第七話 「真理先生」
翌日。帰宅すると、母が忙しそうにあれこれと準備している。滅多に出てこないようなお菓子などがあるということは、家庭教師の先生に振る舞うつもりなのだろう。
「ただいま、友達、というより家庭教師の先生連れてきたよ」
「はじめまして、御勢学園大学法学部三年、花田真理と申します。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「美咲さんのお話は優子さんからお聞きいたしました。さらに詳しいお話を美咲さんからあとでお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「美咲なら今からでも大丈夫でしょ? 夕飯も食べていっていただく予定だから、早めのほうがいいわよね」
「そんな、お気遣いなさらないでください」
「あたしそろそろ実習レポート書き始めないといけないし、終わった頃にみんなでご飯食べればいいじゃない。あたしもひと段落つくように頑張るからさ」
「では、すみません……美咲ちゃん、普段宿題とか勉強はどこでしてるの?」
「自分の部屋です」
「じゃあ、お邪魔させていただいてよろしいかしら」
「どうぞ」
自室に真理先生を招き入れ、もう一脚用意されていた椅子を勧める。
「優子から話を聞いたって言ったけど、やはり美咲ちゃんからもこれまでの事情とこれからどうしたいか、っていうのをまず聞きたいの。それからじゃないと、何をしていいか私もあまりよくわからなくて」
「お姉ちゃんは、どんな話を先生にしたんですか?」
「うちの妹が、御勢学園大学附属高校に転入を勧められてるの、でもあたしは御勢は中学も高校も大学も受けていないから、ほとんど何にも知らないの。現役御勢学園大学生真理、美咲の家庭教師になってくれない? って頼まれて」
確かに、それだけの話では真理先生も事情がよくつかめないだろう。
私は成績表を取り出し、学年主任と担任に言われたこと、自分の考えをポツリ、ポツリと話し出した。真理先生もうん、うん、と相槌を打ちながら聞いていた。
「確かに、御勢の附属高から内部進学した子たちって、入学してきた当初から目的意識が高いな、って思った。私たちみたいに普通の高校から入学してきた子達って、生活に慣れるのに精いっぱいで、学校に来れなくなっちゃう子とかもいる。特に一人暮らしを始めたばかりの子とかは大変みたい。
でも、御勢の附属高からの内部進学だと、ある程度勝手を知っているところがある。学校にもすぐ慣れるし、まず大概が実家生だから、その辺りも心配ないみたい。で、その余裕の分を、高校でやってきた研究とかに打ち込むの。
そういう意味ではちょっと特殊な高校、あ、悪い意味じゃなくてね。そういう学校を出てるから、本来私の学部だと三年からゼミが始まるけど、すでにその頃には高いレベルの研究をしてるような子もいる。
うちのゼミにもいるのよ。話を聞いたら、やっぱり内部進学だった。「高校の延長で、一年の頃からの暇な時間に好きでやってた」んだって。これは、もう習慣ね。その子はいろいろアルバイトとかもやってるし、サークル活動もしてるみたいだけど、あまり時間の拘束があるものは選んでないみたい。まあ、その子はその子。同じ御勢学園大学附属高校からの内部進学の子でも、結構派手に遊んでそうな子もいるしね」
「今の、私の力で、御勢大学附属高校に、転入できますか……?」
「まずは、今年転入試験があるかを確認するのが第一ね。大概毎年実施してるみたいだけど、今年はわからない。ホームページで私はついでに見てることが多いけど、やっぱり直接確認するのが一番確実じゃないかしら。学校の雰囲気を直接見て見ることも大事よ。
次、私がくるのは多分あさって。それまでに一度御勢学園大学附属高校の事務室に行っておいで。学校の内部はさすがに外部の人間には見せてくれないとは思うけど、事務室は学校の顔だから、そこで第一印象とかでピンときたりするものよ」
「わかりました。明日かあさってには、一度御勢附属の事務室に行ってみます」
「そして、気になっているのが成績のことでしょ? 確かに、この模試の社会科の点数は私も取ったことない点数だし、すごい順位だわ。でも、他の科目が気になるのよね?」
「はい……」
「国語は好き? 現代文とか、古典とか、そんなのじゃなくて。言ってしまえば、本好き?」
「好きな方だとは思います。嫌いではありません」
