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99. 湯けむりの向こう側、まさかのミッション

作者: Cas123
掲載日:2025/10/08

湯けむりの向こう側、まさかのミッション


第一章:社員旅行という名の嵐の予感、そして微かな期待


俺、佐々木健太、38歳、独身。このスペックだけで、世間の風当たりの強さをひしひしと感じる今日この頃だ。中堅の食品メーカー「満腹フーズ」で営業として働き、早15年。大きな失敗もなければ、目覚ましい成功もない。まさに「中堅」という言葉がピッタリな、可もなく不可もないサラリーマン人生。同期は結婚し、家を買い、子供の運動会の話で盛り上がっているが、俺の週末はもっぱら溜まった録画の消化と、近所の定食屋での一人飲みだ。最近じゃ、後輩にまで「佐々木さん、いい人いないんスか~?」と半笑いで聞かれる始末。うるせえ、こっちが聞きたいわ。おまけに、生え際の後退が日に日に顕著になり、毎朝のセットに時間がかかるようになった。悲しいかな、これが38歳独身男のリアルである。


そんな俺にとって、年に一度開催される社員旅行は、正直言って苦行に近い。普段ろくに話もしない他部署の、しかも役職が上の人間の隣に座らされ、当たり障りのない会話を捻り出し、ビールを注ぎ、愛想笑いを浮かべる。若い連中は若い連中で固まって内輪ネタで盛り上がり、俺のような中間層は所在なく手酌で酒を飲む。ああ、想像しただけで胃がキリキリしてきた。今年も欠席しよう。そう心に決めていた。

社内イントラに旅行案内の告知がポップアップしたのを見て、俺はマッハの速度でカーソルを「×」ボタンに合わせようとした。その瞬間、フロアに響く快活な声。


「よお、佐々木! 今年の社員旅行、もちろんフル参加だよな? なあ?」

振り返れば、山田先輩。齢43。俺がペーペーの新入社員だった頃から、何かと目をかけてくれている、いわば恩人だ。営業部のエースで、豪快かつ人情味あふれる性格から、社内での人望も厚い。ただ、少々強引なところと、声がデカすぎるのが玉に瑕だが。俺もプライベートで世話になっていて、週末に先輩の家に招かれ、奥さんの手料理をご馳走になるのが数少ない楽しみの一つだったりする。


「いやー、先輩。それがですね、ちょっと家の都合が…母がですね、ええと、膝が…」 しどろもどろになる俺の肩を、先輩は遠慮なくバン!と叩いた。痛い。普通に痛い。 「嘘つけ! お前んちのお袋さん、先週ピンピンしてマラソン大会出てただろうが! 俺、道で会ったぞ!」 「えっ、マジすか」 「ガハハ! 万年フリーのお前に断る権利なーし! 大体な、お前はもっと外に出ろ! 人と交流しろ! そうじゃなきゃ、彼女の一人もできんぞ!」 ぐうの音も出ない正論パンチ。先輩は続ける。 「今年は特別企画でな、家族参加もOKなんだよ! だから、うちのユキも連れてくんだ。お前も来いよ! な? 一人で隅っこで酒飲んでる寂しいおっさんにはさせねえから!」


家族参加OK。その言葉に、俺の心は微妙に揺れた。先輩の奥さん、ユキさん。35歳のはずだが、とてもそうは見えない。初めて先輩の家で会った時、太陽みたいな明るい笑顔と、ふとした瞬間に見せる、どこか憂いを帯びた表情のギャップに、完全に心を撃ち抜かれたのだ。もちろん、尊敬する先輩の奥さんだ。下心なんて、あるわけが…いや、正直に言おう、めちゃくちゃある。あるけど、それは心の奥底に厳重に封印してきたはずだ。


「…奥さん …ユキさんも、いらっしゃるんですね」 「おうよ! お前、ユキのメシ、好きだろ? 旅行先でも美味いもん食わせてやるよ!」 そうじゃない。そうじゃないんだ先輩。でも、ここで「ユキさんが来るなら行きます!」なんて言えるはずもなく。 「…分かりました。そこまで言われたら、参加しないわけにはいきませんね」 俺は観念して頷いた。 「おう、それでこそ俺が目をかけてる後輩だ! よーし、当日は飲みまくるぞー!」


