第十二話「いざ、合宿発表」
そうして、七人が集まったところで、合宿先での桜小路会が開催された。
「匠、美咲、大丈夫? 原稿できてる?」
「一応な」
「なんとかね」
最終日に発表できる分の原稿は準備してある。打ち合わせも合宿前に桜小路先生と三人で行っている。
「みんなは?」
「課題でいっぱいいっぱい。でも、やるだけはやった」
「みんな疲れてるわね」
「当たり前よ。百花姉様も疲れてるでしょ?」
「うーん、疲れてるのは確かだけど、やらなきゃいけないことだし、仕方ないよねって感じ」
「さすが、百花姉様。強い」
「そう?」
「祐樹は発表も終わったし、後は発表を聞くだけ?」
「そう言うなよ。俺も、今日の発表で相当堪えたぞ」
「とりあえず、みんなで乗り切ろう、残りの合宿」
「がんばるぞー!」
「おー!」
桜小路会というより、何かの集会のような形になってしまった。
そうしているうちに、早希が「あ、もう室長会議の時間だよ! 行かないと!」ということで、私以外は桜小路先生の部屋へ向かった。
私は室長ではないため、会議に出る必要はない。一人、部屋に戻った。
およそ十分ぐらいしてからだろうか。早希と百花が室長会議より戻ってきた。
「明日の朝も七時起床、また軽く掃除して、地理科の発表と公民科の発表ね。今日は運動して体も疲れてるから、ちゃんと寝て体調を整えるんだよ。今のところで、体調の悪い人とかいない?」
そのタイミングで百花が全員の顔を見て回る。疲れてはいるようだが、特に顔色が悪いという子はいないようだ。百花が早希にアイコンタクトで大丈夫だと伝える。
「じゃあ、消灯。おやすみなさい」
今日はこれと言った話し声も聞こえず、みんなすぐに寝入ってしまったようだ。
早希も、百花も、もうぐっすり眠ってしまっている。
「寝よう……」
私も寝ることにした。
「さき、美咲……」
「ん……?」
誰かに呼ばれたような気がした。とはいえ、誰も起きている様子はない。隣で寝ている百花が起こした様子もない。
「夢……?」
そういえば、低い声のような気がした。この部屋に男の人がいるはずがない。女子部屋だ。
「そういえば、合宿に来てから全く渉に連絡取ってないな……」
時計を見ると、すでに日付が変わっていた。やけに蒸し暑い。
トイレに行くついでに、渉にメールを打って、一口水分をとっておこう。
寝ている子たちの邪魔にならないように、飲み物とタオル、携帯を持って部屋を出る。
トイレに行き、水分をとってから渉にメールを打とう、と思って広間に出る。
そこには先客がいた。一心にメールを打つ、匠の姿だった。
「匠」
「わあっ! びっくりした! みさみさか、桜小路だったらどうしようかと思ったぜ」
「メール?」
「ああ。みさみさも、携帯持ってるあたり、同じこと考えてるんだろうけどな」
「当たり。夢だったのかなあ、呼ばれた気がしたんだ」
「夢で呼ばれるか、ロマンチックだな」
「匠は、メール?」
「ああ、時間も時間だし、短時間だけどな。みさみさは?」
「私も、ちょっとだけメール打ってまた寝ようと思って」
「もう少し、もう少しで会えるのに、もどかしいよな」
「私はまだ会えるかは分からないけど、連絡はできるようになるね」
「恋心って、こんなに辛いものなんだな。これまで女子の話を話半分で聞いてたのが、今になって自分の身に降りかかってくるとはな……」
「さくらちゃんにも、そういう気持ちを感じたことなかったの?」
「そうなんだ。俺がこんなに一方的に、誰かに強い恋心を抱くのは、初めてだからさ……」
「でも、安藤くんもそれを受け止めてくれているんだよね? それは、幸せだよ。何にも変えられない幸せ……」
「ああ、俺もそう思う。この幸せを精一杯噛み締めて、毎日乗り切っていかないとな。一緒の学部に行く約束だし」
「それも羨ましいよ。私たちはどうしても同じ学校には行けないから……」
「でも、お互い信じあっているんだろ? それがあれば、乗り越えられると思うぞ。これまでもたくさんのことを乗り越えてきたんだからな、みさみさ達は」
「うん、そう信じてる」
「帰って早く会いたいな、智也に」
「あと二日だよ、頑張れ」
「さて、みさみさもメール打つんだろ? あまり遅くなるのも明日以降に響くし、そろそろ寝たほうがいいだろう。桜小路にバレたらそれこそ大目玉だ」
「そうだね、早く戻らないと」
