第九話 「お守り」
あの暑さはどこへやら、もうコートなしではいられない季節になった。
十二月。師走。私の周りでも師が走り回っているようだ。
十二月頭の放課後。担任教師陣内が私を呼び止めた。
「美咲さん、職員室まで来るように」
クラス全員の前で言えないことなのだろうか。職員室まで行ってみた。
「御勢学園大学教育学部附属高等学校の願書だ。太枠内の記入と、印鑑の押捺、ちょっと手間がかかるが、学校の近くにある写真館でいい、証明写真を二枚、それと、検定料一万円。あとは、必要書類をこちらで準備している。願書の提出期間が八日までだから、よろしく頼むな」
そう言って、願書と転入試験案内を私に手渡した。
まじまじと願書を見つめる。氏名、住所、電話番号などの情報の他、「志願科目」という項目があった。
転入試験案内には、「『志願科目』に記入した科目の傾斜配点(二・〇倍)を行います。『志願科目』を記入せずに提出した場合には、傾斜配点は行わず、すべて均等配点での採点となります」
つまり、何かの科目を志願科目にしておけば、最高で六〇〇点満点になり、何も志願科目を設定しなければ五〇〇点満点でしか採点されないということか。自分の得意分野を伸ばす特徴的な教育方法をとる御勢学園大学教育学部附属高等学校ならば、当然何らかの志願科目を誰もが指定するはずだ。要は、誰もが何か得意な分野で挑むということだ。
「ここで間違っちゃいけない。真理先生に一度きちんと見てもらおう」
真理先生の指導も佳境に入ってきている。私も必死でついていっている。
そのためか、これまで苦手で困っていた理数系の科目がだんだん分かるようになってきた。できないところをできるようになるまで根気良く指導してくれる真理先生のやり方が、どうも良く合っていたようだ。
今日は真理先生が来ない日だった。来ない日とはいえ、真理先生の宿題、学校の宿題、これまでの復習など、やることはたくさんだった。
「今日は、写真を撮って帰ろうかな」
必要とされている証明写真を撮影して帰ることにした。
カランカラン……私は写真館のドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
「証明写真お願いします」
「何枚必要だい?」
「二枚です」
「受験かい? 面接かい?」
「両方…… ですかね」
「ほうほう、がんばりなされよ」
そう言って、 カメラマンは早速カメラとスタジオの準備を始めた。
「この椅子に座って。ちょっとあごを引いて、そうそう、ちょっと微笑む感じでね」
パシャ シャッター音が響く。
「もう一枚ね」
緊張が続く。
「はい、お疲れ様。明日の昼には出来てるけど、いつ取りに来れるんだい?」
「じゃあ、明日のこの時間に伺います」
「お代はその時にいただくよ。参考までに、二枚だったら、撮影料込みで二千円だね」
「わかりました。では、明日の夕方にまた伺います」
写真は撮った。願書は真理先生に明日見てもらって、それから間違いないように記入しよう。
あとは、検定料か…… 私立だしな……。気分が重くなる。切り出す言葉が見つからない。一気に言ってしまえば、必要経費として出してくれるのかもしれないが。
「ただいま」
「おかえり。お姉ちゃんから現金書留を受け取ったわよ」
現金書留? 頭が混乱した。
「もちろん、開けてないわよ」
急いで開封してみる。そこには現金が一万円と、「頑張る美咲へ 応援してるからね 優子」と書いたメモが入っていた。
「これって……」
「あなたの好きに使いなさい。お母さんはノータッチよ」
「お姉ちゃん……」
優子お姉ちゃんに電話してみる。
「もしもし? 美咲? 届いた?」
「うん、びっくりした……」
「検定料が必要でしょ。今のあたしがあんたにできることはこれぐらいだけど、あたしがあんたに応援してもらったことを思い出すとね、こうせずにいられなかったの」
「あたしがお姉ちゃんにしたことって……」
