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桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第四章 「華」
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第三十一話「新生活へ」



「へえ、彼氏さん、合格したんだね。おめでとう、美咲ちゃん」

「そう言う葵は?」

「卒業式の後、しばらくしてからかな。籍は早めに入れると思うけど、あたしも仕事があるし」

もう矢川先生と結婚することが確定している葵との食事会。何と無く奥様の顔になっているような気がしなくもない。

卒業と同時に結婚したさくらとは少し違う感じがするが、人それぞれだ。

「で、美咲はもう一緒に住む用意してるの?」

「肝心な部屋の下見がまだ」

「どういうこと?」

「彼氏の、新しい部屋がまだ空いてなくて、今週末にしか下見できないのよ」

「あー、二人とも引っ越しなんだね。バタバタだねえ」

「葵様みたいに矢川先生のところに転がり込む訳にはいかないのですよ」

「お互い、あんなサイトやらを見に行くわけにも行かなくなりますねえ」

「葵も、カミングアウトできないクチ?」

「そりゃあ、まあ。まあ、うっかり口が滑って言っちゃうかもしれないけど」

「私も、カミングアウトできないなあ……。墓場まで持って行くつもりだわ」



修了式に向けて、荷造りを着々と進めて行く。

部屋は鈴と小鈴が遊び部屋にしてくれるように、新しい部屋に持って行けそうにないものは、小学校から大学院までそれぞれの時期に分けて思い出の品を整理しながらしまって行く。

たくさんの千羽鶴……。小学校の時のものと、高校の時のもの。みんなが一生懸命折ってくれた、宝物。

持っていける荷物には限りがある。新しい部屋を下見していない時点では下手に荷物を増やすわけにもいかない。

また、持っていけそうならば、取りに来よう。そう思って今回は置いておくことにした。



「へえ、中村先輩、結婚されるんですね。何て方と結婚されるんですか?」

「大谷さん」

「あっ……」

力の表情が曇ったのを見逃さなかった。そう言えば、力はあの事件のことを覚えていると言っていた。

「そう、あの」

「おめでとうございます。本当に、本当におめでとうございます!」

「ありがとう。この時を迎えられることができて、本当に私も嬉しい」

「ところでさ、伊東くんの彼女さん、同い年なの?」葵が突っ込む。

一気に力の顔が赤くなる。

「お、同い年ですけど、彼女、一浪してるんで、学年は一個下なんです。今年から社会人です」

「あ、あたしと一緒だ。伊東くんは、彼女さんと将来どうしたいと思ってるの?」

「俺、もうちょっと学生でいる予定ですし、今すぐに結婚とかは考えてないですね。でも、時期が来たら前向きに考えます。そうですね、博士課程修了するまでには答えを出したいですね」

「おおっ、楽しみだねえ」

その時には力も矢川先生と葵が結婚したことを知ってしまっているだろう。とはいえ、今の力を見る限り、葵に未練があるような感じはない。里奈ちゃんだったっけ、一筋のようだ。

「俺も男ですし、ケジメはしっかりつけるつもりですよ」



週末。まだ入居可能にはなっていないが、下見するだけならいいと言われ、渉の家族寮の下見に行くことにした。2DKはある。もちろん、一戸建てのような余裕はないが、二人で生活するには十分な広さだ。

