第十四話 「学会への扉」
私と匠が桜小路先生のもとへ向かうと、案の定アンケート用紙の束を渡された。
「これが今日の模擬裁判の最後で取ったアンケートだ。あなたたちには、この分析を行ってもらう。きちんとは数えていないが、三十枚あると思うから、各項目をグラフ化して分かりやすいようにしてほしい。記述もまとめてくれ。これも、学会発表の大事な要素だからな」
「まあ、人使い荒いよな、桜小路も」
「仕方ないよ、私たちはしばらく論文そのものには関わらないんだし、それをやりながらテスト勉強しなきゃいけないんだから」
「俺たちの最後のテストだしな」
「内部進学にかかるとなると、いくら学会近いとはいえ手抜きできないよね」
「ああ、これでテストに関しては全部が決まるしな。俺もちょっと緊張してる」
「とりあえず、ひととおり目を通して、いつ打ち合わせるか決めない? 毎日打ち合わせだと、テスト勉強できないよ」
「そうだな、だいたい後三週間後に学会と中間考査があるから、あまり頻繁には打ち合わせできないが、最後の一週間ぐらいは忙しいことを覚悟しないといけないぞ」
「うん、だからこそ今のうちに集中して勉強しておきたくて」
私たちはアンケート用紙をめくる。
細かい項目は今は飛ばし、意見をとにかく読んでいった。
「なかなか自分の意見が言えなかった」
「グループで事前に話し合えてよかった」
「役割に当たって驚いたけれど、台本があったからよかった」
「証拠がリアルだった」
など、肯定的、否定的な各意見が出ていた。
「とりあえず、細かい項目は集計して、グラフ化するのは表計算ソフト使えば一発だろう。学会の一週間前までには意見をまとめて、桜小路に渡せばいいんじゃないか? となると、まとめるのは一日か二日でいいってことだ」
「まあ、なるだけ早いほうがいいだろうけど、こっちもやらないといけないことがあるしね」
「とりあえず、今日はここまでにするか。アンケート、どっちが持っとく?」
「俺、預かろうか?」
「任せていい?」
「ああ」
「よろしくお願いします」
そして、ずいぶん涼しくなった夕方の道を帰宅するのであった。
「匠、最近どう?」
「どうって、相変わらずだけど、見ての通り」
「見ての通りって、クラス内じゃ普通じゃない、匠と安藤くん」
「でも、だからってケンカしているわけでもないし、仲良くしてるぞ」
少し暗くなった空で、匠の顔が赤くなった感じがした。
「みさみさは? 彼氏さん大変なんじゃないのか?」
「そうだね、でも相変わらずだよ」
「それぞれ、このまま相変わらずでいられたらいいな」
「そうだね」
そうして、その日は帰宅した。
打ち合わせは五日後と決め、それまではテスト勉強に集中することとした。
私が遅くまで残っていると、よく山内さんが私に勉強を教えてくれた。数学だけに限らず、どの科目も彼女は得意だった。
他にも、「中村さん、ここの大学の法狙いなんでしょ? 私、社会、特に現社苦手でさ。教えてくれない? 代わりに、私が教えられることならなんでも教えるから!」
という子が増えてきた。時には大人数で放課後の補習後の勉強会のようになる日もあった。
私も現社や日本史を教える代わりに、数学や化学、英作文などを教えてもらった。
打ち合わせの日は項目の集計、意見まとめに集中した。
その日にまとめは終わったが、桜小路先生に出すのは後日、ということにした。
今度は桜小路会で勉強会をしよう、ということになった。もちろん、三年一組の教室でだ。
「テスト勉強に縛られるのもこれで最後だねー」
「でも、これが一番大事な考査なんだから。油断禁物よ」
「そうだぞ、早希嬢たちみたいに内部進学希望なら、赤取ったら一般回りだぞ」
「それは辛いわー!」
「なら、勉強しましょ。それが一番よ」
御勢学園大学の附属高校とはいえ、希望者が必ずしも希望の学部に自動的に内部進学できるとは限らない。成績いかんによっては、一般入試に回ることもあるのだ。
「とりあえず、勉強勉強……」
桜小路先生の言うとおり、御勢学園大学の法学部に内部進学するためには、一定の成績が必要条件なのだ。
最終考査まで二週間。そして学会まであと十日だ。
その日に桜小路先生にまとめを渡し、最終的な打ち合わせに入った。
ひとまず、その前までにテスト勉強に集中しておいた。直前は学会に集中するためだ。