「あんたがいてくれただけで、あんたが「絶対大丈夫」って言ってくれただけで、何もかもうまく行ったんだもの。あたしはあんたのこと「絶対大丈夫」って思ってるけど、やっぱり今回はお金もかかってるしね。今のあたしができることはほんのちょっと。受かったらもっといろいろ買ってあげるからね」
「ありがとう、優子お姉ちゃん……」
「美咲、あんたは絶対大丈夫。あたしの妹だもん」
翌日。放課後に前日撮影した写真を受け取り、帰宅した。
午後五時半。真理先生がやってきた。「試験までもう一息ね。最後まで気を緩めずに頑張りましょう」
「真理先生、願書を学校からもらって来ました。記入して学校に提出して、学校が必要書類と共に提出するそうです」
「見せて。……校長の推薦書に、調査書…… で、願書は?」
「これです」
「そう、これを書き間違えちゃだめなのよ。『志願科目』が重要だからね。まあ、これは大学入試でも同じだったから言える話なんだけど」
どうやら、私の考えていたことは間違えていなかったらしい。真理先生に願書記入のポイントを聞いて、その日の授業に入った。
その日の夜。真理先生との夕食後、私はまず願書を書くことにした。間違えないように、「志願科目」にも「社会科」と記入して。
「お母さん、印鑑もらうよ」
「何に使うの? ってもちろん分かってるけれど。こういうものは最終的に親に見せるものでしょ」
それはそうだ。確認の意味でも、これからの意志を示す意味でも、親には見せておくべきだ。
「これ、一応コピー取っておくわね。学校でも取られると思うけど」
家には複合機があり、簡単なコピーならそれで十分である。
「提出期限があるし、願書そのものは急いで提出した方がいいわ。でも、手元に写しがある方が安心できるからね」
「そうだね」
そして、最後に印鑑を押し、願書は完成した。
翌日、願書一式を陣内先生に提出し、あとは受験票を受け取るのみとなった。
「責任を持って、私が御勢学園附属高校事務室まで提出に行こう」と陣内は言った。
「美咲ー」
「陽子ー」
「出したんだね、願書」
「うん、とうとうね」
「あのね、美咲」
「ん? なに?」
「お守り…… じゃないんだけど、お守り手紙書いてみたの。ここ受ける時に、中学校の時の友達がくれたのが嬉しくって。あたしもやってみようと思って」
そう言って、陽子はお守りの形に折った手紙を私に差し出した。いつものようなイチゴとかシャツとかの折り方の手紙じゃない。
「陽子……読んでみていい?」
「うん、いいよ」
美咲へ
美咲が私と仲良くなってくれてから、もう一年近く経つんだね。
私は同じ学校からきた子が少なくて杉谷に来たから、友達ができるか不安で仕方なかった。
でも、美咲は私の一番最初の杉谷での友達になってくれた。
バスケやめて、やる気をなくしてる時に自分の昔の話をしてくれて、もう一度私に何かやってみようっていう気にさせてくれた。
美咲は気づいてないかもしれない。私がしてきたことは、美咲が私にしてくれたことのお礼。
そして、目の前で倒れた友達を、放っておくことなんてできない。
今だからこそ言っちゃうけど、実は私から陣内先生に「何かできることないですか」って言い出した。
そしたら陣内先生は「気をつけて、そして変わらないで友達でいてくれ」って言った。
当たり前だよ。美咲が私を助けてくれたんだもん。美咲を助けないでどうするの。
友達を助けるのは当たり前だよ。
あの日、美咲の家で遊んだの、すっごく楽しかった。ご飯、すっごく美味しかった。
本当は、もっと美咲といろいろ遊んだり、志望校どこにする? とか、センターどうだった? とか話してみたかった。
でも、美咲には夢があるんだよね。私にも、負けない夢がある。
私たち、また会えるよね。
美咲なら、絶対御勢学園大学附属高校転入試験受かるよ。ずっとそばにいた私が保障する。
だから、美咲も自分のこれまでの力を精一杯出してきてね! ガンバレ!
