第八話 「胸騒ぎ」
セミの鳴き声がツクツクボウシに変わる頃。
私たちは残る夏の友の片付けに追われていた。
後期補習が始まる前に祐樹の家で合宿以降、自分で進めていた分をみんなで補完して行く集まりを行い、後期補習の間に、早希の家で最後の夏の友の総仕上げ会を行った。とにかく、合宿が終わってからも、走り続けた、というのにふさわしい夏だった。
九月。二学期が始まる。
私たちが渾身の力で作成した夏の友はそれぞれの科目担当の教員があっという間に回収していった。
「あんだけ頑張ったのにねえ」
「まあ、あれがそのまま成績になるんだし、仕方ないか……」
杉谷では夏休み明けに文化祭と体育祭が行われたが、この学校ではないらしい。ただひたすら通常の生活に戻るだけである。
そのような九月の頭、渉が東京土産を持ってうちに遊びに来た。こちらに戻ってきた直後に話をして、自分の出番はなかったけど、すごい泳ぎを見れて感動した、とは言っていた。
「全国大会が終わったら、すぐお土産持って遊びに来たかったんだけどな……」
「何かあったの?」
「先輩たちが引退したから、新しい部長とかを決めるので話し合いが長引いてた」
「そっか、世代交代だね。で、どういうことになったの?」
「部長は北野って奴だ」
「渉は?」
「俺は、一応副部長っていう肩書きだが、西も副部長だ。どっちかというと、あいつのほうが正式な副部長っぽい感じかな」
「一応、っていうと……?」
「俺を部長に、と推してくれた声もあったみたいなんだ。でも、俺には人をまとめたり、引っ張っていく力はない。それは自分でも分かっている。だから、俺は断った。俺は、上にいるより、裏方として自由に動き回るほうが向いていると思ってな。肩書きは本当はいらない。でも、いろいろと部長が指示するのには肩書きがあるほうが都合がいいんだと」
「やっぱり、最上級生になると大変だね……」
「中学の時はこんなに深く考えなかったのにな」
渉は中学の時は原中水泳部の部長だった。その時に、上に立つことの難しさを感じたのだろうか。
「美咲たちは?」
「先輩たちが引退するのは今年の終わりぐらいかな……。今年から入って来たあたしに何か役が来るとは思えないけど」
「お、そうだ、遅くなって悪かった、東京土産だ」
「やったあ! ありがとう!」
「気の利いたものでなくて悪いな」
渡してくれたものは、東京定番のお菓子に、東京限定のキャラクターグッズを数点だった。
「お菓子はお母さんに渡して来るね。いろいろとありがとう。どれもすっごくかわいい!」
「気に入ってくれたなら、俺も嬉しい」
私は一度お母さんにお菓子を渡すために部屋を出た。
「あら、わざわざお土産をね。申し訳ないわね」
お母さんはお茶をいれながら、お皿にお菓子を並べた。
「はい、早く持っていきなさい。お菓子、私とお父さんの分を一つずつ頂いておいたわ。お礼、伝えておいてね」
「ありがとう。持っていくね」
「渉、お菓子食べる? さっき貰ったのだけど」
「おう、ありがとう。早速で悪いな」
「美味しいね、お父さんがたまに出張で東京行く時にお土産買ってくるけど、こんなの見たことないよ」
「見た目に美味しそうでな。つい買っちゃったんだ」
「お母さんが、ありがとうって」
「いつも美咲のお父さんとお母さんにはお世話になってるしな」
二人はお菓子を食べつつ、文化祭や体育祭の話をした。
「あの学校、文化祭も体育祭もないのか? つまらない、とはいわないが、なんか、味気ないな」
「準備の手間がないのは楽だけどね」
「うちのクラスは文化祭何もするつもりないみたいだから、まあ、今は体育祭の応援練習ぐらいかな」
「来年が大変なんじゃない?」
「ああ、今先輩たちが夜中まで練習してるみたいだな。でも、来年にならないと分からないや。ごちそうさまでした。さて、そろそろ帰るとするか」
「うん、分かった。またね、渉」
「おう、また電話するよ」
「おやすみ」
「おやすみ」
翌日、登校すると桜小路先生の気まぐれな席替えが行われた。
最初の席替えより、くじ引きで席替えをするという方法は変わりがない。
今度の席はど真ん中、せめてもの救いは隣に百花がいることだった。
周りを見渡してみると、匠と智也が隣の席になっている。合宿前日の話を思い出す。匠の好意の対象は智也にも向いているのだろうか。確かに二人は仲がいい。
