第六話 「秘密の場所」
七月の最終日、匠、祐樹、早希、百花がうちにやって来た。みんな、少しずつは夏の友を進めてはいたようだが、合宿前に終わらせておきたい範囲にはまだ遠い。これから時間のある日には、合宿発表用のレポートと夏の友を五人で進めていくことになる。その初日が私の家だった。
「お邪魔します」
時間がかかると読んで、集合は九時半だ。夏なので、日は高いが、もう暑さがこたえはじめる時間帯だ。「あらあら、いつも美咲がお世話になっております」お母さんがジュースとお菓子を準備している。
「こちらこそ、いつもお世話になっています」百花がスマートに受け答えをする。
私の部屋に五人は狭いため、応接間にノートパソコンを持ち込み、こころもち設定温度を高めにしてエアコンをつける。紙類が多いため、扇風機を使うのはバタバタして邪魔になりそうなのでやめた。
「とりあえず、どれくらい進んだ?」早希が聞く。
「現社はけっこうはかどったよ」
「あたしは英語が進んだ!」
「俺、結構今回数学イケた。世界史が難しくて、結構手間取る」
「日本史は俺に任せろ」
「うーん、みんな結構進んだんだねえ」言い出しっぺの早希が気まずそうに言う。
「あたし、今回ほとんど手がついてないんだよね……発表用のレポートの方を考えてたら、そっちばっかりになっちゃって」
「桜小路、合宿用のレポートは、これまでの続きでいいって言わなかったのか?」
「それが、一旦やってたテーマの切れ目に来ちゃって、次に何を研究しようか悩んじゃってさ」
「早希嬢、あのパソコンネットにつながってるから、好きに使っていいよ」
「ありがとう! テーマが決まらないと、他のことにも気が入らなくて」
さっそく早希はインターネットで福祉関連のサイトを開き、何か調べはじめた。
「早希嬢がネットにフライングしちゃったけど、俺らもとりあえず少しでも片付けようぜ、夏の友」
「そうだね、ところでさ、現社のここ、どう考えたらいいの?」
「あ、ここはね……」
「祐樹、お前世界史イケるか?」
「う、うん、まあ、何とか……」
「教えてくれ! 世界史、苦手なんだ……」
「じゃあ、数学頼む……」
「ち、ちょっと、あたしの夏の友!」パソコンの前を陣取ったまま、早希が叫び声を上げる。
初日の午前中で、得意な課目を苦手な人間に教えながら夏の友を進めていくという形が整った。
お母さんが作ってくれた人数分の冷やし中華を食べながら、早希が言う。
「レポートのテーマは見つかったけど、やっぱり書くのは自分のパソコンがやりやすいね」
「じゃ、これからはレポートやりたい奴は自分のパソコン持参で集合だな」
「ちょっと、あたしのパソコンデスクトップよ」百花が言う。
「その場合は仕方ないな、夏の友に専念するか、人のパソコンを借りるかだ」
「お、俺のノートパソコンなら、どれだけでも……」
「ありがたいけど、やっぱりあれが使いやすいのよね」
午後からは本格的に夏の友の攻略が進んでいった。
「百花姉様、英語のここはどう訳したの?」
「ここは……」
「えーと、アボガドロ定数……?」
「それはね、……」
「古文のここ、どう辞書通りに訳してもしっくり来ないんだよな」
「こんな感じにしてみたら?」
「何だ! こんな返り点見たことないぞ」
「お姉ちゃんの持ってた参考書にあった。天、地、人の順で返るって」
「ふう、やっと世界史が進み出した」
「ふう、やっと数学が進み出した」
「この地形を答えよ?」
「よくある地形よ」
百花は英語と地理、早希は古典と現代文、匠は日本史と数学と生物、祐樹は日本史と世界史と化学、そして私は現代社会と英語と得意分野が分かれていた。バランスよく得意分野が分かれているため、教えあいもスムーズだ。
「じゃあ、次は匠の家に、次の補習がない日は……五日後?」
「本当に来るの?」
「当たり前だよ! みんなの自宅っていうのが一番効率的に夏の友を片付けやすいからね」
「わかった。じゃあ、五日後な」
匠がためらっている理由を私は直接聞いて知っていた。
「俺の部屋、ムチャクチャ散らかってるんだよな」と桜小路会メンバーには話していたが、私にだけ、「実は、俺の部屋に、千冊以上になるんじゃないかと思う同人誌が押し入れに詰まってるんだよ。それがもしバレでもしたらと思うと……」と話してくれた。
