第九話「矢川教授」
「へー、結構どのゼミも面接あるんだね」
「あ、商法ゼミは先着順だって」
「私、行政法ゼミ狙いだからなあ、面接だ」
「響、行政法狙いなの?」
「うん、行政法の先生、結構公務員試験対策とかもしてくれるみたいだし、行政を目指す人間は行政法は押さえとくとこでしょ」
「行政……響、公務員狙い?」
「うん、実はね」
「国家公務員? 地方公務員?」
「第一志望は、やっぱり地元の自治体。まあ、受けられる試験は全部受けるつもりだけど」
「厳しいって言うよね、試験」
「でも、やらないと前に進まないからね。今年からダブルスクールしてるんだ」
「本格的!」
「それくらいやらないと、受からない世界だって分かってる。でも、もう一つの夢も叶えたい」
「コンミスになるって言ってたやつ?」
「うん。定期演奏会でなくてもいい、十二月の演奏会でもいい」
「頑張れ、響」
「ありがとう、美咲」
刑法のゼミはやはり面接を課すようだ。
果たして、どのくらいの人が希望するのだろうか?
まずは学生課へ希望届を提出し、それから振り分けが行われるそうだ。それが今年の秋のこと。
それから各ゼミで面接が始まり、二次面接や選考が行われた後、最終決定は冬になるとのことだ。
「まあ、とりあえず今は試験だな……」
まずは目の前に迫る試験をクリアしなくては。
授業がたくさんあるということは、試験もレポートもたくさん。
バテないように調整しながら、毎日の試験をクリアして行った。
無事にテスト期間が終了し、晴れて夏休み。
アルバイトにもかなり慣れ、受付のような本来の業務外のことも任せられることが増えてきた。
そして、そんな夏のある日。私のアルバイト先の塾に、見慣れた顔を見つけた。
「桜小路先生……」
「ああ、中村さん。久しぶり」
今日は、保護者向けの入試説明会が予定されている。ということは……
「息子がお世話になっております」
一緒に、奥さんと思われる人が挨拶をした。綺麗な人だ。
「入試説明会会場は、二階の201教室となっております。階段を上がられて右手にございます」
「ありがとう」
奥さんを促し、桜小路先生は行ってしまった。
「息子さん、ここに通ってたんだ……」
思わずつぶやく。私は集団授業の担当はしたことがないため知らなかった。
世界って狭いんだな、つくづく感じた。
そしてまた、響から電話が入る。
「美咲、今年も第九のコーラス、お願いできない? 去年の美咲の評判、良かったわよ」
「そうなの? そんな感じ、特にしなかったけど?」
「合唱部の子が本気で美咲を部員にしたいって言ってたくらいよ。あたしが美咲は忙しいから、部員にはなれないとは言っておいたけど」
確かに。本気で部員にしたいと言っていただけるのはありがたいが、さすがに一つの部に所属して、アルバイトして、さらに自分の夢を追いかける、まるで響のような器用な生き方は私にはできそうにない。
「コーラスのヘルプなら、いいよ」
「経験者だし、助かる。去年と同じスケジュールだと思うけど、また連絡するね」
そして今年も、第九の演奏会へのコーラス出演が決まった。
夏休みは、ゼミ面接へ向けてこれまでのレポートや論文をまとめることと、ゼミ面接向けのレポートを書くのも一つの目標とした。
刑法ゼミは面接を課すということしか提示されていない。その他の選考要素は、成績や日常の生活態度が大きく関わるのだろう。
レポート書き、アルバイト、コーラス練習。夏休みはそれで過ぎて行った。
その間に帰って来た祐樹を含めた桜小路会を行い、渉ともちょくちょく遊んだ。
ただとにかく目的に向かうという夏を過ごしているって、二年前の夏みたいだ、と思う。
まあ、去年があまりにも無目的過ぎたのかもしれない。
コーラス練習も、同学年の顔ぶれはほとんど変わらなかった。
もちろん、匠も智也もいる。
そして一年生が入ってきて、先輩として右も左も分からない彼らを引っぱって行く必要も出てきた。
