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桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第四章 「華」
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第二十話「そして、卒業」



私たちが毎年使うホールとは違う、もっと大きなホール。

お母さんは、そのホールの舞台に立っていた。

毎日家で私やお父さんの前で練習はしていたが、やっぱり緊張はするものらしい。

プログラムでは真ん中から少し後ろに組まれている。

ざっと見、知っている人はいなさそうだ。いよいよ、幕が上がる。


「練習通り、いつも通りを心がけていくわ」と言っていたが、明らかに舞台の上のお母さんは緊張していた。

見ているこっちまで緊張が伝わる。果たして、毎日練習していたあの響きをこのホールで再現できるだろうか。


少しもたついたが、お母さんはきちんとした音を出して、何時ものメロディーを奏で出した。

よかった。この流れが作れれば、最後までいける。

想定通り、曲は滞ることなく、無事に最後まで演奏された。

私とお父さんは惜しみない拍手をお母さんへ送った。

レッスンを始めて二年以上。最初はたどたどしかった音色も、最近は曲としてしっかりしたものになってきた。

まあ、もともと経験者だったのだ。感覚を取り戻すのも比較的早かったのだろう。

せっかく見つけた趣味がこれからも続くといいな、と思いながら私たちは会場を後にした。



二月末。

矢川先生が「卒論の製本が完成したから取りに来てください。ついでに、簡単な卒論発表会をしましょう」と連絡してきた。

提出して以降、すっかり忘れていた。そういえば、そういう予定だった。

二月には冬の大学院の入学試験が行われていたらしく、矢川先生はそれで忙しかったらしい。

久しぶりに矢川ゼミのメンバーと顔を合わせる。それぞれの進路報告、卒論の話などで花が咲いた。

そして、「卒業式の日の夕方に謝恩会をしよう」ということになり、美味しいお店を知っている子が幹事を引き受けてくれた。

矢川先生が現れる。数人のゼミ生を連れて、荷物を持たせて。

「一人一部、冊子を取りに来てください。そして、学生番号の若い人から簡単に卒論の内容を発表してください」

みんなわいわいと卒論を製本した冊子を取りに行き、自分の提出した論文があるかを確認する。

「乱丁とか落丁がないかも気をつけてくださいね。あったら取り替えますから」

見たところおかしな印刷部分はなさそうだ。


そして、卒論発表会が始まる。

みんな決めたテーマに従った論文を提出しているが、枚数はバラバラだ。十枚もない論文を提出している人もいれば、私のように百枚近い論文を提出している人もいる。

矢川先生は「テーマに沿っていれば量の多少は問わない」と言っていたので、それでいいのだ。もちろん、卒業できればの話だが。

私の膨大な量の発表が終わると、最後の発表者までの残りページ数はほんのわずかだった。

最終発表者の発表が終わると、矢川先生は「皆さん、四年間お疲れ様でした。卒業の確定は三月の頭だけど、この時点で、私から皆さんに卒業証書を渡したいくらいです。四月からそれぞれの道を歩き出すと思いますが、皆さんには、自信を持ってその一歩を踏み出して欲しいと思います。卒業、おめでとう」

そのタイミングで幹事を引き受けてくれていた子が謝恩会の話をする。「ありがとう、ぜひ参加させてもらいます。最後にみんなと食事ができて嬉しい」と言っていた。



三月のはじめ。

この日に卒業決定があるという日に、学校からは何の連絡もない。

まあ、卒業できない人間に連絡があるらしいので、ないならないでいいのだ。

そのまま、卒業式の衣装や髪型のセットの予約を進めていった。

そんな頃。

「卒業おめでとうございます。御勢学園大学での最後の桜小路会をしようと思いますが、いつが都合がいいですか?」

匠からのメールだった。

そうか、私以外、みんな大学からいなくなっちゃうんだよね……。

桜小路会だけじゃない。響も、有沙も、あずさも大学を卒業してしまう。

和菜は御勢学園大の大学院には進学するが、学部を変えて、教育学研究科に進学する。

みんな、ばらばらになっちゃうんだな……。

分かってはいたことだけど、改めて考えると淋しい。


で、一体いつならみんな都合がいいんだろう?

優も遠くへ行ってしまうし、その準備が必要なはずだ。

百花も陽子も社会人になる。百花は確か東京の会社だって言ってたっけ?

