表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第三章 「風」
31/81

第七話 「結審」


池田先生は、真理先生を連れて、たくさんの書類を抱えて玄関の前に立っていた。

「お邪魔致します」そう言って二人ともうちに上がる。

お母さんが二人分のお茶を応接間に出し、私にも応接間に来るように言った。


「失礼します」緊張しながら応接間に入る。私の分のお茶を持って、お母さんも応接間に入ってきた。

「ご無沙汰してしまいまして、申し訳ございません。お母様より、美咲さんが学校への通学を再開されたとのことで、直接の連絡を今日まで控えさせていただきました。

本日、原香奈子さんの審判が終了いたしましたので、ご報告に参りました。お母様には各回ごとにご連絡とご報告を差し上げておりましたが」

「で、判決は……」

「少年事件の場合、判決と言うより、保護処分と呼ぶべきですね。その前に、こちらが、今回の事件に関する、私達が入手できた記録です。部分的ではありますが、それでももしかしたら衝撃が大きくてご気分を害されることがあるかもしれません。

医学的なことは私はよく分からないのですが、この資料をご覧になることがきっかけで、記憶が蘇るということもあるかもしれません。しかし、これをご報告しない限りは、私たちの仕事は未完成です。もし、ご気分が悪くなられたら、すぐに申し出て下さい」

真理先生も真剣な表情で私たちを見つめている。何かあったら、私が助けるから、という目で見つめている。

「分かりました。その資料を、拝見させて下さい」

池田先生は資料の束を私に渡した。お母さんは全て知っているから、という顔で、私が資料を読み進めるのを見つめている。

衝撃といえば、衝撃だった。ただ、私の記憶はやはり蘇らない。

「美咲、大丈夫?」

「うん、私は大丈夫」

私はあの日、バスを降りたところで傘で頭を殴られ、転んだところを包丁で刺され、気がついた近所の人やお母さん、そして渉に助けてもらったんだ……

そして、もう一度読み返したその時、私の手が止まった。ゾクリとした感覚を覚えた。

「気がついたかい?」

「私の名前は、中村美咲です……大谷美咲じゃありません……」

「そう……彼女は、事件の時もそう言っていたそうだし、その後の審判でもあなたのことを大谷美咲と呼んでいたそうです。誰が何度訂正しても。

私は、審判開始前に、あなたと大谷さん、中村陽子さんの意見を告げた際、私の意見として、あくまで私の意見としてですが、彼女への精神鑑定を、と加えました。もちろん、意見ですから、強制力はありません。

しかし、審判でも、彼女への精神鑑定を要請されました。その結果、神経症、中度の人格障害という結果でした。要は、刑法三十九条に該当する、精神を喪失していたり、心神耗弱ではないということです。しかし、神経症や人格障害の治療をしながら矯正を行うべき、ということで医療少年院への送致が決定しました。

それが今日のことです。もしかしたら、どこかのマスコミがかぎつけて報道するかもしれない。第一報を他のマスコミが知らせるより先に、依頼を受けた私たちが説明しておくほうが道義というものだと思いました」

「医療少年院……?」

「医療少年院とは、精神的、身体的な疾病を治療しながら、社会生活へ復帰できるように矯正を行う施設です。関東医療少年院と京都医療少年院に関しては、診療科も医師もしっかり整っておりますし、病院の一種とみなして頂いて構いません」

「どこに、どのくらい、入るんですか?」

「場所は……京都医療少年院。期間は、彼女次第です。少年院法で二十歳になると少年院を退院させないといけないという決まりがあります。しかし、治療の進みぐあいではそれが延びることもあります」

「それを知る方法は、あるのですか?」

「おおむね六ヶ月ごとに私たちのところに通知が届くように手続きを致しました。これはお母様にご了承を頂いてのことです」

「分かりました。今日は、ありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ突然で申し訳ありませんでした」