演奏会のメインは三年生。十二月の演奏会と管弦楽団、合唱部それぞれ別に行われる定期演奏会を活動の中心としている。それから引退するか、進路を決めて活動を続けるかは人それぞれらしい。
ソリストも学内オーディションで決まるそうだ。よくありがちな招待ソリストではないようだ。まさに、学内の演奏会だ。
もちろんほぼ合唱部か教育学部の音楽専攻の人が選ばれる。ただ、オーディションの参加に制限はないそうだ。
いろいろなことが分かってくると、練習も面白くなる。
去年のように練習後にふらふらになることも少なくなった。慣れというものだろう。
パート練習から全体練習へと、声が集まっていくのが楽しかった。
匠も、「みさみさ、すげえ楽しそうだな。本当に、歌うのが好きなんだな」と言うくらいだ。
「慣れだよ、慣れ」と答えたが、本当にこの練習が、この歌が好きだった。
「美咲、今年も演奏会出るのか?」渉に聞かれる。
「うん」
「去年、かなり忙しそうだったけど、大丈夫か?」
「今のところは、去年よりもかなり楽かなあ。二年目だしね」
「あんまりスケジュール的には変わってないんだろ?」
「うん、でも、辛くないよ」
「ならいいんだけどな。自分のできる事を、できる範囲で楽しくやるのがサークルなんだから」
「楽しんでるよ、すごく」
「そりゃ、何よりだ」
渉は心配しながらも私の様子を見て安心したようだった。
そして、夏休みが終わり、二年の後期一番のイベント、「ゼミ決め」が行われる。
響は宣言通り行政法のゼミに、私も迷わず刑法のゼミに、偶然和菜も私と同じ刑法ゼミに、有沙は民法のゼミに希望を提出したそうだ。
そして、各ゼミで選考が行われる。私たちは面接の日時を指定され、直接教授と話をし、このゼミに合うかどうかの適性を見られる。
夏休みに三本ほどのレポートを書いた。裁判員制度についてのものばかりだが、これまでの研究を整理するもの、興味ある方向に絞り、考察のみをつらつらと綴ったもの、最後一つは桜小路先生に提出するような、最近のニュースから拾ったテーマを基にした考察やこれからの方向をまとめるものにした。
三本のレポートの要旨を軽くまとめるのに時間を取られてしまった。相変わらず、面接というものは得意でない。「面接」対策というものにはなかなか手を回せなかった。
私の面接日として指定された日。時間は午後一時半からとされていた。
面接の時間なんて勝手なもので、他の授業が入っていようとお構いなしに予定は組まれている。
午後一時半。ちょうど教職課程の授業中なのだ。しかも必修科目の。
「うーん、その日は授業、抜けるしかないよね……」
大学に一年半もいれば、自主休講と言う名のサボり方があることくらいは知っていた。
あまり使いたくなかったが、今回はやむを得ない。自分の意志の及ばない世界で両者がブッキングしてしまい、しかも片方はこれからの人生に大きな影響を及ぼしかねないことなのだ。
教職科目も出席を取る科目と取らない科目、それぞれだ。その辺りはたいして法学部の授業と変わりはない。
思い切ってその日のその授業は欠席した。
ちょうど午後一時半。刑法ゼミの矢川教授の部屋のドアをノックする。
「失礼します」
「どうぞ」
矢川先生は一年の後期に「刑法概論」という授業を受け、その中で裁判員制度の話も扱われた。
もちろん、概論なのでさわりのような話である。2年の後期で再び矢川先生の「刑法総論」という授業が開講されており、現在も授業を受けている。
その時の矢川先生の印象は悪くなかった。にこにこしていて、穏やかな先生だった。
「学生番号13200257、中村美咲です。よろしくお願いいたします」
「中村さんだね。こちらにどうぞ」
矢川先生の座っているソファの向かい側のソファを勧められ、そこに腰を下ろす。私の手には数日かけてまとめた夏休みのレポートのレジュメが握られている。
