第十八話「アンサンブル」
「で、優、川口先輩と再会したって話、本当なの?」
「ああ、俺もいまだに信じられないくらいだ。もちろん、下心がなけりゃ、東都経済大まで受けに行くことはなかった。もしかしたら、という気持ちはあった。でも、こんなにあっさりと再会できるなんて、思ってもいなかったよ」
「どんな状況だったの?」
「俺が大学の近くの駅に着いた時、毎日見ていたあの姿を見つけたんだ。俺は、思わず声をかけてしまった。あっちも覚えていたよ。今日は大学には入れないから、ってその場で別れたけど」
「また会う約束したの?」
「合格したからな。入学手続きとか済んだら、また顔を合わせることになるだろうと思う」
「へえ、運命的だねえ」
ちょっと悔しそうに麻衣子が言う。
「匠は、講師しながら、あの子、ええと、市川さんだっけ? と付き合い続けるのか?」
「市川とは別れたよ。あいつ、今は同級生と付き合ってる。俺とも知り合いだ。で、大学を出たらそいつと結婚するんだと」
二度どころか、三度ほどびっくりさせられた。さくらちゃんは匠たちとは偽装で付き合っていることは知っていたが、同級生と? 卒業と同時に結婚? 私はまた混乱させられた。
「じゃあ、匠は今フリーか」
「ああ、そういうことになるな」
その発言にも混乱させられる。もしかしたら、本当に匠は一人になってしまったのか?
百花、早希、陽子は相変わらずいい関係でいるようだ。何も語らないあたりそういうことなのだろう。
麻衣子だけがひたすら、「彼氏欲しいー」と終始叫んでいた。
軽い食事をご馳走してもらった後、私は行きと同じ百花の車で家まで送ってもらった。
「ありがとう、百花姉様。一人で見に行くつもりではいたけど、みんながいてくれたから勇気が出た」
「喜んでもらえて何よりだわ。また、桜小路会しましょうね」
愛車に早希と陽子を乗せて百花は去って行った。
「おかえり。美咲、合格おめでとう。はい、合格証書」
お母さんが郵便局から取って来たという合格証書と書類一式を実際に手にとって、合格の実感が胸にじわりじわりと湧き上がる。
「今日のご飯、何がいい? 何だったら、お父さんと何か食べに行ってもいいわよ」
「うーん、唐揚げかな。渉が作ってくれたみたいな」
「あら、懐かしいわね。じゃ、ちょっと買い物行ってくるから、留守番頼んだわよ」
「はーい」
そろそろ匠は家に着いただろうか。車は優が運転していたから、もう降ろしてもらっていてもおかしくない。
私は携帯を手にとった。
「もしもし、匠?」
「みさみさか、どうした?」
「匠、今大丈夫?」
「夜に智也の合格祝いする予定だから、それまでだったら」
そういう話題が出てくるあたり、智也とは別れていないのかな。
「さくらちゃんと、別れちゃったの?」
「ああ、あの友好的三角関係を解消した。今市川が付き合ってるのは、俺でも智也でもない、まあ同級生であることに違いはないんだけどな。そいつが大学を卒業したら実家の家業を継ぐらしくてな、それと同時に嫁入りするつもりなんだと」
「じゃあ、まだ安藤くんとは……」
「安心しろ。仲良くやっている」
「よかった……」
「いくら桜小路会のメンバーとはいえ、全部はぶっちゃけられないからな。今回からは新顔も加わったしな」
「確かに、みんなに全部ぶっちゃける必要は確かにないと思う。でも、陽子はいい子だから。心配しないでいいよ」
「そういえば、みさみさのお姉ちゃん、結婚したんだってな。おめでとう」
「ありがとう。もう半年ぐらい前だけど」
「式とかはあげてないのか?」
「うん、まだみたい」
その時、車の止まる音が聞こえて来た。お母さんが帰って来たようだ。
「ごめん、ちょっと用事。また、連絡するね」
「俺もそろそろ出かけるわ。またな、みさみさ」
「またね、匠」
そして大荷物を抱えたお母さんが帰って来て唐揚げを作る用意を始めた。私も手伝う。あの美味しい唐揚げを再現するために。
渉からも「合格おめでとう、美咲ならできると思ってたぜ。あと二年、俺も頑張るからな」とメールが返って来ていた。
入学手続きを済ませ、一息ついた後は卒論の追い込みだ。
夏の終わりは、卒論との格闘で過ぎて行った。
四年前期の単位発表。一番気になっていた教育実習の単位もなんとか取れていた。いい成績とはやはり言えなかったが、取れないよりはましだ。
響は実家へ帰り試験を受けに行っているようだ。第一志望だと言っていたのだから、今が一番忙しいのだろう。
叶え、響の願い。大学のキャンパスからそう願うしかなかった。
和菜は学部を変え、教育学部の修士課程に合格していた。
有沙は教員採用試験の一次試験までは通ったようだったが、二次で不合格だったとのことだ。彼女は自分が通っていた塾の講師をしながら勉強を続けて行くそうだ。
みんな、確実に自分の夢に向かって飛び立つ準備を始めている。
四年後期が始まる頃。久しぶりにキャンパスで響の姿を見かけた。
「美咲! 久しぶり」