私の部屋の押し入れも散々散らかっているが、千冊以上の同人誌、しかも、同人誌というものがどういうものか見たことがない私にとっては想像もつかない世界だった。今、匠は必死に見つからないところに隠しているのだろう。
「とりあえず、レポートも進めないとね……」
みんなを見送った後、夕食を食べながら、お母さんは「みんな仲良さそうね。美咲も輪に入れているみたいで安心したわ」と言われた。
「みんな、いつも一緒にいるからね」
「陽子ちゃんみたいね」
「陽子、元気かな」
「メールとか来ないの?」
「来てるよ。でも、あまり長くやり取りしてる時間ってないなあ」
「また機会があったら、陽子ちゃん、うちにつれておいで」
「また会う機会でも作ろうかな」
応接間を片づけ、自分の部屋でパソコンを立ち上げると、小鈴が部屋に入ってきた。
うちにはあらゆる部屋に猫じゃらしが常備してある。私の部屋にある猫じゃらしで遊んでいるうちに、遊び疲れた小鈴はベッドで眠ってしまった。
「今日はちょっと疲れたな……でも、もう少し」
合宿発表用のレポートは、簡潔に自分の研究をまとめ、これからの方向を述べるという形が一般的らしい。全員の研究を聞くのだ。長々と話している時間はない。
「とりあえず、今まで提出したレポートを立ち上げて、大事なところをより抜いていくとするかな」
方向が見えてきたところで、眠気も襲ってきた。小鈴もまだ眠っている。明日もまた補習だ……
ウトウトしていたら、着信メロディーが鳴った。渉からだ。
「遅くなって済まない。寝てたか?」
「ちょっとね」
「今日は課題会だったんだろ? もしかして遊んでたんじゃないか?」
「失礼な! 本当に頑張ったんだよ!」
「悪い。俺らがみんなで集まったら、絶対ゲームとかに走っちまうからな」
「今日だけでも、まだまだ全然だよ。丸写しとかもできないし」
「丸写しできないのか! 丸写しですぐに終わりだと思ってたのに」
「課題テストとかない分、どんな課題の解き方をしたかとかで成績にも反映されるみたい。写したほうも、写させたほうも、評価がガクンと下がるんだよ。課題テストで挽回も無理だしね」
「内進狙いだと、その辺りも厳しいな」
「渉は今日も補習と練習だったの?」
「ああ。そうだ、忘れてたんだけど、俺ら、三日後から合宿なんだ。山のほうで、一週間ぐらい」
「あれ? 去年そんなに長い合宿だったっけ?」
「今年は俺も補欠だから、長期合宿になったんだ。結構キツイ日程だから、毎日は連絡できないかもな……」
「気にしないで。まあ、連絡くれたらもちろんうれしいけど」
「分かった、無理しない程度で連絡できるように調整するよ」
「お前、声がもう寝てるぞ。もう寝た方がいいんじゃないか?」
「そうする……また明日ね、おやすみ、渉」
「おやすみ、美咲」
次に補習がない五日後に匠の家に集まった時には、それぞれ自分のできる範囲の問題を中心に解き、わからないところは得意な人間に聞くという形ができていたため、ずいぶんと進めることができた。
「レポート、進んでる?」百花が切り出した。
「まあ、これまでの研究をまとめる形にしたからな、そんなに大変じゃない」
「あたしはこれまでのまとめとこれからの方針までまとめるから結構大変」
「そっか、みんな順調なんだね」
「百花姉様、どうしたの?」
「うーん、研究してる内容と、目指してる内容が少しずつずれてきてるから……桜小路先生にも相談したんだけど、発表内容は自分の好きな方にしたらいいけれど、これまでの積み重ねの方が発表はやりやすいだろうって」
「百花姉様は今地形とかの研究をしてるよね?」
「うん、でも、ここにきて学校外でボランティア活動とかに参加するようになって、そっちの方に興味が湧くようになって……」
「百花姉様、将来どんなことをしたいと思ってる?」
「うーん、今やってるボランティアの経験を生かせたらいいかなとか、NPO法人とか立ち上げてみたいなとか思ってる……」
「じゃあ、いっそのこと、百花姉様、研究テーマを変えちゃえば? きっと、自分の興味のあることを研究して行く方が、楽しいと思うよ」
「そのこと自体を発表するのもアリじゃねえ? これまでのテーマを軽く触れて、これからこういうテーマをしたいって」
「あたしみたいだね」早希が言う。
「早希嬢は大枠のテーマが変わらないじゃん。百花姉様は大枠のテーマが変わっちゃうから、大変になるだろうけれど」
「うん、やってみるよ。ありがとう」
