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桜小路茶話  作者: 望月 明依子
第二章 「月」
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第七話 「合宿、いろいろ」


「はい、全員いる? 欠席の連絡は受けてないから、今いない人は無断欠席ね」

「学校じゃないのに、いいだろそれぐらい。まあ、全員いるみたいだぞ」

川崎先輩と島本先輩は似たようなテーマを研究しているからか、ぎこちないながらも会話はしているらしい。そして川崎先輩と島本先輩は社会部の部長と副部長なのだ。ここで仲違いされてはたまらない。

「部長、こっちは全員います」清水先輩が報告している。清水先輩は歴史科のリーダーだ。日常でも話すことと言えばほぼ歴史関係の話だ。頭の中が歴史のことでいっぱいなのだろう。

「部長、こっちも全員出席」山崎先輩も報告しに行った。山崎先輩は私の属する公民科のリーダー。ディベート大会で悔し涙を流した。

次のリーダーを誰にするかはわからないが、その時には山崎先輩はきっと今年の悔しさをバネに、と言い伝えて卒業して行くのだろうな、と思う。

「遥、桜小路先生が待っておられますよ」川口先輩だ。

「じゃあ、出発します。何かあったら、まずは各科リーダーに伝えてください。その上で各科リーダーは私に報告を」


合宿会場は高校からも大学からもずいぶん離れた、山の中にある御勢学園大学所有の合宿施設だった。

流石に私立だ、冷房は効いている。とはいえ、キンキンに冷えているということはない。少しぬるめの室温だが、世の中は節電なのだ。

この施設には食堂、体育館、宿泊棟、シャワー棟、研修棟、事務棟があり、三泊四日の期間中、ほぼ研修棟で他人の研究を聞くこととなる。無論、自分の研究の発表もある。そして、二日目の午後に設定された「秘密特訓」については、誰も何も教えてくれなかった。私だけではない、今年社会部に入った子や一年生の子も「何があるんですか?」と質問をしていたが、誰もそれには答えていなかった。

「なんかキッツいことでもやらされるんですかねえ」

内田翔がつぶやく。今年の一年生で社会部に仮入部している子だ。双子の兄で、弟の内田翼も同じ社会部に仮入部している。

「兄貴、去年の野球部の合宿忘れたのかよ。あれより辛い合宿は絶対ないって言ってただろ」

「ああ、あれは辛かったな。今年はここがこれだけ涼しいだけでもう何があっても耐えられそうだ」

「冷房があるところでするなんて誰も言ってないわよ」脅すように川崎先輩が言う。

「野球部で慣れてても果たして大丈夫かしら?」

「遥、もうそのへんにしときなよ」川口先輩が諭すようにいう。

隣で聞いていた同じ一年生の大石凛と岡田葵が怯えたような目で彼らを見ていた。


初日は、宿泊棟に荷物を置き、昼食後、早速歴史科に属するメンバーの研究発表が始まる。それが終われば食事となり、入浴、就寝というスケジュールだ。

歴史科に属するメンバーは多い。二日目の午前中も歴史科のメンバーの発表が予定されている。そして午後には例の「秘密特訓」が予定されており、三日目の午前に地理科メンバーの研究発表、午後には公民科の研究発表、最終日の午前中には川崎先輩の発表原稿の発表が行われ、これには質疑応答も含め、たっぷり午前中いっぱいを予定している。そして最後の昼食をとり、荷物をまとめ、清掃をして合宿は終了だ。


部屋割りは原則的に各科ごとでおこなわれている。男子は混合になってしまったようだが、女子はうまく各科で定員で割り切れるようになっていた。私は早希と同じ部屋だった。

このような合宿ならば中学校の合宿や、杉谷に入学した時の四月すぐにあった勉強合宿と同じだ。その時はまだ私が倒れる前だったので何も心構えなどはしていない。今回は着替えと一緒に薬も持ちこんだ。

