3.飛龍が探す貴方
だまされた。
ホントにやられた。
「飛び競艇」の開催に伴い、先駆けて紹介をかねたパーティーが開かれた。
メンバーを一堂に集めてのパーティーの最中、レミの中は騙された憤りでいっぱいだった。
「あのクソったれの父親殺しのマザーファック野郎!ワタシは聞いてないぞ!男しかいないってどういうこったよ」
会場にいるのは若いやつからすでにオッサンの域に達している奴やらがイッパイいるが女性がいなかった。
それこそ、給仕のお姉さんたちくらいしかいない。
「ったく。せっかく奮発して買ったワンピース脱がしてスーツ着せるから変だと思ったらこうゆうこととはね」
ひとしきり悪態を吐き出すとやっと落ち着いてきた。
「つまり、ここにいるのはキイツ・レミエルであって、キイツ・レミじゃないってことかよ」
選手登録のとき変名の方が良いと言ってレミのあとにエルを書き加えたのはあの男、ハックマンだ。
「くそ。あのオッサン、人の善い顔してとんだ食わせ者だよ」
レミとしては辺りかまわず怒鳴り散らしたい所だがここで女だとばれると今度は契約した会社との違約金問題になる。
違約金なんか借金もちのレミには逆立ちしたって出ないのだ。
「ほうら、そんな仏頂面してないでテレビカメラに向かって愛想でもふったらどう」
「……オーナー」
この中で唯一、ドレスを纏った女性。
ルディック・エリサレス、ルディック宇宙産業の社長の娘、彼女が飛び競艇部門を任せられた一番のお偉いさん、レミーの事実上のボスである。
「オーナーじゃなくてボスって呼びなさい。賭けレースのドンならボスの方が響きがいいでしょ。ギャングっぽくって」
「なら、ボス。貴女はワタシのことを女性と知りながら契約したんですか?」
「もちろん。貴女も知ってて話にのったんだと思ってたけどね」
エリスは悪びれることもなくサラリと答える。
「知ってたら、こんな危ない橋渡りませんよ」
「ふふふ、まぁ犬に噛まれたとでも思って諦めなさいな、そしたら腹をくくるのね」
「覚悟は出来てますよ。男と走っても負ける気はしません。ただ何が悲しくて男のカッコで四六時中いなきゃ成らないんですか?」
「ハックマンは男装が趣味だって言ってたわよ」
「しかたなくです!」
まったくなんてことを言う男だろうか、あの男に会えた幸運を喜んだ自分が馬鹿みたいではないか。
「そんなにケンケンしないの。それより見なさい、彼が養成所でナンバーワンの成績を出したベリナスよ。当面の貴女の目標ね」
彼女の示した先には、テレビのインタビューににこやかに答える青年がいた。
この場にいる者たちの半数以上はほとんどがなんらかの形で飛行機に関わった中年たちだったがレミと同じかそれ以下の者たちも結構いる。
それがこのレースの為の養成所出身者たちだった。
「軟弱そうな奴ですね」
優男ぜんとしたベリナスは甘いマスクと凛々しい雰囲気で女性客を呼び込むのに使えるだろう。
そんなところまで、教育されたのら大したものである。
「あれでも彼けっこうレースじゃシビアだそうよ。ラフプレーも多いって」
「ハックマンに見せてもらいましたよ、卒業記念レースのビデオ」
エリスの眼がキラリと光る、商売人の目だ。
「どうだった?」
勝てる?とその眼が聞いてくる。
「あんなのはシビアなんて形容じゃないですよ。あれはただの軽業です」
「貴女はその上がいけるのね?」
レミは答えなかったがその口元がクッと吊り上ったのを見てエリスは満足げに頷いた。
「オッケー。レース期待してるわよ。レミエル君」
「やっと来たか! ワタシのピッグ二世号」
レース三日前にもなって、ようやくベガスの賭場からレース用のエンジンが回って来た。
この競技、基本的にエンジン以外はどんなに弄っても違反にはならない。
メカニックたちはエンジンをかねてより組んでいた機体にセッティングする作業に追われている。
「あれはラブリードラゴンだって言ってるだろうが。それに君の物じゃないぞ」
