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桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第三章 「風」
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第十七話「桜小路茶会」


渉がうちに遊びに来たい、と連絡をよこしたのは、その週の週末だった。

「今週末なら、ちょっと時間が取れそうだ。美咲のお土産もらいに、遊びに行っていいか?」

「いいけど、大丈夫? 時間ある?」

「時間は作るもんだ。新人賞の賞状も拝みたいしな」

「分かった、来る時に連絡ちょうだい」


「今から遊びに行っていいか?」相変わらず突然の、渉らしい電話だ。

「いいよ」

そういって用意をしているうちに、玄関前に渉が現れるのだった。

「久しぶりね、渉くん」

「ご無沙汰しています」

「勉強、大変でしょう」

「毎日戦いです」

「美咲、あんまり渉くんを長く引き止めちゃダメよ」

「はあい」


「へえ、これが新人賞の賞状か」

「うん、額縁を今注文してるところ」

「年に一人か二人なんだろ? すげえな、美咲」

「私の研究じゃないから、正直微妙な気持ちなんだけどね」

「でも、お前も関わった研究なら、別にいいと思うぞ。それがふさわしいと認められたんだから、自信持っていい」

「ありがとう。あ、そうだ、お土産」

私は渉にお土産を渡す。お菓子と、私とお揃いのキーホルダーだ。

「このキーホルダー、もしかして……」

自分のバッグにつけている同じキーホルダーを見せる。

「お揃いか! 去年もらったマスコットもまだあるけど、学校のバッグにつけるわ。ありがとう、美咲」

そして、渉はお菓子を持って帰って行った。ちょくちょく電話やメールはしていたが、うちに来たのは実に夏休み以来のことだ。

やはり顔を見ると安心する。匠は毎日学校で顔を見ることができるのだ。うらやましい、と思いながら、今の環境を選んだのは誰でもない自分自身だ。

「僕の、命をかけて、美咲さんを守らせてください」

直接聞きたかった一言だが、入院中ならば仕方が無い。その言葉を信じて、渉を信じて、日々進み続けている。

渉も同じことを考えてくれているといいけど、と思うが、今はとにかく優子お姉ちゃんと同じ大学の医学部に受かることが最優先だ。

「私も、卒論まとめないとな……」

少し落ち着いて来たので、発表原稿や質問内容を思い返す。


今までの研究に、この半年間に桜小路先生と匠と進めて来た研究内容を加えた形にするつもりでいる。そういう点では、合宿で自分の本来の研究について発表できなかった点は痛い。

ただ、進めたい方向として実際の意識調査の要素を取り入れたいとは思っていたので、アンケート結果などは十分に使える。

「しばらくは、レポート書きかな……」

先日の桜小路先生の呼び出しで今月の面接は終わったとみなしていいだろう。とにかく、休まない、卒論を仕上げる、この二点だ。祐樹はこれに加えて必死で島井大学の一般入試の対策をしているのだろう。

他にも他大学を志願する子はたくさんいる。悠里は冬休みを使って学校外で海外の大学の受験対策をするらしいが、海外の大学は入学が秋頃になるので、卒業したら海外に渡って本格的に入試対策をするそうだ。もちろん、山内さんのような国公立大狙いの子はセンター試験から二次試験終了まで気が抜けない。その子達も卒論は義務なのだが、内容などは各部の顧問の先生の裁量に任せられているようだ。

ちなみに祐樹たち他大学を志願する子の卒論も、桜小路先生が夏合宿程度のものでいいと決めている。その代わり、御勢学園大内部進学志願の子の卒論は、夏合宿程度のものでは受け取らないという桜小路先生の意思表示だ。

私と匠は夏合宿のレポートが存在しない。それ以前の研究に、この半年の研究を加えたものが時間的にも限界だろう。


まずは最近の裁判員制度に関する話題をインターネットで手に入れることにした。テレビで断片的に聞いたような気がしたニュースを追いかける。

「一人前の研究者として認められるには、どうあれ自分の意見を持っていないとダメだな……」

あとは、文献はどんなものでも読んでおいたがいいな、と思う。今回の学会でも様々な先生の研究を知ることができたが、他の世界にも裁判員制度に関連させて研究している人がいらっしゃるかもしれない。

「研究者って一言で言っても、深い……」

眠気がさしてきたため、寝室で寝ることとした。もう夜もいい時間だった。


十一月がやってきた。私たちが御勢学園大学附属高校で残された時間はあと4ヶ月。

「そういえば、私たちの次の世代の役員を決めてないな……」

去年は学会の後に桜小路先生たちが話し合いをしていたが、今年はそういうことをしている様子はない。今は私は何の役付きでもないからだろうか。とはいえ、お茶代は私の管轄だ。