ええい、みんなの都合をまとめてくれるのが匠のはずだ。自分の都合をたまには丸投げしてみよう。

響とあずさとはもうしばらく会えなくなるため、卒業前にご飯でも、という話をしている。

そして、もう滅多なことでは会えなくなるであろう、さくらに会っておきたかった。

私は匠に返信をする。

「私は特にこの日がダメっていうのはまだないから、そういうのが決まったらまた連絡する。それより、めったに会えなくなるさくらちゃんと卒業前に会いたい」

返事は早かった。

「市川か……。あいつ、卒業と同時に結婚する。本当に、結婚式の準備進めてるくらいだからな。俺らも招待されてるくらいだ。会いたいと思うなら、早いうちがいいと思うぞ。大木……あいつの彼氏、いや、もう旦那だな、実家が遠いから、本当にめったに会えなくなるぞ」

「うん、そうする。ありがとう、匠」

私は久しぶりにさくらへメールを打った。

「さくらちゃん、忙しい?」

「うん、すっごく。でも、美咲ちゃんの頼みなら断らないよ」

「さくらちゃんと会えるのもめったにないだろうから、会っておきたいと思って」

「私も! 美咲ちゃんにはこっちにいる間に会っておきたかったの。大木の家はここから遠いから、めったにこっちにも戻って来れないと思ってたから」

「さくらちゃんの都合のいい時でいいよ、私はいつでも大丈夫」

「じゃあ、また連絡するでいい? ごめんね、すぐにパッと決められなくて」

「うん、待ってる!」

こうして、卒業までに予定が立て続けに入って行く。



結局、最後の桜小路会は卒業式の日の夜、百花の家を借りて行うこととなった。

「妹が高二なんだけど、先生になりたいって言ってるから、御勢学園大もどうかって話をしてたの。せっかく現役の教育学部生がいるんだし、話聞かせてあげてよ」百花が桜小路会メンバーが登録しているメッセンジャーで伝える。

「妹さん、学校どこ?」

「桜雅の高等部。あたしが行かなかったとこ」

「まあ、みさみさもいるし、お酒は抜きにしとこうな」

響とあずさとの食事会は卒業式の一週間前、そしてさくらとの密会はその一週間前となった。場所は例によって例のごとく、教育学部の学生控え室だ。



「さくらちゃん!」

「美咲ちゃん!」

今日はお互い至って普通の格好をしている二人である。

「結婚するって聞いて、びっくりしたよ」

「うん、彼氏が実家に帰って家業継ぐって言うから、私も彼氏の家でその手伝いしようと思って」

「何のお仕事なの?」

「古道具とか、古美術とかのお店。ああいうの、やっぱり経験がものを言うから、家業を継ぐなら早くから修行した方がいいってことで、もう家に帰って修行を始めることにしたんだって。私も一緒に修行できるならいいし、家に入ってしっかり家を守るのも一つの生き方だと思うしね」

「そうなんだ……」

私のこれからの考え方とは違った考え方に触れて、ハッとさせられたり、なるほどと考えさせられた。

「だから、ちゃんと結婚式もしなさいって。お金ぐらいうちで出すからって。だからこの前、結納もちゃんとしてきたの。すっごく緊張したけど、何度も遊びに行ってはいるしね。式は月末。ごめんね、美咲ちゃん招待できなくて」

「ううん、そういうのは全然気にしない。なんだか、すごく輝いて見えるよさくらちゃん……」

「ふふっ、そう? でも、今日はお互いに語り合いましょ!」

「って、何を?」

「決まってるじゃない! 腐女子らしく、腐の道を!」

その顔はお嫁さんのさくらちゃんではなく、あの女子高生のコスプレで度肝を抜かされたり、一緒にイベントに行く時に突如大荷物で私の前に現れるさくらの顔だった。

そしてそれから何時間だろうか、お互い話は尽きることなく、あたりがすっかり暗くなるまで二人は自分の趣味嗜好、匠と智也の話、自分たちの恋愛についてまで深く語り尽くした。