辟易したような声はハックマンである。
パーティー以来、レミに噛み付かれ続けているハックマンは完全にレミを持て余していた。
「それより、続けろ。226だ」
「わかってるって……227っ」
「マシンはレースまでに完璧に仕上げるってレットが言ってたぞ。228」
「長く喋んないでよ…229っ」
「腹筋は緊張状態が長いほど鍛えられるんだ。数をこなせばいいんじゃないぞ。230」
「そんな鍛えさせてどうすんのさ? ……231」
「君が暇だと言うから付き合っているだけだ……あまり意味が有るとは思えないな。232」
「ならやらせんな!」
二階吹き抜けの巨大ドックの天井鉄骨に足を引っ掛けるようにして逆さにぶら下がる二つの人影。
一回り小柄な方が上体を振り上げざま叫んだ。
「レース前にレーサーを筋肉痛にするきかよ」
「そんな軟な体じゃ、シーズンを乗り切れないぞ」
先に天井からエントランスに下りたレミを追いかけるハックマン。
「ジョーダンっ。最後まで笑ってるのはワタシさ。レーット、そのエンジンどうよ?」
「最悪だな。賭けの胴元ホントに新品持ってきやがったぜ。お偉いさんは何でもかんでも新品が良いと勘違いしてるから困っちまうよ」
メカニックチームを纏める男、レットが肩を竦ませた。
「レースぎりぎりまでぶん回してりゃ、少しはスムーズになるとは思うけどよ。そう言うオマエさんこそ大丈夫なのか?こんな化けモンみてぇな飛行機とばせんのかよ」
「とーぜん。あんたもワタシに全財産賭けてみなよ、大儲けさせてやるから」
「安心して賭けられるくらい勝ち上がってたら考えてみるよ」
「そのころにはワタシのオッズそんなに高くないと思うけどな」
「バンピーは手堅く儲けるもんだ」
大きな体に似合わないなんとも小市民的な考えである。
そしてレーススタート一時間前、慌しいピッドの飛行機のコックピット内にレミの姿があった。
前日に公式発表されたコースの見取りをジッと睨みつけていた。
「レミエル君。オッズが出たわよ」
颯爽としたパンツルックで現れたのはエリスであった。
「いくつです?」
フライトスーツに身を包んだレミが計器から目を離さずに聞いた。
「ふふふ、いくつだと思う?」
「無茶苦茶な数字でしょ」
「あたり~結構高いわよ。レミエル君はこのメンバーの中じゃ一番、謎に包まれたキャラだからしょうがないわね。でも万馬券ってほどじゃないわ」
「ワタシは馬ですか?」
苦笑を返すレミ。
「ふふ、さあレースは目の前よ。しっかり稼いできなさい!」
エリスはレミのヘルメットをポンと叩くとタラップを飛び降りた。
「とうとう来ちゃったね~姫。ファンファーレまで鳴り響いてるのにホントはワタシまだ実感ないんだよ。お城で王子様に見初められた灰被り姫も今のワタシと同じ心境だったんじゃないかな」
エンジンを軽く拭かせてドックから出ると、百二十レーンにも及ぶ広い発着場がレミの前に広がった。
レミの希望で紅にペイントされたラブリードラゴンは左右に並ぶライバル機にまったく見劣りしていない。
上空をさっきまで舞っていた世界中のマルチメディアのヘリが離れていく。
アメリカの今年度ミスクイーンが秒読みを開始する。
先ほどまでの喧騒が嘘のように辺りが静かになってくる。
クイーンの唱える数字だけがベガスの砂漠に響いていた。
誰もが、息を呑んで見守るスタートの瞬間。
「……聴こえるよ。貴女の声が……」
レミが目を閉じる。
瞼の裏に世界がひろがる。
光も影もすべてを越えた世界で貴女が謳う。
何も持たないワタシのために。
「だからワタシ飛べるんだ。誰より速く、誰よりも遠くへ」
「スリィーー」
エンジンが高速回転を始める。
「トゥーーッ」
ペロリと唇を舐めるレミ。
「ワン!」
「さあ二人で飛ぼう」
レミが笑った。
「ゼロ!!」
百二十機の飛行機が大空に飛び立った。
「ハックマン! 順位はどう?」
ドック備え付けのディスプレーにはルディック宇宙産業の面々が張り付いていた。