こうして、俺の憂鬱なはずの社員旅行参加は決定した。ユキさんも来る。その事実に、面倒くささ9割、淡い期待1割(本当は3割くらい)の複雑な感情を抱えながら、俺は運命の日を待つことになった。これが、とんでもない波乱の幕開けになるとも知らずに。


第二章:湯けむりの衝撃告白、揺れる男心


旅行当日。大型バスに揺られること数時間。車内では、若手社員がカラオケでアニソンを熱唱し、部長クラスは窓の外の景色を眺めながらゴルフ談義に花を咲かせている。俺はといえば、通路を挟んだ隣の席で、イヤホンで音楽を聴いているフリをしながら、時折、前方の席に座るユキさんを眺める。ああ、理想の家族像。俺もいつかは…なんて柄にもないことを考えてしまう。ユキさんと一瞬目が合った気がして、慌てて視線を逸らした。自意識過剰め。


目的地の温泉旅館「湯けむり荘」は、山間に佇む、風情のある宿だった。立派な門構えに、手入れの行き届いた庭園。これは期待できそうだ。部屋に荷物を置き、一息ついた。宴会までは自由時間だ。俺は早速、温泉で長旅の疲れを癒そうと大浴場へ向かった。まだ時間が早いせいか、広い浴場には誰もいない。檜造りの内風呂で体を温め、露天風呂へ移動した。


岩風呂に体を沈め、山の緑と澄んだ空気を満喫する。「はぁー、極楽極楽…」。日頃のストレスが、湯気と共に溶けていくようだ。これがあるから、社員旅行も捨てたもんじゃない…と思えたのも束の間だった。

ガラガラッ、と勢いよく扉が開く音がした。振り返ると、そこにはタオル一枚を腰に巻いた山田先輩が立っていた。 「おー、佐々木、一番乗りか! さすが温泉好きだな!」 「あ、先輩、お疲れ様です」 先輩はザブッと隣に浸かってきた。二人きりの露天風呂。聞こえるのは、湯が流れる音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。いつもならマシンガンのように喋り続ける先輩が、妙に静かだ。湯気で表情は判然としないが、何かを深く思い悩んでいるような、重苦しい雰囲気が漂っている。


「なあ、佐々木…」 「はい? 何でしょう」 改まった、低いトーンの声。嫌な予感がする。まさか、さっきバスの中でユキさんを見ていたのがバレたのか? いや、そんなはずは…。

「お前に、一生のお願いがあるんだ」 「い、一生のお願い、ですか?」 ごくり、と喉が鳴る。保証人か? 臓器提供か? 俺の平凡な人生には縁遠いワードが頭をよぎる。

「…実はな、俺…最近、全然、ダメなんだよ」 「ダメ…って、仕事とかじゃなくて?」 「夜だよ、夜! 夫婦の営みってやつだ! …EDなんだ…」


衝撃の告白。しかも、この開放的な露天風呂で。ミスマッチ感が半端ない。いつも自信満々で、社内でも「イノシシ」なんてあだ名を持つ先輩が、そんなデリケートな悩みを抱えていたなんて。

「びょ、病院とか、カウンセリングとかは…」 「行ったよ! あらゆることを試した! 有名なクリニックにも行ったし、怪しげな精力剤も試した! でも、全然、まったく、これっぽっちも、ダメなんだ…!」 先輩の声は、途中から涙声になっていた。肩が小刻みに震えている。こんな弱々しい先輩の姿を見るのは初めてだ。


「それでな…もう、ユキに申し訳なくてな…。あいつも、寂しい思いをしてる。俺のせいで…。それで、二人で何度も話し合ったんだ。どうすればいいかって…」 ユキさんと? いったい何を? 俺の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。まさか、そんな、馬鹿な…。

「佐々木…頼む。男として、いや、親友として、頼む。今夜、俺の代わりに、ユキを…ユキを抱いてやってくれないか?」


「…………………は?」 時が止まった。いや、俺の脳の機能が停止した。幻聴か? 湯あたりによる意識混濁か? この人、今、なんつった? 「せ、せ、先輩! 何を言ってるんですか!? 冗談キツイですよ! 無理です! 絶対無理です! 人として!」 俺は思わず湯船から立ち上がり、叫んでいた。