桜小路会のメンバーには私が倒れた時の事情も伝えている。薬についても特に何も触れない、というより、朝と夕食後だけ服用する薬なので、自宅以外で服用したことがない。

「お薬、絶対に飲み忘れないようにね」とお母さんに念を押されて家を出てきた。お母さんも心配しているのだ。

この合宿の実施に当たって、部長である川崎先輩を飛び越して申し訳ないが、担任だし、ということで桜小路先生には直接事情を話しておいた。

すると、

「親御さんから聞いている。あなたが在籍していた杉谷高校にも問い合わせ、もし万が一のことが起きたら同じような手段が取れるように学校内での連絡もとってはいる。合宿では、大学関係の事務の方が常にいらっしゃるから、もし万が一のことがあったら、誰でもいいから私に非常事態が伝わるようにしてくれれば、私から大学関係の事務の方を通してしかるべき措置をとる。もちろん、部長として川崎さんには話しておいていいよな?」との返答が帰ってきた。

「部長の川崎先輩には、いずれ話しておかないといけないと思っていました……」

「話しにくい話でもあるだろう。私から川崎さんには話しておこう。それと、山崎さん……」

「そうですね……」

「同室の責任者になるわけだ。彼女にも話さざるを得ないだろう。彼女にも私から話しておく。なに、心配はいらない」


その日の昼食はうどんだった。食堂をたくさんの人間が占拠して、ワイワイと賑やかに食事をする。圧巻だった。杉谷高校にいた頃の満員の学生食堂を思い出した。たまに昼食で陽子と二人、同じようにうどんを食べたことを思い出す。


昼食後、いよいよ研修棟での研究発表が始まった。研究対象は皆それぞれで、本当に興味を抱いたことについてレポートを作成しているんだな、と考える。学会で桜小路先生と共同発表する川崎先輩以外は発表と桜小路先生からの質疑のみで、生徒から質疑の時間はない。そこまでしていたら一日が何時間あっても足りなくなる。その代わり、時間外であれば質問があれば各個人に遠慮なく質問していいとのことだ。

一日目の終了は午後五時三十分。真夏の夕暮れはまだまだ明るいが、八月の山の夕方はどことなく秋の訪れを感じさせる。

「みさみさ、お疲れ」

匠だった。匠の発表は祐樹と同じ、明日の午前中になっている。

「みんな、すごい、というかな……オリジナリティに溢れた発表だったね」

「大石さん、一年生であまり時間もなかっただろうけど、頑張ってたな。なんか、将来小学校の先生になりたいって言ってたし、俺に似てる感じだな」

「匠も小学校の先生になりたいって言ってるもんね」

「俺、ガキ好きだからさ、昔から」

「美咲、匠、帰ろうよ」 早希の声がする。

「うん、帰る!」


夕食は焼き鮭と肉じゃが、ご飯、味噌汁だった。美味しかった。

シャワー棟は名前とは異なり、きちんと大きな浴槽も備えられている。しかし、これは男女ともに部屋ごとに時間を決めて入浴しなければいけないくらいの大きさだった。

食事が済み、目立たないように薬も飲み終わった後、入浴待ちをしていた私と早希、百花は部屋の隅で他の子とも一緒に他愛もない話で盛り上がっていた。夏の友がどれ位終わったかとか、遊びに行く時間なんてなかったとか、それぞれの彼氏や片思いしてる男の子の話……