「第一ターンマークを周ったときは91番です」
「何それ? ドベのほうが近いじゃないの。ハックマンあの子ほんとに天才なの?」
眉根を寄せるエリスには失望の色が見える。
「あの機体は伸び足型なんだ、最初の行き足はあんなモンだろ」
「そうです。エリス、まだレースは始まったばかり結果を言うのは早急ですよ」
「だと良いけどね」
レットとハックマンの説明にもエリスの顔色は変わらず、そのままドッグを出て行った。
「やれやれ、女王様はご立腹だな」
首を竦めるレット。
レットにすれば、レミは良くやっていると思う。
出足の遅いマシンで混雑するベガスの空から無事抜けたときは正直見直したものだ。
発進時の接触ですでに三機が失格となっているのだ。
「まあ、昼間はレースに動きはないだろ、何かあるとすれば157ターンマークからの大西洋ルートだな」
レットの言葉道理、レースは夕刻にドラマを起こす。
少しずつレミが追い上げだしたのである。
海上のコースは陸上より安全面で下界への注意が要らない。
かなりアクロバティックなコースになっていた。
小刻みに続くターンの連続に平均スピードが落ちていた。
その中でまったくスピードダウンしていない船が全体から飛び出してきたのである。
レミが大西洋を越えたとき、彼女の前にはトップが捕らえられていた。
「ヤーーー!!」
ドックないでスタッフが叫んだ。
「こいつはマジで勝っちまうぞ。まいったね、全財産つっこみゃ良かった。ハックマン、オマエが危険を犯してまであの子とったわけだ」
レットはマシンの最終調整に忙殺されたこの三日に伸び荒れた顎をがしがしと撫でた。
「リトルボーイの風の剣をすべて交した腕です。しかもレシプロ機でです、最新鋭の乗り易すさを追求した船に乗ってきた奴とは経験値が違います。この際、性別なんぞ気にしていられんでしょう」
ディスプレーの中で赤い機体が雲を引いた。
「そろそろ、レーザー通信できるんじゃないのか?セントラルからそろそろ千キロメートルです」
「そういや、ソロソロだな。竜を呼び出せ!」
レットの命令にメカニックの一人が無線機に飛びつく。
今度は、人の群れがディスプレーの前から無線機に移動する。
チューニングダイヤをユックリと回す。
雑音が消えた瞬間を人が探してその後を機械に追跡させる。
「どうだ? キイツの奴は?」
「……歌ってますね」
「「はぁっ?」」
レットとハックマンそれにこの場の全員の声が重なった。
「おい、通信士君?キイツ飛行士はいったい何をしていると言ったのかな?」
頭に当てたヘッドマイクを外して困惑顔のメカニックが再度答えた。
「ホントに歌ってるんですよ、…ほら、聴いてくださいよ」
外部マイクスイッチをポンと倒す。
「ズッズズジ……セイェッルホースェラ……シャドゥルゥラー……エスクロニァラーエッドゥラー…オンィフゥスークゥーシャーラントゥール……」
切り替わりの際の雑音の後、小さな声で歌声が響いてきた。
途切れ途切れに聴こえる声は確かに歌に聞こえる。
「こいつ! 超音速でぶっ飛びながら歌なんか歌ってんのか?何G下で飛んでるか理解してんのかよ」
厭きれを通り越したレットの声にみんながコクコクと頷く。
全員が業界人である、自分たちの手掛けた船がどの程度、人間を極限状態まで追い詰める事が出来るかは十二分に理解していた。
急激な加速はともかく、ターン時の減速に伴うマイナスGは脳みそを念入りにシャッフルしてくれる。
レミはターンの多いコースで猛烈な追い込みをかけている。
つまり、他の誰より強烈なマイナスGを立ち上がりのプラスGを女性の身に受けているはずなのに、だ。
「まあいい、おい! 聞こえるか?キイツ! こっちはチーフのレットだ! 聴こえたら答えろ!」
大声でレットががなりたてるがレミから返答は返ってこなかった。
不信げに目を合わせるレットとハックマン。