私は渉に簡潔にメールを打つと、匠と部屋へ戻った。
「誰にも見られてないよな?」
「たぶん」
「じゃあ、また明日な。おやすみ、みさみさ」
「おやすみ、匠」
夜中に起きてしまったせいか、やはり翌朝は眠気が残ってしまった。
まずい。発表中に寝てしまうという失態などを犯してしまってはたまらない。
今日は一日中発表なのだ。とにかく、気合を入れるしかない。
朝食後、研修棟に移動し、午前中は地理科の発表。仮入部の一年生からリーダーの麻衣子まで、午前中に一気に発表を行う。
発表を聞いていて驚いた。麻衣子の発表が、「高等学校における地形の教育ーー特殊地形におけるフィールドワークーー」という、まさに高等学校向けの指導案を持ってきたからだ。
麻衣子、確かに地形の研究はしてた。去年も同様の研究をしてた。それを、高等学校の授業形式にしていたとは。驚いた。まさに、私たちのやっている指導案作りに似ている。
「特殊地形は全国のあちこちにある。それを授業で、フィールドワークという形式で行うのは数としても限界があるだろうな。体感することは、子どもたちの実感に残りやすいが、リスクも伴うことも忘れてはいけない」
私はすっかり目を覚まし、発表後の麻衣子に声をかけた。
「麻衣子、いつからこんな形の研究にしてたの?」
「うーん、指導案を考え出したのは、夏休みに入ってからかな。夏休み前の桜小路先生の面談で進路希望の話をした時に、じゃあ、研究の方向をこうしたらどうだって言われて。フィールドワークに関しては先輩たちの研究もあるし」
「私たちも、ほとんど同時期に高校生向けの指導案を作り出したの。まあ、指導案にならなかったけど。だから、麻衣子がこれだけの研究を進めてるの知って、びっくりしちゃった」
「それね。それも、桜小路先生から聞いた。でも、指導案を研究していたのは匠が早かったし、中身は美咲の研究テーマとほとんど一緒でしょ?
美咲は私が学会の共同研究者になるべきだったんじゃないかって言いたい顔してるけど、桜小路先生は水野くんがふさわしいって言ってたわ。そして、私に勉強のため、学会に聞きに来いって。当然、欠席扱いにはしないからって」
「そうなの?」
「美咲には、お目付役が必要でしょ? その目的もあるみたい」
「なんで、桜小路先生は最終的に、共同研究者に、私と匠がふさわしいって判断したのかな?」
「うーん、私が進路を決断したのが遅かったのもあるからかな。匠は一年の頃から将来は先生になりたいって言ってたし。私が進路と将来の希望をきちんと決めたの、夏休み前の面談だったから」
「で、麻衣子の将来の希望って?」
「恥ずかしいな……高校の社会の先生。桜小路先生みたいに、何でも教えられるみたいな」
「そっか。いいじゃん、麻衣子。もし、もっと早くその希望が決まってたら、麻衣子と一緒に研究してたのかな?」
「それは分からない。桜小路先生も、もう少しタイミングが早かったら私を共同研究者に入れたかったみたいだし。それも、来年以降の課題にしないとな、って言ってた」
「そうだったんだね、ありがとう麻衣子」
「美咲、麻衣子、お昼ご飯食べようよー」百花が呼ぶ。
「うん、今行く!」
午後は公民科の発表。去年はここが私は緊張のピークだった。
公民科も仮入部の一年生からリーダーの早希まで、一気に発表を進める。
そういえば、百花は去年からどういうふうに研究を変えたのだろう。
「私はこの街の商店街再生に関するNPO団体の立ち上げから、その運営の補助を行っています。……」
百花はこの忙しい中、NPO団体の立ち上げに関わり、その運営にまで関わっていたのか。「疲れるけど、やらなきゃいけないことだし、仕方ない」と涼しげな顔で言っていたが、周りの倍以上のことをしていたのか……驚きを隠せなかった。
「立ち上げに関して、どのようなことが印象に残りましたか?」「特に自分が主導となって行ったことなどがありましたか?」と桜小路先生の質問も趣旨が変わる。自分が主導となって行ったことはないが、たくさんの経営者に会って話を聞いたことが印象に残った、と言っていた。
優の発表は、「複式簿記の企業における単式簿記への優越性」というちょっと聞いただけではちんぷんかんぷんになりそうな発表だった。