私の荷物はほとんどが書籍類。渉も同じだ。

「どうだ、美咲。ここでいいか?」

「うん、問題ないと思う。後は、家電とかだね」

「俺が今使ってるのでよかったら持って来るけど」

「そうだね、お願いしていい?」

「また足りないものとか出てきたら、一緒に買いに行こう。とりあえず、カーテンを買いに行かないとな。メジャー持ってくればよかった」

新しい家が決まり、家電やカーテンの話なども出て来ると、一緒に住む実感がグンと湧いてきた。


家に帰り、新しい家への荷物に宛先を書く。渉の卒業式の翌日に引っ越し予定だ。

期日指定でないと、業者さんも困ってしまうため、全ての荷物に日付も書く。

封できるものは封をしてしまうし、できないものは段ボールから取り出したり、ギリギリに梱包するようにしている。

業者さんに渡すのは五日前くらいにした。そんなに遠い場所でもない。


お母さんと修了式で着るドレスを選びに行く。

「いいんじゃない、その黒いの」

「そう?」

「いろいろ使う機会があるかもしれないから、持っておいても損はないわよ」

「例えば?」

「結婚式にお呼ばれしたりとか、それにあなたもう一回修了するつもりでしょ」

うむ、確かに。人生、何が起こるかわからないのは身を持って分かっているが、せっかく合格した博士課程、きちんと修了したい。

そして、私の修了式の衣装が決まった。


「へえ、葵もう引っ越したの?」

「うん、引っ越しには実家は関係してないしね。マンションを引き払うついでに、矢川先生の家になだれ込んだ感じだけど」

「籍はいつ入れるの?」

「修了式の次の日。本当は修了式が記念日っぽくて良かったけど、流石に当日だと謝恩会とかあったりするだろうし、忙しいでしょ。その次の日が大安なのよ」

「ってことは、仕事は矢川葵って名前でいくの?」

「ううん、職場に問い合わせたら影響のない範囲で旧姓使ってもいいんだって。別に、今の名字に未練があるってわけじゃないけど、面接を受けた時と入職した時とで名字が違うのって急すぎないかなと思って、もうしばらくはこの名字で行くつもり」

「そうなんだね、ちゃんと考えてるんだね、葵」

「そう言う美咲たちはどうなのよ。家が決まったのはいいけど、籍を入れることも考えとかないと、単なる同居人になっちゃうよ」

「うん、そうするよ」



荷物を業者さんにお願いし、とうとう迎えた修了式前日。

そして、明後日には私を迎えに、渉がやって来る。

渉はあの後、「籍をいつ入れようか考えてる。今日、役所に行って届けをもらってきたんだが、美咲、いつがいいとかあるか?」と連絡してきた。

「渉はいつがいいとかないの?」

「俺は特にない。あえて言うなら、三月中がいいかな」

「三月中なら……」

渉の卒業式の日か、三月の終わりか。

「じゃあ、三月の終わり?」

「なんでだ?」

「大安だから」

「まあ、それも理由の一つだな。日取りを大事にする人って、多いからな。いいぞ、それで行こう。その頃になったら少しは二人での生活にも慣れてきているだろう」

その時、渉が大事なものを隠し持っていることに、私は気づいていない。


修了式当日。予定していた黒のドレスに白のボレロを合わせ、会場へと向かった。

圧倒的に卒業生。二年前はこの輪の中にいたのにな、と思いながらスーツ姿の葵と一緒に会場に入る。

粛々と式は進み、二年前のサプライズのようなこともなく式は無事に終了した。

私たち修了生も卒業生と一緒に卒業式後の学部ごとの謝恩会に参加することになっている。

今回は卒業した時のような突然表彰されると言うサプライズもなくご馳走だけをたっぷり食べて会場を後にした。

「葵、これからどうするの?」

「矢川先生も学部生の謝恩会があるみたいだし、しばらく帰ってこないって言ってたからな。どっか行く?」

「うん、そうだね。もうしばらく会えないんだし」

私たちはファミレスに向かうことにした。流石に今日大学の控え室を使う訳にはいかない。

「矢川先生との新生活、どう?」

「うん、いいね」

「いいって、何がいいのさ?」

「やっぱり、いつも一緒にいれるって、嬉しいよ。一人暮らしで自炊はしてたし、それを二人分する感じでしょ。料理とかは苦痛じゃないなあ。それより、一緒にいてくれる人がいる。それがすっごく嬉しい」

「そうなんだね。仕事始まるといろいろ大変にならない?」

「矢川先生も一人暮らし長かったって言ってたから、結構家のことできるよ。たまにご飯を作ってもらったりとか、一緒にご飯作ったりとかするよ」

「いいですねえ、そういうの」

「美咲の彼氏さんも、得意料理があるんでしょ?」

「うん、逆にあたしがそれ作れないんだけどね」

「そういうの、一緒に作ればいいじゃん。まあ、お仕事の関係上難しいのかもしれないけど」

「できればいいんだけどね、そういうこと」

「お願いしたら、結構やってくれるよ。今一人暮らししてるんだったら、全く何もできないってことはないと思うよ。美咲も学生って言っても、大学生とかとはまた違うんだからさ。一緒に暮らすんならお互い助け合いだよ」