「マジ? 中学から、むしろ小学校から事実上付き合ってたみたいな彼氏がいるとか、美咲ちゃん羨ましい!」

これまでずっと片思いばかりで、告白しても振られてばかり、という絵美という子が美咲を羨ましがる。

「で、絵美、今は誰狙ってるの?」

「二組の……」

「あの人ね……」

「あの人、年上好きみたいよ……」

「えぇ? なにそれ……」

「麻衣子、一年の時同じクラスだったっけ?」

「うん、その時に堂々と宣言してたから」

「今。それ言わないで欲しかった……」

「ごめん、絵美……」

そうしているうちに、次の組に入浴の順番が回って来た。次は百花たちの部屋だ。


入浴が済むと、眠気が襲ってきた。この場所は携帯電話の電波が届くのだろうか。

とりあえず渉との連絡用の携帯電話も持ってきていたが、アンテナは立ったり消えたりを繰り返していた。

一言だけ、と思い渉に電話をしてみる。

「もしもし?」

「おう、かけてこれたか」

「ちょっとの時間だけね」

「聞こえにくいな……何だか遠い……」

「あんまり電波良くないみたい」

「そうか、それならあまり長話もできないな。詳しい話は帰ってきてからいろいろ聞かせてくれ。連絡も、できたらでいいからな」

「うん。ありがとう。おやすみ、渉」

「おやすみ、美咲」


部屋に戻ると、みんなもう寝る支度をしながら隣の子とひそひそと話をしていた。

「美咲、あまり長くなると消灯時間にかかっちゃうよ」早希にたしなめられた。

「うん、気をつけてはいるよ」

「はい、電気消すよ。明日も早いから、ちゃんと寝るようにね」山崎先輩の声で電気が消される。

「ねえ、美咲……」

早希が何か言っているような気がしたが、意識が朦朧としていき、何を答えたかは覚えていない。


翌朝。起きて早々早希に昨夜のことを突っ込まれた。

「美咲ったら、本当にすぐに寝ちゃうんだもん。合宿の楽しみも何もないよぉ」

「早希嬢、ごめん。昨日、ものすごく眠くってさ」

「今夜はゆっくり合宿の夜ってやつを楽しもうじゃないの!」

「うん!」

山崎先輩に聞こえていないか心配ではあったが、確かに合宿の夜の楽しみは友人との語り合いにある。杉谷の一年の勉強合宿の夜もクラス全員で怪談で騒いだものだ。


朝食後は研修棟で昨日の歴史科の発表の続きである。今日は主に二年生、三年生の先輩の発表だ。

私たち桜小路会メンバーも、実はそれぞれが何を研究しているかを深くは知らない。だいたいどういうことを、ぐらいしか知らないのだ。

改めて驚かされる。匠は地元の歴史を深く掘り下げて、時代とリンクさせながら時系列の年表を作成していく教育方法の研究をしていた。

祐樹は幕末期の研究をしており、「蝦夷共和国の可能性」という研究をしていた。

そしてリーダーの清水先輩は、「戦国時代が惹きつけるものーー時代の持つ魅力」という戦国時代を総括するような研究をしていた。

桜小路先生はまだ慣れてない生徒にはそれほどではないが、学年が上がり、レポートも書き慣れてきている生徒には容赦ない指摘を入れる。しかし、その指摘を後で生かすために、発表者もしっかりその指摘を聞いている。


昼食。今日はカレーだった。「これから何か秘密特訓とやらが行われるというのに、カレーなんて食べて大丈夫かな?」

「平気だよ。むしろ、カレーぐらい食べとかないと、体力ついていかないよ」脅しとも取れる表現を早希がする。

用意する荷物の中には、動きやすい格好ということで、御勢学園大学教育学部附属高の体操服とジャージを持ってくることが指示されていた。ジャージは夜寝る時に利用したが、いよいよ体操服を使う時がやってきた。


「午後一時半、体育館に集合してください」部長が食事前の連絡事項として伝えた。

「ああ、秘密特訓か」

「だな」

誰一人としてその内容を漏らすものはいない。昨日は自信満々だった内田兄弟も怯えの色を隠せない。

「体育館で、一体何するんだろうな」

「特訓っていうからな……」

中学校の野球部の頃のことを思い出しているようだ。


体育館は予想通り、冷房が効いていなかった。窓が全部開けられ、そこにあったのは……普段授業で使うバレーボールよりも少し低いネットが張られた、ミニバレーのコートだった。もちろん、ボールもミニバレー用の柔らかいボールだ。

「はい、全員揃った? 今日の午後は、部員同士の親睦をより深めようということで、ミニバレー大会を行います」

隣ではコート張りやボールの準備を手伝ったのであろう、三年生の先輩方の顔が並んでいた。

「せっかくだし、男女学年混合が面白いでしょ。いつも一緒にいる顔っていうのも面白くないから、組分けします」

手際良く用意されていたくじに番号が書いてあるようだ。ミニバレーも六人で一チームだから、全部員は三十五人のこの部は……?

