見たことのない色に染まった。
執筆日2015/01/25