ふと妄想の世界に入り込んでしまっていたら、「……さき。美咲!」と百花の声がした。
「あ、ごめん、ボーッとしてて」
「何かあった?」
「ううん、何もないよ」
自分が何を考えていたかなんて、口が裂けても言うことができない。
「一時間目、音楽だよ」
「音楽室行かないとね」
「遠いよね、音楽室」
「まあ、たまには実技系の授業がないとね」
クラスすべての人間が音楽の授業を受けるわけではない。芸術科ということで、音楽・美術・書道の選択制だ。体育と同じで、芸術科も選択科目として入学してくる生徒が毎年いるわけではない。そのため、特化して部活動にするほどの数が集まらない。書道は国語科で研究している生徒もいるが、書道部として独立するほどの人数はいない。そのため、実技系の授業として芸術科の授業を楽しみにしている生徒もたくさんいる。
最近は音楽の時間はアンサンブルの練習をしている。好きな楽器を使って、好きな曲で発表会まで練習する。
私は小学校の時に吹奏楽部だったが、それ以来リコーダー以外の楽器は触っていない自分にとって非常に新鮮で、楽しい授業だった。
帰宅すると、陽子からメールが届いていた。「美咲、久しぶりに会わない? いま、文化祭と体育祭の準備であんまり忙しくないから。美咲さえよければ、ファミレスとかで話したいな」
普通の陽子のメールの文面と何か違っている。普通ならば、会うことをここまで強要する文を書く子ではない。陽子に何かあったのか。切羽詰まったものを感じた。
私は急いで返信した。「明日の夕方、五時半ぐらいなら大丈夫だよ」
本来なら直接電話して事実の確認をしたいところだが、陽子にも用事があるのかもしれない。最近、大学受験のための塾に通い出したという話をメールでしていた。もしかしたら、今電話しても塾の授業中かもしれない。
案の定、メールの返事が返って来たのはそれから三時間後だった。やはり、塾だったらしい。
「明日、五時半ね。分かった。じゃあ、杉谷の近くのファミレスでいい?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、明日ね。おやすみ」
「おやすみ」
胸騒ぎが止まらない。
どうしても落ち着かないので、渉に電話してみた。
しかし、つながらない。時間が早すぎたか。
諦めて、夕食を食べに行く。
お母さんの前では極力普通を装っていた。
部屋に戻ると、渉からの着信があっていた。
電話をしてみるが、やはりつながらない。
「タイミング悪いなあ……」
ようやく渉と連絡が取れたのは、夜もずいぶん遅くなってからであった。
「悪い、電話何度も貰っておいて……」
「もしかして……」
「俺も、塾に行かされるようになったんだよ。二年の夏が医学部の現役合格のタイムリミットだって」
「部活しながら?」
「ああ、そういうことになるな」
「忙しくなるね」
「それでも、連絡はちゃんとするよ。約束する」
「そうだ、今日、陽子から何だか切羽詰まったメールが来て、明日会うことになったけど、陽子、なにかあったの?」
「……うん? クラスが違うと流石に細かいことは分からないけど、松井が一組なんだよ。松井はそんなクラス内が荒れてるような話はしてなかったけどな」
「でも、女の子同士の話だし……心配……」
「明日、会うんだろ? その時にきちんと聞け。その前にあれこれ心配し過ぎるのはよくないぞ」
「うん……」
「明日、ちゃんと陽子から話を聞いて、それから心配しろ」
「うん、そうするよ」
「今日は遅くなっちゃったな。メシだけは食って行けたけど」
「そうだね、今日はこのくらいにしとこうか」
「ああ、じゃあな、美咲。おやすみ」
「おやすみ、渉。ありがとう」
次の日。一日中授業も頭に入らなかった。桜小路会メンバーをはじめ、えりえりや悠里、挙げ句の果ては桜小路先生まで「おい、どうした、意識あるか?」と尋ねてくる始末だ。
その度に、「え、ええ、大丈夫です」と答えていた。
授業終了後、普段は桜小路会のメンバーと部室でお茶を飲むのが定番だが、私は百花に「ごめん、今日帰るね」とだけ告げ、急いで学校を出た。
すでに時間は四時半。杉谷の近くのファミレスまで自転車でだいたい三十分くらいかかる。
出来るだけ早く着いておいて、落ち着いておきたい。
