第四話 「学ぶを知る」
二者面談後の土曜日。
私は月曜日締切の木曜テストの間違い直しに頭を悩ませているところだった。
杉谷高校では毎週木曜の朝に国語・英語・数学のテストをローテーションで実施する。
このクラスでは特に数学教師である担任の意向で、数学の間違った問題をノートに切り取り、翌週の月曜までに提出するということが義務付けられている。
私は毎回間違った問題が正解の問題よりも多いため、解く量が大量になっていた。
今回は最後の問題にさっぱり手がつけられていなかった。教科書を見ても、参考書を見ても、ヒントになるような手がかりはない。
「うーむ……これは困った」
最悪、これもまた白紙で出すという手もある。そうなれば、陣内による職員室への呼び出しは確実だ。
ブーン ブーン ブーン ブーン 着信だ。渉からだった。
「美咲、いま優子お姉ちゃんいる?」
「いるかどうか知りたいなら、直接優子姉ちゃんのケータイに電話すりゃいいのに」
「さすがに優子お姉ちゃんの番号知らないぞ、俺。それに、もし知ってたとしても直接電話して彼氏が出たら修羅場になっちゃうだろ?」
「優子お姉ちゃんにいるのかな、彼氏。とりあえず今日暇かちょっと確認してくる。渉、練習は?」
「終わったぞ」
「ごはんは?」
「それが。腹ペコなんだよな……だから、どっかファミレスででも昼飯食いながら優子お姉ちゃんにこの前聞きたかったことを聞こうかなと思って」
「待ってて」
私は居間にいた姉に声を掛ける。父も母もいないようだ。優子お姉ちゃんは鈴と小鈴と遊んでいた。
「優子お姉ちゃん、今日暇?」
「美咲こそ朝からなんかずっと部屋にこもりっぱなしだけど、なんか手伝うの?」
「いや、渉が暇かって。なんかこの前聞きたかったことがあるらしいよ」
「うち来るの?」
「いや、ファミレスででもどうかって」
「せっかくだし、うちに呼びなさいよ。あとで美咲も合流したいでしょ?」
「宿題が終わればね」
「また数学?あんたはとことん社会馬鹿だからねえ。数学とかに使える分の脳を社会に使われてるんじゃない?」
「とりあえず、渉と直接話してよ」
携帯を姉に渡し、私は自室へ戻った。
優子お姉ちゃんは高校を卒業する時に膨大な量の各科目の参考書を私に残してくれた。今度は優子お姉ちゃんの残してくれた数学の参考書を引っ張り出し、調べていくうちにようやく最後の問題のヒントになりそうな問題とその解説があった。
「ああ、こうすればいいのか……」
ようやく手がかりがつかめてきたところで、優子お姉ちゃんが携帯を返しにきた。
「渉、うち来るって。お昼のうどんの残りなら私でも準備できるし」
「そうなんだ」
「そう言ってるうちに来るのがあの子なのよね」
ピンポーン。チャイムが鳴る。
「こんにちは。お邪魔します」
「渉、久しぶりだね。話って何?」
「お久しぶりです。いや、大学の話とか聞きたいなと思って」
「そう。とりあえずお昼ご飯準備するからちょっと待っててね。ジュース飲む?」
「お願いします。美咲は?」
「今日は朝からずーっと部屋に籠ってる。具合悪いって顔してるわけじゃなさそうだから、大方数学の課題に悩まされてるんじゃない?」
私は参考書と向かい合い、ようやく最後の問題の解答を書き上げた。
「ふぅ、やっとできた。こんなの五十分で全部解けなんて無理だってば」
ベッドに横たわり、疲れと午後の陽だまりでウトウトしていた時だった。
「コンコン……ドンドン!」 ドアが突然強く叩かれた。
「ンハッ! な、何、誰?」
「あたしよ、優子よ、話は渉から聞いたわ」
「ぐっ……」
私は言葉を失った。二者面談の話を渉は優子お姉ちゃんにしたのか。とりあえず、起きて部屋の前に立っている優子お姉ちゃんの様子を伺う。
唖然としている、という表現が近いだろうか。少し時間が経ったからか、多少は落ち着いてはいるようだ。
居間に降りると、渉が「悪い」というようなバツの悪そうな顔をしていた。
「美咲、あなたから聞かせて」
私は二者面談で御勢学園大学教育学部附属高等学校への転入を持ちかけられたこと、これからの目標を決めることを大まかに話した。
「へえ、あの御勢学園大附属にね……しかも、転入を勧めてくるなんて……で、お父さんとお母さんには話したの?」
「まだ……」
「ところで、美咲、自分は御勢学園大附属に行きたいと思ってるの?それともこのまま杉谷に残るつもり?」
「……」
「誰かに言われたからって、必ずそうなると決まったわけじゃない。最後は自分が決めるの。私もそうしたから」