「私も入るぞ」

桜小路先生も半袖のシャツとジャージ姿になって現れた。無論、驚いているのは何も知らなかった子たちばかりで、すでにこの「秘密特訓」が何かを知っていた面子にとってはこのこと自体当たり前だという顔をしていた。

川口先輩がくじをそれぞれに回す。そのくじは平等に桜小路のもとにも届く。そうして、男女も、いつもの顔ぶれもバラバラの、ミニバレー大会が始まった。

よく考えると、まだあまり話したことがない先輩や後輩も多いことに気がついた。「1ー2」というゼッケンをつけている子もちらほらいる。来年には、この子達とはこのような形では会えなくなってしまうのだろうか……

やはり体格の差、桜小路先生のいるチームは飛び抜けて強い。当たっても痛くはないはずのボールが、桜小路先生のサーブを受けた子の腕でものすごい音を立てる。心底から桜小路もこの「秘密特訓」を楽しんでいるようだ。

総当たり戦の末、やはり優勝したのは桜小路先生のチームであった。桜小路先生は柄にもなく喜び、ハイタッチまでしていた。

私も、これまで話したことのなかった先輩や後輩と少しだけでも話すきっかけができた。


夕食はやはりあれだけ体を動かした後だったからか、冷やし中華がものすごく美味しく感じられた。

今日は昨日とは入浴の順番がローテーションで変わり、女子はまず百花のいる部屋が一番にシャワー棟へ向かって行った。

私は昨日同様にこっそりと薬を飲み、早希と話をすることにした。

「早希嬢、昨日の夜って……」

「ああ、昨日の夜? だって美咲すぐ寝ちゃうんだもん。やっぱり合宿の夜はこっそり語り合うのが青春でしょ! どうせなら、匠と祐樹も誘って、消灯まで何かお茶しながら楽しもうよ」

「いいね! 百花姉様が戻ってきたら、その話してみようよ」

そう言い終わらないうちに、早希はパタパタと男子部屋の方へ駆け出して行った。

「匠の方の部屋はお風呂済んだみたい。祐樹が戻ってきたら百花姉様に連絡して、って伝えておいた。で、百花姉様から戻ってきた、って連絡を私たちが受けたら場所さえ取ればいつもの桜小路会ができるでしょ」