祐樹の勉強の邪魔になるのも良くないし、内部進学組は卒論の仕上げに忙しい。卒論提出まであと一ヶ月だ。ノートパソコンを持ち込んで部室で卒論を執筆している子、放課後の教室でひたすらに勉強している子、学校が終わり次第早々に帰宅する子、それぞれだ。

「あ、メールだ」パソコンにメールが届いている。桜小路先生からのメールだ。

「社会部三年生各位 卒業論文の提出について」というタイトルがついている。

「ええと、締め切りは十二月二十五日か……」

二年前、御勢学園大学教育学部附属高等学校の転入試験の合格発表の日と同じだ。

「てことは、そのくらいに話し合いして、今の二年の子たちに役職を伝える、って感じかな……」

去年よりかなりハードなスケジュールだが、今年は日程が悪かった。去年は三年生の最終考査後に学会だったはずだ。だから話し合いをする余裕もあったのだろう。

「今年も、クリスマスパーティしたいな」

今年は何と言っても桜小路会メンバーが増えているのだ。七人でパーティしたら、楽しいに違いない。

とはいえ、卒論提出後、祐樹は本格的に入試対策に本腰をいれなくてはならない。あまり時間は取れない。

「!」

私は珍しく、匠に電話をすることにした。

「もしもし、匠? 今大丈夫?」

「ああ、どうしたみさみさ?」

「桜小路先生から、来年の社会部の役員をどうするかとか聞いてる?」

「まだ聞いてないな。とりあえず、卒論を受け取ったあとじゃないか? 学会のあとに時間取れなかったし」

「その時だよ、その時に集まって、クリスマスパーティーしようよ、桜小路会で」

「わざわざ勉強している祐樹をそのためだけに呼び出すのもアレだから、ってことか?」

「うん、そう」

「そうだな、場合によっては桜小路も混ざったパーティになるかもな」

「それはその時考えようよ。プレゼントとかはなくてもいいから、ちょっと集まるだけでもいいじゃん」

「みさみさ、疲れてる?」

「え?」

「異様にテンションが高い。普通以上だ。そういう時は疲れ切っているとかいうことが考えられる。卒論提出の頃でいいじゃないか、クリスマスパーティを考えるのは。俺らは、みんなより不利な状況から卒論を提出しないといけないんだから。でも、クリスマスパーティーをするのは、いい考えだな」

「でしょ?」

「まだ十一月も頭だ、とにかく俺らには卒論が残ってる。桜小路も中途半端な卒論は受け取らないつもりみたいだし、いろいろ考えるのは十二月二十五日の提出日以降にしようぜ」

「うん……」

ちょっと浮かれすぎたようだ。

「ごめん」

「いや、確かに部の引き継ぎが遅れてるというのも事実なんだよな。でも、その前に必須の卒論があるなら、それを片付けないと。順番を間違えちゃダメだ」

「そうだね、卒論頑張るよ」

「俺もだ。じゃあな、また明日」

「突然ごめんね。またね」


一気に空気は秋から冬へと入れ替わり、飛ぶように日付は過ぎて行った。

気がついたら十一月も半ばに差し掛かっている。そろそろ本格的に卒論の総まとめに入らなくてはいけない。

授業はセンター試験対策が中心で、私立狙いの子は補習等で対応という形をとっているようである。

内容もより実戦的なものに近づき、時間割が不定期になってくることも増えてきた。

それが終わったあとに卒論を執筆するのである。どんどん体力も消耗していく。

「ただいま……」

学校に残っている力がもうなかったある日、家で卒論やろうと思って補習後に早々に帰宅した。

着替えもそこそこに、パソコンの電源をいれ、書きためていた原稿を立ち上げる。渉にもらったUSBももうかなりメモリいっぱいに近かった。

ひざ掛けと羽織を羽織って原稿へ向かう。桜小路先生の共同研究者になるまでの研究はまとめがほぼ終わり、その頃考えていた「実践」の概念を桜小路先生と匠と進めて来た研究を利用させてもらう。

そして、今悩んでいることが、「この制度を推進すべきなのか否か」といういわば自分の研究の中まとめといったところだ。これをまとめないうちは論文の完成はない。

いろいろな考えに触れ、この制度がいかに賛否両論あるかを身を持って感じた二年間だった。そして……?

