第十二話「推薦」
優子お姉ちゃんたちを見送ると、御勢学園大学での三度目の春がやってくる。
三年生となると大学にもかなり慣れてくる。そして、とうとうゼミが始まる。
新学期直前、「祐樹が久々に帰ってきてるらしいぜ、桜小路会やろう」と匠から知らせを受けていた。
祐樹がこの時期にここにいるのか。珍しい。
とはいえ、久しぶりに桜小路会メンバーが集まれると思うと、ワクワクした。
「祐樹、久しぶり」
「百花姉様、久しぶりに」
「珍しいね、この時期にこっちにいるなんて」
「用事があってな。遠からずあっちに戻るよ」
「あ、祐樹、百花姉様!」
「久しぶりね、美咲。同じ学校なのに」
「本当に。全然会わないね」
「本格的に必要以外は学校に来なくなったからね」
「百花姉様、卒業できるの?」
「高校入学でダブったんだし、今更ね。でも極力四年で卒業できるように頑張るわよ」
そういう話をしているうちに、匠に麻衣子、早希、優も現れた。
「久しぶり! みんな元気してた?」
「うん」
「まあな」
「祐樹なんて本当に久しぶり! どうよ?」
「どうって、何を……」
「いろいろ!」
七人が揃い、久しぶりの桜小路会が始まる。
「へえ、もう実習行くんだね」
「ああ、六月ごろには小学校に一ヶ月、秋には中学校に三週間だな」匠が答える。
「あたしも、六月ごろに中学校に三週間、秋に高校に二週間」麻衣子も答える。
「教育学部だしね」
「美咲も教職課程取ってるんでしょ?」
「うん」
「教育実習行くんだよね?」
「うん……四年の六月ごろって聞いてる」
「やっぱり附属小とか附属中、附属高に実習行くの?」教育実習に行くことはなさそうな早希が聞く。
「俺はそう聞いてる」
「あたしも」
匠と麻衣子が答えた。
「あたしたちは、出身校でってことになってるみたいだけど、結局御勢の附属高になるんだよね……」
「杉谷は?」
「うーん、卒業してないしね」
「いいじゃん、桜小路先生が実習担当っていうのも」
「で、早希はどうするの?」
「ここで社会福祉士の資格取れたら、大学院行こうかなって思ってる」
「御勢の?」
「ううん、国公立に入り直す」
「へえ、大変じゃない?」
「御勢に社会福祉士の資格が取れる学科ができなかったらもともとそこ行くつもりだったし、通えないところでもないしね」
「優は?」
「今更って言われるかもしれないけどさ、やっぱり東都経済大に行くことにした」
「学部から?」
「いや、大学院から」
「やっぱり、川口先輩追っかけて?」
優は否定しない。
「でも、またここに戻ってくるよ。俺はこの学校も、この町も好きだから。勉強をしに、ちょっと出てくる」
「川口先輩と一緒に帰ってくるのかね」
「それは楽しみだな」
「で、祐樹はどうする気だ?」
「俺か……就職できればいいんだけどな……」
「確か、もう俺らの世代は就職活動の解禁が遅くなるんだろ?」
「ああ、そう聞いている」
「志望の職種とかあるの?」
「うーん、それがまだ……具体的にイメージできてなくてさ」
「働きたい場所とかは?」
「こっちかな。あっちで仕事するイメージより、ここに戻ってきて仕事する方がいいかな、と思う」
「じゃあ、こっちの企業も視野に入れて就職活動できるようにしないとね」
「百花姉様は?」
「あたしも就職活動するつもり。大きいところじゃなくても、ボランティアとかに力入れてたり、NPOとかもいいかなとか思ってる」
「なるほど……」
「匠と麻衣子は、もちろん先生を目指すんだよね?」
「もちろん」
二人の声が響く。
「で、美咲、あんたは結局どうしたいの?」
「このまま法学部の大学院に進む」
「わざわざ教職課程取って、教育実習まで行くのに?」
「何でも勉強だと思ってね」
「偉いな、美咲は」
