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7.ウルドを殺したい





 それは、レミのフライング休みが終わる一週間前のことだった。


 二週間をメリーとジャックとともに過ごしたレミが、サウスダコタの田舎へと戻る彼らを飛行場まで送りに行った次の日のこと。


 さよならのキスをメリーの唇に当てた次の日のこと。


 彼らとの生活に何かを与えられたような気がした日のこと。


 幸せのあとに来る悪意の日のこと。













 ドンドンドン。


 部屋のドアを激しく叩く音がする。


 五月蠅い。


「エリス! まずいことになりました」


 ハックマンか?なんで私の家の中まで入ってきてるんだっけ。


「エリス! 起きなさい。緊急事態です」


 そう言えば、この前とうとう合鍵あげたっけか?


 なら、この男がここに居るのも納得ね


 でも、なんて乱暴なの。こんな起こし方は男としては減点よ。


「エリス! さっさと起きろ!!」


 ドーーーンッ


「うわっ!」


 ハックマンが珍しく上げた大声とおそらくおもいっきり扉を蹴ったであろう衝撃に眠気が吹っ飛んだ。


 カーデガンを引っ被るとドアの鍵を外す。


 すぐに、部屋にハックマンが飛び込んできた。


「エリス! これを見ろ」


 息せき切ってニューヨークタイムスを突き出してくる彼はいつもの敬語を使う余裕はまったく無くなっていた。


「なによ。またテロでもあったの? それとも戦争? スターウォーズならうちが儲かるから嬉しいけど」


 尋常じゃないハックマンの様子にちょっと引き気味のエリスはそれを悟られないように軽口を叩いた。


「馬鹿言ってる場合じゃない! 俺たちのビジネスがやばいかもしれないんだぞ!」


 真剣なハックマン。


 訝しげにしながらもエリスは枕もとの眼鏡を取り上げてかけた。


「な、なによこれ?!」


 一面にデカデカとある少女の写真が載っていた。


 古い写真だ、所々が傷んでいる写真を載せたものらしい。


 赤い木造飛行機を磨いている少女の写真、汚れたパイロットスーツに身を包んだ姿ではあるが、上半身はシャツだけだ。


 男にはない胸の膨らみがその存在を主張していた。


 その少女は今は彼女の部下となったある青年に似ていた。


 見出しには『天才パイロット、キイツ・レミエルの意外な正体』とあった。


 世界の経済、ウォール街のお膝元に本社をもつ新聞社。


 ニューヨークタイムスその一面にゴシップ記事が掲載されたのは後にも先にもこの記事だけだろう。












「チーフーーーーーー! 大変です! 大変です! 大変です! たいへ」


「だーー!! うるせぇ!」


 いつもの如く、ドック内に住まわっていたレットは若いメカニックの叫び声に叩き起こされた。


 メカニックにすればレットの怒声の方がずっと大きかっただろう。


「たく、朝っぱらから何事だよ。火星人でも攻めてきたのか?」


 脇をボリボリと掻きながら仮眠室から出てくるレット。他にも数人泊まっていた連中が目を覚ます。


「こ、これ、これ見てください。大変なんですよ」


 握り締めて走ったために潰れた新聞をレットが奪い取る。


「なんだってんだ。まったくよ~。ナニナニ……こいつは!?」


 鬼の様な形相に変わったレットが上から下までさっと目を通す。


 ついでに次のページも確かめるとなんと同じ記事についてまだ書いてある。


 それも同じように目を通した。


 途中、一つの名前を見つけて歯軋りする。


「ベリナス! あの野郎」


 唸り声を上げるレットをメカニックが不安そうに見る。


 なんだ、なんだと起きた連中が集まってくるなかもレットは新聞を睨み付けたままだった。


「……いけねぇ。あいつをキイツを守らねぇと」


 呆然と呟いた言葉にメカニックたちがハッとする。


 レットの持つ新聞の一面はメカニックたちに向いていた。見た瞬間にだいたいの状況を理解した。


「キイツに電話だ! あとハックマンにもつなげ! それからここにいないメカニックさっさと集めろ!」


 レットの言葉に数人が電話機に飛びついた。












 レミはホテルの自室に居た。


