14.ダブルに産まれたことを、私は初めて……
「見えた! ネブラスカの灯だ!」
嵐で低くなったちぎれ雲と、雨。今が深夜の時間帯だとしても、信じられないくらいの闇の中をレミは飛んでいた。その闇の中に微かに街の灯が見えてくる。
今までのピッグの装備なら、まちがいなく空の迷子になったことだろう。
突貫工事の跡が残るコックピットの足下には、無理矢理つっこんだようなナビゲーションシステムが設置されていた。
それはレース用に組んでいた飛行機から、急遽取り外した代物。
『航海の安全を祈る。整備士一同』
マジックで殴り書かれた言葉が嬉しい。最後の整備士一同の文字が最初『レット』と書かれていたのを消して書いてあるところを見て、レミは微笑んだ。ドッグの皆はこの世界でもレミの大切な人たちだった。
『レミ。どこに降りる?街の飛行場は、どこも満杯で降りられないっていってるよ。郊外に降りる?』
管制塔からの返信を聞いていたロックが心配そうにレミに囁く。
「そんな時間の無駄できないわ。このまま病院前の道路に降りる」
『やれるの?』
「自分の女を信じなさい! 私はトップレーサーの一人で、ついさっきに飛行時間が二倍に増えた経験値アップでレベルアップ、レミちゃんなのよ」
夜の闇に雨で邪魔をされながらも、レミのどこまでも見通す瞳が、するどく細められていく。
このハリケーンじゃ、病院の前でも車は走ってないはず、いいえ、私以外は走れない。だから、下のことは気にしなくていい。
道路の幅は、片側六メートルと大きいが、地面がライトアップされていないので酷く難しいタッチダウンとなるだろう。
レミの手が、低空でさらに激しい振動を伝えてくる操縦桿を戻した。
フットペダルを風に会わせて調節し、スタビライザーを風に立ててスピードを殺していく。
悪すぎる視界に、容赦なく迫る地面。
濡れた地面はかすかな光を乱反射してさらにレミを苦しめようとした。
五十センチでも、地面との相対距離を見誤ったらそのときはレミも死は免れない。
でも、レミは笑っていた。
こんなのは慣れっこだ。失敗しても、私以外苦しむことがないなら、そんなことは苦境でもなんでもない。私はいつでも、このピンチに挑んで勝利してきたんだ。G1の優勝戦に比べたら、どうということもないわ。
雨に濡れた真っ黒のアスファルトに、赤い飛行機が理想的なラインで滑り降りていく。
それは、教習所のお手本として、ビデオに残しておきたくなるようなすばらしいタッチダウンだった。
『お見事です、レミ選手』
「選手名はレミエルのままだよ。ふふ」
おどけたようなロックの言葉を背にレミはピッグから飛び降りた。病院は目の前、まっててパパ、メリー。
「なんでしまってるのよ!?」
『そりゃ仕方ないさ。もう夜中の二時なんだからね、とっくに面会時間は終わってる』
閉ざされた正面玄関に、レミの蹴りが見舞われる。
ドアがビリビリと震えるが、レミの実家の家じゃないんだから、それくらいじゃ壊れてくれなかった。
レミが下唇を、軽く噛んだ。
ここまで来たのに、病院に入れないんじゃ意味がないのだ。
「どうしよう? 急患だって言って入ろうか?」
玄関横に付属している緊急用のインタホンを見つけて、ロックに聞いてみる。
『それは、だめだよ。レミ。他の人がいっしょのときに力を使うのうまくない……こっそりと中に入るんだ』
「どうやって?」
切羽詰まったようなレミの問いかけにロックは静かに笑う。
『もう忘れたの?君の前世はなんだったのか。……知ってる?天使って空を飛ぶものでしょ』
さぁ、試してみようよ。
「う、うん」
レミは自分に与えられた可能性を、ロックの言葉で信じて、胸に手を当てた。
「やってみる! ……ロック。いつもみたいに歌ってて安心できるから」
『うん』
すぐにロックの美しい歌声が聞こえ始める。
いつもより、ずっと耳に近い。それだけでレミは最高にリラックスできた。