「でも、掛け持ちって相当な気力、体力がないとできないと思うんだが……平気なのか?」
「うーん、そんなに辛いと思ったことはないかな」
「この子の体にどれだけの力があるのかね」
「すげえや、俺は今だけで精一杯だ」
「でも、他の大学の大学院に行こうって考えてないから、優とか早希の方がすごいと思うな」
「比べても仕方ないよ、みんなやりたいことをやってるだけだからさ」
ここで料理が運ばれ、一時会話が中断した。
「みさみさ、今年も第九出るのか?」
「多分そのつもりだけど……匠たちは?」
「実習と練習があんまり重ならなければ出たいけどな。もう練習伴奏者は交代してもらったよ」
「それがいいだろうね。毎回練習に出れないならね」
「ところで、ソリストって自薦と他薦があるって知ってたか?」
突然の問いかけに驚く。
「そういえば、響がソリストのオーディションは参加自由って言ってたけど……あ、響って同級生の管弦楽団の子」
「その応募要件みたいなものに、自薦と他薦があるらしい。意外とまだ学生だと、自薦を満たせる要素の子って少ないらしいから、他薦の子達が集まるんだそうだ」
「へぇ」
「俺がなんでそんな話してると思うか?」
「匠、他薦して欲しいの?」
「バカ、俺練習出れる時間もないかもって言ってるだろ。俺と智也で、みさみさを推薦しようかと思ってて」
「は……?」
「みさみさ、合唱経験者だろ? かなりのステージに乗ったんだろ?」
「って言っても、本当に合唱団の一員としてだし、ソロなんてやったこともないよ……」
「でも、俺らは二年間練習を聞いてきて、みさみさならいけるんじゃないかって話をしてた。みさみさ、ソプラノだったよな?」
「うん……」
「もしかしたら合唱団とかでオーディションを受けに来る子がいるかもしれない。でも、俺らはみさみさを他薦しようかと思ってる」
「って、自薦と他薦の要件って?」
「自薦はこの演奏会と同等もしくはそれ以上の演奏会での歌唱経験を証明する書類の提出、他薦はこの演奏会に最低二回は参加した者五名以上による推薦」
「五人って、全然足りないじゃん」
「まあまあ、待ってろ。俺ら以外にも、みさみさの声を評価しているやつはいるんだ。そいつの推薦、もらってくる」
そんなつもりはなかったのに、すっかりそういうことにされている。
「オーディション、受けるって決めたわけじゃないからね」
「なになに、何のオーディション受けるの、美咲ちゃん?」
「毎年十二月に学校のホールで第九やってるだろ、あのソリストのオーディションだ」
「えー! すごーい美咲!」
「美咲は音楽を専門にやってるわけじゃないからいきなりは厳しいかもしれないけど、応援してるわよ」
「十二月は開けとかないとな」
みんな、すっかりその気になってしまっている。今更後には引けないが、最終的には五人分の推薦が集まらなければ応募できないのだ。
それを願っていた。
桜小路会が解散した後、私は匠とともに帰宅しながらさっきの話の詳細を聞く。
「他にあたしを評価してる人って、誰? さくらちゃんは出てないでしょ?」
「俺らの同級生で、合唱団にも所属している。みさみさの声に圧倒されたって言ってた」
「その子が出るってことはないの?」
「俺らと同じで、実習だよ。選ばれても、練習の余裕がない」
「あたしもゼミ始まるし、普通に授業詰まってるよ」
「まあ、最終的に出るかどうかはみさみさ次第だ。俺らが強制はできないしな。ただ、推薦はする」
そして始まった新学期。桜小路会の時の話なんてすっかり忘れていた私に響が追い打ちをかけるように声をかけてきた。
「美咲、今年の第九のソリストオーディションに出てみない?」
あっ! そういえば、匠にもそういう話されてたっけ……。