優子は私立の医学部推薦と県内で三人の国公立大学医学部推薦枠を提示され、覚悟を決めて県三人の国公立大学医学部推薦枠に挑戦し、見事に合格したのだ。
「あんたが羨ましい。御勢学園大附属なんて、滅多に行ける学校じゃないよ。
私の友達も高校でも、大学でもいっぱい落ちたの知ってる。そこに先生が転入を勧めてくるって、やっぱりあんた、何か持ってるんだよ。
杉谷ももちろんいい学校だよ。でも、もし医学部があったら私も高校から御勢学園大附属受けたかも」
「優子お姉ちゃん、お姉ちゃんの目標って何?」
「私はね、小児科か産婦人科の医師を目指して医学部を目指したの。あれだけ毎日ニュース見せられてたら、やっぱり興味があることだけが頭に残るのね。産科の閉鎖とか、小児科医不足とか聞いて、よし、自分が何とかしよう、っていう気になっちゃって。
もちろん、まだまだあたしは病院実習レベルだから、実際に今何かできるわけじゃないんだけどね。まずは国試に受かって、それからまだまだ一人前への道は長いけど、絶対に名医と言われる医者になる。まあ、そこまでいうと言い過ぎかな」
「そっか、お姉ちゃん、それだけの目標持ってたんだね……すごいよ」
「渉も、神経内科を目指してるみたいだし。だから授業とかの話をしてたんだけどね」
渉が大きくうなずく。
「美咲、お父さんやお母さんに話す時には、あたしも手伝う。でも、その前に、自分の考えを少しはまとめなさい。もしかしたら、考え方によってはこのまま杉谷に残る方がいいかもしれないし、御勢学園大附属に挑戦する方がいいのかもしれない。
言ってしまえば、うまくいけば御勢附属に転入して御勢大学に内部進学できる可能性も上がるし、杉谷にしかない大学推薦を狙う方法もある。
まず、美咲、あなたの興味はいったいどこにあるのか、それを教えて。そしたらあたしもどんな形でも協力する」
急に、覚悟を求められた気がした。渉も話を切り出した張本人とはいえ、身を乗り出して私が口を開くのを待っている。
「今、興味っていうと……裁判員制度……かな。なんだか、いろいろとルールがまだ曖昧で、大人はあまり興味ないとか、嫌だと思ってるような制度だけど、私はあっていい制度だと思ってる。それを、もっと他の人にも分かってもらいたい」
「それよ! あんたの社会好き、そこに現れたのね!
そうと分かったら、まず、どっちの学校にいる方が自分のその興味をより伸ばせるか、自分で分かる範囲でいいから調べてみなさい。はい、この家の中でなら自由に使っていいわよ」
手渡してくれたのはタブレット端末。家のインターネットは居間にしかないため、必ず誰かが使っている。携帯から調べようとしてもなかなか適切な情報にたどり着けない。自由に利用できるインターネット環境があるのは嬉しかった。
「ちなみに、杉谷で文系だと推薦はたいがい私立ね。それに、かなり少なかったわ。同級生で国立の経済学部の推薦狙いしてた子がいたけど、もののみごとに担任に拒否されたみたいよ。御勢学園大附属だと……せっかくそれ貸したんだし、調べてみなさい。あと、あたしがマンションに戻るときには返してよね。基本的にそれ私のものだってこと忘れないようにね」
「うん、分かった。ありがとう、優子お姉ちゃん!」
「俺も、手伝うぜ、美咲」
とはいえ、タブレット端末を使うのは初めてだ。使い方が今ひとつわからない。
「これで検索だぞ」
「御勢学園 高校 でとりあえず検索だな」
検索エンジンのトップに出てきたのは 「御勢学園へようこそ」 というリンクだった。
「とりあえずクリックしてみよう」
「これが公式みたいだな」
御勢学園大学の各学部、大学院、教育学部附属高等学校、教育学部附属中学校、教育学部附属小学校、きょういくがくぶふぞくようちえんと左端にリンクが並んでいる。
「あとは自分で見てみる。ありがとう、渉」
「うっかり消さないように、お気に入りへの入れ方を教えておくな」
お気に入りには、すでに優子の大学、病院、医療関係のサイトが入っていた。
渉が実際に御勢学園大学の公式ホームページをお気に入りに入れてくれた。
「ここを押したら今見ているページがお気に入りに入る。まあ、他人のものだからあんまり変なページをお気に入りに入れるなよ。その隣を押したらお気に入りがずらっと出てくるから、そこからまた見たいページを探せ」
「うん、わかった。ありがとう」
『学ぶを知る。』
御勢学園大学のトップページにはそう書いてあった。