第十六話 「ガールズトーク」
登校すると、匠と二人でとりあえず職員室へ顔を出し、桜小路先生と三人で副校長先生へ学会での受賞報告をする。
「そうか、それは素晴らしい。よく頑張った。おめでとう。あなたたちの頑張りはきっとこれからの後輩たちの目標になるだろう。
他の部でも同じような報告を聞くが、その度に私は嬉しくて仕方が無い。ああ、みんな頑張っているんだと。水野くんに、中村さん。最終考査前に、学会での発表は辛かったろう。それでこの結果は素晴らしい。あと少し、あと少しだ。最終考査まで気をしっかり持って、最後の山を乗り越えて欲しい。とにかく、おめでとう。そして、お疲れさま」
教室へ戻り、クラスに人が揃ってくると「新人賞」の話が出てくる。
「匠、美咲、新人賞取ったんだって? すごいじゃない!」
「うん、びっくりした……」
「社会科の学会ってどんななの?」
「ひとくちに言うと、何でもありだったよ。へえ、こんな研究もあるんだ、って勉強になったな」
「美咲、ガチガチだったよ、発表までは」
「もう、言わないでよ」
「でも発表が始まると、いつもの美咲だったよ。スムーズに匠に引き継げてたし」
「すごい緊張してるみさみさ見てて、俺にも緊張うつるな、と思って、近くの自販機で二本ココア買ってきたんだよ。で、一本みさみさに渡した。そしたらずいぶん楽になったみたいだから、俺も助かった」
「そうだったんだ。でも、あのココアは助かった……」
あのときの甘さと、ほぐれていく緊張を思い出す。
時間というものは残酷にも過ぎていく。今日は十月十三日。最終考査は十月十五日から三日間。
テストの点数による評価はこれで最後だ。泣いても笑ってもあと二日。学会が終わったからと言って、休んではいられない。
体が辛いのは確かだが、ここさえふんばれれば、あとは楽になれる。残った気力のみで二日間を過ごして行った。
そして、最終考査が始まった。今回は文系科目からスタートだ。現代文、古典、英語、日本史で初日は終了。次の日は地理、世界史、現代社会で終了。最終日に化学、数学二科目が予定されていた。
問題が発生したのは、最終日の数学の一時間目だった。最後の最後に数学が残っているのはついていないな、と思いつつ問題に臨んできた。その前の化学まではそこまで大問題は起こらなかった。
しかし……
「解けない……」
二科目あるうちの、普段解いている方ではまあまあ解ける方の数学の問題の第一問の答えが出ない。
「あれ……?」
焦る。何度やっても答えが出ない。その問題は後回しにしようと思って他の問題に手をつけるが、他の問題もなかなか答えまでたどり着けなかったり、手が止まってしまう問題もあった。
時間は刻一刻と過ぎていく。涙が出そうになるのを必死でこらえながら、何とか部分点狙いで行こうと埋められる答えを埋めていくが、第一問が解けなかった衝撃が大きかったためか、うまく書くことができない。
回収された答案用紙は、ほとんど最後までたどり着けなかった解答ばかりだった。
ああ、どうしよう。次も数学が待ち構えている。ここから逃げ出したい気分だったが、それをやってしまうと完全に最終考査の成績はないものとなってしまう。
そういうことを考えているうちに二科目目の数学の試験が開始された。
「あ、これは分かる!」第一問を解きながら、最初が解けるか解けないかで気持ちがこんなに変わるものか、と愕然とした。学会の発表も、最初に緊張したままだったら、うまくいかなかったかもな、とふと思った。
普段はよくつまづく二科目めの数学の試験は、今回は一科目目に比べて答案用紙を埋めることができた。
とはいえ、どの科目も一定の成績を残さないと法学部への内部進学への道が厳しく、いや不可能になる。
あと、残すはホームルームのみ。とはいえ、なんだか頭がフラフラする。
「美咲、何か、すごい顔色悪いよ……?」
「え?」
「真っ白というか、青白い感じ……」
「そう?」
「今日は帰ったがいいよ、試験も終わったんだし。帰って、早く寝た方がいい」
「早希嬢、数学解けた?」
早希はさっぱり、と言った表情で首を降る。
「あたしは相変わらずだよ。でも、今の美咲はなんかちょっとおかしい。あたし、桜小路先生のところ行ってくるから、帰る準備してな。今日は自転車?」
「うん」
「百花姉様ー、百花姉様! ちょっと来て! 美咲が!」
百花もやってくる。
「美咲! 顔色真っ青じゃない! ちょっと、帰った方がいいよ、これ」