「自分は、どうして裁判員制度に興味を持って、研究しようと思ったんだ?」

これまでの研究のかなりはじめ、この高校の入試のころや入学レポートにさかのぼって読み返す。

「そうか、そうだった……」

裁判を見に行くのが好きで、これまでは裁判官だけで行われる裁判に市民が参加できる、その制度に魅力を感じたんだった。

原点に立ち返り、まとめの章に入る。この考え、この気持ちを忘れちゃいけない。


そして、とうとう十二月に突入した。

みんな、自分のやるべきことで手いっぱいと言った感じだ。私も授業と卒論の最終章のまとめに日々を費やしていた。

街中はどんどんクリスマスムード、お正月ムードが押し寄せてくる。しかし、それに乗ってしまっては二十五日の提出で桜小路先生に受け取ってもらえない。

とはいえ、頑張っている渉を応援したい。クリスマス、何か渡そう。改めて何か買いに行く余裕はない。

「あ、そうだ」

御勢学園大学の近くに神社がある。そこでお守りを買っておこう。

これくらいが精一杯だ。渉から何かもらおうという期待はなかった。


十二月に入ると時間の流れは恐ろしく早く、センター試験を受ける子達は鬼の様相をしていた。

気がつくともう十二月も半ば。後十日程度で卒論を提出しなくてはならない。

センター試験組や私立受験組は早々に卒論を提出し、勉強に専念している子も多い。やはり、どの部も受験する子には卒論の基準をそんなに厳しくしていないのだろう。

そして、残る内部進学希望組が卒論に追われ、その結果によっては御勢学園大学の一般入試に回らなくてはならない。理不尽な気もしなくはないが、自分の希望のためには全力を尽くすしかない。

私も卒論の最終章がようやく終わり、最後のまとめに入った。提出は紙、データの両方が求められている。桜小路先生の卒論提出用アドレスに何度もテストをして送れることを確認して、万が一データ破損が起こった時のためにUSBの方で提出できるようにもしておく。紙ベースは膨大な量になるが、仕方が無い。前日には提出できるように準備を進めておかないと、と最後のまとめに力を振り絞る。


そして十二月二十四日。世間でいうクリスマスイブ。

高校生活で二度もクリスマスイブがゆっくりできないとは思わなかったな、と思いつつ学校へ行く。

御勢学園大学附属高等学校も明日が終業式だ。今日は午前中で授業も終わる。午後に桜小路先生に紙ベースの卒論を提出する予定だ。前日のうちに、データの方は専用アドレスへ添付ファイルで送信しておいた。

「みさみさ、卒論終わった?」

「今日桜小路先生に出す予定」

「お、俺もだ」

「美咲も? 匠も? あたしも!」早希が駆け寄ってくる。

「あたしは昨日受け取ってもらったわ」百花がさらりという。

「俺も、二日前くらいに出した」優が余裕しゃくしゃくでいう。

「私は明日ギリギリかな……」麻衣子が憔悴し切った様子で吐き出す。

「俺は十一月ごろにもう出しちまった……」祐樹が気まずそうにいう。

「そりゃあ、祐樹は仕方ないでしょ。勉強しなきゃいけないんだから」

「じゃあさ、明日麻衣子が卒論出し終わったら、クリスマスパーティー兼卒論お疲れ会兼祐樹頑張れ会しよう! とりあえず、部室にあるお茶飲むだけでいいよ。準備とかいらないからさ」

