11.召喚の傷み
「レミちゃん。そっちの釜戸の温度を見てちょうだい」
「はいっ」
ちょこまかとキッチンを動き回る長身の女性、そしてそれを嬉しそうに監督する小柄な淑女。レミとレティーだ。
「レティーおばさん。推定四百度、ばっちりだよ」
「それじゃ、焼いていきましょう。……あ、気をつけて火傷しないようにね」
朝からレミとレティーが捏ねまくって作ったピザ生地が大量のトッピングを施されて釜の中に放り込まれていく。
レティーの無くなった旦那さんがイタリア系だったそうで、この家には本格的な釜戸がある。
しかし、ハイテクからは程遠い代物で、薪で火を起こさなければならなかった。
数年前から火を入れることも無くなったレティー家の釜戸に火が入ったのはレミが興味を示したからだ。
女の子的な楽しみをほとんど知らないレミ。
その彼女が大衆的とは言え料理に興味をしめしたことをレティーは喜んだ。
「ほいっと、これで……終わり♪」
楽しげにレミが釜戸を閉じる。
ピザは好きだ。釜戸にいれるとすぐにトマトとチーズそしてアンチョビの焼ける良い匂いがしてくる。何より、いっぱい一度に作れるのが良い。
思わず汗の浮き出た鼻の頭をヒクヒクさせてしまう、それを見ていたレティーに笑われた。
隠すこともなく女性らしい生き方を楽しむのはレミには新鮮でほんとうに楽しかった。
レティーおばさんのお古を着て台所に立っているワタシを見たらおじさんやメリー、ビックリするだろうな。
エプロンなんかつけたことも無かったもんね。
初めて、これを着けたときはすぐに肩紐が落ちてきてなんて着にくいんだろうとおもったものだ。……ボタンつけ間違ってたからだけどね。
「レティーおばさん、焼きあがったから工場に持ってくね」
釜戸の中から熟練の技でピザをヒョイヒョイと取り出していく。ピザを焼くのも、もう慣れたものである。
レティーは焼きあがったピザを通販で買ったという怪しげなデリバリーキットに包んでいった。
レミも手早くエプロンを外すと包み終えたピザを車の中に積んでいく。
このところのレミの仕事は、飢えた男たちへの餌の仕度であった。
体力の落ちていたレミでは工場での仕事をまかせられないと言われたのだ。もちろん、それがレミのことを気遣ってのこととは解っていた。
レミはその気遣いをありがたく受け取って、レティーとともに暮らしていた。
ゆったりとした普通の生活にレミもだんだんと回復してきていた。
工場へと向かうレミを見つめながら、ホッと息を吐くレティー。
車が視界から消えるとパッとレティーは身を翻して居間に飛び込んだ。
エプロンを外すのももどかしげにテレビのスイッチを入れる。
しかし、テレビがつかない。すぐに気づいた、今朝自分でテレビのコンセントを抜いておいたのだ。
レミがテレビを点けないように、同様に車のラジオも壊しておいた。
コンセントを刺しなおしてテレビのチャンネルを取る。
ニュースは……この時間なら、教育テレビね。
チャンネルを回そうとしてレティーは凍りついた。
「ああっ……」
レティーの午後の楽しみ、お昼のメロドラマがあるはずのチャンネルでニュースキャスターが喋っている。
昨晩、サウスダコタのダウンヒルで起きた暴行事件に新たな進展がありました。
犯人は、ダウリア・ビルゲーツ48才。
昨晩未明よりダウリアは自分の家で隣家のストンリー家のジャック・ストンリーさんとその娘メリー・ストンリーさん、二人に暴行を働いたものと思われます。
ダウリアは二人に暴行を働いた後、自らマスコミに連絡をいれ報道カメラの前で自害しました。
ダウリアは自害する前に、自分は過去に日本人女性、木津麗美さんを拉致し殺したと放言していましたが、日本政府に問い合わせたところ、確かに22年前から木津麗美さんの行方不明届を出されており、今回の片田舎の暴行事件は国際的な背景からFBIの手に………。
「ああぁ、神さま。どうかあの娘をお守りください」
あの愛らしい娘がこれ以上の傷を負うのを見たくない。
「どうかあの娘をお守りください」
レティーは膝をつき両手を組んで一心に祈る。誰に祈ったらいいのかわからなかったけど、誰かにこの祈りが届くようにと思った。
「だれでもいい。あの娘を理解してやって」
あの娘をやさしく抱いてくれる相手がいたなら……。
レティーは小さな嗚咽を漏らした。
あの娘を一人にしないで。
「んんー、どうしたんだろ?なんか、皆いつもと違うような……」
派手な砂埃を上げながら進む車の中でレミが呟いた。
昼ご飯を届けた帰り道、思い出すのは妙に浮かれたようにピザを頬張っていた皆の姿だ。
「ピザ、美味しかったと思ったけどな」
レティー直伝のレミの料理、レパートリーはまだほとんど無いが。まずくはないと自負していた。
と言うか、焼きさえちゃんとやれば不味く作る方が難しい。
「まぁ、いいか」
頭を捻っても思い浮かばない原因にあっさり考えることを止めるレミ。