「だからあたしがさ、桜小路先生のところに行ってくる間、百花姉様タクシー呼んでくれない? たぶん、美咲の親御さんに今から連絡して来てもらうより、学校近くのタクシー会社のタクシーを呼んで帰した方が早く帰れると思うんだよね。親御さんには桜小路先生に連絡してもらうことにしてさ」
「分かった。学校内での携帯は一応禁止だから、とりあえず公衆電話からかけるわ」
百花と早希は駆け出して行った。百花は出がけに、「麻衣子、美咲の様子気をつけて見てて」と言い残して出て行った。
麻衣子が慌てて「美咲、大丈夫?」と駆け寄ってきた。
「うん、たぶん……」
「たぶんじゃダメだよ……。気分悪い?」
「気分は悪くないけど、頭がフラフラする……」
「保健室行く?」
「帰る方が先かも……」
「あたしの飲みかけで悪いけど、お茶飲む?」
「いいの?」
「うん、飲みな」
麻衣子にお茶を一口、二口もらう。少しスッキリしたが、まだ頭はフラフラしている。
「お待たせ、美咲、桜小路先生は帰っていいって。何なら真っ直ぐ病院いけって」
少し遅れて百花も戻ってくる。「タクシー、呼んだわ。桜小路先生に、あたしも美咲の付き添いでホームルーム抜けるって言っておいて」そう言って、百花は私の荷物を持ち、私の手を取り教室を出て行った。
「百花姉様たち、どこ行くんだ?」
「美咲、すごい顔色してたの! あれ、あのままほっておいたらヤバイよ!」
「……匠は同じスケジュールなのに、よく平気だね」
「これ終われば寝れる。それだけを信じてやってきた。みさみさは……もしかしたらこういうことになるんじゃないかと思ってた」
「とりあえず、美咲がちゃんと帰って、無事にまた学校に来れることを願おう……」
その時、正門前ではタクシーを待つ美咲と百花がいた。荷物は全て百花が持っている。
「美咲、場合によってはそのまま病院に行ったがいいかも」
私はすでに答える元気もなかった。そこにタクシーが到着する。
「運転手さん、大学病院までお願いします」
そして荷物から私の携帯を取り出し、「ごめんね美咲、携帯勝手に使わせてもらうわ」と言って操作し、電話をかけ始めた。
「もしもし、美咲さんのお母さんですか? 私、御勢学園大学附属高校三年一組の西山百花と申します。美咲さんの同級生です。桜小路先生から連絡がいっているかとは思いますが、美咲さん、学校で体調を崩されて、学校からそのまま大学病院へタクシーを回しました。私なり誰かが病院まで付き添うべきなのですが、まだ学校が終わっておりませんので、心配ですが美咲さん一人になってしまいます。……ええ、倒れたりしているわけではないです。だからタクシーを呼びました。すみませんが、病院に着いたら美咲さんの様子をお願いします……」
「お母さんがすぐに大学病院に向かうそうよ。運転手さん、後部座席の子、お願いします」
そう言って私と私の荷物をタクシーの後部座席に乗せ、「病院までついていけないでごめんね。あたしもそのまま帰るって言って荷物持ってくればよかったわ」と言った。ドアが閉まる。
「お姉さん、具合悪いの?」
「ちょっと、いろいろありまして」
「わかった、ちょいと飛ばすから、堪えてくれな」
そう言うと、運転手さんはスピードを上げ、大学病院までの道を駆け抜けて行った。
病院に着くと、すでにお母さんが待ち構えていた。お母さんがタクシー代の支払いを済ませてくれた。
「美咲、どうしたの?」
「頭がフラフラする……」
「荷物は持ってるのね」
母親は荷物から私の財布を出すと、診察券と保険証を出して私を引っ張るように受付へ連れて行った。時間は午前の受付ギリギリくらいだ。
「とりあえず、受付で何科がいいか聞いて見ましょう」
受付の職員に「頭がフラフラする場合、何科がいいですか?」とお母さんが尋ねる。
「どなたにその症状があるのですか?」
「娘です」
「おいくつですか?」
「十八歳です」
「どちらにおられますか?」
「あちらの椅子に座らせています」
「歩行は可能ですか?」
「はい」
「話すことはできますか?」
「なんとか可能です」
「当院の診察券と保険証はお持ちですか?」
先ほど抜き出した診察券と保険証を母が差し出す。同時に、私のもとに受付の職員がやって来た。
「中村美咲さんですね?」
「はい」
「本日はどうされましたか?」
「学校で試験が行われて、それが終了してから頭がフラフラして……」
「吐き気等はありませんか?」
「ありません」
「手足にしびれなどは?」
「それもないです」
「分かりました。ひとまず、脳神経外科で診察の受付をお取りします。先生とお話をして、また必要な科があればそちらに移りましょう」