「ナイスアイディア!」

祐樹が百花に連絡をとるというのは願ってもない役割だろう。早希もにくい演出を考えるものだ。


それからおよそ一時間後、消灯まで後約三十分。

昨日、渉に電話するのに使った吹き抜けの場所を提案した。それぞれペットボトルのお茶を持参している。

「さてと、久しぶりだな、この五人で揃うのは」

「ここは部員全員がいるからな」

「そういえば、匠と祐樹って違う部屋なの?」

「ああ、別にどうでもいいんだが、別の部屋だ」

「まあな、寝るだけだし」

「あたし、美咲と同じ部屋だってわかったとき、語ろう、って思ってたのに、美咲さっさと寝ちゃうんだよー。あたしふてくされて、次の朝美咲に文句言っちゃったよ」

「ごめん。もうあの時、意識が朦朧としてたんだ……」

「今日は語ろうね、美咲」

「うん」

「まあまあ、ここでも語っていいじゃない、早希嬢」

「何か話したいことがあるんだろ?」

「別に特にって訳じゃないけど、合宿ってなんだかテンション上がっちゃってさ、特に夜とか」

「小学生か、って言いたいところだけど、分からなくもないな」

「あんた、こういうイベント大好きだからね」

「去年も、そうだったよな……去年は百花姉様が寝不足だとか言ってたような気がする」

「みさみさ、話すのはいいがほどほどにしてちゃんと寝るんだぞ」

「う、うん……」


そうこうしているうちに、あっという間に三十分が過ぎてしまった。消灯時間がやってきたため、五人は解散し、それぞれの部屋に戻った。

今日も山崎先輩の消灯のあと、早希が話し始める。

「美咲と彼氏さん、よく長続きできるね……」

「うん……自分でも不思議なくらい」

「私、結構コロコロ彼氏変える、っていうか変わるタイプだから、長続きするコツとかがよくわからなくてさ……」

「どうしてだろう、私もどうしてこんなに続いてるのかが不思議なくらいだよ」

「昨日も電話してたよね? 毎日電話したりしてる?」

「うん、できる時は毎日」

「昔から?」

「携帯持ったのが高校からだから、それまでは家の電話で「今から遊びにくる」とかそんな話をする感じ」

「え! そんな電話一本で気軽に遊びに来れるの?」

「三軒隣だし、すぐに来れる距離だから」

「近所の幼なじみが彼氏だなんて漫画の中だけだと思ってた! で、家族ごと仲がいいの?」

「うん、私も遊びに行ったりするし、お互い家ぐるみで仲良くしてると思ってる」

「いいなあー。それぐらい関係が深かったら長続きもするよねぇ。羨ましい」

「早希嬢、どうかしたの?」

「実はね、杉谷の男の子と付き合ってくれって言い寄られてて。今ちょうど彼氏と別れたばっかりだから、そういう点ではタイミングはいいんだけど。年下なんだよね」

「早希嬢のタイプは?」

「同い年か、年上。年下の子と付き合ったことがなくって、たまたまそういう傾向になってるだけなんだけどね」

「私より、もしかしたらそういう話は百花姉様の方が得意かもしれないなあ」

「美咲が一年間でも杉谷にいたから、もしかして、とか思ったけど、さすがにわからないよね……」

「多分その人の名前を出されても私はわからないと思うし、その人が杉谷の生徒だからって、特に何かあるわけでもないと思うよ。早希嬢がいいと思ったら、OKしてみてもいいんじゃないかな。私だったら、学校とかそういうのを抜きにして、その人と合うかどうかで考えると思う。年上でも、年下でも」

「そっか。ありがとう。美咲が背中を押してくれた気がした。今度、きちんと会って返事するよ。自分で考えてからね。そろそろ寝ようか、美咲。おやすみ」

「おやすみ、早希嬢」


何か重苦しい夢を見たような気がしたが、それを思い出せないままあまりすっきりしない目覚めを迎えた。


三日目の朝食後は、研修棟で島本先輩をリーダーとする地理科、昼食を挟んで山崎先輩をリーダーとする、私の属する公民科の発表だ。

島本先輩は「フィールドワークの楽しさ」を全面に出した研究だった。授業に取り入れることを目的とした川崎先輩の共同発表とは一線を画することにしたのだろう。

百花は「日本の地形とその教育方法」というテーマで発表を行っていたが、最後にほんの少しNPOについての研究について触れていたことを桜小路先生は聞き逃さなかった。

「西山さん、あなたはこれからどの方面に向かうつもりでいるのですか?」「NPOについての研究をしたいと思っています」「わかりました」

思わぬ研究方針の転換に場がざわつきながら、午前の発表は終了した。昼食のあとはいよいよ発表だ。何を食べているのか、それすら頭に入らないほど緊張している。

匠が「百花姉様ですらあの緊張を切り抜けたんだ、美咲なら大丈夫」と声をかけてくれた。


いよいよ自分の発表の番がやってきた。止むを得ず自宅で人数分印刷した資料を配布し、手持ち資料を棒読みで発表していく。資料をめくる音だけが室内に響く。「……以上です。」


すかさず桜小路先生からの質疑だ。「裁判員による精神的なダメージについての国家賠償請求を起こそうとする動きは知っていましたか?」「はい」「それについてはどう考えていますか」「まだ研究までには至っていませんが、裁判員の受ける精神的ダメージが大きいことは報道等で知りました。それを踏まえて、その補償方法、もしくはダメージを受けずに済む方法を考えるべきだと思います」「わかりました」


私の発表はそこで終わった。力が抜けた。ほっとしたところで、やはり山崎先輩の発表を聞くと圧倒される。「ディベートを小学生の授業から取り入れ、自分の意見を言うことに抵抗を持たないようにするための考察」だった。


発表が終わり、夕食をとりながら、ああ、明日は川崎先輩の発表か、と考える。これまでかなりの発表を聞いてきたが、明日午前の川崎先輩の研究発表が今年の学会の桜小路先生の研究テーマとなっている。ふと川崎先輩の方を見てみると、あまり食が進んでいないようで、隣にいた川口先輩が心配そうに声をかけていた。