男の人だもんね。ワタシに言えない事くらいあるでしょ。
すれ違う車もない砂漠の道で更にアクセルを踏み込む。だれもいないレッドライン、ここなら何キロだしても文句を言われることも無い。
タコメーターがガンガン回り、景色が後ろに吹っ飛んでいく。
目指すはレティーの待っているあの小さな家だ。
「っと、その前に給油しとかないと……」
こんなところで、ガス欠は勘弁して欲しい。
ランプの点灯を見てレミは眉をしかめた。
たしか……この先にもガソリンスタンドがあったはず。
「お、見えた見えた」
スタンドを遥か遠くの道路脇に見つけてレミが手をたたいた。
本当に何もないスタンドだった。あるのは屋根がついているだけの小さな休憩所、自販機がひとつ。給油ホースが二本。どこかから、聞こえてくる雑音混じりのホークミュージックが余計に寂しさを演出していた。
「ヨイッショっと」
無人のスタンドでレミは給油レバーをタンクにセットし、十ドル紙幣を自販に突っ込んだ。モーター音と共にレギュラーがドバドバと流れ込んでいるのが解る。
その音を聞いてレミは自分もエネルギーを補給するため人間用の自販に足を向ける。
「ベガスコーラ? なにこれ?」
この自販を設置した人はなにを考えたのか、二十種類入るはずの自販に、怪しげなデザインのコーラ一種類しか置いていなかった。
ブツクサと文句を言いつつ、コインを取り出そうとしたとき、レミの動きがピタリと止まった。
……リア・ビルゲイツが木津麗美さん当時二十四歳を拉致し、殺害するまでの十年間の謎は多く……
……街の住人はそのことについて口が重く……
……ダウリアはマスコミの前で「トラッシュ」なる人物を罵倒し…
「……やめて」
……調べによりますと、二人の間には子供が生まれ……
……その後に持っていた拳銃を銜えて自害し……
「……やめてよ」
……なお、ストンリーさん一家は未だ重体で意識が戻らず……
「やめってたら!」
いやだ、うそだ、こんなのはちがう、こんなことない、みとめない。
ママ、こんなのウソだよね。ちがうよね。
ママはワタシを愛してくれたんでしょ?だからあいつから守ってくれたんだよね。
だから、好きだよ。
ママはワタシを愛してなかった、だからワタシを殺したんだよね?
それでも、好きだよ。
ママはワタシを好きじゃなかった、いやな男との間に生まれたワタシを疎んでた、ワタシの瞳の色があいつに似てるって言っていつもワタシを打った。
泣かないでよ、ママ。ぶたれても我慢するから。
ママはワタシを抱いてくれたよね。ワタシはママを幸せにするために生まれたんだよね。
ごめんね、ママ。ワタシはロックと一つで生まれたかった。
ワタシは見てたんだ、あいつがママの髪を掴んで引きづってるの。
ワタシ知ってるよ、ママがどんなに酷いめにあってきたか。
でも、……ごめんね。ばれちゃったみたいなんだ。
ワタシ…………もう、一人で背負えない。
レミのすべてが交じり合って一つになる。二人の母から受けたのは愛情と憎しみのどちらでもないもの。
皮膚の一枚下に必死で隠してきたのは、哀れな母たちの姿。狂ってしまった人生に絶望した彼女たち。どう生きて、どう死んだか。
一人目の母はワタシが産まれなければ、幸せになれた。
二人目の母はワタシが産まれなければ、あの男から逃げられたかもしれない。
指先からコインが零れて落ちた。
「ごめんね。ワタシの半身。ワタシ忘れようとしてたんだ。ワタシがいつまでもママのこと覚えてたらママが可哀想だと思ったんだ」
記憶と共に昔がレミの身に重なりだす。
「ロックの気持ちも考えないで、勝手に忘れたんだ。卑怯だよね……」
服の胸元がゆっくりと朱く染まっていく。
「でも、ワタシはワタシが生まれ変わるために狂わせてしまったママを守りたかったんだ」
搾り出すように嗚咽とともに告白するレミ。
「ほんとに卑怯だよね。この傷もいままでロックに背負わせてさ…」
胸元から腹部に伸びる傷に手を這わせる。母が埋め込んだ指の爪痕。
「それなのにワタシ、ロックの目を見て何も思い出さなかった」
滴り落ちる血を見てレミは小さく笑った。
「ごめんね。今まで痛かったでしょ?」
ブルブルと震えていた足が限界を迎えたように倒れこむレミ。
「私の魂の双子、……」
力もなく焦点も合わなくなった目でここじゃないどこか、ロックのいる世界を見つめるレミ。
「……会いたい。一人じゃ生きられない。昔みたいにひとつになれたら……」
擦れるような声でこの言葉を紡ぐとレミは意識を手放した。求めることが罪だと思っていた。
耳の奥で最愛の人の歌声が聞こえた気がした。
震えるレミの小さな肢体を包み込むように優しい歌が聞こえてくる。それは、今までよりも現実に近い肉声。それはロックの召喚の歌の始まりの詩。
立っていることも出来ず、うずくまったレミ。
どこまでも澄んだ優しい調べは、レミを喜びでもって包み込む。そこに、少しの悲しみの色を持って。