母に連れられ、脳神経外科の外来待合室へ行くと、待つ間もなく名前を呼ばれた。
「お名前をお願いします」
「中村美咲です」
「今日はどうされましたか?」
「学校で試験が行われて、それが終了してから頭がフラフラして……」
電子カルテにある受付からの吐き気マイナスなどの記載を見る。
以前も受けた、反射に関する簡単なテストをされる。特についていけないことはない。
「ふむ、反射関連は問題なさそうですね。そうですね、疲労の蓄積といったところでしょうか。ただ、今年三月に頭部打撲がありますし、毎年定期的に脳波も取っていることですから、大事をとって採血、MRIと脳波をとっておきましょう。それで何もなければ脳神経外科的な異常はないということですし、万全です」
ナースさんが採血室と検査室に連絡を入れる。長丁場になりそうだが、明日明後日が土日でよかった。
検査を終え、しばらくたつと、頭がフラフラするというより、心がドキドキする、不安に襲われるという感じが強くなってきた。
「MRも、採血の結果も、脳波も特に目立った異常はないね。今の様子はどうだい?」
「頭のふらつきはおさまりました」
「他に何かあるかい?」
「不安感が強い、という感じでしょうか……」
医者はしばらく考えこむようにして、言葉を選びながら言った。
「私は、あまり心理相談が得意でなくて。もし、あなたに抵抗がなく、その不安感を心療内科・精神科の先生に話すことで少しでも楽になるなら、紹介状を書こう」
「……」難しい。今日の試験による一時的なショックかもしれない。それが分からない。
「ひとまず、じゃあ何について不安を抱いているか、聞かせてくれないかな。それによって、心療内科・精神科にかかるほうがいいのか、私でも判断できるかもしれない」
私は今の学校のシステムと将来の夢、学会の発表に至るまでの過程、知りうる限りの原香奈子の事件について、そして今日の試験の出来について話をした。
「そうだったのだね。そうなると、疲労の蓄積にあわせて強いストレスがかかって今回のような状態が起こったと言えるかもしれない。
ここからはあなた次第だよ。話を継続して聞いてもらいたい、もしくはその他の困ったことがあるのならば心療内科・精神科の受診を勧めるが、やはり投薬治療なども伴う。一度投薬治療を開始すると、辞めどきが難しいのがメンタルの薬だし、てんかんのお薬や化膿止めもまだ服用しているのならば、薬の量をいたずらに増やすのは望ましくない。あなたの将来も考えるとね。また困ったら、ここにおいで。その時、改めて考えよう」
「はい」
「今日は特にはお薬はないけど、せっかく脳波を取ったし、ちょうど前回受診から3ヶ月ぐらい経つから、いつものてんかんのお薬を出しておこうか? いつもはここの神経内科でもらっているんだろう?」
医者は電子カルテを見ながら他の科のカルテの内容も参考にしているようだ。
「はい」
「処方せん出しておくからね」
お母さんと病院を出た時には、すでに外は真っ暗だった。
「今日は長かったわね。疲れたでしょう。どう、どこかでご飯食べて行かない?」
「うん」
「どこがいい?」
「どこでもいい……」
車はとりあえず病院の近くのうどん屋に入った。
「うどんでよかった? うどんなら疲れててもお腹に入るかと思って」
「ありがとう」
私はきつねうどんを注文した。お母さんはわかめうどんだ。
うどんを待ちながら、お母さんは独り言のように話す。
「あなたがこうなるんじゃないかって、私は心配してた。東京から帰ってきて、休む間もなく試験だもの。それも大事な試験だっていうから、心配はしてたけど、あなたの力を信じてた。あなたには夢があるから。
でも、無理してまで叶える夢って、どうかと思うの。夢を持つことは、もちろん素晴らしいことだし、生きていくうえで大切なことよ。でも、自分の心や体を壊してまで叶えようとする夢って、何か違うんじゃないかしら。無理してまで、今の大学にこだわる必要ないのよ。
もちろん、今の大学に行ければ一番いいのは分かっているけど。そうね、センター試験を受けて、他の大学を受ける手もあるし、他の私立大学を一般で受ける手もあるのよ。一つの道に、こだわりすぎると、苦しいだけだから。私は、あなたの夢を、無理せずに叶える手助けをしたい、そう思っているわ」
ちょうどうどんが来た。私たちは無言でうどんを食べる。
うどん屋を出た後、私はポツポツと話し出した。
「今の大学に行けなくても、いいの?」
「もちろんよ。無理してまで今の大学にこだわる必要はないわ」