「友達からそういえばそういう話聞いてたけど、他薦って最低五人の推薦がいるんでしょ?」
「ふふふ、任せなさい。管弦楽団と合唱団ですでに話はまとまってるの」
私の知らない世界で、話は勝手に進んで行く……
「まあ、最終判断は美咲次第。あたしも、今回の第九でのコンミス狙いで行ってるから」
そっか、響は狙ってるんだ。匠と智也、響が推薦をまとめてくれるって言うなら、やるだけやってみようかな……。
響と一緒にソリストとコンミスできることを目指して。
「匠、やっぱりやってみようと思う」
「ソリストの話か。そう来ないとな。こっちでは三人分の推薦書が手に入った」
「あたしの方では二人分」
響と、同じ法学部で今は合唱団の部長をしている、永島あずさという子からだ。
あずさからは、「あたしはコーラスの子たちのまとめをしないと。美咲ちゃんがやるっていうなら、あたしどんだけでも推薦する!」
との言葉をもらって。
「よし、なんとか揃ったな。オーディションは六月らしいから、書類関係は今準備しとけばいいんじゃないか」
そして私はもう一つ、お願いしようと思っていたことがあった。
やるんだったら徹底して頑張る。それには協力してもらいたい人がいた。
原中合唱部の恩師、水上先生だ。
原中合唱部は全国大会の経験はないものの、地方大会には毎年のように出る強豪校だった。
それだけ、練習も厳しかった。泣きながら帰った日も数え切れない。
水上先生に個人レッスンをお願いしてみよう。
もちろん、タダでなんて言わない。まずは挨拶がてら手土産を持って行って、どのくらいの費用で引き受けていただけるかを確認しよう。
水上先生は数年前に原中から異動し、小花中にいた。
出身校で無いところを訪問するのは緊張するが、事前に連絡はしてある。
水上先生のモットーは、「学校に携帯は持ってくるな、でもそれ以外ではメル友」で、メールアドレスを交換してたまにメールのやりとりをしていた。
杉谷高校から御勢学園大の附属高校に転入したことを話した時には驚いていたが、「やりたいことを見つけたなら、それが一番いいわ」と言っていた。
「久しぶりね、美咲」
「お久しぶりです、水上先生」
「話はだいたいメールで聞いてるけど、本気なの? 毎年あの第九聴きに来てるけど、自分があのソリストになれると思う?」
「……やれるだけ、やります」
「分かったわ。こっちも久しぶりにビシビシ行くからね。腹筋がガッチガチになるまで、喉が完全に開ききるまで、徹底的にやるわよ」
この言い方はまるで鬼だ。悪魔だ。中学の時と全く変わっていない。
「お願いします」
それでも、今の私にはそれが必要なのだ。
結局、毎回何か美味しいものを持ってくるということがレッスン料になった。
六月のオーディション本番まで、水上先生のレッスンが始まる。
水上先生は私の体の詳しいことは知らないが、原香奈子の事件は知っていた。
「あの時は驚いたわ……みんな、うちの卒業生なんだもの……美咲、やるのはいいけど自分でもセーブするのよ。中学生みたいに若くないからね、あなたも。ちゃんと体調悪い時は病院行きなさい。そうでなくても、来いって言われてる時には行くのよ」
アルバイト、これまでにない濃い密度の授業、本格的に始まったゼミ、水上先生のレッスン……
これは、高校三年生の秋を超えるような忙しさだった。
やむなくアルバイトの回数を減らさざるを得なかった。今年の秋から来年にはアルバイトを今の半分にして大学院入試対策をしなくてはならない。
最後の、大学生らしいイベントかもしれない。
ゴールデンウイークまでは、余裕もなく過ぎて行った。
そして迎えた大学生三度目のゴールデンウイーク。
久しぶりに、本当に久しぶりに、渉と遊びに行くことにした。