陽子より
「ありがとう…… 嬉しいよ、陽子」
「ううん、結構さらけ出しちゃったから、後はそっとしまっておいてほしいかな」
「じゃあ、そうする」
「ふふっ」
十二月十四日。試験前日。受験票も手に入れ、会場の下見も済ませてきた。
今日は、とにかく早くご飯食べて、早くお風呂に入って、早く寝よう。今さらあがいても仕方ないし、もうあがける余裕もなかった。
金曜の放課後だからか、みんな浮かれている気がする。こっちはそんな気分じゃない。
「美咲」
「渉」
「お守りだ」
そう言って、渡してきたのは自転車の鍵だった。
「俺が中学で県大会優勝した時も、この自転車に乗ってた。どんな時も、この自転車と一緒だった。今はもう体格上乗れなくなっちまったが、俺の大事な宝物だ。流石にそれを渡すわけにはいかないから、スペアキーで悪いが、俺もそばについてる。そう思ってくれると……嬉しい」
「ありがとう。すごく嬉しい」
「お守りだと、家庭教師している先生とかが渡してるかと思ってな。お守りって、たくさん持つと神様が喧嘩するっていうから、神社のお守り以外で何か力になれそうなものはないかな、って思ったんだ」
確かに、昨日の最後の授業で真理先生が学問成就で有名な遠くの神社のお守りを渡してくれた。十一月末に旅行に行って購入してきてくれたそうだ。そういえば、「三、四日お休みをいただきます」と言って、その時に父親にみっちり面接対策をされたのだった。
「本当にありがとう。頑張るよ、私」
翌、十二月十五日。天気予報では冷え込むとの予想だったが、確かに寒い朝だった。
「カイロ準備していかないと厳しいかな……」
私立高校の教室とはいえ、寒さ対策を怠ってはならない。五科目が五十分に、面接の時間も含む、長丁場なのだ。
開始時間は九時。
八時四十分に教室に入ると、五つの机に三名の受験生が着席していた。
それぞれ開いている科目の参考書が異なる。数学、英語、化学……
私以外に社会を志願科目にした受験生はいるのだろうか。筆記用具を用意していたところで、最後の一人の受験生が入室してきた。これで受験生はすべてのようだ。
午前九時。
「はじめ」
まずは国語。真理先生と練習してきた通りに進めていく。そして十分ずつの休憩をおいて英語、社会、昼食を挟んで数学、理科と試験は進んで行った。
傾斜配点のかかる社会は緊張した。書くべきところはできるだけ書き、ミスがないように見直しも行った。
午後の理数系も、とにかくできる限りのことを書いた。県立の時よりは手応えを感じたのはやはり真理先生の特訓のおかげだろう。とにかく力の限りを尽くして答案を埋めた。
「面接は、受験番号順に行います。面接は別室で行います。それまではこの部屋で待機していてください」
私の受験番号は三番。つまり、三番目に面接が行われるということだ。
一番目の受験生が控え室を出て行った。果たして、どのくらいの長さの面接が行われるのか。これは不安だった。
約二十分後。二番目の受験生が名前を呼ばれ、控え室を出て行った。つまり、あと二十分後には面接の場に立つことになる。
父が教えてくれたポイント、自分が訴えたいこと……整理しておかないと……
「受験番号三番、中村美咲さん、こちらへどうぞ」
来た!
トントン、トン。 ノックは三回。
「はい」
「失礼いたします」
深く頭を下げ、「受験番号三番、中村美咲です。よろしくお願いいたします」
もう一度頭を下げた。
「中村さん、こちらにお座りください」
「失礼いたします」
ハッとした。私と渉にこの学校の事務室の位置を教えてくれた男性が目の前にいたのだ。
「今朝は冷え込みましたが、何か対策は取られましたか」
「使い捨てカイロを使用し、指先のかじかみと緊張を取るようにしました」
「今日はどのようにしてここまで来られましたか」
「自転車です」
「提出書類を一通り拝見させていただきましたが、公民科を得意としているそうですね」
「はい」
「地理・歴史についてはどう考えていますか」
「地理・歴史の基本的な知識があって、公民の実践的知識が活かせるものだと考えます。地理・歴史も、公民も、均等に重要な科目であると考えます」
「志望動機を簡単に述べてください」
「私には公民科で興味を抱く対象があり、それを深める研究をするためにこの学校が適していると考えました」
「それは何ですか」
「裁判員制度です」
「裁判員を辞退できる要件を知っている限り挙げてください」
来た!
「まず、学生、七十歳以上の高齢者、過去五年以内に裁判員を務めたもの、その他重い疾病や家族の介護、葬祭関係で他の期日に用事がずらすことのできないもの、また、自分の事業で裁判員となることで事業に影響が生じるもので裁判員を務めることができないもの、地方議会開会中の議員、過去五年以内に検察審査会に選ばれたことのあるもの……」
「ふむ、なかなかだね。興味を持ってしっかり研究もしているようだ。
ちなみに、あなたは志願科目を「社会科」としていますが、合格してこの御勢学園大学教育学部附属高等学校に入学したら、あなたは「社会部」に入部することを強制されます。それについては納得できますか?」
「はい。それについても興味を持っています」
「わかりました。他に、質問はないですか」
「入学するまでに、何か準備しておくことはありますか」
「ちゃんと今の学校の授業を受けること。そして、自分の興味を失わないように、アンテナを張り巡らせておくことだね」
「わかりました」
「では、これで本日の面接は終了いたします。お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
立ち上がりもう一度頭を下げ、退室する時にも「失礼します」と頭を下げる。
思えば真夏から今日まで、今日一日のためだけにたくさんの人の力に励まされてやってきた。
力が抜け、荷物を取りに戻ることすら忘れかけていた。
控室に戻って荷物を取り、自転車で自宅に到着すると、私はただいまと言力のみを残して、そのまま久しぶりの深い深い眠りについた。




