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桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第四章 「華」
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第十三話「オーディション」



私が忙しさを増して行くのと同じように、だんだん渉も忙しくなっていっているようだった。

まだ家に帰る余裕はあるようだが、実習がだんだん本格化していき、授業と実習で追われているようだ。

私はオーディションやレッスンの話は渉にはしなかった。水上先生は渉も知っているのだが。


レッスンを続ければ続けるほど、自分の力のなさが見えてくる。

特に高音を響かせ続けることができないことに関しては、いくらブランクがあるとはいえ、水上先生もオーディションが近づくにつれてヒステリックになっていっていた。

これなら、中学の部活と一緒だ。毎日泣きながら帰った日々と。

でも、ここで断念したらそれはそれでまた怒るに違いない。水上先生はそんな人なのだ。

「美咲の覚悟、そんなものなの?」と。

提案したのは別の人間でも、水上先生に言い出したのは、お願いしたのは私だ。やれるところまで、やってみないと。


「美咲」

「ん、なに?」

ちょっとぼーっとしていたようだった。渉の言葉に気がつかなかった。

「お前、無茶してんだろ」

「え……」

「顔に書いてある……というか、すごく疲れてるけど、無理してる感じがする」

「そんなことないのに……」

「何があった? 言ってみろ」

渉に問い詰められると、隠し通せない。私は今までのことを洗いざらい話した。

「そうか……。美咲、俺の意見で悪いんだけど、お前はソリスト向きじゃない」

「あたしも、そう思う……」

「やっぱり、ああいう舞台で一人で、コーラスと違う部分を歌い切るのって、相当な努力が必要だと思う。

確かに、美咲も中学では三年間歌い続けてきたわけだし、二年間あの舞台にも立った。でも、それ以上に努力してる人がいる気がするんだ」

「……」うなずくしかない。

「オーディションを受けるのは受けてみていいと思う。ただ、強敵揃いだと思うぞ。覚悟しといたがいい」

「うん、その覚悟はしてる」



ゴールデンウイークが終わり、一次オーディションの日程が正式に決まった。

五月の最終金曜日の夕方。

レッスンは毎週土曜日の夕方から夜に、小花中の音楽室を借りて行なっていた。5月最後のレッスンはオーディションの報告になるだろうか。

課題曲は楽譜の指定部分の実技(二、三カ所、暗譜)とあった。

一次ということは、二次、三次とあるという可能性があるのだろうか。

まずは一次オーディションだ、それで終わればそれでいい。そこに全力をぶつけよう。

ようやく持続して出せるようになってきた高音域。ただ、それが一人であのステージで歌えるレベルに達しているかと言われると、やはり全くダメだと思う。

三年間のブランクは大きいな、とか専門的に勉強や練習してきた人には勝てないだろうな、と考えてしまう。

でも、私を信じて推薦してくれた匠や智也たち、響やあずさにせめて結果を話せるようにはしよう。


レッスンを受けているからと言って、ゼミの発表もサボってはいられない。とうとう、矢川ゼミでの初の発表順も回ってくる。

ゼミ生は自分を入れておよそ十五人。みんな、将来の目的を持ってきている。

最初のゼミの自己紹介を聞いていると、志望は案外公務員や進学希望が多い。卒業のころがちょうど就職活動の仕組みが変わる頃だからか。民間企業を志望している子は、すでに業界研究をしっかりと進めているようだった。

意外なことに、大学の附属高校である御勢学園大学教育学部附属高校出身者は私以外は一人もいなかった。

とりあえず毎回一人ずつ学生番号順で自分の興味のあることを発表していき、議論していきながら卒論執筆につなげて行くというのが矢川先生の方針らしい。

長い休みには定期的に面談を行い、研究の進み具合、進路の決まり具合、卒論の進み具合などを相談できるそうだ。

矢川先生とは長い付き合いになるはずだ。仲良くしておくに越したことはない。


ゼミでの初発表は、これまで高校で進めてきたことに自主研究を加えた内容を発表した。

そういう意味では、真理先生がかつて言っていた通りだ。私たちは研究や発表することに慣れている。ゼロからのスタートではない。

そういえば、真理先生は今、法科大学院で司法試験に向けての勉強をしているのだろうか。

あの日以来、真理先生に会っていない。真理先生から連絡もない。ほぼ変わりのない、半年ごとの定期的な連絡も池田先生からだ。

真理先生には、いつか、必要がある時に会えるはず。あ、お姉ちゃんが結婚したことは知ってるかな……それは本人が話すことか。



そして、とうとうオーディション当日がやってきた。

当日まで、何人オーディションを受けるのか、何次オーディションまであるのか全く知らなかった。

会場に指定された、いつも練習していた大学内の音楽室に来て驚いた。

軽く女声だけで、十人はいる。

自薦か他薦かは分からないが、これだけの人間がこの会場に来れるだけのレベルなのか。

敵は、思った以上に多かった。


担当者が、各パートごとに人を振り分けていく。

ソプラノだけで、五人も一次オーディションを受けるのだ。

軽く身震いする。

「説明を始めます。それぞれお一人ずつ、中で今回の課題曲を歌唱していただきます。結果は全員の審査後、この場で発表いたしますので、もし離席される際には私に一声かけてからお願いします」