「私、どこか行ける大学あるのかな……」
「何を大事にするかをまず考えることね。やっぱり大学で勉強したいなら、どの大学でも受けられるように無理ない程度で勉強は必要。体を壊したくないって思うなら、しばらく学校とかとは距離をおくことね。ただ、家にいるだけがいいことじゃない。高校を出たら、あなたも立派な社会人。何らかの形で、社会と関わる必要があるわ。
もちろん、働くことだけが社会と関わることじゃないのよ。十八歳っていう年は、本当はとても大切な自分の未来を考える年なの」
「大学には、行きたい。今の大学、行きたい。でも、今日の数学の試験、全然できなかった……」
「あなたには強い意志があるのね。でも、どんなに意志が強くても、生きていく上で、必ずうまくいくことばかりじゃない。むしろ、うまくいかないことのほうが多い。
でも、うまくいったことより、うまくいかないことが、より生きていく上での経験になるの。失敗をうまく受け止めるか折れるかは人それぞれ。私は受け止めきれなかったけど。でも、あなたも優子も、うまく受け止めて、人生の糧にできる力を持ってると思う。さ、そろそろ帰りましょう」
いつの間にか街をぐるぐるドライブしていた私たち。家の方に車を向けると、私たちは帰宅した。
お母さんがお父さんに連絡していたため、お父さんは外で夕食を食べて来ていた。
前回のことがあったからか、鈴と小鈴のご飯も山盛りになっていた。しばらく二匹で留守番だったからだ。
「美咲はもう寝なさい。お薬飲んでね」
「はあい」
お父さんとお母さんは、その日遅くまで話し込んでいたようだ。ずいぶん夜は寒くなって来た。鈴と小鈴が布団に入ってくるのが暖かくて気持ちよかった。
久しぶりに何にも邪魔されることなく眠った。一体どれだけ眠り続けていたかもわからない。帰ってきてすぐ寝たから、寝たのは夜のはずだ。鈴と小鈴はすでに布団にはいなかった。
寝室にある時計を見てみると、十時二十分を指している。午前なのか、夜なのか。
確かめるために寝室から出てみると、そこには優子お姉ちゃんがいた。びっくりした。
「優子お姉ちゃん!」
「美咲! 心配したのよ。昨日のこともあったし、お母さんがいつまでも起きてこないっていうから、帰ってきちゃった」
部屋の電気がついているということは……丸一日眠っていたのか。
「ぐっすり眠れた?」
「うん、今まで全然気がつかなかった。鈴と小鈴は?」
「そこよ」
二匹で丸くなって眠っている。
「さっきまでご飯食べたり、猫じゃらしで遊んでたりしたんだけどね。そういう美咲はお腹減ってないの?」
「うーん、起き抜けだし、そこまで減ってないかな……」
「でも何か食べとかないと、体力落ちるわよ」
「昨日はうどんだったし、今日は少しボリュームがあるものを用意するわ」母がいう。
お母さんが用意してくれた、一日ぶりの食事は雑炊に目玉焼き、かぼちゃの煮物だった。
「これくらいは食べておきなさい。食べたくないから食べないでいると、どんどん体も考えも弱っていくわよ」
「そうよ。健全な精神は健全な肉体に宿る、だからね」
「いただきます」
久しぶりの余裕を持てる食事。おいしかった。
「優子お姉ちゃん、いきなり帰ってきて大丈夫だったの?」
「大丈夫。美咲、明日、買い物行かない?」
「い、いきなりだね……」
「いいじゃない、私も久しぶりに買い物行きたいし。行こう、美咲」
「うん……」
ということで、明日は優子お姉ちゃんと買い物に行くことになった。
「優子お姉ちゃん、何買うつもりなの?」
隣街のショッピングセンターに着いた私たちは、まずどこへ行こうかというつもりで姉に聞いた。
「何って、美咲が欲しいものに決まってるでしょ。半年以上もずっと研究頑張ってきたんだもん、息抜きも必要よ。今日は私のおごり、何でも言ってよ」
「優子お姉ちゃん……」
優子お姉ちゃんも実習で忙しいはずだ。それなのに私のことまで気を使わせてしまった。
「じゃあ、何か私も優子お姉ちゃんにプレゼントさせて。優子お姉ちゃんも私以上に忙しかったはずだし、私だけってなんか不公平」
「まったく、素直に甘えとけばいいのに、この子は……」
そして、私たちは冬物を見たり、雑貨屋で可愛い小物を見たり、途中でお茶しながら恋バナに花を咲かせたりした。
「え! 優子お姉ちゃん結婚するの!」
「すぐじゃないわよ。お互い国試に受かって、卒業する時に入籍しようって言われただけ。そのタイミング逃しちゃうと、研修医生活ってとんでもなく忙しいからね」
「ちょっと早いけど、おめでとう! 何優子になる予定なの?」