「そうだね、もう準備する気力もないや……」

「部室のお茶でいいよ、それで十分だよ」

そういう話をしているうちに、桜小路先生が教室に入ってきて、クリスマスイブの一日が始まった。


放課後。どうせ出すなら、ということで私と匠、早希は三人で桜小路先生の部屋へ向かった。

「中村さんはデータを受け取ってるから。水野くん、小島さん、データをメールに添付して指定のアドレスに送ってね」

「はい」

「ところで、明日、延び延びになっていた社会部の新体制を決めたいと思うのだが、予定はどうだい?」

「……」クリスマスパーティーをするなどとは言えない。

「分かりました」匠が絞り出すような声で返事をした。

「もちろん、七人全員出席してもらうからね。あとで詳細はメールするけど」

「!」私も、そして早希も絶句した。


「明日、どうする?」

「とりあえず、桜小路との打ち合わせを早く終わらせるしかないな。それ次第で俺らの自由時間も決まるからな」

「そうだね……」

一気に気分が沈んだ。


「お帰り、美咲。ご飯、どうする?」

「どうするって?」

「今日はクリスマスイブじゃない。美咲が食べるって言うなら、今からだけどご馳走作るわよ」

「うん、食べる!」

「渉くん、せっかくだし、来るかしら?」

「聞いてみようか?」

渉と連絡を取るのすら久しぶりになってしまっていた。携帯にかけてみる。何回かかけてみて、ようやく渉が出た。

「久しぶり」

「美咲か? 久しぶりだな、元気にしてたか?」

「渉こそ、勉強大変でしょ?」

「まあな。でも、今日はちょっと息抜きしに行って来た」

「どこに?」

「神社」

「いつもの?」

「いや、ちょっと遠くの神社に。祈願だな」

「今日、お母さんがご馳走作るって言ってるけど、来る?」

「おお、行く!」

「じゃあ、うちに着いたらまた連絡ちょうだい。大体何時ごろこれそう?」

「うーん、七時半頃かな」

今午後五時。二時間半あれば、私も手伝えば、ご馳走は作れそうだ。

「優子お姉ちゃんは?」

「いない……」

私の体調不良の時には駆けつけてくれたが、本当に緊急事態ということで実習を抜け出して来たらしい。今年は本当に忙しいらしく、クリスマスも正月もないと言っていた。もちろん、帰ってくる余裕もないそうだ。

きっと、その寂しさからお母さんも渉を呼ぼうと思ったのだろう。

「忙しいんだな、優子お姉ちゃん。今年は俺らだけでクリスマスパーティーするか」

「分かった。お母さんに伝えとくね」

「よろしく頼む」


お母さんは買ってきていた五本のローストチキン、マカロニグラタン、シーザーサラダ、ポテト、更にケーキを用意していた。私もマカロニグラタンを作るのを手伝った。ローストチキンが五本あるのはお姉ちゃんが帰ってくることを期待してのことかな、と思ったが口にはしないでおいた。渉がたくさん食べてくれれば嬉しい。

ちょうど七時半。渉が「美咲、家の前に着いたぞ」と連絡をくれた。私はドアを開けに行く。

「久しぶり、美咲。元気そうで、良かった」

「渉、ちょっとやせた?」

「そうか? ……筋肉落ちてるからかな。食事はきちんととってるつもりだけどな」

「ささ、上がってちょうだい。ご馳走、準備できてるわよ」

「ありがとうございます」

まだお父さんは帰ってきていない。三人で食卓を囲む。

「クリスマスらしい食卓だ!」

「たくさん食べてね」

「優子お姉ちゃんは?」

「実習が忙しくて、帰れそうにないみたい。お正月も無理そうだって」

「そんなに忙しいんですね……」

「だから、たくさん渉くんには食べていって欲しいの。美咲と会うのも久しぶりでしょうし」

「確かに」

「渉、医学部推薦っていつ分かるの?」

「三学期の頭だな。たぶん二学期までの成績で判定されるんだろうけど」

「緊張するね」

「ああ。美咲は?」

「私は、今日卒論出した。卒論出した時点で、成績が確定して最低の内部進学の要件が整うんだって。それ以降、御勢学園大学の一般入試の合格発表と一緒に内部進学希望者の合格発表もあるんだって」