最後の総体に集中したいから今必死で勉強する、って言ってた渉みたい、と思ってしまった。
桜小路先生は授業実践を含めた論文を仕上げていた。あとは学会発表用の要旨を作成し、大量に印刷機で印刷して配布する準備を行わなければならない。
発表順は合宿とほぼ同じで、事前の知識部分を私が、授業計画と模擬裁判内容の説明を匠が、授業実践の発表を桜小路先生が行い、質疑はそれぞれ該当する部分をそれぞれが受け持つこととした。
思ったより要旨の作成に時間がかかった。自分の発表部分なのだから、責任を持って自分の部分の要旨は作成しなくてはならない。質疑を受けて答えられないでは済まないのだ。
ようやく三人分の要旨が完成し、約五百部の配布原稿を印刷し終えると、段ボール箱一杯になってしまった。とうてい持って運べる重さではない。
「ホテルのフロントに、荷物を事前に送付していいか確認してみよう。それでよければ、今から直ぐに送る」
桜小路先生は宿泊予定のホテルに確認を取り、OKが出たところで事務棟から台車を借りに行き、ホテルへチェックイン前日に届くよう手配した。
「さて、水野くんと中村さん、そして福田さんは学会前日から出発ということになる。当然、三人とも欠席扱いにはしない。緊張するだろうが、合宿の発表と同じだ。ちゃんと食事をとって、夜更かしは控えるようにな」
「はい」
「みさみさ、名刺入れ買った?」
「あ、まだ家にある」
「じゃあ、明日作った名刺持ってくるよ。みさみさも明日よろしく」
「ん、分かった」
「そういえば、飛行機だよな? 時間とか桜小路一切教えてくれなかったな」
「そういえばそうだね」
発表のことで頭が一杯だった。気がつかなかった。
「明日聞こう。一応、家族にも伝えておかないと」
「そうだね、家族も心配するだろうし、緊急連絡先も必要だしね」
そうして、学会三日前が終わった。
「美咲、疲れた顔してるけど、本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。部の代表だし、最終考査も近いから、どっちも手は抜けない」
「自分の体のことは、きちんと気にしなさいよ。うちで倒れるならまだしも、ホテルや発表の会場、学校で倒れたら周りの人たちに迷惑かけるんだからね。ちゃんと食べて、早く寝なさい。あと発表まで三日なら、今はテスト勉強より体調を整えるほうが大事よ」
「分かった」
確かに、家に着くと体がフラフラだ。最終考査が終わったら病院に定期検査に行こうと思ってはいるが、とにかく時間がない。ご飯を何とか食べて、ほうほうの体でお風呂に入ると、そのまま倒れこむように眠ってしまった。
翌日。私と匠は改めて桜小路先生へ呼び出された。
「飛行機の便名と、ホテルの連絡先だ。ご家族に緊急連絡先として渡しておいてくれ。そして、福田さんは交流会に参加したいとのことだが、本当にあなたたちは交流会欠席でいいのかい?」
「はい」
「分かった。ただ、帰りの飛行機の一時間前には羽田にいてくれよな」
「分かりました」
教室へ戻り、時間、便名とホテルを確認する。行きは前日午前十一時発、帰りは午後六時半発だ。
ホテルは会場の近くらしい「東京グランデホテル」というところを取ってあった。最寄り駅は……と見てみるが、駅数が少ないこの地域からすると駅だらけでよくわからない。
「とりあえずみんなでホテルに行くんだよね、問題は……」
秋葉原へどうやって行き、そして時間までに羽田空港に戻るか。
今日の放課後、匠と打ち合わせるしかない。
放課後、桜小路先生は「明日、朝九時に駅で待ち合わせで。今日は早く寝るようにな」と私と匠、麻衣子を呼び出して一言伝えたのみだった。
「今日は帰る?」
「ちょっとゆっくりしていこうよ、遅くならないくらいで」
「ああ、いいぞ」
そうして三人で部室でお茶を飲む。
「美咲、匠、緊張してる?」
「してるよー、そりゃあもう。だって、二日目発表のトップだし、三人の中でも最初に話すからね」
「俺も、合宿の時はそんなに緊張しなかったのに、今回は緊張するな。舞台が大きい、大きすぎる」
「また合宿の時と違う発表だと思うから、楽しみにしてるよ」
「プレッシャー……」
「で、麻衣子はどうして交流会に参加することにしたんだ?」