 カーテンも閉めた。


 電灯もつけていない。


 ベッドの上に三角座りして膝を抱く。


 いつもは活き活きとして活力に溢れた瞳が今は死んだ魚のように虚ろだった。


 引っ切り無しにかかってくる電話の音がうるさいくらいに鳴っていたが、それにもレミは反応しなかった。


 点けっぱなしのテレビの中でベリナスが得意そうに笑っていた


 特番ワイドショーのゲストだそうだ。


「彼女が女性だと? ええ、もちろん気づいてましたよ。色々と気をつかってましたからね」


 茶番だ。


 どこから掴んだのか知らないがレミの情報をメディアにリークしたのはベリナスに間違いなかった。


 朝からずっとレミエルについて色々なメディアで喋っている。


 完全にすっぱ抜かれたこの事件は大企業であるルディック宇宙産業でももみ消しは出来なかったらしい。


 レミは朝早くにレットに事件を伝えられ、彼の注意どおり部屋に閉じこもった。


 ほどなくして、どうやって調べたのか?レミの部屋の電話が引っ切り無しに鳴り始め。


 部屋の向かいのビルからは多くのカメラレンズがこの部屋を狙っていた。


 部屋の前にもいつも誰かの気配がした。


 さっきから、この上をテレビ局のヘリが飛び回っている。


 随分、昔の自分がテレビの中で笑っていた。


 何年前の写真だろうか?こんな写真をとったことはない。…なにより自分は写真に撮られるのがあまり好きじゃなかった。


 どこかの誰かが、ワタシを撮った写真をどこからか探し出したのだろうか。


 司会者がレミエルと写真の人物の検証をしている。


「さすがに痛いよ。……姫」


 言葉を出すと悔しさが溢れてきた。


 今までの努力が女という枠で崩されていく。


 実力で勝ったと言っても、女に対する遠慮、優しさ、配慮そんな言葉で簡単に結果が曲がっていく。


 嘘をつけ! お前たちがいつワタシにそんな感情を抱いた。


 戦場のような激しさでワタシたちは付き合ってきたはずなのに。


 屈辱で視界が歪んだ。


 涙が勝手に零れそうで、食いしばっているはずの歯がカチカチ鳴りそうで……。


「痛い。痛いよ。姫」


 この後に来る物を考えると今以上に痛かった。


 頭を膝に押し付ける、外界のすべてから遠ざかりたくなった。


 ヘリのローター音に心臓が跳ね上がる。カメラのレンズがすべてを映し出すようで怖い。


 暴かれる、ワタシを暴かれる。


 時間に埋もれたワタシの過去が。


 握り締めた手に爪が食い込んだ。


 ワタシは泣かない。


 貴方がワタシを慰めるために泣いてくれた気がした。


 体が震えた。


 ここじゃないどこかから、貴方がワタシの頭を撫でてくれた気がした。


 優しい歌に縋りたかった。











「……チーフ」


 不安気なメカニックたち。


 レットはそんなメカニックたちをユックリと見回した。


「お前ら、本社の意向に逆らってもあの娘を助けてやる気があるか?」


 静かにゆっくりと言った。


 何人かが唾を飲み込む音が聞こえる。


「……本社は……キイツさんを……斬りますか?」


 息も切れ切れに聞いてくる。


 その質問にレットは頷いた。


「切り捨てるだろうな。もしかしたら、エリスやハックマンもな。……下手すれば、あの娘に味方はいなくなる」


 今更ながらにレミの危機を思い知る。


「俺は半年、キイツと働いてきた。このドックでいっしょに寝ていっしょに飯食っていっしょに働いた。きつい男の職場だが、俺はキイツの仕事を認めてる。若いくせに甘えのねぇやつだ、男でもそんなにいねぇ。オマエらもそう思ってただろ?」


 みんなが頷いた。


 レミの頑張りはこの場の全員が知っていた。


 それを見てレットが満足げに頷く。


「そうだ。それなのに、本社はキイツを切る。……俺はなこんな商売で結婚もしなかった。こう言うことを言うのは気恥ずかしいんだが、これでも俺あの子をな、……その。娘みたいに思ってたわけでよ」


 気恥ずかしげに言うレットに数人が笑った。


「そんなわけでよ。俺様はキイツの側に回る。俺に付き合ってると…本社の敵になっちまうかもしれねぇぞ。オマエ等もこの後好きにしな、……ただ、オマエ等も半年キイツと同じ釜の飯を食ったんだ。敵に回るのだけは止めてくれ」