真理先生も一緒に頭を下げる。真理先生は、どのような気持ちでいるのだろうか……。


私は池田先生と真理先生が帰られた後、お母さんの心配を振り切って部屋に閉じこもった。

ひたすら、インターネットを使って医療少年院について調べた。

自分でも知らない分野に、とにかく知りたい、調べたい一心で様々なサイトを調べた。

夕陽の差し込んでいた窓は、あっという間に暗くなり、右下の時計は21:05と表示していた。

「あ……」

すっかり時間が経ってしまった。夕食どころではない。私はきまりが悪かったが、ひとまず台所へと降りて行った。

「美咲、何か食べる?」

「お母さん、ご飯は?」

「美咲が食べる様子ないんだもの。私もちょっと疲れちゃったし、お父さんは今夜は飲み会だって」

「私、何か作るよ。お母さん、休んでて」

「いいの? 美咲のほうが疲れてるんじゃない?」

「簡単なものなら、杉谷で調理実習で作ったから。陽子と」

私は冷蔵庫を見て、玉子丼とトマトサラダを作ろうと思い、卵とタマネギ、トマトにドレッシングを出した。本当に簡単だが、私もあまり料理は得意ではない。

お母さんは最初は心配そうに私を見ていたが、いつの間にか食卓でうつらうつらし始めた。お母さんを起こさないように、静かに、そして手順を思い出しながら二人分の玉子丼とトマトサラダを作った。

時間はすでに夜の十時近かった。


「うん! 美味しい! 美咲にご飯作ってもらったの、久しぶり」

「美味しい? よかった」

「美咲もちゃんと食べて。また明日も学校行くんでしょ?」

「もちろん」

「じゃあ、なおさら、ちゃんと食べないと。私が送って行ってもいいのよ?」

「大丈夫、もう自転車も慣れたし」

自転車での帰り道、匠の智也との話を聞くのが最近の私の楽しみだった。

「ごちそうさまでした」

「美咲、お風呂入ったらもう今日は寝なさい。顔が疲れてるわよ」

確かに、少し頭痛がする。

「うん、そうする……」

私はなんとかお風呂に入り、上がるとすぐに布団に入った。すでに、台所はきれいに片付けられていた。


翌日、私は渉と陽子にメールを打った。池田先生に言われたことを簡潔にまとめて。

渉は私のことを心配してか、話を聞きに家までやってきた。

「うちも、知らないうちに親父とお袋が池田先生から話を聞いていたらしい。時期が時期だから、俺に話すタイミングを見計らっていたようなんだが」

「じゃあ、うちに来る前か後かぐらいだね、池田先生が渉の家に行ったのは」

「医療少年院……か」

「さすがにあの子の誕生日まではわからないから、二十歳になるのがいつかはわからないけど、とりあえず原則は二十歳までなんだって、少年院にいる期間っていうのは」

「それからはどうなるんだ?」

「治療の進み具合で、二十歳になっても必ずしも退院するわけでもないみたい。今のような状態が改善されていかなければ、最長で二十六歳までいることができるらしいよ」

「そうなのか……。あいつ、三学期になると誰とも話さないで、本当に一人でブツブツ何か言ってたような感じだったんだよな。周りも気持ち悪がってて、話しかけるやつもいなかった……」

「その頃は、もう私のことについて悪口を言いふらしてなかったの?」

「俺の知る範囲では、聞かなかったな。本当に、それまでの行動に比べれば、不気味なくらいだった」

「そうだったんだ……」

「とにかく、お前には迷惑をかけた。申し訳ない」

「渉も被害者だよ。怪我したんだし」

「俺が、お前を、守るからな。俺の命をかけてでも」

「ありがとう、嬉しいよ、渉」


陽子からは、真理先生から連絡があったとの前置きがあったが、私のことを心配した長いメールが届いた。私はもう自力で学校へ行き、そして部活で友人と発表の共同代表に選ばれたことも話した。

陽子は「大丈夫、無理してない?」と返信をくれたが、「他の友達にも協力をしてもらえてるから、大丈夫だよ」と返信した。


優子お姉ちゃんが知らせを受けて家に帰ってきて、池田先生の置いて行った資料のコピーを読み、お母さんからの説明を聞いていた。

「似たような例があったわね、以前に。医療少年院に入って、長期に渡って治療を受けた未成年の子が。しっかり、あの子にもきちんと治療を受けて、罪を理解してそれを償って、社会復帰をして欲しいものね。本心を言ってしまえば、同じ目に合わせてやりたいって思うのだけど」