「そうだね」

「ところで、籍入れる話、どうなったの?」

「今月末にした」

「二人で話し合って決めたんでしょ?」

「まあ、自分の希望だけど、彼氏さんも同意してくれたから」

「うん、うん。それでいいよ」

「葵たちは明日届け出すんでしょ?」

「そう! 受理されないと困るから、最終チェックを念入りにしてるところよ。また出し直しなんて、ガッカリだしね」

「式はいつ頃かとか決めてるの?」

「うーん……それが見当がつかないのよね。あたしも社会人一年目だし、長い休みとれるかなって。だから、実際に働き出してから考えようか、って言ってるところ」

「なるほどね。葵先輩のお話、参考になります」

そこで自宅から連絡があり、葵との会はそこでお開きとすることにした。

「矢川先生にいろいろ話聞かせてもらうからね」

「それはこっちもよ。またね、美咲。絶対に、また会おうね」

「うん、絶対に、また会おうね、葵」

そして、私は葵と別れた。

でも、葵とは矢川先生というつながりがある。私はこれからも矢川先生の元で研究を続けるのだ。きっと、また会える。


家で過ごすのももうあと少し。鈴や小鈴ともたっぷり遊んでおこう。

やはり鈴や小鈴と離れるのが辛い。随分長いこと一緒にいたのだ。彼女らも、長生きしている。

たくさん写真を撮っておいて、いつでも見られるようにしておこう。

もちろん、鈴と同じ模様のぬいぐるみも新しい家に送った。小鈴の模様はなかなか見つからない。

「美咲、ご飯よ」

「はあい」



翌日。今日、渉は卒業式を終え、私を迎えに来る。

今日はお互い自分の家で寝て、明日から新居での生活が始まる。

私は昼前に、自転車で一人家を出た。

みんなのために、お菓子を買いに行こう。水上先生に持って行っていたような、美味しいお菓子を。

私はいつも水上先生のレッスンの時に立ち寄っていた菓子店へ向かい、一番先生が「美味しい」と喜んでいたものを選んだ。

もちろん好みはそれぞれだろうが、美味しいものが大好きなあの先生が喜んだものだ。

きっと、みんな喜んでくれるだろう。



夕方前。

「美咲、いるか?」渉からだ。

「うん、いるよ」

「今から、美咲の家に向かうからな。待っててくれよ」

「分かった。待ってる」

緊張が高まる。話はすでに通っているが、いよいよだ。

「お母さん、今から渉来るって」

「待ってたわよ、もう準備は万端なんだから」

台所は静かにしているが、鍋がたくさん並んでいる。とっくに夕食の準備を済ませてしまったのだろう。私の、この家での最後の、夕食。


それから三十分ぐらいしてからだろうか。

「今着いたぞ。開けてくれるか?」

「うん、分かった」

そこには、スーツ姿の渉がいた。

「卒業おめでとう、渉!」

「美咲も、修了おめでとう」

「上がって、上がって」

「お邪魔します」

「いらっしゃい、卒業おめでとう、渉くん。もう大谷先生かしら」

「いえ、まだまだこれからです。やっと第一歩ですよ」

「お父さん、まだかしらね。二人とも、お腹減ったでしょ」

正直、まだそこまでお腹が減ったという感じではない。

「渉は?」

「卒業式の後のパーティーで色々食べてきましたので、そんなにお腹減ってはいないです」

「そう、それならいいけれど……」


それから長くかからず、お父さんも帰ってきた。

「渉くん、卒業おめでとう! いやあ、とうとうお医者様だね」

「いえ、まだまだこれからです……立派な医師になれるように頑張ります」

「優子たちにも声かけてはいるけど、仕事の都合もあるし、先にご飯にしましょうか」

「そうだな、そうしてもらえると嬉しいな」

そうして、四人の夕食が始まった。


「ところで、美咲、渉くん、籍はどうすることにしてるんだい?」食事が終わったところで、お父さんが肝心なことを聞いてくる。

「それが……お願いがあるんです」渉が切り出した。

「婚姻届はこちらで用意しています。書き方や書類を確認し、この市の役所に届け出を出すので戸籍謄本はいらないと思いますが、婚姻届に証人が必要です。よろしければ、お父さんか、お母さん、どちらか証人になっていただけないでしょうか……?」