なんと、今年の六月に優は日商簿記三級に合格し、あわよくば十一月には二級に挑戦したいとのことだ。もちろん、企業で使用されている形式がよく使われているお小遣い帳と違う形式であること、複式簿記を開発した学者の先生の研究を踏まえた上で、どうしてお小遣い帳のように企業の帳簿は簡単にいかないのか、ということを報告していた。
「企業の取引は多岐に渡る。それを一つの帳簿で記録していたらとんでもない混乱を生じる。ただ、もしそれをうまくまとめる方法を見つけ出せたら、その先生も驚かれるだろうな」と桜小路先生はまとめていた。
そして、リーダー早希の発表。「高齢者福祉施設における身体拘束ゼロ宣言とその後」というテーマだった。しばらく迷走していた早希のテーマも、高齢者福祉へ一本化されたようだ。
「高齢者福祉施設の身体拘束全廃宣言は、かなり新しい考えに入る。しかし、それを実現するのは難しいというのが現状だ。憲法に心身の自由が保障されているが、それは同時に公共の福祉という制限も受ける。管理という考えを外れ、高齢者そのものの人権を保障できる、それには福祉に関わる人員とその教育も重要だがな」という桜小路先生の言葉で、全員の発表が終了した。私と匠、そして桜小路先生の発表と質疑応答を残して。
夕食後、私は二度目の発表、かつ匠と桜小路先生がついているとはいえ、緊張が始まってしまった。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、桜小路先生が「中村さん、ちょっと」と部屋へ私を呼びにきた。
「はい」と答えて桜小路先生の部屋へ向かうと、そこには匠がいた。資料も持参している。
私は慌てて「すみません、資料持ってきます」と言って自分の部屋へ戻り、資料と筆記用具を持ってきた。
「じゃあ、明日の発表の打ち合わせを始めよう。で、どっちがメインで発表するんだ?」
無言の時間が続く。そういえばそれすら決めていなかった。
「じゃあ、中村さん、前半の模擬裁判に入るところまでの軽い説明をお願いしようかな。模擬裁判のところは、水野くんにお願いしよう。質疑応答は、基本的に私が対応する」
役割分担が決まり、私はどのような説明をし、どのように匠につなげばいいかを考えた。今回は読み上げでは対応できない。それは同時にアドリブも効かせられるのかとも思ったが、不器用な私は事前に考えておく方がいいだろうと思った。
「そうですね、まず、なぜ模擬裁判を授業に用いることにしたかを説明しようと思います。そして、テーマ選定、実際の裁判傍聴まで説明して水野くんにつなぎたいと思います」
「じゃあ、俺は、この原稿の説明をする、ということでいいですか?」
「そうだね、本番に近い状態にするため、例年通り原稿をプレゼンテーションソフトにしておいた。パソコンも私のものだが、準備している。プロジェクターも借りる手続きをしているから、明日の発表前に事務室に取りに行ってもらいたい」
「分かりました」
「じゃあ、打ち合わせはここまでだ。水野くん、ちょっと早いが室長会議をしようと思うが、みんな戻ってきているかな?」
「一通り全部の部屋回ってきますね」
匠はそう言って桜小路先生の部屋を出て行った。
私も資料と筆記用具を仕舞い、部屋に戻ろうとする。桜小路先生が呼び止めた。
「中村さん、この発表、成功させような」
「はい」
「水野くんにも後で伝える予定だが、後期補習まで打ち合わせは休みだ。その間に課題を進めてもらいたい、と言いたいところだが、一日、いや、半日でいい、軽い打ち上げをしよう。学校の私の部屋で、ゆったりと茶飲み話でもしようじゃないか」
「はいっ!」
「じゃあ、今日も早く休むようにな」
「はい、失礼します」
入れ替わりで匠が室長たちを連れて戻って来た。少し早いが、就寝前の室長会議を済ませ、消灯となる。
今夜は、誰にも起こされることなく、朝を迎えた。
翌朝。とうとう発表の朝を迎えた。
今日合宿所を退所するため、今日は念入りに掃除を行い、布団もきちんとたたみ、シーツ等はリネン室へ返却する。
みんな発表が済んでいるため、今日はもう帰る気分の子、質疑応答を楽しみにしている子、それぞれだ。
「みさみさ、プロジェクター取りに行こう」
「うん」
匠と事務室へ向かう。桜小路先生の名前で予約をしてあるプロジェクターを受け取り、研修棟に移動した。そこではすでにスクリーンとパソコンを用意し、プロジェクターを今かと待っている桜小路先生がいた。
プロジェクターとパソコンを接続し、きちんと表示されることを確認してから原稿を配布する。そして、とうとう私たちの発表の開始だ。