そして、強く思う。もし、ロックの言うとおり自分にそんな力があるなら。今こそ、その力を示したい。ダブルとしてうまれたことを……
「喜びたいの……」
レミの背中に小さな違和感が現れる。それはとても小さなむず痒さのようなもの。
「あぁぁ……」
皮膚が一枚、ピラリと捲れあがったような感触。覚悟していたような痛みもなにもなかったがレミには解った。この背中のひらひらした感触が私の羽だと。
夜の闇の中にポワァッと蒼くて優しい光が灯る。
服を破ることもなく、レミの光の帯のような羽は産まれていた。
羽で体を抱きしめるようにしてレミはその瞳で自分の背中にずっと隠れていたものを見た。
「これが……私。…きれい…」
『うん。それがレミの羽だよ。とってもきれいだ』
これが罪の証のわけがない。
「─────飛ぼう」
何も言えず、しばらくじっと羽を見つめていたレミは顔を上げたときニコリと微笑んだ。
羽ばたきの音もなく羽衣のようにたよりない羽で、レミは宙に浮かんだ。
ICU、集中治療室に二人はいた。レミの目の前、ガラス越しにベッドを挟んで寝むっている姿が見える。機械の管と酸素呼吸器が全身に取り付けられており、メリーの顔は包帯でグルグルまきになっていた。
「パパ、メリー」
想像していたより、ずっと痛々しい二人の姿にレミの声が震えた。
部屋に誰もいないことを確認して、レミはスッと室内に滑り込む。
雨に濡れきった肢体から零れる水滴がレミの足跡にプールを作っていった。
二人の投げ出された手をレミの手がとる。その手がまだ温かいものであることを確認するように…。
『レミ、緊張しないで……。大丈夫だから、落ち着いて。二人の幸せな姿を思い描くんだ』
「はい」
部屋の中に暖かくて、優しい蒼が満ちていった。
メリーとジャックのいる風景。一番幸せな、ふたりの日常。
朝だ。ジャックはいつも、濃過ぎるくらいに濃いコーヒーを飲みながら新聞を読んでる。メリーは台所で、アリーが残したレシピどうりにビーンズを煮込んでる。
ポークビーンズが出来上がった頃に、ジャックがやっと新聞を読み終えて、そこで言うの。
「メリー。レミを起こしてきてくれ」
「はーい!」
トントンと階段を駆け上り、ノックもしないで私の部屋に入り込んでくる。
そんな日常。
─────それこそが、私の幸せな夢─────
カーーッ!
目も眩まんばかりの蒼くて、でもぜんぜん怖くない。人を安心させる光が二人に降り注いでいた。
「先生! 先生!! 早く来てください」
「どうした?! 何事かね?」
夜勤に詰めていた看護婦がステーションに飛び込んできたのは長かった夜とともにハリケーンが過ぎ去ったころのことだった。
「ICUにはいった患者さんが……」
「なに?! ……そりゃいかん!!」
医者が血相を変えて、走り出そうとした、その服の袖をがっちりと掴み、ナースの本当に告げたかった言葉がかかる。
「違うんです! ……その、あの、……治ってるんです」
「何がだね!?」
「全快してらっしゃるんです。綺麗に! お二人とも!」
「ねぇ。パパ。……私たちなんで病院なんかにいるのかな?」
自分で頭に巻かれていた包帯をするするとほどきながら、メリーが横にいる父に問いかけた。
「むぅ……ワシにもわからん」
メリーの問いかけに応えられるはずもなくジャックは首をひねって固まっていたが、すぐに考えるのをやめたようである。ついで、立ち上がろうとしたときに足下に水たまりが出来ていることに気づいてまた考え込んでしまう。……しかし、それもすぐに考えるのを諦める。すべての事実は、闇の中である。
「ん。メリーおまえ……」
「なに? 私の顔になにかついてる?」
キョトンとしたような顔のメリーにジャックが笑って言った。
「姉さんによく似たご自慢の鼻の先にニキビが出来てるぞ」
病院内に世にも情けない悲鳴が響き渡ったのはのは言うまでもない。
サウスダコタの街で起こったこの小さな奇跡は暫くのあいだマスコミを騒がせることになる。