「そういえば、御勢学園大の一般入試っていつだっけ?」

「確か、二月はじめに試験があって、半ばに合格発表」

「どの学部も?」

「うん、日時が違うくらいかな。渉はセンター試験も受けないといけないんでしょ?」

「ああ、そうなんだよ。一ヶ月切っちまったよ。美咲はセンター受けるのか?」

「私は、受けないことにした。悩んだんだけどね」

「御勢学園大学の内部進学一本でいくのか?」

「それがダメなら、一般入試に回る」

「それが分かるのはいつだ?」

「二月の頭」

「お互い、冬休みも気が抜けないな」

そして私たちはご馳走を食べた後、お母さんがケーキを用意してくれている間に「渉、ちょっと待っててね」と言い残して自分の部屋へ戻って行った。

「あった」御勢学園大学の近くの神社で買ったお守り。渉のことを祈って、精一杯選んだお守り。

それを持って居間に戻ると、渉もお守りを持っていた。あれはこの街で一番大きな神社のお守りだ。確か、あの神社も学問の神様で有名だったっけ……。

「渉」

「美咲」

「お守り」二人の声が同調する。

「あ……」

「渉のは、あの神社の?」

「ああ、大きな神社だし、やっぱり学問の神様っていうからな。美咲のは?」

「うちの大学の近くの神社のお守り」

「はい、渉。お守りもだけど、私は、渉の力、信じてるから」

「ありがとうな。美咲にも、お守り。美咲なら大丈夫だ。自信持って行け」

「ありがとう、渉」

「さあ、ケーキお食べなさいな。紅茶も冷めちゃうわよ」

「いただきます」

「いただきます」


私たちがケーキを食べ終わった頃、お父さんが帰ってきた。

「やあ、渉くん、久しぶりだね。忙しい時に、また美咲に呼び出されたのかい?」

「いえ、今日は休養です。ご馳走、頂きました。とても美味しかったです。俺はそろそろおいとまします。おじゃまいたしました。おやすみなさい」

「そうね、あまり引き止めるのも悪いわね。おやすみなさい、渉くん」

「おじゃまいたしました」

「おやすみ、渉」

「おやすみ、美咲」

そして、渉は三件隣の自宅へ帰って行った。


翌日。二学期の終業式。

終業式ではじめて私たちの新人賞について副校長先生がふれた。他の部の子も様々な賞を受賞しているらしい。まさに研究中心の学校と言えるな、と思う。

桜小路先生は新人賞については何も触れず、「自分の目標に向かって、今は死ぬほど頑張れ。人生で、一度や二度は死ぬほど頑張ったという経験は、後々に自信となって自分の力になるんだ。ただ、本当に死んだら何もないからな。引き際をわきまえながら、死ぬほど頑張れ」と言って二学期のホームルームを締めくくった。

そして、私たちは七人で桜小路先生のもとへ向かった。麻衣子は締め切りギリギリの紙ベースの卒論を持参している。さすがに、卒論のデータは昨日のうちに送っておいたとのことだ。

私たちはまずは桜小路先生の部屋の前で麻衣子が卒論を受け取ってもらうのを待っていた。だいたい五分くらい待っただろうか。寒い廊下で体が冷えはじめてきた頃、「みんな、入って」と桜小路先生に呼ばれた。

さすがに八人が桜小路先生の部屋にいるのは狭い。立っているだけで精一杯だ。

「部室に移動するか」桜小路先生が言う。

その時、桜小路先生が冷蔵庫から何かを出したのを私は見逃さなかった。袋に入っているが、形は一定ではない。


「さて、本題に入ろう。来年度の社会部の役員決めだ。私の考えなのだが、来年度は今の二年生全員に何らかの役をつけようと思っている。よく言えば部の活動に責任感を持ってもらうこと、そしてもう一つは誰かが不慮の事故などでその役を続けられなくなった時、その代行を滞りなく行うことができるようにするためだ」

明らかに私のことを言われている。私は会計代行を優がやってくれ、そしてそのまま私が共同研究者に選ばれたため優が会計専任になったのだ。だから、最初から会計は戸塚先輩、と思っている子も少なくない。

「先生は来年、何の論文で発表されるつもりですか?」

「まだ書きはじめてはいないのだがね、今年はオリンピックについての地理と歴史について組み合わせた授業構成にしてみたいと思っている。二〇二〇年の夏季オリンピック開催地は見事に東京に決まったが、一九六四年の東京の夏季オリンピック、一九七二年の札幌の冬季オリンピック、一九九八年の長野の冬季オリンピック以外でも日本でオリンピックが開催される予定があったことを知っているかい?」

ああ、と言う顔をする子、「!」と顔に書いてある子。桜小路先生はその反応が欲しかったらしく、満足げな顔をしていた。

「一九四〇年に、アジア初のオリンピックを東京と札幌で開催することが決まっていた。しかし、国内外からの反対や日中戦争の広まりで、二年前の一九三八年、両方とも開催権を返上した。代わりに夏季オリンピックはフィンランドのヘルシンキが立てられたが、第二次世界大戦で中止となった。同じく札幌オリンピックは、スイスのサンモリッツ、ドイツのガルミッシュ・バルデンキルヒェンと代わりが立てられたが、これも第二次世界大戦で中止となった」

みんなポカンとしている。事実は理解できるが、聞き慣れない地名に戸惑いを隠せない。

「オリンピックの歴史を追いかけることは、世界の歴史を追いかけることにもなる。主に戦争の歴史なのだが。そして、どこで実施されたのかを追いかけることは形式的な地理の認識にもなるし、その地域の特徴をつかむことでなぜ選定されたかを考えるヒントになる。 最終的な目的は、オリンピックというイベントの裏に歴史があって、その上で今のオリンピックがあるという歴史認識を持ってもらうこと、それと副次的に世界の地理の特徴を理解することかな。まあ、頭の中にある大まかな案なのだがね」

「また、共同研究者を選ぶつもりですか?」

「ああ、今年は大成功といえる発表だったからな。ただ、やり方は変えるかもしれないし、人数も二人でなく三人以上になるかもしれない。ただ、一人にはしない。その辺りはまだ未定だ」