「さて、続き続き。とっとと夏の友片付けて、レポートやろうぜ」
次の集まりは百花の家で、二日後になった。
「夏の友、やっと出口が見えてきたな」
「数学、深いトンネルに入ってるんだけど……」
「英語が終わらない!」
「化学、意味不明だよ……」
「仕方ない、うちの学校は丸写しとかやっちゃうと即バレるから、何とか自分なりに解答を作らないとダメなんだよな……」
「やるしかないね。ほら、祐樹、泣かないの」
「グスン」
「百花姉様の家だったら、デスクトップパソコンがあるって言ってたよね? 今度は、レポート作成の会にしない?」
「そうだね! 百花姉様の家だったら、みんなノートパソコン持ち寄ってレポート出来るね」
「流石に、ずっと夏の友との格闘も疲れちゃったしね」
山での合宿に入った渉は、連絡が少なくなった。
一週間の間に、二回連絡を入れるのが精一杯だったそうだ。
「本当に、朝起きて、走って、泳いで、食ったら、寝るって感じなんだ。寝る以外、本当に動きっぱなしで、参るよ」
「す、すごいね……」
「すまないな、連絡少なくなって」
「ううん、そんなに過酷な練習してるなら、無理しないでいいよ」
「美咲のことも気になるんだ。連絡が取れなくなると、やっぱり心配になる」
「また、帰ってきてゆっくり休んだら、うちで遊ぼう。少しは休みないの?」
「合宿明けに少しだけ」
「休みを優先して、それから時間があったらうちで話したりしようよ」
「おう。明日もまた練習だ。そろそろ寝るな。おやすみ」
「おやすみ」
通話中に匠からメールが届いていた。
「今日はお疲れ。押入れの中身がバレなくて良かった。あれで、必死に片付けたんだ」
返信する。
「全然気づかなかった。よほどきちんと片付けたんだね」
返事が帰ってきた。
「本当、いつ雪崩れてくるかヒヤヒヤしてたんだ」
それほどにあるのか……普通に見えた押入れに、大量の同人誌……想像がつかなかった。
百花の家でのレポート会は、進み具合が見事にバラバラだった。
これからテーマに取り掛かる百花、ある程度の見当はついているがまだ形になっていない早希、以前のテーマをそのまま引き継ぐ匠と祐樹と私。一番進んでいたのは祐樹だった。
「美咲、合宿ってどんなことするか知ってる?」
「みんなの研究内容を聞いて、特に川崎先輩の学会発表内容は質疑応答まであるんでしょ?」
簡単なプログラムは終業式の時の社会部の全体会で配布されていた。
「実はね、その間に秘密特訓があるんだよ」
「えっ」
「秘密特訓だからね」
「秘密だよな」
みんなおもしろがっている。渉の休む間もない合宿の練習を思うと、何をされるのかと不安になる。
「ま、合宿でのお楽しみ」
「何なの?」
「とりあえず、レポートはあとは各自で完成だな。夏の友は合宿後にラストスパートといくか」
「つぎは俺の家だな」
「補習が始まる前にしたいわね」
「じゃあ、合宿が終わって、三日後に」
「後期補習っていつからだっけ?」
「八月の終わり二週間だから……」
「お盆明けか」
「補習中になっちゃうね、早希嬢の家は」
「仕方ないよ、とにかく夏の友片付けないとね」
もうすぐ社会部の合宿だ。今は夏の友よりレポート作成に力を注いでいる。
渉は合宿から帰ってきて、「もう、ヘトヘトだよ……」と珍しく弱音を吐いていた。
「渉、疲れたんだね。休みはあとどのくらい?」
「明日いっぱい」
「明日は一日寝てなよ。本当に。このままだと、渉が好きな泳ぎ、嫌いになっちゃうよ」
「……そうだな、泳ぐの嫌いになったら何にもならないもんな、ありがとう、美咲」
「で、私たちも三日後から合宿なんだけどさ、秘密特訓っていうのがあるらしいんだけど、誰もその中身教えてくれないの」
「秘密特訓? また、変なことするなあ。ニュースとかで問題になってるとか聞いたことはないから、問題のあることではなさそうだろうけど……」
「寝れないとかだったらいやだなあ」
「それなら、とっとと帰って来い。そこまでしている意味ないです、って言って帰ってきていいと思うぞ」
渉、家に帰りたかったんだろうなあ……それだけ辛い合宿だったんだろうな、と思うとあまり引き止めておくのが悪い気がしてきた。
「渉、疲れてるでしょ。無理しないでいいんだよ」
「美咲に会えただけで少し元気出た。でも、やっぱり帰って寝た方がいいかな。今日はもう寝るし、明日も一日寝てることにする」