「桜小路先生が費用出してくれるっていうし、パーティでしょ? だから何で二人とも参加しないのかこっちが聞きたいよ」
「知ってる人もいないし、第一桜小路先生に悪いから……」
匠は何も答えない。
「ふーん、二人で東京デートするんだと思ってた」
「デートじゃない」匠が咄嗟に口を開く。
「引っかかったー! やっぱり、どこか行くんでしょ? 何となくそんな気がしたから、私は桜小路先生にご飯をご馳走してもらうつもりで交流会に参加することにしたの。興味深い発表した人がいたら、その人と話してみたいし、っていっても、顔わかんないかな」
私たちは酸欠の金魚のように目をキョロキョロさせ、口をパクパクさせるしかなかった。
とりあえず、行き先だけはバレないようにしておこう、と心に誓った。
帰り道。そういえば名刺もらってない、と思い、麻衣子と分かれた後、匠に話しかける。
「匠、名刺……」
「ああ、そうだったな。どこか場所あるか?」
「また戻って、杉谷の近くのファミレス?」
「うーん、部室戻ろう。パソコンあるし、調べて打ち合わせておきたいことあるから」
そして、私たちは今きた道を逆戻りして学校へ戻ってきた。
桜小路先生に見つからないように、ひっそりと部室へ。電気も最小限にしておく。
「はい、名刺入れ」
「サンキュー、で、これがみさみさの分の名刺な」
学校名と部名の入った名刺を受け取った。三十枚。これできっちり名刺入れが埋まるくらいだ。
「ありがとう、匠」
「こっちこそ。で、見たか、ホテルの場所」
「見たけど、どこかよく分からない……」
「学会はホテルの近くにある会場で行われるんだが、問題は総評がいつ終わるかだよな」
「荷物はどうしとくの?」
「みんな、たぶん最寄り駅のコインロッカーに入れて行くだろう。俺たちもそうする。で、総評が終わって解散したら、駅から秋葉原へ直行だ」
「秋葉原には駅あるんだよね?」
「大きい駅があるぞ。上手く午後五時半には羽田にいるためには……」
匠がパソコンを使い、路線検索をする。
「コインロッカーの荷物も取るから、四時半には秋葉原駅を出ないと間に合わないな。解散の時間が決め手だ、これは」
「間に合う? というより、行き方分かる?」
「俺の記憶だったら、ホテルのある駅から秋葉原までは電車はたくさんあるから心配ないと思うぞ。ただ、よく止まるのも東京の電車の特徴らしいんだけどな」
「分かった、行こう、秋葉原」
そうして、再び桜小路先生に見つからないように、そっと部室をあとにした。
家に帰り着いたのは、普通よりは早いが、予想していたよりは遅い時間になってしまった。
食事をとり、お風呂に入ったら、荷造りをしなくてはならない。二泊三日。
洗面道具は必要ないのがホテルのいいところだが、メガネやコンタクトレンズの保存液は必要だ。
合宿で使うので持ち歩き用の洗面道具はひとまとめにしている。あとは制服の替え、靴下など細々したものを揃えていたら、すっかり時間が経っていた。
「寝ないと」
出発前に渉と話しておきたかったが、渉が話せる状況にあるかも分からない。
私は渉にメールを打つことにした。
「明日から東京での学会発表にいってきます。帰りは日曜の夕方。ごめんね、最近連絡できてなくて」
送信して本当にすぐ、渉から着信があった。
「悪い、俺も忙しくて連絡取れなくて。前言ってたやつか?」
「うん、それ」
「明日平日だろ? 欠席にならないのか?」
「うーん、公休? とにかく欠席にはしないってさ」
「いいなあ、俺ら全国大会の時はガッチリ欠席にされたのに。補欠なのによ。ま、それはいいとして、頑張れ、今はそれが一番かな。あ、肩の力抜いてな。お前、よく肩に力入り過ぎてるから」
「うん、気をつける」
「あの鍵、まだ持ってるか?」
「うん、持ってるよ」
御勢学園大学教育学部附属高校転入試験の時にもらった鍵だ。普通は、渉のくれた指輪と優子お姉ちゃんのくれたペンダントと一緒に引き出しに入れてある。
「あれで良ければ、お守りにしてくれ。本当は、改めて何か渡したいけどな」
「その気持ちだけで十分嬉しいよ、ありがとう。あの鍵、お守りに持っていくね」
「明日早いのか? もう寝るんだろ?」
「うん」
「美咲たちの発表の成功を、ここから祈ってるぞ。ちなみに、いつだ?」
「日曜の朝十時くらいかな」