夕方のファミレスは学生服姿の学生や大学生と思われる年代の人々で溢れていた。
とりあえず店に着いたことを陽子に電話すると、陽子はすでに店内で待っていた。
「久しぶり陽子! ごめんね、待たせて」
「大丈夫! 私も今来たばっかりだから」
「で、どうしたの? なんか陽子らしくないメールだから、心配で……」
「私の心配してる場合じゃないよ! これはあんたに関する大問題なの!」
「……私の……大問題?」
「八組の原香奈子! あいつが、大谷くんの周りを最近かなりかぎまわってて、あんたの事を悪く言いふらしてたり、大谷くんのスケジュールを調べ回して待ち伏せみたいなことしてたり……流石に、大谷くんの塾の一緒のクラスには入れなかったみたいだけど。あれ、もう、ストーカーじみてるわ」
「……」
私の心配が的中した。杉谷を去り、御勢学園大学教育学部附属高等学校へ転学するということは、言ってしまえば自分の目標のために彼氏を捨てるという目で見られるのではないかと思っていた。渉の一言で私は決断したが、もし渉が「行くな」と言ったら、私はどうしただろう……
「それで、渉はどう対応してるの?」
「完全な無視。相手したら、自分の方に気があると思われるから、その手の話は完全に相手してないみたい。でも、困ってる、って事は担任の先生と顧問の先生には相談してるみたい。ああ、でもこれ松井くんからの伝え聞きなんだけどね」
「私とのことまでなんだかでっち上げられてるみたいで、合格発表を三人で一緒に見に行った話、あれ、私と二人で行ったことにされてるし」
「……」 でっちあげにも程がある。
「とりあえず、私はそういう噂を聞いたら否定してる。とにかく、今、杉谷ではそういうことになってるの。もしかしたら、あんた本人にも何かしでかしかねない勢いなのよね。そのことを伝えたかったの」
「……わざわざ、ありがとう……すごく不安だけど、渉に直接聞いてみる。そんなことになってるなんて、知らなかった……」
流石に、学校が離れてしまうと、こういう事態が発生するのか。
せめてもの救いは、渉が全く原香奈子を相手にしていないということだった。
今日はこちらから連絡する気になれなかった。
昨日とほぼ同じ時間、電話が鳴る。
「もしもし……」
「どうした? すごく暗い声してるぞ」
「どうして……教えてくれなかったの?」
「……何をだ?」
「原香奈子のこと……なんだか、私のことを悪く言いふらされたり、ありもしない事をでっち上げられたり、ストーカーまがいのことされてるって……」
「美咲に心配かけたくなかったんだ……もちろん、あいつのことはもう無視してるし、陽子が他の奴にはウソやでっち上げは訂正してる。さすがに疲れてきたから、担任と顧問には相談した」
陽子が水泳部の松井くんから伝え聞いたという内容とあまり変わりはない。
「なあ、俺、これ以上何かできるか? 学校内で白い目で見られるのももう散々だし、塾に行っても奴がいる。俺、疲れたよ……」
「もしかしたら、私の友達に、詳しい子がいるかもしれない。ちょっと聞いてみる。渉、私は渉を信じてるよ。だから、渉は、堂々としてて。間違いは、いずれ間違いだって分かるから。そして、私の信頼を裏切らないで……」
「裏切るわけないだろ。お前の友達に、詳しい人がいれば、ぜひ俺を助けるためと思って、知恵を貸してくれ。頼む……」
かなりこの件に関しては渉も参っているようだった。私は電話を切り、パソコンを開いて調べてみることにした。
原香奈子の今やっていることがストーカーにあたるのか……そして、彼女も私と同じ十七歳……少年法が関連してくるはず……
関連する法律を調べたり、実際の適用例を検索してみたりする。これは、自分一人だけでは手に負えない気がしてきた。
「明日、誰かに聞いてみよう……」
疲れがドッと襲ってきた。
翌日。昨日の疲れを引きずったまま登校した私に百花が声を掛ける。
「美咲、昨日はあんなにあわてて帰って……最近、何かあったの? 差し支えなければ、教えて?」
興味本位というより、本当に心配した様子だった。
「ちょっと……重い話になるんだけど……」
「じゃあ、ここじゃない方がいいね。後で部室でお茶でも入れるよ」
「できれば、みんなにも聞いて欲しい話……」
「遅くなるけど、放課後でいい? そしたらみんなで美咲の話、聞いてあげられると思うから」