「優子、それは日本じゃ認められない考えだぞ」お父さんがたしなめるが、顔はあの子への怒りを含んだ表情をしている。

「分かっているわよ。言って見ただけよ。でも、それが人間の本性じゃないの……!」優子お姉ちゃんは涙声になっている。

「優子。落ち着きなさい。そういう考えをしちゃ、不幸なことが続くだけ……」お母さんも必死で止める。

「優子お姉ちゃん、私はこれで納得してるから。池田先生に、私たちの意見を伝えて頂いて、その意見が反映されただけで、私は十分だから、だから……」

「美咲、あんたは大人ね。私より。私なら、許せない……」優子お姉ちゃんはポロポロと涙を流し始めた。

みんな、誰も、何も言えずにいた。

「私、明日も実習だから、帰る。ごめん、美咲、お父さん、お母さん」

「気をつけて戻るのよ」

「うん、気をつける」

すでにあたりはとっくに暗くなっている。優子お姉ちゃんはタクシーを拾ってマンションへ帰って行った。


ひととおり関係者に報告が済んだところで、私には次なる課題が待っていた。

桜小路先生の書きかけの論文だけでも、かなりの量がある。文章を読むのはいいが、これまでに見たことのないものが論文に含まれていた。

「学習指導案……?」

表のようになっていて、縦軸に時間と、横枠に授業内容、学習のねらいとに分けられている。

少なくとも、これまでの授業では見たことがない。自分で調べていた資料の中にも学習指導案に触れたものはなかった。

読んでみれば何となくわからなくはないが、独学でこれでいいのかの自信はない。

「そうだ、お父さんに聞いてみよう」

お父さんも長いこと学校現場から離れているようだが、高校の社会科の教員である。今は高校の社会科は地理科・歴史科と公民科に分かれたんだと言っていたが、どちらも教えられるだろう。

この学習指導案も高等学校の生徒を対象としている。お父さんに尋ねてみるのが一番のような気がする。


「どうした、美咲」

「お父さん、学習指導案について聞きたいんだけど」

「急にどうした? まさか、教育学部に志望を変更するか? でも、この段階で学習指導案を知っておくのはちょっと早すぎるぞ」

「お父さん、落ち着いて話を聞いてよ。誰も、教育学部を受けるなんて言ってないよ。ただ、学習指導案について聞きたいだけだよ」

「何かあるのか?」

「うーん、今年の学会で、同級生と共同代表で発表することになったんだよ。その資料を読んでたんだけど、学習指導案が出てきて、見たこともないからさ、お父さんなら分かるかな、と思って」

「お前がか? 学会って、全国的な学会か? お前……それ、本当か? 騙されてないよな?」

「騙されては……ないと思う。先生からの正式な要請もあったし、公式な発表もあったし」

「たった一年で、そんな場にお前を立たせるんだな、あの学校は……スパルタというか、お前は相当見込まれたというか……あ、学習指導案のことだったな。それ、見せてもらっていいか?」