 どこまでも真剣にレットは部下に頭を下げた。


 十五のころから技術者として四十年、肩肘張って生きてきたレットが頭を下げたのはこれが初めてだった。


 十秒か二十秒か長く下げていた頭を上げるとそこにはニコニコと男臭い顔で笑っている奴らがいっぱいいた。


「いや~珍しい物みせてもらいましたね」


 若いメカニックが隣の高齢のメカニックに言った。


「まったくだ、この人に付いて二十年になるが、チーフが頭下げたとこなんか見たことねぇや。まったく得したぜ。そんなことしなくても俺たちゃ、あの子の味方なのによ」


 うんうん、と頷く男たち。


「……オマエ等」


 レットはメカニックたち一人一人の顔を見回した。


 どの顔も皆、笑っている。


 それを見てレットも破顔した。


「そうか。……よーっく解かったぜ。オマエ等は俺が気遣ってやるほどの価値もない馬鹿どもだな」


「ひでぇ~。そう言うチーフはどうなんですか?」


「俺は生まれたときから馬鹿なんだよ。オマエ等後天性馬鹿とは違うんだ。………よし、俺たちは俺たちの方法でキイツをいやレミを助けるぞ! まずは……どうしょうか?」


 ガクッと傾くメカニックたち。


「チ~フ~」


「うるせぇ。それはこれから考えるんだよ。テメェラも頭絞れ!」











 もう、終わったな。


 エリスはつまらなそうに『キイツ・レミエルの秘密』そんな題のテレビを見ていた。


 お気に入りのテレビ番組はエリスの期待を裏切ってこのつまらない特番に変わっていた。


 一番の関心事であった飛び競艇、一族のだれにも口を挟ませず自分がトップに立って好き勝手やってきた。


 言う事をあまり聞かない現場を疎ましく思ったが、結果を示す彼等を喜んだ。


 レースで勝利するたびにルディック宇宙産業を高めたような気がした。


 兄の悔しそうな顔を見るのが痛快だった。


 でも、それも終わりだ。


 あの子は有名に成り過ぎた、今では世界中のだれもが一度はその名を聞いた事があるだろう。


 それだけにレミの秘密は最初考えていた以上に厳重に守ってきた。


 キイツ・レミエルが女性だと知っていたのは一族のトップたちとドックのメカニックたち、そしてハックマンとエリス。


 誰にもばれない様に男らしさをレミに求めた。


 完全には消せない部分は中性的な魅力としてメディアに大々的に押し出した事でうまく隠してきた。


 男でもキツイ過酷なレースを戦い抜くレミをだれも女性だとはおもわなかったはずだった。


 でも、ばれた。


 周到に準備され、隠されていたのだろうこのネタは今日の朝、新聞に掲載されると供に世界中のテレビ番組を特番へと変えてしまった。


 屈辱に唇を噛みながら、祖父に泣きついたがエリスの御爺さまの言葉は冷たかった。


「女の遊びはもう終わりだ」


 それだけの言葉を吐いて切られた電話。


 これだけの言葉で終わってしまった。


 エリスに祖父に逆らってまで動く覚悟はなかった。


 エリスはしょせん、それだけの人だった。


「役にたたない娘ね」


 爪をカリカリと齧りながら呟いた。


 テレビの中に写された写真の中のレミが笑っているのが気に入らなかった。


「あの……お嬢さま、キイツさんのことで先ほどからテレビ局の方と競艇のコミッショナーの方がお話をうかがいたいと……」


 オロオロとした声は家政婦だ。


 有能で出来すぎた事をしないこの女性は中々に出来たものだとエリスは常々思っていたが、今はこの家政婦すらエリスをイラつかせた。


「私はいないわ」


「……はっ?」


 ポツリとした呟きを漏らしたエリスの言葉を人の良い家政婦は理解できなかった。


「私はいないと言いなさい。それから内にいたキイツ・レミエルが男か女かなんか私は知らない。あの選手がもし女だったとしたら騙されていたのは私たちもいっしょ。それにもうあの選手は解雇したから内とは関係ないと答えておきなさい。……いえ、そうね。文面で送った方がいいかしら。ハックマンに今言ったことを伝えておいて」


 他人事のように淡々と話すエリスを家政婦が何も言えずに見つめていた。










 心が痛い。


 そんな泣き声が聞こえた。


 小さな子供が泣いている。小さな手がギュッと膝を抱いている。


 小さな瞳が落ちつきなく揺れている。


 微かな物音にもビクッと全身を震わせている。


 泣かないで、泣かないで、君が泣くとボクも悲しくなってしまうから。


 悪意のナイフが小さな体に振るわれる。


 小さな子供が紅く染まる。


 ボクの手が届かない、この距離がモドカシイ。


 泣かないで、泣かないで、君の笑顔を守りたい。


「レミ」


 言葉に出すと、この身が引き裂かれそうになった。


 彼女の恐怖が伝わってくる、悲しみが屈辱が憤りが。


 君をこの手に包みたい、君をこの身で包みたい、何者からも包み守りたい。


 だけど、ご免。


 まだ、届かないんだ。


 だから、謡うよ。君のために、君だけのための慈愛のそして召喚の歌。


「いつか君を喚んでみせる。ボクの大切な半身」


 そっと、普段髪で隠してる左目に手をあてた。


 閉じられた瞼の奥がズキリと痛んだ。








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