「中村さんは、どうして私のゼミを志望したのですか?」
「私は、中学生の頃に裁判傍聴に行ったことがきっかけで、裁判や法律というものに興味を持つようになりました。
高校に入ってすぐ、その興味や関心を伸ばすべきという当時在籍していた高校の先生方のすすめで、この学校の附属高校へと転入し、兼ねてから興味を抱いていた裁判員制度について、担任であり部活動の顧問である桜小路先生の下で二年間、研究を行ってきました。その研究を続けて行きたいと思っていることと、行く先は研究者になりたいという夢を持っているからです」
「ほう、中村さんは教育学部附属高の桜小路先生の教え子だったんですか。さぞや、研究熱心だったことでしょうね」
「はい、桜小路先生と同級生と共同で学会での発表を行い、新人賞をいただきました」
「ほう、桜小路先生の学会発表をね。大変だったんじゃなかったですか?」
「ええ、でも、教育学の観点から裁判員制度を見ることができて、とてもいい経験でした」
「それで、その研究を続けるつもりはなかったのですか? 元々の研究に戻ろうと思ったのはどうして?」
「私は教育学よりも、裁判そのものや法律そのものに興味を抱いています。あくまで、桜小路先生に助手として指名されただけで、教育学の方に興味があるわけではないのです」
「そうか。教職課程を履修しているようですけれど、それはどうしてですか?」
「これから先、研究者を目指そうと考えているのですが、やはり研究だけを純粋にできるわけではないと思っています。大学に残るのであれば、授業を任せられるかもしれない。それならば、授業の方法くらいを知っておくことはこれから先に損ではないと思って教職課程を履修しました。本職として、教員を目指しているわけではないです」
「わかりました。で、それは何でしょうか?」
私が握りしめているレポートのレジュメを見つめる。
「これまでの研究を自主的にレポートにしたもののレジュメです。よろしければ、ご覧ください」
私は矢川先生にレジュメを差し出した。
矢川先生はそれを受け取り、さらりとそれを読む。
「ほう、これだけの研究を高校でしてきたんだね。さすが、桜小路先生だな」
「自主的に研究を進めたものもあります」
「ふむ。本体を、ぜひ読みたいものですね。このレジュメ、コピーを取っていただいていいですか?」
「それ、そのものをどうぞ」
「ありがとう。じっくり読ませていただきます。では、学生課で発表があるでしょうから、その時まで」
「はい、今日は、ありがとうございました。失礼いたします」
思った以上に好感触だった。
あとは、発表の日をただひたすら待つのみだ。
和菜も、「矢川先生の面接、けっこう優しかったし、悪い感じじゃなかった」と言っていた。
和菜は「厳罰化することで、犯罪は抑制できるのか」ということを矢川先生と話してきたらしい。
響や有沙はどうだったのだろうか……
ゼミ発表当日。九時に学部の掲示板にゼミの振り分けが発表される。
一限に教職科目の授業が入っていた私たち三人は、授業終了後に掲示板を見に行くことにした。
「あった!」有沙が自分の学生番号を見つける。希望通りの、民法の先生のゼミに。
「あたしも!」和菜も、自分の番号を見つける。そして、その上に私の番号を。
矢川先生は、私をゼミに受け入れてくれたのだ。
そして、一つ違いの響の番号も探す。あった。行政法の先生のゼミだ。
「みんな、希望通りのゼミだった?」
「みたいね」
「まあ、来年からだけど、第一歩だね。やったね」
「これで卒論書くからね。大事だよね、ゼミも」
私は、矢川先生とこれから共に研究者の道を歩んで行くのだろうか。
これから二年後、四年後……それ以降のことは見えてこないけれど、あの先生なら大丈夫かな、と思えた。
そうして、二年の後期もどんどんと過ぎて行き、二度目の第九の演奏会の本番が近づいてくる。