「私も驚いたけど、顧問の先生の今年の研究テーマが私のやってる研究と同じだったからみたい」

「桜小路……先生だったか。毎年自分の学校の生徒と共同研究されてるんだよな」

「お父さんは学会に出たことはないの?」

「大学院生の時に、ゼミの義務で発表させられた。懐かしいな」

「へえ!」

「でも、学会っていろいろあるからな。一つじゃないからな。桜小路先生はあれこれの学会に参加されているようだけど」

そう言いながら、父親は手元の桜小路先生の論文の学習指導案を見る。

「ふむ、桜小路先生はこんな指導案の書き方されるんだな……」

まじまじと眺めながら、感心したようにため息をつく。

「現役で生徒に教えながら、これだけの攻めの研究ができるとは、大した先生だな、桜小路先生は……」

とりあえず、お父さんが感心し切ったところで、私はどのようなきまりで指導案を書くのかを聞いてみた。

「きまりか……しばらく書いていないからポイントを忘れてしまったな」

そう言って、かつての自分の書いた学習指導案を持ってきた。

「研究発表で書いた指導案ならあるが、参考になるか……?」

桜小路先生の指導案と合わせて、お父さんの指導案も読んで行く。どうも、自分の考えていた読み方で間違いはなかったらしい。

「こんなの、どうやったら書けるの?」

「やっぱり、慣れだな。教育実習に行けば絶対書かされるし、それまで授業で書かされた。でも、やっぱり研究発表用の指導案は何度も書き直したな」

「難しい?」

「お前は書けるようになる必要はないと思うぞ。今の目標を変えないのならな。教員を目指さない限り、書く必要はないものだ」

「とりあえず、教員を目指す子と一緒に発表することになってるんだけど」

「その子の方が詳しいかもしれないぞ。まだ若いし、頭も柔らかいしな。すまない、これぐらいしか教えてやれなくて」


ひとまず、ざっと桜小路先生の論文には目を通した。

桜小路先生の私への最初の課題は、ここまで書いている論文に私の目から見て間違いがないか、さらに追加できる点がないかを点検することだった。

大まかに見て間違っていると思えるところはないが、これにさらに何を追加すればいいか。高校生の公民科、私たちの授業科目でいうならば現代社会だろうか。そのレベルに何を追加できるだろうか。細かいところを追加しても眠くなるだけだし、現在の裁判員制度の問題をいきなり提起しても高校生は幻滅してしまうだろう。

桜小路先生の学習指導案には模擬裁判も含まれていたが、その内容を充実させることだろうか。

匠の研究は歴史、特に小学校の高学年対象だ。匠も悩んでいるだろう。

一度、二人で内容をきちんと詰めてから桜小路先生にレポートを出した方がいいな、と考えた。


桜小路先生に提出するレポートは、桜小路先生の共同研究者として指名されて以降、そのテーマを提出することになっていた。桜小路先生には五月分まではレポートの提出を求められていなかったが、こういう事態だ。何らかのレポートを提出せざるを得まい。


そんな五月の半ば、桜小路先生に珍しく教室で呼び止められた。

「中村さん、三者面談をしたいのだが、いいよな?」

「いつでしょうか?」

「来週の水曜日でどうだろうか。保護者の方によろしく」

「わかりました」

そういえば、春休みに三者面談を予定されていたのだった。それが、あの事件で……。


翌週の水曜日。

お母さんが御勢学園大学教育学部附属高等学校へ来るのは転入手続き以来だ。

お母さんは病院で桜小路先生に会ってはいるものの、こうして三者面談の形で会うと緊張する。

事件の以後の話、体調の話とひととおりきたところで、桜小路先生は大事なことを切り出した。

「美咲さん、進路希望の変更など、考えたりしてはいませんか?」

「いいえ、全く」

「そうですか」

「これが今回の一番大切な話なのですが、この学校の評価は各学期の期末考査に提出物、出席日数で決まります。

美咲さんは、今回の件で出席日数が不利になってしまったため、現行のまま御勢学園大学法学部への内部進学を希望されるならば、一学期の期末考査と二学期の最終考査で一定の成績が必要です。そうですね、各科目五十点を切ると厳しいです。それともう提出物、出席日数は落とせませんね。

ただ、そのような中でも、苦手な科目を克服しようとするところ、私の学会発表の共同発表者を引き受けてくれた点、まだ万全な身体でないだろうに自力で登校しようとする姿勢、それらの点は賞賛に値します。

だからこそです。私たちも美咲さんの目標を精一杯バックアップしたい。そう考えています」

「美咲は、学校ではどのような様子ですか?」

「私たちも驚くほどに、この学校へ馴染むのがスムーズでした。友人をたくさん作り、毎日楽しそうに過ごされています。クラス替えがないのがいいのでしょうか、学校へ戻られてからも以前と変わらない関係を保たれています。

社会部でも、後輩の面倒見のいい先輩です。会計係の仕事に限らず、自分ができることを精一杯頑張る子、という感じですね」


三者面談終了後、私はお母さんに、「頑張らないとね、自分の夢なんだし」と言われた。

それから、レポートと学期末考査に向けての猛勉強が始まるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