「響! 元気してた?」
「うん! あと、最終面接を残すだけだから、こっちに戻って来たの」
「すごいじゃん! 響、さすがだね!」
「さんざんがんばってきたからね。自分でも嫌になるくらい」
「それくらいやらないとダメなんだね……」
「でも、まだ気が抜けない。合格するまではね」
やはり、公務員試験という世界は厳しいようだ。
卒論の提出は、意外や意外、私が最後だった。
「これをゼミのみんな分製本して、卒業前には配布するからね。その頃に、簡単な卒論発表会をしよう」
矢川先生がようやく今年のゼミ生もひと段落、といった感じで言った。
取りこぼしてしまった卒業に必要な単位の取得、必要ではないが興味のある授業の履修、四年の後期にしか履修できない教職科目、これからの研究に必要だろうと思われる授業の履修、意外と四年の後期も授業は埋まって行った。
必要のない授業は必ず単位を取る必要はないが、卒業に必要な授業や教職科目など、落とせない単位もある。いつまでも気は抜けないのだった。
キャンパスが秋の空気から冬の寒さを感じるようになった頃、響から「美咲! 合格したの! 第一志望の自治体に! 嬉しい!」と喜びの感情を爆発させたメールが届いた。
「おめでとう、響! やったね、がんばったね!」と返事をする。
そして、考えていたお願いをするために響に電話をすることとした。
「響、メール見たよ。おめでとう、本当におめでとう!」
「ありがとう、みんなが内定とったとかいうのが一番応えたけど、自分の夢を信じてここまで来て、本当によかった!」
「響、お願いがあるんだけど……」
「何? 今なら何だって聞くよ」
「響のバイオリン、じっくり聞かせてくれない?」
「じゃあ、あたしも。美咲の歌声、ていうか第九の美咲のソロ、聞いてみたいな」
「でも、バイオリンとソプラノソロじゃ、曲が成り立たないよね……」
「任せて。あたしがなんとかする。でも、あたしは男声に当てがないのよね……」
「わかった。そこはあたしがなんとかする」
「じゃあ、やろう、第九アンサンブル」
「うん、やろう!」
もちろん思いついたあては匠と智也。匠はピアノも弾けるから、男声合唱だけでなく他のパートやソロもピアノで充てられるかもしれない。響が誰を呼ぶかはわからなかったが、前々からの念願だった響とのアンサンブルができることが嬉しかった。
「匠、第九アンサンブルのヘルプをしてくれない? もちろん、安藤くんも」とメールを打つ。
返事は早かった。
「アンサンブルか。大人数じゃないんだな。メインは何だ?」
「第一バイオリンとソプラノソロ」
「すごく偏ったメインだな。とりあえず、俺はピアノかコーラスだな。智也に第九のピアノは無理だからな。あいつは単位を取るために必死で俺だけじゃなくて市川とか他の子まで必死で特訓したくらいだから、あいつはコーラスだな」
「手伝ってくれるだけでありがたいよ。他にも探してくれてるみたいだから」
「あ、そうだ、ピアノなら市川も弾ける。あいつは歌は苦手だけどピアノはいけるって言ってたからな」
「さくらちゃんが?」
「声かけてみようか?」
「いいの?」
「あと、高月さんって、みさみさのソリストの推薦書を書いてくれた子がいる。その子なら手伝ってくれるんじゃないかな。推薦した人間なんだし、みさみさの声、聞かせてあげてもいいんじゃないか。二人とも、声かけて見るよ」
「ごめんね、ありがとう」
一気にアンサンブルのメンバーが増えた。
響からは「ごめん、みんな結構本番の第九の方に取られちゃってて。あずさが手伝ってもいいって言ってくれてるけど」とメールが来た。
「ううん、大丈夫。意外と、こっちで声かけたら人が集まっちゃって。男の子二人、女の子二人集まった」と返信する。
「となると、あたしたち入れて、七人いる?」
「そういうことだね」
「なら、なんとかなるかな」
「なんとかなるさ」
「あとは、日程調整だね。美咲、そっちはよろしく!」
「じゃあ、そっちもよろしく」
日程調整と言っても、匠任せにするしかない。
「まあ、俺が言い出した話だし。任せろ」と引き受けてくれた。
そして数日後、「二週間後、週末の金曜の放課後ならみんな空いてるぞ」と連絡が来た。
すぐに響に連絡する。
「分かった。あたしは大丈夫だから、あとはあずさ次第ね。場所、どこがいいかしら?」
「あ……」
考えていなかった。とりあえず、音楽教室と考えていたが、空いているだろうか。
「音楽教室、空いてるかな?」
「金曜の放課後、管弦楽団が合奏で使う。でも、開始は夜七時ぐらいとからだから、早い時間だったら、いけるかも」
「じゃあ、時間決めちゃおう。放課後すぐ、五時半集合で!」
「分かった、そっちに連絡お願い。私もあずさにそう伝えるから」
私も声を出すのも久しぶりだし、響も楽器を持つのも久しぶりだろう。
でも、今を逃すと響の音を聞くことがない気がした。
私は少しずつ、発声練習を再開することとした。