「うん……」
「参ってるみたいね、相当」
「うん……」
「はい、どうぞ」
百花が私に差し出してくれたのは私が昔から好きだった味の飴だった。
「ありがとう」
その甘味が、ほんの少し私の心を緩めた。
放課後。昨日前の学校の友達に会って聞いた話と、それを彼氏に確認した話をする。
「うーん、とりあえず、相手は美咲と同じ歳ってことよね」
「てことは、少年法が前提か」
「話を聞く限り、名誉毀損、ストーカー規制法あたりが引っかかりそうだけどね」
「どちらにしろ、警察に訴えるのが最終手段だな」
「警察の民事不介入は、学校内にも及ぶのか?」
「ストーカー規制法は、警察の民事不介入の原則を緩めた法律だけどな」
「ああ! 相手を知ってるだけに、直接的に私たちが何かしてあげられないのが悔しい!」
早希が悔しそうに叫ぶ。
「相談するくらいなら、私たちでもできるかもよ? 現に、美咲は被害を受けている方なんだし」
「早希嬢、まず被害者はみさみさとその彼氏さんだ。俺らがみさみさの彼氏の許可なく相談とかはできないからな」
「美咲、あんた一人でもなんとか相談してみたら? あんたもれっきとした被害者なんだし」
「……って、どこ行けばいいの?」
「いきなり警察、っていうのがハードル高そうなら、法テラスっていうのは?」
「法テラス?」
「法律問題かどうか分からない問題も、電話で相談を聞いてくれて、それに応じた相談先を紹介してくれたりするところ……だったかな」
「まずは、電話だね」
みんな、自分が直接手を出せない事柄であるが、どうにか助けたいと思ってくれている。その気持ちが嬉しかった。
「まず電話なら、二人でした方がいいかもね。美咲と、彼氏さんと」
「直接行っていいなら俺らが乗り込むけどな」
「何か行動したら、私たちにも教えてね」
「俺らも話を聞いた以上、責任の一端を持ったようなものだからな」
「分かった。報告するよ」
「友達に相談したら、法テラスに二人で相談したら、って結論になった」
「法テラス?」
「法律問題かどうか分からない問題も、まず電話で相談を聞いてくれて、適切な相談先を紹介してくれるところ」
「電話だけか? 時間は?」
「平日は夜九時まで、土曜は午後五時まで」
「それなら、なんとか間に合う日がありそうだな。うーん、明日なら塾は休みだし、練習終わったら美咲の家に行く。そこで一緒に電話しよう」
「分かった」
翌日の夕方。久しぶりに渉が家に遊びに来た。遊びにくるというのは違うかもしれないが、とりあえず、そう言うことにしておき、うちで夕食を食べて行ってもらうことにした。
渉は確かに疲れている顔をしていた。あれこれと、追われているものが多いのだろう。
「で、電話して相談してみるってことか?」
「そういうことだね」
「……はい、はい、はあ、はい、そうですか……」 少し気を落としたように渉はプツンと電源ボタンを押す。
「どうだった?」
「まず、その事実を双方の保護者が知っているのか、学校側がその事実を知ってその行為を抑止しようとする動きがあるのか、って。まずは親と学校で止める努力をしろ、という感じだったな。それでもおさまらない場合、一度こちらで詳細を伺いますって」
「うーん、はっきりしない曖昧な返事だね」
「少年法のからみとかが引っかかってるのか?」
「これ以上こんな状態が続くようだったら、また私に言って。話を聞いて傷つくより、渉が傷つき続けるのを知らずにいる方が私にはよほど辛いから」
「悪いな、こんな情けない奴で……」
「ううん、悪いのは渉じゃないよ……」
「で、電話したのね。早かったわね」
これまでの経過を桜小路会のメンバーに報告する。
「これが根本的な解決になればいいんだけど……」
「油断は禁物よ。あの子、結構根に持つ性格だからね。あと、学校がきちんと対応してくれるかもきちんと監視しないとね」
合宿後、正式に杉谷の年下の子と付き合うことになった早希が杉谷に探りを入れるように要請しているようだ。学年集会とかに注意しろ、と伝えている。大概生活指導は各学年で厳しくなり、それは学年集会等で行われるからだ。
そうして、杉谷高校と御勢学園大学教育学部附属高等学校を巻き込んだ騒動はひと段落を迎えたかのように見えた。しかし、誰も知らない世界で、原香奈子の怖るべき計画は着々と進行しているのであった。