「分かった。その時間はあのマスコット握りしめとく。じゃあな、お休み」
「お休み。帰ってきたら、また連絡するね」
「おう、待ってるぞ」
そして私は、荷物に鍵を加え、学会前最後の自宅での眠りについた。
翌朝、午前九時。
大きな荷物を抱え、駅に着くと桜小路先生と匠、麻衣子はもう待っていた。
「じゃあ、行くか」
まずは隣駅まで電車で行き、そこで空港行きの路線に乗り換える。
だいたい四十五分くらいといったところか。そこから羽田までフライト、羽田に着いたらホテルに直行だ。今日の主な予定はこちらでの最終打ち合わせらしい。麻衣子も含めても構わないと判断したのだろう。
今日は週末とはいえ平日、電車も飛行機もそこまで混んではいない。
余裕をもって空港に着いた。
「みんな分の航空券だ。手荷物をカウンターで預けたら、手荷物引き換え券も貰うから、両方なくさないようにな」
自分の住んでいる県の空港とはいえ、来るのは初めてだ。これまで生まれて一度も飛行機に乗る機会がなかった。
飛行機に乗るのでさえちょっと緊張する。
匠も麻衣子も特に緊張した様子もない。焦っているのは自分だけだろうか。
そうか、二人とも修学旅行で北海道へ行っているのか。ならば飛行機は初めてではないはずだ。
匠と麻衣子に着いて行く形で手荷物を預け、引き換え券を受け取る。いちいち緊張する。
特にすることもないため、もう保安検査場を通過することにした。
二人にならい、電源を切った携帯電話や鍵など金属物等をバッグから取り出す。
無事に保安検査場を通過したところで、ペットボトルのお茶を買った。
搭乗開始まであと二十分ほど。まだ時間がある。
私たちはいつものように雑談をしていた。桜小路先生は私たちを横目に待合室のテレビを見ている。
すると、待合室が一斉に動き出した。よく見ると「搭乗開始」となっている。
「行こうか」
「はい」
そうして、私たちは東京へと飛び立つのであった。
家を出て何時間経ったろうか。ようやくホテルに着いた時にはすでに夕方といってもいい時間だった。
荷物を受け取り、隣の街とは比べ物にならない位の人の多さ、電車の複雑さに圧倒されっぱなしだった。
助かったのは、ICカードが全国共通で使えるようになっていたことだった。
ニュースでは聞いていたが、これがこれほど便利だとは思いもよらなかった。
もし共通で使えなければ、いちいち切符を買うことになっていただろう。この都会でそれはあまりにも面倒だ。でなければこの地域のICカードを買うことにしただろうか。
桜小路先生に案内されるがままにホテルにたどり着いた時には、すっかり歩き疲れてしまった。
桜小路先生はシングル二室、ツインルームを一室予約してくれていた。
もちろんツインルームは私と麻衣子用だ。
フロントで送っておいた原稿の段ボールを受け取り、一応一番広い私たちの部屋に置いておく。
元版は私たちそれぞれで所持しているため、打ち合わせはそれを使えばいい。
「晩ご飯を食べに行こう。それから打ち合わせしよう」と桜小路先生は言う。
「何時ごろですか?」
「そうだね、時間を置いて、夜七時半ごろにフロントで待ち合わせで」
「わかりました」
それぞれの部屋に分かれ、荷物を置くと、早速匠が電話してきた。
「そっちの部屋行っていい? 一人でテレビっていうのもつまらないし」
「いいよ、ピンポン押してよ、鍵開けるからさ」
「じゃあ、今から行く」
シングルとツインの部屋は離れている。渉が電話してきたらすぐに家のチャイムが押される感覚とは違う。
五分くらい待ったか。部屋のチャイムが鳴った。「匠が来たよ」と麻衣子にいってドアを開ける。
「お邪魔します。やっぱり、広いな」
「ツインだし、そりゃあね」
「どうする? ここで三人桜小路会する?」
ホテルには備え付けのお茶と湯のみがあったが、ツインルームなため、湯のみは二個しかない。
「私、空港で買ったお茶ある」
「じゃあ、お茶入れるよ。これで部室と同じ」
今午後四時半。桜小路先生との待ち合わせまで後三時間ほどだ。
「ねえ、学会後にどこ行くつもりなの?」
「……」
「……」 二人とも無言だ。
「言えないところ?」
「言えない訳じゃないけど……」
「分かった。これ以上は聞かない。その代わり、何かお土産買ってきて。それでどこに行ったか当てるから」