「高橋優子……かな」
優子お姉ちゃんの顔が赤くなっている。
「でも、しばらくは中村優子で通す予定。突然名字が変わると不都合だったりするから、タイミングをみて高橋優子を名乗るつもり」
「お父さんたちは知ってるの?」
「あんたが入院中に、渉がうちにきた話したでしょ? その時に問い詰められて、そういうことがあるかもって話はした。でも、正式に結婚しようって言われたのは最近よ」
「へぇー」
「美咲、最近渉と連絡とってるの?」
「東京に行く前に電話して以来とってないな……」
「まあ、今の時期大事だしね。センターの出願とか控えてるから、あれこれ忙しいのよね、この時期は。ところで、美咲はセンター試験は受けないの?」
「……悩んでる」
東京から帰ってきてすぐ、桜小路先生がホームルームで言っていた。
「センター試験の出願希望者は、私に申し出てくれ。一括して学校から出願する。国公立志願者は忘れるなよ」
「そういえば、御勢学園大ってセンター試験利用できないの?」匠に聞く。
「うちは確かセンターは利用できないって聞いたな。今年から変わったっていうなら別だし、学部によっても違うかもしれない。みさみさは法狙いだから、自分でホームページから調べたが早いと思うぞ」
放課後、こっそり部室に入り込み、うちの学校のホームページの入試情報を調べてみる。もちろん、御勢学園大の方のホームページだ。
「当大学では、全学部全学科一般入試のみの入学試験を実施いたします」
そして各学部・学科の一般入試の日程、試験科目が書いてあるだけだった。
「センター利用はなしか……」
パソコンを落とし、ひっそりと部室を抜け、試験勉強をするために帰宅した……
「そっか、御勢学園大はセンター利用できないのね。内部進学が結構多いからっていうのもあるからかしらね」
「うーん、そうかもしれない」
「あんたの志願はどうなの? 変わってないの?」
「うん……」
「センター試験は国公立大学受験には絶対必要だけど、私立狙いだったら絶対必要ってわけじゃないのよね。国公立大を受ける子の私立のセンター利用に使うことが多いくらい。あんたはもう学会終わったって言ってたし、これからやることってあるの?」
「卒論、かな」
「卒論?」
「内部進学希望者は絶対ある程度のものの提出が必要。御勢学園系列から出て行く予定の子は適当に出すって言ってるけど、これも内申にかかるみたい」
「締め切りは?」
「二学期いっぱい。二学期までの出席日数と提出物、試験結果で一般入試と合わせて最終合格が決定するんだって。まあ、うちの学校の内部進学希望者には二月頭ごろに合否が分かるらしいけど」
「卒論のテーマは決めてるの?」
「あんまり時間もないし、学会で使ったテーマを利用しようかと思ってる」
「一から書かないといけないわけじゃないんでしょ?」
「うん、これまでの積み重ねを提出すればいいんだし、それに今回の学会の内容を加えようかと思ってる」
「少し純粋な裁判員制度そのものの研究とずれてきてない?」
「それは考えてた。でも、一般の意見、それも高校生の意見として活かそうと思って。あくまで私の研究は裁判員制度本体だから」
「そう……それなら、他のセンター利用ができる大学を受けるつもりがもしないなら、センター試験の出願はやめておきなさい。センター試験も、ひとつの大きな試験。さらにプレッシャーを与えることは、今の美咲には酷な気がするの」
「それについて迷ってるの……悩んでるの」
「話はお母さんから聞いてるわ。私立のセンター利用って、意外と厳しい道なのよ。よっぽどセンターでいい点取らないと、合格しないと思っていい。私の元同級生で京都の私立にセンターで受かった子がいたけど、二科目選択で二百点満点近い点数を申告してたもの。でも、別の国立に受かって、そっちに行ったんだって。
私が高校生の頃の話だけど、たいてい、私立大学のセンター利用は三科目、文系学部なら国語、英語、社会のどれかの科目の点数を要求されるから、極端なことを言ってしまえばセンター試験で満点とった子が出願して、合格していっちゃうのよ。
そして、そこで不合格になって、落ち込む時間ってもったいないと思う。もし今の大学じゃない私立大学を受けるんだったら、センター利用は難しいと思った方がいいわね。もちろん、国公立受けるつもりなら、センター試験は必要よ」
「今の大学に行きたいの。でも……」
「それもお母さんから聞いた。大丈夫、落ち着いて。まだ何もかもダメになったって決まったわけじゃないでしょ? 考えるのは、それからでいいんじゃない?