「うん、そうした方がいいよ、絶対。渉ぐらい体力があっても、疲れが見えてるもん」
「わかった、今日はもう寝るよ。おやすみ」
「ゆっくり休んでね、おやすみ」
渉が帰ったその後、匠からメールが届いた。
「明日、暇? 買い物に行かない?」
「買い物って?」
「同人誌」
この前行っていた同人誌を売っている店に行くというのか。私は速攻で「行く!」と返信した。
「一駅隣にあるんだけど、現地集合でいい?」
隣の駅は少し大きい繁華街がある。そこに同人誌を売っている店があるのか。
「分かった。何時?」
「何件か回るから、十一時に」
「了解」
あさってには合宿に出発する。明日は外出の予定が入った。つまり、今日中にレポートは完成させなくてはいけない。
「よし、あと少し頑張って、完成させるとするか」
自宅での社会部員全員分の資料の印刷はインク代などがバカにならないが、学校が開いている時間に完成させなかった自分が悪い。
学校が開いている時に完成したと言っていた匠や祐樹は、学校の印刷機を利用して印刷したようだ。
百花や早希は間に合うのだろうか。意外と、明日学校が空いている時間に印刷を終わらせてしまうかもしれない。
まあ、自分で決めた事情だ、仕方が無い。
翌日、隣の駅で匠と待ち合わせた。十一時少し過ぎに匠は現れた。
「遅くなった、ごめん、みさみさ」
「いいよ、で、どこにあるの?」
「とりあえず、行こう」
匠に連れられ、とにかく繁華街の方へ歩いていく。
「まずは、ここだ」
エレベーターの四階にある店だった。二人が乗り込むと、他にもその店を目的とすると思しき客が乗り込んできた。
そこには、これまでに見たことのない本が並んでいた。
薄い……その割に高い……
中身が一部見えている。過激な内容だ。そして、いいところで終わっている。続きを読みたければ、買えということか。
「えーと、これと、これと……」
匠も中身を確認しながら数冊購入している。
私は興味のあるものがあまりなかったため、一冊の購入にとどめておいた。
「次の店の方がいろいろあって面白いと思うよ」
次の店は建物自体が書籍などを扱っていた。
新しいジャンル、ちょっと昔のジャンル……私は夢中で興味のあるジャンル探しを始めた。
「みさみさ、楽しそうだな」
「うん、こういうのが見てみたかった! ……匠、こういうところいつ知ったの?」
「市川……あいつが詳しかったんだ。あいつに連れられて、俺も詳しくなっていったんだ」
「そうなんだ……」
「ちょっと遅くなったが、飯でも食うか?」
「うん!」
ファミレスで遅めの昼食を食べながら、収穫物を手にホクホクしていた。早く中身が見たい、と気がはやる。
「そうやって、千冊……もたまっていったんだね」
「まあ、そうだな。あいつ、メチャクチャなんだよ……いきなりうちにきて、「行くよ」ってこういう手のイベントに連れていかされたり。だから、周りは、俺たちが付き合ってると思ってたらしいんだけど……あいつ自身は違った。彼氏ができたとははっきりとは言わなかったんだけどな」
「だから、いまだに引きずってるんだね、さくらちゃんのこと」
「きちんと言われないとな。そして今、俺、どっちかというと別の気になる人がいるし」
ドキッ。まさか自分ではないだろう、とは思っていたが、匠の答えはそのはるか斜め上を行っていた。
「俺、男もいけると思ってるんだ」
飲み物を喉につまらせそうになったが、確かに、その手の同人誌を読み続けられるということは、いわゆる腐男子ということになる。
「俺、みさみさと話してて、直感で感じたんだ、同じ空気を持ってるって。だから、あの時、あんな話しかけ方をした。今となっては失礼な言い方だったかもしれなかったかもしれないと思っているけど、同じ趣味を分かってくれる人がいると思うと、なんだか嬉しくて」
「あの時はびっくりした。でも、忘れていた自分の中の本性をだんだん明かされて行く気がして、今は解放された感じ。ああ、自分の中にこんな性格があったなんて、って思って。今日はすっかり買い物しちゃったし。帰って封を開けるのが楽しみ」
「みさみさ、完全に腐女子が開花したね」
「匠のせいだね。でも、こんな近くにあるなんて知らなかった。一人でも行ける」
「秘密の場所の共有だな」
「少なくとも人には言えない場所だね」
そして翌日、三泊四日の社会部の合宿が開始する。