「裁判員制度の考察ーー模擬裁判の導入を用いた授業例よりーー」
そうタイトルされた原稿には、まだ模擬裁判の概要を記載したものしか書いていない。
「発表を、始めます。原稿の発表前に、この研究に至った概要を説明したいと思います」
私はこれまでの研究を大まかに説明し、なぜ模擬裁判を導入しようと思ったか、なぜこのテーマを選定したかを説明した。ここで発表は匠にバトンタッチ。あとは原稿内容の発表だ。
私はパソコンを操作する側に回り、匠の説明に合わせてページめくりをしていく。
「……以上です。質疑をお願いします」
「この模擬裁判を、実際に実施する予定はあるのですか?」
ここで発表者、いや応答者が桜小路先生に代わる。
「三年一組での実施を予定しています。ただ、もう少し形が整ってからなので、九月中旬から十月上旬を考えています」
「なぜ高等学校を選んだのですか?」
「中学校の社会科公民と高等学校の公民科現代社会、どちらがふさわしいかを考慮しました。裁判員に選定されるのは、二十歳以上、選挙人名簿に登録されることが前提です。そう考えると、より年代の近い、高等学校公民科現代社会での実施がふさわしいのではないかと考えたのです」
「裁判員をグループにされた理由は?」
「なるべく多くの生徒に裁判員を体感してほしいこと、評議を実際の九人だけで行う前に、グループで話し合いをすることにより、より多くの意見を引き出せることがメリットとしてあげられると思い、裁判員をグループとしました」
「くじ引きで被告人、検察官等の役割に振り分けられた生徒は裁判員としての体験ができないのでは?」
「複数回模擬裁判をできればその問題もくじ引きの工夫で解消できるのですが、一度のみの模擬裁判になると難しい。評議に混ざることができるようにするなど、出来るだけそのような生徒も参加できるような工夫をこれからしていきたいと思います」
そして、今年の合宿のすべての発表が終了した。
私は家に帰ると、まず渉に「合宿、終わったよ」というメールを打った。
帰宅した時間も夕方という微妙な時間帯だ。電話をしてすぐに出られる状況ではないかもしれないかもしれない。合宿二日目の夜のメールも返信は朝だった。さすがに送った時間が夜中すぎただろうか。
それから、お母さんに「しばらく寝る」と言い残し、寝室へと向かった。
お母さんは夕食の準備をしていたが、私は食べるよりも今は眠りたかった。
どのくらい寝ただろうか。目が覚めた頃、お母さんが「晩ご飯、食べる?」と言いに寝室へ入ってきた。
「うん、食べる」と言い、布団から出て台所へ向かう。
今日の晩御飯はナスの煮物と焼いたアジだった。
「合宿、疲れたでしょ。どうだった? 体調崩したりしなかった?」
「うん、今年は大丈夫だった。発表も、去年みたいに一人じゃなかったからかな、そんなにひどく緊張しなくてできたよ」
「しばらくは学校も行かなくていいんでしょ?」
「うん、基本的にはね」
「基本的に?」
「先生が、一日、いや半日でいいから、合宿の発表の打ち上げを三人で学校でしようって。だからちょっと学校に行くことにはなるかも」
「課題もあるのに、忙しいわね。無理しないようにしなさいよ」
「はあい」
夕食後、渉から数回の着信が入っていた。あわててかけ直す。
「おお、美咲。合宿お疲れ様。発表、うまく行ったか? 体調崩さなかったか?」
「体調も崩さなかったし、発表もまあまあうまく行ったよ。ごめんね、この前は夜中にメール送っちゃって」
「ああ、あれな。あれ、あの時勉強してて起きてはいたんだけど、意識がギリギリだったんだ。美咲からメールが来た、ってところまでの記憶はあるんだけど、返信した記憶がない。気づいたら机の上で、空は明るかったよ。寝ちまってたんだな。手にはメールの画面だった。あわてて返信して、あんな時間になっちまった」
「渉も、頑張ってるんだね」
「夏が勝負だしな」
「私も残ってる課題、頑張らないと」
「お互い、頑張ろうな」
合宿終了後、私は残された夏の友を必死で片付けることに専念した。
文系科目は比較的早く片付いたが、理系科目は優子お姉ちゃんの参考書を引っ張り出したり、最後の手段と思いながらお母さんに昔の記憶を思い出してもらいながら解いたり、ずいぶん手を焼く。
しかし、学校に行く必要がなく、一日中夏の友と格闘できるため、今までよりはかなり進んだ。