あんたに大事なのは、冷静さを保つことと、体調を崩さないようにすることよ」
「優子お姉ちゃん、ありがとう……」
「じゃ、行こうか。私、本屋にも寄りたいし」
「私も!」
「ふふっ。じゃ、行こ」
私たちはカフェを出て、本屋へ向かった。
結局、私は小物やら冬物の服やら、いろいろと買ってもらった。
優子お姉ちゃんには「じゃあ、これがいい。この本買って」と言われた本を買った。医学用語のポケットサイズの早引き本だった。いつか渉にもこういう本をプレゼントできたらな、と思う。
「ただいま」
「ただいまー」
「おかえり。あら、いっぱい買ったわね」
「優子お姉ちゃんがいろいろ買ってくれて」
「優子、ありがとう」
「どうってことないわよ。私、ご飯食べたら帰ろうと思うけど」
「いいわよ、マンションまで送るわ」
「ごめんね、バタバタしちゃって」
「じゃあ、ちょっと早いけどご飯にしましょう。お父さん、ご飯ですよ」
「おお、今日は早いな」
「優子がマンションに戻るから、送っていくのもあるし、明日からまた仕事だったり学校だったりでしょ」
「俺が優子は送っていくよ。お母さんはゆっくりしててくれ」
「あら、お願いしていいの?」
「ああ、任せてくれ」
そうして、今日の夕食は優子お姉ちゃんの好物の親子丼にお吸い物、肉じゃがを四人で食べた。
お父さんが優子お姉ちゃんをマンションまで送って行く間、私は桜小路会メンバーへ持って行きそびれていたお土産を準備していた。
そして、今の今まで渉へ連絡を入れていなかったことに気づく。
慌てて渉へ電話をする。タイミング良く、渉は電話へ出てくれた。
「美咲、待ってたぞ」
「ごめん。学会から帰ってきて、その後最終考査がすぐで、そのまま体調崩しちゃった……」
「何だって? 病院には行ったのか?」
「うん、友達が学校でタクシー呼んでくれて、そのまま大学病院行った。検査受けたけど、特に異常はなかった。蓄積した疲労と、急性の強いストレスだろうって」
「何科にかかったんだ?」
「最初は顔色が悪いって言われて、頭もフラフラしてたから、受付の人が脳外科がいいだろうって」
「何の検査された?」
「あれは……MRIと、脳波と、採血」
「特にどれも異常はなかったんだな?」
「うん、医者はそう言ってた」
「急性の強いストレスって……何があったんだ?」
「試験の最終日だったんだけど、数学の問題が解けなくて……」
「それで?」
「もう一科目の数学は何とか解けたんだけど、そのあとそのままタクシーで病院送り」
「……数学が解けないことで、何か問題があるのか?」
「御勢学園大の法学部への内部進学の要件が、私には結構厳しくて、赤点とったらもうアウトみたい」
「何でお前に厳しいんだ?」
「……出席日数と、やっぱり転入っていう立場が内申として不利になってるみたい」
「……出席日数か……」
渉が唇を噛んでいる様子が電話越しにわかる。
「でも、とにかく、結果が出て、何もかもダメになってから考えることにしたの。今から他の私立大をセンター利用しようとしても、結構厳しいみたいだし、御勢学園大はセンター利用はやってないし。
試験結果が戻ってくるのがうちの学校は早いから、決断は早いと思う。だから、今は何も考えないことにした」
「そうか……」
「そうだ! 渉にもお土産買ってきたけど、どうしようか? 日持ちはするお菓子だけど……」
「うーん、ちょっと時間的に遅いかな……」時計はすでに夜九時半近くを指している。
「また連絡ちょうだい。時間がある時に、渉の家に持っていくよ」
「悪いな。もう少し時間が早かったら、もらいに行くんだけどな」
「その時に見せたいものもあるし、時間がある時にね」
「何だ? 気になるな」
「新人賞ってやつをとったんだ。びっくりしたけど、今考えると嬉しい。ほとんど顧問の先生の研究だけどね」
「すごいじゃん! どのくらい人がいるかわからないけど、その中の一人だろ?」
「もう一人の共同研究者の子と二人で受賞したから、グループで受賞したようなものだけどね」
「すげー。美咲、たいしたもんだよ」
「ありがとう」
「じゃあ、時間のある日にその賞状も見せてもらおうかな。でもすごいよ、おめでとう」
「ありがとう。ごめんね、明日も学校なのに」
「お前もだろ。今日は早く寝て、明日から学校に行けるようにしないとな。みんな心配してくれたんなら、なおさらだ」
「うん、そうする」
「じゃあな、おやすみ」
「おやすみ」
そして、翌朝。
「美咲、学校いけそう?」
「うん、調子はいいよ」
「自転車置きっぱなしだろうから、送っていくわ」
そうだった。学校からタクシーで病院に直行したから、自転車は置きっ放しだ。