「遥、何か食べないと明日持たないよ」

「明日食べればいい……」

「遥のことだから、明日の朝なんにも食べられないでしょ……だから、今少しでも食べておかないと」

「うん……」

予想以上に緊張しているようだった。


今日は私たちが一番先にシャワー室を使える日だ。さすがに発表疲れが出てしまい、少し体調を崩してしまったようだ。

私は早希に早く寝ることを伝え、飲み損ねていた薬と、このようなこともあるだろうと思い、持ってきていた習慣的に起こる頭痛の薬を飲んで、早く寝てしまった。

早希が山崎先輩に伝えてくれていたようで、途中起こされることもなく、気がついたら朝だった。

「おはよ、美咲。いきなり早く寝るなんていうから焦っちゃったよ。山崎先輩も心配してたよ」

「ごめん、何だか昨日の発表で疲れちゃったみたい……」

「あたしの話、重かったかな……ごめんね。進展があったら、美咲に真っ先に話すから」

「ううん、それは大丈夫。それより、山崎先輩は?」

「室長会議だって」

「戻ってきたら、謝らないと…迷惑かけたって…」


五分ほどして、山崎先輩が戻ってきて、研修等に行く前に荷物を一通りまとめて布団の整理をしておくように伝達事項を告げた。

「先輩、昨日はすいません、ご心配をおかけしまして……」

「消灯のあと、少しの間、小島さんと二人で様子見てたの。桜小路先生に言われてたこともあるし。でも、ずっと安定して寝てたようだったから、何か突然の異常があったら教えてって隣の小島さんに頼んで、私は自分の布団に戻ったわ。何もなかったんだし、謝らなくていいのよ」

早希、山崎先輩が戻ったあとも、様子見ててくれたんだ……

「早希嬢、昨日、もしかして寝てな……」

「ちゃんと寝たよ! だってあたしも発表したじゃん! 疲れたのは一緒だよ。確かに、山崎先輩と一緒にしばらく消灯後美咲の様子を見てたけど、先輩寝ちゃうのにあたしだけ起きてなきゃいけないっていうのはなんかずるい気がしてさ。隣にいるんだし、おかしいと思ったらすぐにわかるとは思ってたよ。でも、肝心な美咲は朝までぐっすりだったからね。安心したよ」

「早希嬢にまで、気使わせて、ごめん……」

「一昨日の話とでチャラだよ! さ、朝ごはん行こう」


朝食後、この合宿のメインイベント、学会発表のための川崎先輩の発表が行われる。時間は本番の発表と同じ十五分。質疑は生徒から行い、川崎先輩のみでなく、桜小路先生も応答を行う。学会本番を想定しての形式だ。資料配布と同時に、プレゼンテーションソフトを起動しての説明が開始される。

テーマは「地理科におけるフィールドワークの授業においての利用」だったが、そのテーマ通り、フィールドワークの定義、フィールドワークを授業に利用する際のメリットデメリット、実施する際の留意点、実際の高校生向けの授業例などで構成されていた。

「対象の学年の幅を広げることはできないか」「歴史等、その他の内容を含める必要性はないのか」「その他の授業例はないのか」などの質問が出る。

「今回の授業例は、その他授業例を参考にして作成した授業例です」と川崎先輩が応答すると、助け舟を出すように、「十五分の発表の中に歴史を長く入れ込むことは難しいが、定義の中に入れることならできる」「対象の学年は、フィールドワークの定義を広げていくことで学年の幅が広がる可能性も出てくる」と答えた。


こうして、長い長い三泊四日の合宿が幕を下ろした。


自分たちの部屋を清掃したのち、私たちはようやく山を下りることとなった。

長かった合宿は、皆の中に疲れと次のレポート提出への目標を与えた。


帰宅すると、私は真っ先に渉に電話をした。丸二日間連絡をしていない。

「おお、帰ってきたか。お疲れ様」

「途中で体調崩しちゃって。でも、寝たら治ったよ」

「寝たら治ったって……大丈夫か? 薬はきちんと飲んでたんだよな?」

「うん、薬は毎日忘れずに飲んでた。でも、やっぱり、人前で発表するのって、緊張するね……」

「おい、美咲、今日はもう寝ろ。命令だ」

「うん、そうするよ、とにかく、帰ってきたことを伝えたかったから」

「わざわざそんなかすれた声で伝えなくても……メシは?」

「まだ」

「メシだけは食え。食うもの食わないと元気にもならないからな」

「うん、分かった。ありがとう、渉」

「とにかく、早く休めよ」


私は、「軽いものが食べたい」とお母さんに告げた。

お母さんは月見うどんとひじきの煮物を出してくれた。

それを食べたあと、私はまた居間で寝込んでしまったようだ。


目覚めたのはすでに深夜に近い時間帯だった。お父さんとお母さんが心配そうに見つめている。

「起きたか」

「寝てた……?」

「ぐっすり寝てたわよ。ちゃんと着替えて、布団で寝なさい」

「はぁい」


そして、私は寝室で改めて深い眠りに入った。


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