結果、今日出るんだ。全員で十五人ほど。一気に四人に絞るかどうかは分からない。緊張がいやでも高まる。

「中村美咲さん、どうぞ」

「はい」

行くしかない。これまで水上先生と練習してきた分を出し切るしかない。

そこには指揮者の先生と、ピアノ伴奏の女性がいた。

「よろしくお願いいたします」

「中村美咲さんですね」

「はい」

「では、始めます」

指定された箇所は、水上先生と練習してきた部分ばかりだ。当たり前だ。

ただ、緊張が喉を閉める。うまく高音まで音が出ない。

「ありがとうございました。では、控え室でお待ちください」


これほど手応えのない試験はなかった。高校三年生の、学会の後の最終考査の数学の方がまだましか。

そして、最後の一人が奥の部屋から出てきた後、担当者が「では、これより審査に入ります。しばらくお待ちください」と言って奥の部屋へ消えて行った。

中学の時のコンクールを思い出す。一番緊張が高まる瞬間だ。地方大会へ進めるか、ここで涙を流すかという結果を知るまでの時間だったが、今回はどう出るかわからない。

約二十分後。担当者が指揮者を連れて控え室へ現れた。

最初に各パート男声ソリストの決定を告げ、そして、

「では、二次オーディション実施要項を説明します。二次オーディションは六月中旬、対象は女声ソプラノ、アルトの今から名前を呼ばれた方に対して行います。課題曲は今回と同じくピアノ伴奏で最初から通しで歌唱していただき、自由曲として演目自由ですがピアノ伴奏つきで一曲歌唱していただきます。それでは、発表します。ソプラノ……」

ソプラノ、アルトともに三人の名前が読み上げられた。

呼ばれた名前の中に私の名前はなかった。それは、一次オーディションで落選したということだ。


翌日の夕方、私は小花中の音楽室ではなく音楽準備室で水上先生にオーディションの報告をしていた。

「そう、そうだったのね。頑張ったわね、美咲。きっと、上手い子がたくさんいたんでしょうね」

「緊張してしまって、いい声が出せませんでした……水上先生、申し訳ありません」

「私に謝ってどうするの! 私は私のできることを全部やったし、最初に比べたら美咲はかなり上手くなったわ。謝る……うーん、謝る必要性がよくわからないけど、謝るんだったら私じゃなくて、美咲を推薦してくれた人たちじゃないの?」

確かに、それもそうだ。でもその前に、大事な時間を割いてくれた水上先生にはお詫びとともに感謝を伝えなくてはいけない。

「この二ヶ月、大変だったけれど、大学生として研究以外に打ち込むものができました。本当に、ありがとうございました」

「うん、その笑顔よ、美咲。大谷くんもそんな美咲が好きだって言ってたわ」

突然渉の話題を振られ、びっくりすると同時に顔が赤くなる。

「相変わらずね、美咲は。あはは」


昨日のうちに、オーディションの結果は匠と響、そして渉にもメールで伝えておいた。

私を推薦してくれた他の人の連絡先を知らないため、この二人に任せるしかない。

「お疲れ、みさみさ。でも、よくがんばったな。あったかいココア、渡したかったよ。智也たちにも、伝えておくな」

「お疲れ様。残念な結果だったけど、あたしも今回厳しいかもしれない。でも、美咲の分まで、最後まで諦めないで頑張る!」

二人からはメールの返信がきたが、渉からは着信があっていた。渉にかけ直す。

「お疲れ、美咲。やっぱりって言ってたけど、美咲自身に悔いはないか?」

「……」

どうだろう。悔しいのだろうか。よくわからない。

「今はよくわからないや……」

「美咲は、しばらく本当に勉強に研究にと本当に学生らしいことしかやってこなかったからな。久しぶりに、それ以外のことに打ち込んだんじゃないか?」

「うん、確かにそう」

「美咲が考えに考えて、悔しくて悔しくて眠れないくらい悔しいと思える日がきたら、また挑戦してみるんだ。来年はもしかしたらお前も試験対策してるから厳しいかもしれない。でも、御勢学園大の学生であれば挑戦できるんだろ? きっと、水上先生も応援してくれるし、協力してくれるさ。まあ、今回のように気軽にという訳にはいかないだろうがな」

渉は、何度も何度も悔しくて眠れないような日を過ごしたのだろう。その日々が今の渉を作っているんだ。

「うん、考えてみる。自分の全力を出し切ったのか、後悔していないか」

「それで、後悔していないなら、いいんだ。俺は無理にこれからも挑戦することを勧めるわけじゃないし、美咲がやりたいことがあるなら、それを優先させるのが一番いい」

「わかった。ありがとう、忙しいのにごめんね、渉」

「気にするな。最近こっちも忙しかったから、あんまり連絡もできてなかったしな」

「渉」

「何だ?」

「私の笑顔、好き?」

「もちろんだ」

「そっか」

「いきなりだな。どうした?」

「水上先生に言われて」

「ああ、二年の時担任だったからな。面談で根掘り葉掘り聞かれたよ、美咲のこと」

「まあ、入学当初から付き合ってたからね、先生たちもいろいろ気にしてたんだろうね」

「人間関係とか、部活とか、受験とかだろうな。まあ、そういうのと美咲とは別だと思ってたから。やることはやって、ちゃんと美咲も大事にする。そう思ってたから」

「……ありがとう」

またしても、顔が赤くなってしまった。



時間割の全時間に授業が詰まっているという殺人的なスケジュールも、前期試験で一区切り。

後期の授業も大変そうではあるが、前期みたいな過密なスケジュールにはならなそうだ。


そして、大学生としての三度目の夏休みがやってくる。

大学三年生の夏休みは、人により過ごし方が全く違う。

企業研究、公務員試験や教員採用試験の勉強、そして私のように大学に残って研究を続けたい人間にとっては大学院の入学試験対策……。

そして、矢川ゼミの卒業論文へ向けての各自の研究も怠る訳にはいかない。


私は、再び矢川研究室にて、矢川先生を目の前にしていた。夏休みの面談だ。

クマゼミの声よりも、ツクツクボウシの声がすでに聞こえてくるような季節だった。


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