「もう一人はどうするんだい?」

「うちの両親のどちらかに頼むつもりでいます」

「そうか、わかった。俺が、証人になる。今、ここに届けはあるかい?」

「ええ、ここに」

渉は荷物の中から茶色の文字の紙を取り出した。本当に婚姻届と書かれている。

「まず、二人の名前を書いたらどうだね。それから、私の名前でよければ、証人のところに署名押印しよう」

「はい」

明らかに渉は緊張している。その手にある紙もシワシワになっている。何度も取り出しては眺めたのだろうか。

まず、渉が自分のところに名前などを書いて印鑑を押した後、私のところに渡す。

私も同じように名前などを書いて、渉に戻す。

「お願いします」

「お母さん、印鑑ある?」お父さんが印鑑を探す。

「どうぞ」

そして、証人のところにお父さんの名前が書かれ、私のものとは違う印鑑が押された。

「あとは、渉くんのお父さんかお母さんのサインと印鑑がいただければ、この届けは完成ってことだな」

「はい、今夜家に帰った時にもらう予定です」

「渉くん……美咲を、よろしく、頼みます……」

「私からも、美咲をよろしくお願いします……」

二人して深々と頭を下げている。私も慌てて一緒に頭を下げる。

「美咲さんを、ずっと大切にします。自分の命に代えても、美咲さんを守ります」

そして再び荷物の中から何かを取り出した。箱だ。

「美咲……さん、受け取っていただけますか」

箱の中身は、シンプルな、ダイヤの指輪だった。

「これ、デザインとサイズを変えることができるんです。受け取っていただけますか……?」

「もちろんです。ありがとうございます」

「よかったわね、美咲」

確かに少し大きめかもしれない。一人でこれを買いに行って、サイズが分からなかったのだろう。そう言われても、自分でも、自分の指輪のサイズなんてわかっていない。

お母さんが突然動き、玄関が開く。

「ただいまー……あら、いいところだったのね」

「優子お姉ちゃん……お帰りなさい」

「せっかくだから、なんか食べたら?」

「うん、そうする」

「今日は圭太さんは?」

「夜勤です。あら、美咲、いいものもらったわね、おめでとう。そして二人とも、卒業おめでとう! 美咲は修了だったかしら」

「うん、そう」

「明日から一緒に住むの?」

「その予定です」

「おー、めでたいねー。今日は?」

「俺は家に帰ります」

「そっか、せっかくだし、ちょっと待ってて」

優子お姉ちゃんは階段を上がっていった。


優子お姉ちゃんが持ってきたものは、小さい頃のアルバムと、御勢学園大学附属高校の卒業アルバムだった。

「小学校と中学校のアルバムは、二人とも持ってるでしょ。美咲の高校のアルバム、見たことある?」

「あったような……うーん、覚えてないです」

「お茶入れるわ。みんなで久しぶりにアルバム見るのも、いいんじゃない。渉くんは家に帰るんだし、あんまり遅くならないようにしないとね」

とはいえ、自分の小さい頃のアルバムで、一人で写っているもののは数えるほどしかない。お姉ちゃんと一緒ならいいほうで、たいていが渉と一緒なのだから。

「ほんっとうに、昔からあんたたちは一緒にいたのね……」優子お姉ちゃんがため息をつくほどだ。

高校の卒業アルバムは一緒に見たことがあっただろうか。私はあの件があったため、杉谷高校の卒業アルバムを見せて欲しいとは思わないし、中学校の卒業アルバムを見直そうとも思わない。

「こんな顔ぶれだったんだな、美咲の学校って」

「うん、そう」

「いつか、美咲が見たいと思うときに、杉谷の卒業アルバム見れるようにしておくよ」

「ありがとう」

「さて、今日はそろそろおいとまさせていただきます。美咲、また明日な」

「うん、また明日ね」

明日からは、ずっと、ずっと渉と一緒なのだ。

「私も帰ろうっと。今度は美咲たちの新居にお邪魔させてもらおうかしら」



翌朝。

昨日買っておいたお菓子を準備し、しばらく会えなくなる鈴と小鈴をたっぷりなでていく。

「お父さん、お母さん、今日まで育ててくれて、本当にありがとうございました」

「美咲……」

「今は、頑張るとしか言えないです。とにかく、頑張ります」

「二人で、幸せになるのよ」

「はい」

その時、渉が「今からそっちに行くから」と連絡をしてきた。

自宅からなら、ほんの数分でここに着く。

「また来るからね、鈴、小鈴」

「にゃぁ……」小鈴が小さく鳴いた。

思った通り、渉の車がうちの横に着き、渉が降りてきた。

「婚姻届の証人、家に帰ってうちの父にもう一人証人になってもらいました。本当にありがとうございました」

渉が深々と頭を下げる。

「美咲を、よろしく頼みます」

「美咲さんを、しっかり守りきります」

そうして、お父さんとお母さんと、鈴と小鈴に見送られ、私たちは新居へと向かった。

とうとう、二人での新生活の始まりだ。


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