「頼む! この通りだ!」 先輩は湯に浸かったまま、俺の股間を見上げた後、深々と頭を下げた。その必死な、切羽詰まった様子に、俺の勢いは削がれる。冗談じゃない。この人は、本気だ。 「ユキも、納得してるんだ。最初は驚いてたけど、俺があまりに思い詰めてるのを見て…。それに…あいつも、お前のこと、悪い印象はない、みたいでな…。むしろ、その…好意的に思ってるところも、ある、みたいで…」 「えええええっ!?」 ユキさんが、俺に、好意? 混乱する頭の中で、以前、先輩の家で酔った勢いでアニメ談義に花を咲かせたことや、落とした箸を拾おうとして手が触れ合った瞬間の、あのドキドキ感を鮮明に思い出す。あれは、俺の一方的な勘違いじゃなかったのか?


「分かってる! 普通じゃない頼みだってことは重々承知してる! 人でなしの頼みだってことも分かってる! でも、お前しかいないんだ! 俺が心から信頼できて、ユキも心を許せるかもしれない相手は、お前しかいないんだよ、佐々木!」 先輩の嗚咽混じりの声が、静かな山間に響く。いつも公私にわたってお世話になっている先輩からの、魂の叫びのような懇願。そして、心の片隅でずっと、密かに、しかし確かに想い続けていたユキさんの存在。倫理観。道徳。常識。そんなものが、ガラガラと音を立てて崩れていく。断るべきだ。断固として。それが正しい道だ。だが、目の前で頭を下げ続ける先輩と、脳裏に浮かぶユキさんの笑顔が、俺の決意を鈍らせる。


「………本当に、ユキさんも、それで…?」 かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。 「ああ。さっき、部屋で、改めて話してきた。お前になら…って、涙ぐんでたよ」 「……………」 どうすればいい。どうするのが正解なんだ。分からない。ただ、先輩の苦悩と、もしかしたら存在するかもしれないユキさんの想いと、そして俺自身の心の奥底にある醜い欲望が、複雑に絡み合って、俺をがんじがらめにする。

「………分かり、ました。……今回、一度だけ、ですけど…」 自分でも信じられない言葉が、口から滑り出ていた。


「ほ、本当か!? 本当にいいのか、佐々木!?」 先輩はガバッと顔を上げた。その目は、驚きと、感謝と、そしてEDからの解放への期待で、ギラギラと潤んでいた。 「ありがとう! ありがとう、佐々木! この恩は一生忘れん!」 先輩は湯の中で俺の手を力強く握りしめた。 「今夜、日付が変わる頃に、俺たちの部屋の襖を叩いてくれ。鍵は開けておく。俺は、それまでにお前の部屋に移動して、息を潜めてるから」 そう言う先輩の顔は、先ほどまでの弱々しさが嘘のように、どこか活力を取り戻しているように見えた。俺は、これから自分が足を踏み入れようとしている、未知で、禁断で、あまりにも非現実的な状況を思い、ただただ、湯けむりの向こうの景色を呆然と眺めるしかなかった。


第三章:戸惑いの夜、まさかの展開と襖の隙間


宴会場での時間は、地獄だった。海の幸、山の幸が並んだ豪華な料理も、まったく喉を通らない。注がれるビールをただ機械的に呷るだけだ。山田先輩は、いつもの調子を取り戻したのか、各テーブルを回ってガハハと談笑している。時折、俺に意味ありげな視線を送りながら。ユキさんは、女性社員たちのテーブルで、穏やかに談笑している。けれど、その笑顔がどこか儚げに見えるのは、俺の気のせいか? それとも、これから起こることを予感しているからか? 何度か目が合ったが、そのたびに彼女はふっと視線を逸らし、頬を微かに赤らめた。意識している。間違いなく、俺を。その事実に、罪悪感と同時に、どうしようもない高揚感が湧き上がるのを止められない。ああ、俺はなんて最低な男なんだ。