「お願いします」
自転車の鍵があることを確認すると、お母さんが運転する車に乗って登校した。
「美咲、大丈夫だった?」校門で最後まで見送ってくれた百花が駆け寄る。
「うん、何ともなかったよ。ごめんね、心配かけて」
「顔色も普通に戻ってるね。良かった」最初に気づいた早希も私の様子を見て言う。
「ごめん、本当に心配かけて」
「美咲が元気になって良かったよ、匠も心配してた」
「二人とも半年ぐらい過密スケジュールだったもんね」
「匠は?」
「おう、おはよう」
「おはよう、匠」
「匠は何ともなかったの?」
「ああ、やっぱり帰って熱出た。だから土日はずっと寝てたよ。でも、念願の寝るだけの土日を過ごすことができた。おかげでもう熱も下がって、今日は平熱だ」
「匠も美咲も、無理しちゃダメだよ」麻衣子がいう。
「麻衣子も忙しかっただろ。土日は休めたか?」
「あたしは土日は食事当番だよ。うちのルールだし、仕方ないね。先週はいなかったし」
「タフだな」祐樹が感心したように言う。
「だから、忙しいのは結構慣れてるよ。忙しいって言っても、ここ数日だけだったしね」
その時、遅刻ギリギリのところで優が登校してきた。と同時に、桜小路先生が教室へ入ってきた。
「最終考査、お疲れ様。それぞれの科目で答案が戻ってくると思うが、それだけが全部じゃないからな。あと、部活によるが、卒論への取り組みも怠らないように。それと、センター試験希望者は申し出るように。締め切りは二十八日だぞ」
今日は二十日。すでに国公立大を希望している子はとっくに志願をしていることだろう。
私は優子お姉ちゃんの話などから、センター試験は志願しないことに決めていた。「記念受験」とかいう声も聞こえてきていたが、センター試験を受けることでもさらに費用がかかる。ここまででも相当のお金を使ってしまった。
私はこの時点で、どのような結果になろうと御勢学園大法学部への内部進学希望で行く心づもりでいた。
授業が進む。次々と期末考査の答案が返却されていく。
点数はまずまず、文系科目はなかなかいいところまで行っていた。
しかし、やはり数学が厳しい結果を突きつけてきた。
一科目目の数学は五十二点。二科目目の数学は五十八点。
「う……」
やはり、覚悟はしていても、実際に点数を目にするとめまいがする。
このまま、御勢学園大学の法学部へ内部進学できるのだろうか?
放課後。久しぶりに七人が揃って部室でお茶会をする。
私はお土産をみんなに渡した。とはいえ、あの限られた時間でお菓子を買ってきただけだが。
「秋葉原」と堂々と書かれたお菓子の包み紙に、みんな苦笑する。
「アキバ行ってきたんだね、学会終わって」
「何しに行ってきたの?」
「どういうところか、一度行ってみたかったの」
「でも、全然時間なかったでしょ」麻衣子がいう。
「一時間いられたかな」匠が答える。
「何見てきた?」
「ホコ天で、もうあっぷあっぷだったよ。とにかく、大きくて、人が多かったなあ。メイドさんみたいな人もいたし、何だか違う世界だなって感じ」
「メイド喫茶とかいかなかったのか?」祐樹が興味津々に聞いてくる。
「そんな時間なかったよー」
「お土産選んでたら、もう時間になっちゃった、って感じ」
「バタバタしたんだね」
「こっちは、スカウトされたよ」
「何それ!」
「美咲と匠が新人賞とった時の、最優秀発表の大学の先生が、うちに来ないかって。桜小路先生はだれにでもああいってるから、気にするなって言うけど」
その時。 部室のドアがノックされる。
「私だ」桜小路先生の声だ。
「はいっ!」
「悪いが、通りすがりに声が聞こえてしまってな。天川大学の八坂先生は、やめておいた方がいい」
「どうしてですか?」
「天川大学自体が、ここ何年も定員割れを起こしている。あの大学は教育学の単科大学だから、人集めに必死なんだ。
それと、八坂先生自体もセクハラ疑惑がある。まだ明らかな証拠が出ていないのだが、時間の問題だろう。そんなところに、自分の教え子を送りたくないというのが、私の率直な気持ちだ。
今回の最優秀発表の青山さんも、博士課程単位取得退学の予定だそうだ。他の大学から引き抜きがあったみたいで、研究しながら助教授になられるらしい。青山さんの発表は素晴らしいが、母校がなくなってしまうことになることがあったらな。
だから、去年川崎さんから話があった時も、その話をしたよ。それでも天川大学へ行きたいというならば、八坂先生へ推薦状を書くけれど」
「……」麻衣子は唖然として、「お断りだ」という顔をしている。
「そういう話なら、お断りさせていただきます……」