「役付けと、その辺りの関係はどうなさるおつもりですか?」

「現在進めている研究から適切な子を選ぶ。学年にもこだわらない」

「じゃあ、まず役ありきですかね……」

「そうなるな。来年の学会の共同研究者のことは、今はひとまず置いておいてくれ」

優が意見を出す。

「俺、会計は四宮将太がいいと思います。あいつは、計算が早い。俺ですら、電卓かって思うくらいだ」

「確かに、彼の計算の早さは秀でたものがある。珠算などで鍛えたらしい実力は、本物だろう」

「私は、米倉亜美ちゃんを推薦したいと思います」優に反応するかのように言った。

「亜美ちゃん、ちょっと大人しいけど、動作がとても丁寧で、まさにお金を扱うにはもってこいだと思います。二人で会計を組ませたら、スピード感があってかつ丁寧な、銀行のような会計係になるんじゃないでしょうか?」

「ふむ、確かに米倉さんの取り組みへの丁寧さは事実だ。二人がうまく行くかは、やってみないとわからないな……」

「四宮くんも、米倉さんも同じ公民科です。早希嬢、リーダーとして見ててどういう感じ?」

「特に接点はなさそうだけど、お互い避けてる様子もないわね」

「早希嬢、この二人のどちらかを公民科リーダーかサブリーダーにしたいと思ってたりする?」

「四宮くんは会計がぴったりだと思う。米倉さんは、どうかな……。あの慎重さを、サブリーダーとして活かしたい気もしなくもない」

「米倉さんは、競合ということで、後でどちらが相応しいか考えましょ」

「早希嬢は、公民科のリーダーとサブリーダーとして候補がいるの?」

「リーダーは、翔兄ちゃんか葵ちゃんかな。サブリーダーは美里ちゃんか亜美ちゃんかな……」

「私、葵ちゃんは部長向きだと思う!」百花が叫ぶ。

「どうして?」

「一年の時からしっかりした発表をしてたし、みんなをまとめる力があると思うの」

「それなら、大石さんも同じだと思う」匠が口を挟む。

「あの二人、一年の時からずっと仲良しだし、部長と副部長としてうまく社会部を引っぱっていってくれそう」

「うむ、確かに大石さんと岡田さんの仲はいい。二人を中心に社会部を構成していってもいいだろうな」

「どっちがどっち?」

「部長は凛ちゃん? 葵ちゃん?」

「多数決とるか」

桜小路先生を除く七人でどちらが部長向きだと思うかを決を採る。5対2で、凛ちゃんが葵ちゃんを破った。

「先生になりたいって目標が決まってるのは、大きいね」

「人前で緊張しない子だよ」

「葵ちゃんも司法試験に合格したいって言ってるけどね」

「でも、二人でいるのを見ると、葵ちゃんが凛ちゃんのサポート役に回っているというか、支えてるって感じ」

「じゃあ、部長大石さん、副部長岡田さんで決定? 早希嬢、それでいい?」

「うん、それなら問題ないかな」

「先生は? 何かご意見はありませんか?」

「ああ、問題ない。進めてくれ」

「となると、公民科リーダーは、内田翔くん、サブリーダーは?米倉亜美ちゃん?野田美里ちゃん?」

「二人からとなると、社会部にいた時間の長い美里ちゃんかな……」

「じゃあ、これで結果的に会計も決まりだね。会計は四宮くんと亜美ちゃんの二人で話し合ってもらって、私と優みたいに何を受け持つか決めてもらおう」

「じゃあ、次いこう。麻衣子、地理科は?」

「絶対数が少ないから、井上健二くんがリーダー、小野久美ちゃんがサブリーダーだね。これは譲れないかな」

「仕方ないよね、地理科は人少ないし」

「となると、後は歴史科か。祐樹、どう思う?」

「こっちはな……」考えをめぐらせているようだ。

「大石さんか佐々木かって考えてたんだ。でも、大石さんが部長に決まったことで、歴史科のリーダーは佐々木伊織、サブリーダーは渡辺優香子さんだな」

「祐樹は凛ちゃんをリーダーにしたかった?」

「やっぱり、俺を手伝ってくれるくらいしっかりしてるから、あの子。でも、よく考えるとその力は歴史科だけでなく、社会部みんなをまとめる力だと思う。歴史科だけでは、もったいない子かな、と思ってさ」