宴会がお開きになり、各自部屋に戻る流れになった。千鳥足の上司や、二次会だと騒ぐ若手を尻目に、俺はそっと自室に戻った。時計を見ると、午後11時。約束の時間まで、あと1時間。長い、長すぎる1時間だ。部屋の中を行ったり来たり、意味もなく冷蔵庫を開け閉めしたり、テレビのチャンネルをザッピングしたり。落ち着かない。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。本当に、行くのか? 行っていいのか? 自問自答を繰り返すが、答えは出ない。ただ、もう後戻りはできない、という感覚だけが、重くのしかかっていた。

深夜0時。俺は意を決し、自分の部屋を出た。廊下はシンと静まり返っている。他の部屋からは、寝息や談笑の声が漏れ聞こえてくる。先輩夫婦の部屋は、廊下の突き当りだ。一歩、また一歩と近づくにつれ、足が鉛のように重くなる。ドアの前に立ち、震える手で、三回、小さく襖を叩いた。


「……どうぞ」 中から聞こえたのは、蚊の鳴くような、しかし凛としたユキさんの声だった。深呼吸を一つ。唾を飲み込む。俺は、ゆっくりと襖を開けた。


部屋の中央には、小さな卓袱台が置かれ、その向こうに、浴衣姿のユキさんが正座していた。明かりは絞られ、薄暗い。彼女は俯いていて、表情はよく見えないが、肩が小さく震えているのが分かった。もちろん、先輩の姿はない。あの人は今頃、俺の部屋で固唾を飲んでいるのだろうか。


「あ、あの…夜分に、すみません。佐々木です」 ありきたりな言葉しか出てこない。 「……はい。お待ち、してました」 重く、気まずい沈黙が、部屋を満たす。畳の匂いと、ユキさんのものだろうか、石鹸のような清潔な香りが、妙に鼻についた。何か、何か話さなければ。


「ゆ、ユキさん…本当に、俺なんかで、いいんですか? 先輩はああ言ってましたけど…」 「………主人が、あんなに思い詰めている姿を、もう見ていられなくて…。それに、私にできることがあるのなら、って…」 ユキさんは、ゆっくりと顔を上げた。月明かりに照らされたその瞳は潤んでいて、頬は恥じらいで赤く染まっている。息をのむほど、綺麗だった。 「…それに、嘘じゃありません。佐々木さんのこと…初めてお会いした時から、その…誠実で、優しい方だなって…素敵だなって、ずっと思ってましたから…」

「えっ……あ、ありがとうございます……俺も、ユキさんのこと……初めてお会いした時から、ずっと……その、綺麗だなって……」 しどろもどろだ。語彙力が小学生レベルになっている。だが、嘘偽りのない気持ちだった。まさか、ユキさんの方も、俺にそんな感情を抱いてくれていたなんて。


その後のことは、正直、あまり鮮明には覚えていない。どちらからともなく、自然に体が引き寄せられた。戸惑いと、背徳感と、抑えきれない衝動と、そして確かに存在する互いへの好意が混ざり合った、奇妙な空気の中で、俺たちは唇を重ね、そして、一つになった。ユキさんの肌は驚くほど滑らかで、温かかった。触れるたびに、甘い吐息が漏れる。俺の頭の中では、「これは現実じゃない」「先輩に申し訳ない」「でも、ユキさんが綺麗すぎる」という思考が、目まぐるしく駆け巡っていた。感情のジェットコースターだ。行為の最中、ふと、隣の部屋との境にある襖に、数ミリほどの隙間が開いていることに気づいた。暗くてよく見えないが、誰かがいるような…? いや、気のせいだ。こんな状況で、そんなはずはない。俺は邪念を振り払うように、目の前のユキさんを強く抱きしめた。しかし、あの襖の隙間の残像は、妙に頭から離れなかった。