「この無線機って言うのはこっちが明瞭に聴こえていても向こうが聴こえていないなんてこともあるんですか?」
「馬鹿言え、最新のレーザー通信だぜ、前時代的な無線とは物が違う。こいつは火星と通信したってタイムラグ十分ほどが出るほかはちゃんと使える代物だ」
「と言う事は……彼女が故意に無視しているか。あるいは……聴こえないほど集中状態にあるか」
「前者はねぇだろうしな。となると後者か……ハックマン、あんたは昔飛んでたんだろ? パイロットがトランスして飛ぶなんてこと聞いたことあるか?」
腕組みしてハックマンに問うレット、彼の仕事はマシンを仕上げる事でそこから先の世界は畑違いなのだ。
「普通はありませんけどね。ただレミエルは半分だけ日本人らしいですからこんな事が出来るのかもしれませんよ」
ジャポン!とスタッフからどよめきがおこり、ついでみんなが納得したように頷く。
「なるほど……オリエンタルマジックってやつか。こいつは恐れ入ったぜ。さすがは侍の国」
二十三世紀になっても日本の世界的認識はちょんまげ国家だったりする。
「……聞こえるか? キイツ! こっちはチーフのレットだ! 聴こえたら答えろ!」
飛ぶ前からスイッチ入りっぱなしの無線からレットの声が垂れ流される。
しかし、レミにはまったく聴こえていなかった。
レミはただ空を走っていた。
前方から伸びるバックストリームのような何本もの引き雲を体を錐もみさせて交す。
捻り込むように敵船に密着しこちらのバックストリームに嵌めて蹴落とす。
相手の回り口の内を刺す。
ただそれだけの行為を何時間もレミは続けていた。
今、いったい何位くらいにいるのかなど考えもしなかった。
ただ、歌姫の誘う場所がこの空の向こうにあるかのように無心に飛んでいた。
ほんの少しでも、スピードを落とせば歌姫の世界が一気に遠のく。
そんな恐怖感がレミをガムシャラに走らせた。
レミを包む優しい声がその身から離れていかないように…。
後方に下がっていく船を見ると血が凍るようにゾッとする。
あんな風に落ちたら、ワタシは捨てられるんだろう。
一巡でも下がってしまえば、扱いは変わる。
いつでも同じ、ワタシの世界、変えていくのはワタシのワタシ。
いつまでも。
後ろ向き。
ワタの毀れた人形。
いつまでも。
後ろ向き。
捨てられた。
小さな手。
明かりの消えた冷蔵庫。
あんな親だから。
白い目玉。
電球の切れかけた、機械の光。
女にしてはたくましくなった二の腕。
母親は。
集まるのはでかい蛾。
何処へ行った?
どこまでも飛べる翼。
グチャ、べチャ、ドチャ、ネチャ……。
ろくでなしの子。
血反吐、どこにでもあるシミ。
請求書、酒、タバコ、花街。
何もない家。
汚いベッド。
その上のワタシ。
貴女に会いたい。
……男。
いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。
一機、引き雲に飲まれる。
いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。
また一機が落ちていく。
戻りたくないなら……ここじゃないどこかを探せ。探せ。探せ。
後ろを見るな。
落ちていくのはワタシじゃない。
あの時はもうこない。
止まらない。止まりたくない。加速しろ。世界を超える高みまで。だから……ワタシを呼んで!
親父
「サイアク」
唇がその形に動いた時、レミはトップに立った。
そしてレミはそれからも危なげなくトップを守りきる。
記念すべき「飛び競艇」最初の勝利者の名はキイツ・レミエルとなった。
表彰台に立った、レミはシャンパンを開けて勝利を喜んだが、二次発表会には出てこなかった。
二着になった、元空軍エースのアドリアはキイツの走りは勝利者と言うより何かから逃げているようだったと解述している。
事実、レミにはトップに立った事実をしらずただがむしゃらにいる筈のない敵影を追い求めて走っていたのだった。