百花が手もとにあるメモ用紙に今決まった来年度の新社会部役員をメモする。

「先生は、今までの話し合いに何かご意見はありませんか?」

「いや、完璧かどうかまでは分からないが、素晴らしい話し合いだった。

一月のあの日から今日まで、あなたたちは力を合わせて部内部外問わず非常にいい関係を築いてきてくれた。そのせいか、今の社会部の部内も穏やかだ。

私から言うことは何もない。ただ、一年間良くやってくれた。ありがとう。

正式な引退は、例年通り新学期最初の全体会の引き継ぎ終了後だが、ここまで決めること、そしてそれを二年生へ伝える席に立ち会うことがあなたたち役員の最後の仕事だ。あと一仕事、よろしく頼む」

そう言って、桜小路は袋の中身を出した。そこには大量のお菓子が入っていた。

「ケーキはあの冷蔵庫には入らなくてね。高いお菓子でなくて悪いが、私からのささやかなクリスマスプレゼントだ。みんなで食べてくれ」

「先生も、一緒に食べませんか? 私たち、ここでこの後お茶会することにしてたんです。せっかくですし、一緒にお茶会しましょうよ」百花が桜小路先生をクリスマスパーティへと誘う。

「いいのか、私も参加して」

「どうぞ!」麻衣子が言う。

八人分のお茶が入り、まさに「桜小路会」が始まったのだった。


お茶を飲みながら、桜小路先生が聞く。

「ところで、安田くん、島井大学の入試日はいつだい?」

「二月一日です」

「合格発表は?」

「二月十日です」

「うむ、なら会計と歴史科を急いだがいいだろうな」

「会計も?」私はきょとんとして尋ねた。

「優、センター受けるから」

「そっか、記念受験だって言ってたね」

「それでも、散々な点をとってきてくれるなよ。まあ、センター試験そのものがなくなるとか言う話だがな」

「で、俺、佐々木と渡辺さんに何を言えばいいんですか? 特に渡辺さんに……」

「そうだな、大まかには渡辺さんのようなサブリーダーの大きな役割は、リーダーの補佐をすること、リーダーに万が一のことがあった時や私の学会での共同研究者に指名された時も各科会を滞りなく進められるように常に内容について意思疎通を図っておくこと。共同研究者に指名された時は、原則リーダーを抜けてもらうことになるからな」

「それを上手くできなくて苦しめてしまったのが川崎先輩だった……ってことですね」匠が鋭く突っ込む。

「ああ。それを念頭に、この原則は考えた。今年ももし福田さんや安田くんを共同研究者に指名していたら、地理科や歴史科に混乱を生じさせていただろう。しかし、それと学会での研究とは全く別個に考えた末で水野くんと中村さんを指名した。部長の水野くんには荷が重かっただろう」

「俺は、それほど苦痛には感じませんでした。みんなが助けてくれたから」

「ああ、本当に、君たちはいい会だ。私の名前を取って『桜小路会』なんて、洒落てるじゃないか」

桜小路先生には、名前まで知られていたのか。

「六人で千羽鶴を仕上げてきた時は、たまげたよ。西山さんが自信たっぷりに、でも目を真っ赤にして「数えていただいて構いません、私たち六人で千羽折って、私の責任で全てつなげました」って言うものだから。私の授業も一時間は鶴折りに費やしたが、後悔はしていない。西山さんの思いを全力で受け取ったからな」

あの時の二つの千羽鶴。今も私の部屋に大事に飾られている。そうか、百花の思いが、桜小路先生の授業も突き動かしたのか……。

「おっと、話がずれたな。安田くん、大丈夫だ。話は大筋は私がつける。足りないと思ったところ、言いたいところを言ってくれればいい」

「分かりました」

「会計は、戸塚くんと中村さん、二人で来てくれ。本来二人で会計なんだから」

「四宮くんと米倉さん、一緒に呼び出すんですか?」

「そうだな、連携を取るのは早いうちからがいい。ただ、会計は特別だ。私より、あなたたちが実際にやって来たことを話すことの方が多いだろう。私も、必要な時にはきちんと話をする」

「分かりました」

「部長、副部長は去年同様だ。ただ、部長が共同研究者に指名された時は、主な権限を副部長に移管することも場合によってはある、ということも来年度の新社会部役員からは加えたい」

そうして、年内に歴史科リーダーとサブリーダー、会計、部長、副部長への内示が、年をまたいで地理科リーダー、サブリーダー、公民科リーダー、サブリーダーへの内示が行われることとなった。一日一科もしくは一担当、内示は居合わせた者以外へは口外厳禁で、詳細を全員が知るのは年明けの社会部の全体会になる。