「なら大丈夫。国語と英語は、充分伸ばせるの。今この瞬間からでも。あと、調べることは好き?」
「大好きです!」
「現代社会とか、政治・経済が好きそうな感じね。もちろん、古典や英語の単語、数学の解き方、理科でいうと、うーん、あたしは杉谷で化学を選択しなかったから,
化学についてはよくわからないけど、生物でいったら動物や植物の関わるさまざまなしくみを調べることかしら?」
今、杉谷高校では一年次の化学の選択が必修となっている。数学同様、パニックになりそうだ。
「数学と理科、特に化学を選択した文系クラスの友人も、似たような苦しみをしていたわ。でもね、大事なことは全部教科書にあるのよ。杉谷はあれこれ参考書を買わせて、あれ解けこれ解けってあたしもかなり困った。だって教科書をまだマスターしてないんだもの。一つのことをきちんと身につけてからでないと先に進んじゃ、転ぶだけ。あたしも大怪我した。だから、教科書に戻って、しっかりと考え方を身につけてから他の問題を解くことにした。まあ、そんなことができるようになったのは二年の秋以降だったけどね」
「転入試験には五科目の試験と面接があるってホームページにありました」
「今年転入試験があったとして、それならまず過去問を解いて、どのような傾向なのか、美咲ちゃんはどこが得意で、どこが苦手なのか、はっきりさせましょう。確か、事務室で過去問を販売してるってあったわね」
「ありました」
「学校を見にいくついでに、過去問も買っておいで。それを解いて、一緒に弱点をなくしていきましょう」
「わかりました!」
「美咲、真理センセ、晩御飯食べない?」
優子お姉ちゃんの声だった。
「優子に先生って言われるのなんか恥ずかしい…」
真理先生も一緒に降りていく。
「すみません、晩御飯まで御厄介になってしまいまして」
「いいのよ。美咲がこれからお世話になるんだから」
「いっただっきまーす」
優子お姉ちゃんが一番初めに一日の疲れを取るかのように夕食を食べ始めた。
「ただいま」
「おかえり、お父さん」
「お邪魔しております」
「あ、彼女は美咲の家庭教師。花田真理先生。あたしの杉谷の一年の時の同級生で、今は御勢学園大学法学部の三年生」
「それはそれは。美咲をよろしくお願いします。」
夕食後。真理先生は車で帰っていった。
「美咲」
「何、お父さん?」
「お前に家庭教師をつけてくれた。探してきてくれた優子と引き受けてくれた先生、そしていろいろと負担がかかっているお母さんに感謝しなさい」
「もちろん、感謝してるよ」
「そして、私も……何かできないかと考えたんだ。お金とか言うなよ。それは家族がやりたいことというのだったら、そういう考えは抜きにするものだからな。私ができることは……お前の面接対策だ」
ドキッ!とした。 私が苦手としている面接の話だ。
「私は今現場にいないが、現場の経験ならある。いろいろな面接の練習や入試の面接官も行った。
お前のことは伏せておいて、知り合いのつてを辿って、御勢学園大学の附属高の先生から話を聞くことができた。面接もかなり重要な得点になるらしく、場合によっては口頭試問もあるそうだ。まあ、もちろん申請した科目に関することらしいが。
お前の熱意、情熱はわかった。それをうまく伝えられるように、そして不意に何か科目に関して問われた時に答えられるように練習を積んでおく。私がその練習相手になる。これが私のお前にできる最大のサポートだ」
「ありがとう、お父さん。私、できるだけのことは精一杯やる!」
翌日の放課後。今日は図書部の仕事があるのだと言い、陽子は早々に教室を去って行った。
「美咲、何シケた顔してんだよ」
「あれ?渉?」
「俺じゃ悪いか?」
「練習は?」
「今日は市民プールが点検日で、いつも使ってる学校のプールも今日は水泳部の練習なんだってさ。だから今日は顧問がたまには休め、ってんで、とっとと帰ろうかなってとこ」
「やったあ! 久しぶりに一緒に帰れる!」
「おう! どっか寄ってうまいもんでも食ってくか?」
「今日は… …渉、ついてきて欲しいところがあるんだ」
「ど、どこだ? 改まって……」
御勢学園大学教育学部附属高等学校。杉谷高校から、自転車でさらに十五分くらい駅から離れたところにある。
「ここがいわゆる御勢学園大学附属高か……」
「ちょっと、事務室に用事があって」
「ついてきて、いいのか?」
「多分、大丈夫……」