これほど語り尽くせるこういう趣味嗜好を持った友人はこれから先現れるだろうか。さくらが結婚してしまうことが残念で仕方なかった。



響とあずさとはもっぱら第九の話とあの一度きりのアンサンブルの話で盛り上がった。

また、この三人で語り合えるかのような気がしていたが、響の実家もかなり遠く、あずさは大阪へ行くとのことだ。

「なんか、またあのアンサンブルができそうな気がするんだけど、できないんだよね……」

誰がともなく口にした。

「あのピアノだけ弾いてくれてた女の子、結婚するって」

「ええっ! 本当に! 先生の卵なのに?」

「同級生と結婚するんだってさ」

「同級生も先生の卵なんでしょ?」

「家業を継ぐんだって」

「へぇー、世の中色々だねぇ」

「あたしも家に帰っちゃうしね」響が言う。

「やっぱり響のあの音がないとね」

「でも、あのピアノ弾きながらバスのコーラスとかちょこちょこソロパート歌ってた男の子、ええと、水野くんだっけ? やっぱりすごいよね。あの譜面を弾きながらコーラスつけられるって、相当な技術がいるはず」

「ああ、ピアノは小学校からやってたって言ってたし、なんてったって先生の卵だもん。講師やるつもりらしいけど」

「もったいないなあ。うちの附属小学校とかから声がかからなかったのかね?」

確かにそうだ。気がつかなかった。麻衣子は附属高校に、一度しか会わなかったけど、更紗は附属幼稚園に行くことになっているというのに。

「あー、全然気づかなかった。でも、本人なりに何か意志があったのかも」

「あのテノール歌ってた男の子は?」

「マスター進学だって」

「じゃあ、学部は違うけど美咲と一緒か」

思い出話に花を咲かせつつ、ちょっとリッチな夕食会は過ぎて行った。



そして、とうとう迎える卒業式の日。

前の日の夜、久しぶりに渉が電話をしてきた。

「卒業おめでとう、美咲。俺らも今日卒業式だったんだ」

「でも渉たちはあと二年あるでしょ?」

「まあな。でも美咲たちは卒業だ、お祝いしようと思うけど、明日ってやっぱり忙しいだろ?」

「うん……謝恩会とか、お別れ会みたいなのが予定されてるね」

「じゃあ、明後日でいいか。久しぶりに実家に帰ろうと思うし、ついでじゃないけど、美咲の卒業を祝いたい」

「嬉しい!ありがとう。忙しいのに、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。美咲はまだこれからも学生だろうけど、大学の卒業は一度きりだからな」

と言うことで、卒業関連のイベントがもう一つ増えた。


お姉ちゃんの振袖にレンタルしてきた袴を着ると、なんとも言えない気持ちになる。

これが卒業か。

美容院でヘアメイクをしてもらうと、お父さんに大学のホールまで送ってもらう。

入学式から、第九の舞台でお世話になり、そして卒業式。

会場に着くと、たくさんの袴姿の学生で溢れていた。

やっぱり、袴にしといてよかった。

「美咲、美咲ー!」

有沙が呼ぶ。卒業式は有沙と和菜の三人で一緒にいることにしていた。

響は管弦楽団で、あずさは合唱団で国歌や校歌の伴奏や合唱を行うためこの場にはいない。二人にとっては最後の晴れ舞台なのだ。

とはいえ、卒業式の後の学部ごとの謝恩会で会うことができるため、もう二人に会えないわけではない。今はきっと袴姿でバイオリンを構えているであろう響の姿やコーラスの輪の中にいるあずさの姿を想像するだけだ。


式典は粛々と進む。

予想通り、袴姿でバイオリンを構える響と、コーラスの輪の中にいるあずさの姿を捉えることができた。

そして、各学部代表への卒業証書授与も終わり、卒業生総代の挨拶となった。

「卒業生総代 経済学部 戸塚 優」

「はい」

思いがけない名前に耳を疑った。そしてステージを目が乾くぐらい見つめる。あれは、やっぱり、優だ。

優がステージで何を話しているのかもはや頭に残っていなかった。

優、確かにすごいとは聞いていたが、卒業生総代に選ばれるとは……感心するより他なかった。



式典終了後、謝恩会のバスが出るまでそれぞれ写真を撮りあったりしていた。

サークルに所属していた子は後輩たちから花束などをもらったりしている。

謝恩会のバスが出るまで時間はあまりない。せめてコーラスでお世話になった子達と話したいと思っていたが、その余裕もなかった。


そして、私たちを乗せたバスは、大学が準備した法学部の謝恩会会場へ向けて出発する。


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