お菓子も一通り食べ終わり、お茶も飲み干したところで、ふと外を見るとちらちらと雪が舞っていた。

「クリスマスに雪か、ホワイトクリスマスだね」

その場にいる全員が固まる。雪の日の部室で美咲があの日のことを思い出すのではないか、と思っているようだ。

「大丈夫です。安心してください。今日は自転車だし、思い出せないものはどうやっても思い出せないんです。昔と一緒です」

「じゃあ、ひどくなる前に早く帰りなさい。日にちや時間の詳細は、私が後でみんなにメールするから」

「はーい」

「お菓子、ありがとうございました。美味しかったです」

「まさか、八人でクリスマスパーティするなんて、思いもよらなかったけれども」

「ありがとうございました」

七人で頭を下げ、片付けを済ませて部室を出る。

「積もらないかな、これくらいなら」

「積もる前に早く帰りましょ。自転車で帰れなくなるわよ」

「まあ、雪の中を自転車ってこと自体すでに危険だと思うがな……」

「次はいつ?」

「新学期?」

「年明けかぁ」

「祐樹、優、試験頑張ってね」

「ああ」

「良いお年を!」

「ハッピーニューイヤー!」

口々に告げ、校門で別れる。


「匠、昨日はどうだったの?」

「うーん、智也もセンター組だから、なかなか時間取れなくてな。本当は直接学校以外でも会いたかったけど、無理だった。ほんの少し、電話で話しただけだった。何も準備する暇なかったしな」

「そうだったんだね……」

「みさみさは?」

「昨日は休養だって、うちに遊びに来てくれた」

「いいな~」

普段と立場が逆転した感じだ。

「お互い、この恋、ずっと続けばいいね……」

「そうだな……」

二人の吐いた白い息が、冬の街に溶けて消えていった。


年末年始は、優と学校で四宮くんと米倉さんに会計の内示の話をする時に会った以外、ひたすら赤本と向かい合う生活を続けていた。御勢学園大の法学部だけでなく、他の私立大の法学部の赤本も数冊購入して勉強していた。もちろん、その他の大学は受験の予定はないが、勉強は続けておかなければならない。

万が一、一般入試に回されてしまったら、残された時間は十日程度しかないのだ。それに落ちてしまうと、これまでの努力は水の泡となる。内部進学希望だからと言って、油断は禁物だ。


会計役員内示の日。四宮くんも、米倉さんも、「会計?」という顔をしていた。

桜小路先生は選考理由をそれぞれに告げ、「じゃあ、後は二人から」と言い残した。

「中村先輩も会計だったんですね。部費、戸塚先輩にしか払ったことなかったから……」

「しばらく私、学校欠席してたからね」

「それまでは美咲がメインの会計だったんだぞ」

「何があったんですか?」

桜小路先生が、黙って新聞記事のスクラップブックを二人に手渡す。どうもあの日のことについての新聞記事の切り抜きらしい。

「!」二人とも絶句し、そして私を見上げた。

「中村先輩……」

「そう」

「これと前後して、私は中村さんを学会の共同研究者に指名した。これで結果的に中村さんは会計を抜けることになった。しかし、本来は中村さんも会計なんだ」

「私たち二人が会計に選ばれたことは、中村先輩のようなことが起きた時に会計不在という状況を防ぐためですね」

「まあ、そうだな。あまり考えたくないことも含まれているが」

「それとね」

私が口を挟む。

「二人の目で、月末のお金は合わせるようにするべきなの。私たちも、月末は残金を確認するようにしていた。会計が完全に戸塚くんに移ってからも、それだけは取り決めとしてやっていた。会計が二人っていうのは、そういう意味もあるの」

「ああ、美咲は自分がどれだけ忙しくても、月末には部の残金とノートを見せてくれって言ってくるんだ。二人で確認することが大事だからって」

「そうなんですね」

「とりあえず、俺らもそれは続けないとな」

「そうだね」

心配していた、二人の相性は問題ないようだ。安心した。


年末のテレビもろくに見ないまま、年を越してしまった。年越しそばは夕飯で食べている。

携帯はこの時間帯は通話もメールも制限がかかっているのはずいぶん前からのことだ。

旧い年は、さようなら。

新しい年を夢見て、もうそろそろ寝ることにした。


目を覚ますと、たくさんのメールが届いていた。

桜小路会メンバーに、渉、陽子、真理先生、そして優子お姉ちゃん……

一つ一つに返事を返しながら、私は今年一年どうなるのかな、と考える。

激動の一年になる予感がしていた。


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