そして、夏の友ももう一息、と言ったところで、匠からメールが来た。
「明後日の午後一時、部室に集合。桜小路の言ってた、合宿の小打ち上げをやるらしい」
アドレスを見てみたが、一斉送信の様子はない。本当に三人でやるのか、行って見たら桜小路会メンバーが勢揃いしているのか。まあ、とにかく明後日の午後一時、部室に行ってみよう。
「了解」
そのため、次の日は課題をできる限り進めておいた。もうすぐ後期補習も開始する。
真夏も過ぎたとはいえ、午後一時は目眩がしそうな暑さだ。お母さんが送ってくれるということだったので、お願いすることにした。
部室に着くと、やはりそこにいたのは匠のみだった。桜小路先生が着くのを待っているらしい。
「どうせ、部屋の前で待ってても暑いだけだからな」
「桜小路先生はまだ着いてないの?」
「ああ、いつもの通り、五分後行動だ」
授業は時間通りに開始するが、その他は必ず五分ぐらい遅れて現れる。それが桜小路先生だった。
「ああ、遅くなって悪い。こっちの部屋が涼しくなるまで、この部屋で待っていてくれ」
桜小路先生がようやく到着した。
それから桜小路先生の部屋に呼ばれるまでおよそ五分。着いてすぐ冷房を最強にしたのだろう、少し寒いくらいに冷えている。
「まあ、座って。はい、水羊羹に、麦茶。おお、そうだ、うちでぶどうをもらったから、少しいただいてきた」
そう言って、水道でざっとぶどうを洗うと皿もさっと洗い、盛り付けて出してくれた。
「いただきます」
「合宿の発表、ご苦労様だった。まだこれから忙しくなるが、ひとまず甘いもので疲れを癒してくれ」
しっかりした餡の重みのある水羊羹、みずみずしいぶどう、そしてよく冷えた、普通と違う味付けの麦茶。なんだろう、イチゴ味がする……
「この麦茶、部室のお茶のブランドの麦茶だ。イチゴ麦茶っていうのが珍しく、買ってしまった。味はどうだ?」
「甘くて、でもさっぱりして、美味しいです」
「不思議な感じですけど、これもこれでいいですね」
「そうか、ならよかった。どうだ、課題は進んでるか?」
「ええ、おかげさまで」
「何とか進められてます」
「提出物も大切だからな。もう少しは休みだ、今は学会発表のことは置いておいて、課題に専念してくれ」
「はい」
「今日伝えたかったのはそれだけだ。もう少しこの部屋で涼んでいくといいし、課題があるなら帰宅しても構わないぞ。麦茶しかないがな」
「今帰るのは暑いな。もう少し涼ませてもらいます」
「私もそうします」
そうして、私たちは雑談をしながら桜小路先生が仕事をしているのを眺め、帰宅したのは午後三時半ごろだった。
「今日、お母さんに送ってもらったから」
「暑いからな」
「匠も、気をつけて帰ってね」
「ああ、また後期補習でな」
「またね」
お母さんが迎えにきたのを見届けると、匠も自転車に乗って帰って行った。
そして、後期補習が始まった。それは同時に桜小路先生と匠との打ち合わせが再開されるということだ。しかし、もうほぼ夏の友は片付いている。前期補習よりはるかに楽だ。
補習の後は桜小路先生と匠との打ち合わせ。合宿での発表を活かして、クラス全員が裁判員の体験をできる方法、模擬裁判を指導案として作り直す作業を行っていく。
「桜小路先生、福田さんを共同研究者にしなかったのはどうしてですか? 俺より、よほど高校向けの授業を作ってたのに」
「タイミングだ。福田さんが高校向けの指導案の研究を始めたのは、夏休みの直前だった。そのタイミングで、彼女を共同研究者に指名するのは彼女にも負担をかけると考えた。
ようやく彼女の考えが固まったばかりだからな。ただ、またこのようなパターンがあれば、追加で共同研究者を増やすこともあるかもしれない。しかし、彼女は短期間でいい研究をしていた。彼女には後学のため、そして中村さんの安全のため、学会についてきてもらう予定でいる。ホテルは中村さんと同室で取ってあるから、安心していいぞ」
麻衣子の言ったこととあまり変わりはない。桜小路先生は本当にそのように考えていたのだろう。
そして、後期補習も終わりがけに、フライング的に夏の友は回収された。
本当に、集中的に夏の友に取り組む時間があって、よかった。
そして、杉谷高校でも体育祭が無事に終わったという話を渉から来き、私たちも本格的に二学期が始まるのであった。