とりあえず、私たちが秋葉原へ向けて走っている間にそういう話があっていたことにも驚いたが、突然桜小路先生が部室へ入ってきてそのような話を始めたことにも驚いた。
桜小路先生は所属は御勢学園大学教育大学附属高等学校。御勢学園大学で実際に教鞭を執ることはほぼない。生徒を逃したくないからの発言なのか、本当に麻衣子のことを思っての発言なのか。真相はわからないが、とりあえずそのような問題がある大学ならばあまり進学先にはしたくないところだ。
「そして、中村さん、ちょっと」
私だけ桜小路先生に呼び出された。
「学会、お疲れ様。それに続くような最終考査、本当に疲れたと思う。病院に直行した先週末、大丈夫だったか?」
「はい、すみません、ご心配おかけしまして」
「検査したのか?」
「はい、異常は見られないとのことでした」
「疲れか」
「そうですね、疲れと急性の強いストレスと診断されました」
「……これも現時点であなたに話すべきではないかもしれないが、不安定なままというのも精神的に良くない。数学の点数、確かに今回は厳しかっただろう」
グサリ。ここでそれを言われるか。
「でも、大丈夫だ。成績の点では、御勢学園大学の法学部への内部進学への内申点はクリアしている。あとは、最終的に判定される二学期末までの出席日数、それと卒論。それさえきちんとしていれば、不安がることはない。卒論もテーマは今回の学会のを使ってもいいし、自分の本来の研究に戻ってもいい。両方をうまく合わせてもいい。それはあなた次第だ。
だから、あなたらしく、日々を過ごして欲しい。それが、あの六人をうまく回しているのだから」
「はい、ありがとうございます」
「美咲、何言われたの?」
「とりあえず毎日学校に来いって。出席日数が大事だって」
「まあ、そうだよね。美咲がいないと、さみしいもんね」
「一番さみしそうなのは匠だけどね」
「ちょ、誤解を招く言い方はやめろよ」
「ごめんごめん。でも、美咲が早退した後、すごく心配そうだったよ」
「当たり前だろ、友達が体調悪いって、いきなり病院直行なんだから」
「でも、美咲が何もなくて良かった」
「ごめんね、心配かけて。特に百花姉様には校門までつきあってくれて……」
「具合悪い子を一人校門に立たせるわけにはいかないでしょ。あの時は判断ミスだった。あたしも早退するべきだったわ」
「そこまでしなくでも、親がもう着いてたから大丈夫だったよ」
「でも、タクシーの中に一人って心配だもの」
「まあまあ、こうして無事でいるんだし、結果オーライでいいんじゃないか、百花姉様。あまり自分を責めるのも、良くないぞ」優が助け舟を出す。
「あとは、卒論だね。二学期末まで、自分のペースでがんばろう!」
「俺は勉強しないとな……」
「祐樹、島井大学はセンター利用はあるの?」
「ない。一般入試一本だって、去年清水先輩も言ってた」
「じゃあ、みんなセンターは受けないの?」
「俺は記念受験してくる」優がいう。
「優ならどこか他の大学もセンター利用で受かりそうだね」
そうして、久しぶりに七人が揃って部室でのお茶会をした。
「匠、熱出したって、大丈夫?」
帰り道で聞いてみる。
「ああ、大丈夫だ。帰ってきて、頭が熱っぽいと思った時は、自分も参ったなと思ったよ。氷まくらとおでこに貼るシート貼って、熱さまし飲んで、智也とメールしてたらいつの間にか寝ちゃってて。
智也には起きたら「寝落ちした。ごめん」ってメール打ったけど、「あんまり無理するなよ。お土産、嬉しかったぜ。新人賞、おめでとう」 って返ってきて、返信してたけど、途中で「匠、もう寝ろ。体調悪いんだろ? 明日、また学校で会おう。それまでに、体調戻して明日また学校で会いたい」ってメールが来たから、「ごめん、寝る。また明日な」って返事してまた寝たよ。
起きたらもうスッキリしてた。絶対智也に会う、って決めてたから今日も学校に来た。智也に会えて、泣きそうだったな……」
「安藤くんも、匠のこと心配してんだね」
「嬉しかったよ。俺のことをこんなに心配してくれる人がいて。だから頑張れた、って感じかな」
「相変わらずだね、二人とも」
「まあな」
「とりあえず、熱ぶり返さないように気をつけなよ」
「みさみさも、体調には気をつけろよ。桜小路直々に欠席禁止って言われたんならなおさら」
「うん、気をつける」
「じゃあな」
「また明日ね」
そうして最終考査が終了した私たちは、卒論の完成と、入試を受ける子はその勉強、そして私は桜小路先生直々に「二学期いっぱいの欠席禁止」を命じられたため、体調管理に細心の注意を配りながら、御勢学園大学教育学部附属高等学校での残された時間を過ごしていくのであった。