校内はしんと静まり返っている。まだ授業中なのか。グラウンドの方から人の声がする程度であった。
「っていっても、事務室ってどこ?」
「お前、知らないで来たのか?」
「行けば分かると思って」
「おいおい、杉谷の事務室だってなかなかわからないだろ?」
二人して、突然迷子になってしまった。
「どうかされましたか?」
中年、というにはまだ若い男性が通りかかった。
「すみません、事務室の場所をお伺いしたいのですが」
「事務室は突き当たりを右折し、まっすぐ行くと、右手に白い事務棟がございます。その一番手前の入り口の部屋が事務室となっております」
「ご丁寧に、ありがとうございました」
「どういたしまして」
そう言って、男性は早足で去って行った。
「場所もわかったし、とりあえず行こうぜ」
「あの人、先生なのかな?」
「今はそれはどうだっていいだろ? 迷える俺らという子羊たちに道を教えてくれた、恩人だ」
「そうだね」
男性の言うとおり、白い事務棟が見えてきた。近づくと、入り口が事務室になっていることがすぐにわかった。
「こんにちは。何か、ご用でしょうか?」
受付の女性が私たちを見て声をかける。
「ちょっとお伺いしたいのですが、今年はこちらの高校の転入試験は実施される予定でしょうか?」
「すみません、少々お待ちくださいね」
「お待たせいたしました、担当の西尾です」
「お伺いしたいのですが、今年はこちらの高校の編入試験は実施される予定でしょうか?」
「大学本部の方からは、今年度も二年次転入試験の実施は許可されておりまして、現行、実施予定でございます。日程はまだ最終調整が終わっておりませんが、一年次入学試験と重ならないように、年内の実施を考えております」
「ありがとうございます。ところで、こちらの事務室で過去の転入試験の問題を販売していると伺ったのですが、おいくらでしょうか」
「直近五年分を二千円で賜っております。在庫を確認してまいりますので、少々お待ちください」
そして、およそ五分後。
「お待たせいたしました。二部でよろしいでしょうか?」
「いえ、一部で結構です」
「それでは、二千円頂戴いたします」
私は財布から千円札を二枚取り出して西尾氏に渡し、過去問と領収証を受け取った。
「入試などの詳細はできるだけ迅速に当校のホームページに掲載いたしますので、そちらも随時ご覧ください」
「ありがとうございました。失礼いたします」
「二部要るかって、俺も受けるかって思われたってことか? 俺、一言もしゃべらなかったのに」
「まあ、あの場面だったからね…… ごめんね、付き合わせちゃって」
「いいってことよ。でさ、俺、腹減った。お前、食いたいものとかあるか?」
「今日は少し時間あるし、ドーナツとかは?」
「混んでないといいけどな」
「混んでたら持ち帰って、どっちかの家で食べようよ」
案の定ドーナツ屋は混みに混んでいたので、持ち帰りにして、久しぶりに渉の家にお邪魔した。
「お邪魔いたします。お久しぶりです」
「美咲ちゃん、久しぶりね。御勢学園大学附属高校に転入するって?」
渉の母親、美香が話しかけてきた。
「まだ、決まった訳ではないです……」
「渉、美咲ちゃんをこれからもずっと大事にするのよ。裏切ったり、よそ見したら、母親の私が許さないからね」
「するわけないだろ」
そして、渉の部屋で日々の生活のことを話しながら、ドーナツと美香の用意してくれたジュースをたいらげた。
次の日。夕方、真理先生はやってきた。
「あ、ちゃんと行ってきたのね! 偉い! で、第一印象はどうだった?」
「道に迷っていた私に、道を教えてくれた方がいました。事務室での対応も丁寧でした」
「プラスイメージね。で、試験やるって?」
「年内に実施予定だそうです」
「そっか、じゃあ、今から頑張りどきだね」
そしてもう一つ、真理先生は宿題にしていたことを尋ねてきた。
「過去問は? 買えた?」
「買ってきました」
「ふむふむ、五年分ね。よし、これからしばらくは過去問を解いて傾向をつかんで、間違えた問題とか、苦手な問題の似たような問題をあたしが探してくる。だいたいまず二年分ぐらい解いてからかな。暑い時期だけど、自分でやる、って決めたんだから、やり遂げようね!」
「はい!」
こうして、週に数回真理先生がうちに来て、週末に集中して面接の練習をするという形になった。
暑い夏のさなか、私の頭はさらにヒートアップしていく。