「桜小路には、言うなよ……」
「分かってるって。桜小路会みんな分ね!」
麻衣子に釘を刺され、無難なものを探さないとな、と頭の中は混乱していた。
夕食は無難にファミリーレストランだった。
「あなたたちが未成年でなければ、いいお店を知っているんだがな……」と言いながら。
そしてホテルに戻ると、桜小路先生の部屋で打ち合わせを始めた。麻衣子も同席だ。
麻衣子は一足先に発表内容を知ることとなる。アンケート結果は興味津々で見入っていた。
「みんなちゃんと書いたんだね。私、丸だけつけて出しちゃった」
会場は近くの大学のキャンパスだそうだ。そういえば、プログラムに書いてあったっけ……。
つまり、教壇で授業をする感じだ。相手は生徒ではなく、自分たちより遥かに年上の先生方なのだが。
「明日、もう学会そのものは始まる。私たちの発表は明後日だが、他の先生方の発表を聞くことも立派な学会の参加目的だからな。特に水野くんや福田さんは、いろいろな先生方の発表を聞くのがこれからの進路の役に立つはずだ。中村さんも、自分の研究テーマに近い先生のテーマの発表を聞くことは必ず自分の研究の実になる。それをふまえて、明日からの学会に臨んでほしい」
解散後、交互にシャワーを済ませ、寝ることとした。
寝ようとする前、麻衣子がポツリと話し出した。
「私、優と別れた」
「えっ」
絶句した。突然すぎて息が止まりそうだった。
「自分が好きでも、やっぱり相手の中に他の人がいると、ダメ。耐えられなかった」
「でも、友達で一緒にいるのって、辛くない?」
「割り切っちゃえば、平気。匠とか祐樹と同じ」
「そうなんだ……。麻衣子、辛かったね」
「ううん、幸せな時間を過ごせたから、それでいいの。自分の希望は叶えられたし」
そう言いながら、麻衣子の顔は涙であふれそうだった。
私は慌てて部屋備え付けのティッシュを取りに行き、麻衣子に差し出す。
「ありがとう、美咲」
涙を拭きながら、麻衣子が言う。
「美咲、本当に彼氏さんいるんだよね? 匠と付き合ってるんじゃないよね?」
「匠に私は恋愛対象じゃないって、正面きって言われたから本当だよ。彼氏がいるのも本当。杉谷高校に、残してきたけど……」
「でも、匠と美咲、異様に仲いいよね」
「偶然だよ。二人とも共同研究者だし」
「私、桜小路会に入るまで、二人は付き合ってるって思ってたなあ。クラスでも、部活でも仲いいし。だから、美咲の彼氏は他校にいるのは噂で知ってたけど、もしかしてふたまた?とか思ってた」
「失礼なー!」
「学会後も二人でどっか行くんでしょ? 誤解受けても仕方ないよ、その行動は」
「……仕方ない、話そう。実は、秋葉原に行ってみたいねって話してたの。特にどこか行こうって訳じゃなくて、どんなところか知りたくて。そしたら、発表が二日目の午前になったから、午後に行くしかなくなったのよ。総評まではいないといけないみたいだし、桜小路先生に交流会の費用を負担してもらうのも悪いし、あまり交流会そのものに気乗りしないから」
「美咲はこれからこの学会には深く関わらないだろうからね」
「たぶんね。匠は関わるかもしれないけど、自分で不参加を表明した。それだけ。って、麻衣子、もしかして……」
「誤解しないで、匠を好きとかそういうわけじゃないから。ただ、前から二人の行動を不思議に思ってたの。付き合ってるわけでもないのに、仲がいい。男女の友情って成立するの?って」
「不思議なのは、私もそう思う。でも、今、男女の友情は、成立してる」
「私、恋愛依存的なのかな。なんか何でも恋愛に結びつけちゃうし。自分も常に誰かを好きでいないと落ち着かないみたいな」
「その辺りは私も詳しく分からないけど、人を好きになること自体はいいことだと思うよ、本来は。みんなを嫌いになったり、他人に無関心でいるよりはね。それが極端にならなければ……」
傷がズキリと痛んだ。
「こういうことにならなければ、いいと思う」
私はずいぶんよくなった足の傷を麻衣子に見せる。麻衣子もそれを見て納得したようだ。
「ごめん、美咲。何事も行き過ぎは良くないよね。改めて気づいたよ」
「いきなりで、こっちもごめん。明日も早いし、寝ようか」
「うん、寝よう。おやすみ」
「おやすみ」
翌朝は、よく晴れた秋晴れであった。
いよいよ、学会の幕が開く。