第四章:衝撃の真相、覗き見セラピーと奇妙な日常の幕開け


あの禁断の夜から数日。俺は完全に抜け殻のようになっていた。会社に行っても、仕事が全く手につかない。パソコンの画面を見つめていても、浮かんでくるのはユキさんの潤んだ瞳ばかり。廊下で先輩にすれ違うたびに、心臓が縮み上がり、挙動不審になる。完全に自意識過剰だが、周りの社員たちも、俺の異変に気づいているんじゃないかと疑心暗鬼になる始末だ。体重も2キロ減った。これが「恋煩い」ならロマンチックだが、俺の場合は、罪悪感と背徳感によるストレス太りならぬストレス痩せだ。


そんな廃人のような俺の元に、山田先輩から「例の件で、ちょっと話があるんだ」と内線電話があった。声のトーンは、なぜか明るい。ついに、断罪の時が来たのか? それとも、まさかの離婚報告? ああ、俺のせいだ。俺が、あの時、ちゃんと断っていれば…。鉛のように重い足取りで、会社近くの、昭和の香り漂う「喫茶・田園」へ向かった。指定された席には、既に先輩が座って、スポーツ新聞を広げていた。

「よお、佐々木! 待ってたぞ! いやー、先日は、本当に、本当に助かった! 大感謝だ!」 席に着くなり、先輩は満面の笑みで、俺の肩を力強く叩いた。その予想外の明るさと、力強い叩き方に、俺はむせ返りそうになる。


「あ、いえ…その、ユキさんは…お変わりなく…?」 一番気になっていたことを、恐る恐る尋ねる。 「ああ、ユキか? 元気ピンピンだよ! なんか、前より肌ツヤも良くなった気がするぞ、ガハハ!」 デリカシーの欠片もない発言に、俺は言葉を失う。 「それより、佐々木、聞いてくれよ! すごいことが起こったんだ!」 先輩は、声を潜め、身を乗り出して、興奮した様子で続けた。その目は、少年のようにキラキラしている。


「あの夜な…お前たちの様子…実は……隣の部屋の襖の隙間から……ガン見してたんだ」

「…………………………………は?」 思考回路が、ショートした。ブチッ、という音が頭の中で聞こえた気がする。ガン見? 何を? どういうことだ? あの時の、襖の隙間の違和感は、気のせいじゃなかったのか!?


「いや、待ってくれ、引かないでくれ! もちろん、お前にユキを頼んだのは本当だ! EDで本気で悩んでたのも嘘じゃない! だがな、ユキと色々試行錯誤する中で、ある特殊な状況下においてのみ、俺の“息子”が反応する可能性に気づいたんだ!」 「と、特殊な状況…?」 「ああ。それは…愛する妻が、信頼する他の男に、身を委ねている姿を、この目で見る、ということだ!」 先輩は、まるで世紀の大発見をしたかのように、胸を張って言い切った。


言葉が出ない。開いた口が塞がらない。ただ、目の前で熱弁を振るう先輩が、宇宙人にでも見えてきた。 「そ、それで…効果は…?」 かろうじて、それだけ尋ねた。 「効果てきめん! ビンビンよ! もう、ビックリするくらい! ユキも最初は『あなた、最低ね…』ってド捨て身のドン引きしてたけどな。でも、結果的に俺が元気を取り戻して、夫婦仲も円満になったんだから、まあ、結果オーライ?みたいな? もちろん、これは、佐々木、お前の捨て身の献身があってこそだ! 本当に、言葉じゃ言い表せないくらい感謝してる!」 先輩は、両手を合わせて拝むように言った。その顔には、長年の悩みから解放された、一点の曇りもない、清々しいまでの笑顔が浮かんでいる。


俺は、目の前に置かれた、すっかり氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを、ストローで意味もなくかき混ぜていた。そういうことだったのか。俺は、先輩のED治療のための、壮大な、そして極めて変態的な「臨床実験」の、モルモットだった、というわけか。怒りや、裏切られたという気持ちよりも、そのあまりに突飛で、ぶっ飛んだ展開に、呆れと、そしてなぜか、ほんの少しの安堵感がこみ上げてくる。最悪の事態(修羅場)は避けられた…のかもしれない。いや、むしろ、今が修羅場なのかもしれないが。


「それでな、佐々木…」 先輩は、急に真顔になり、少し申し訳なさそうな顔で、再び口を開いた。嫌な予感しかしない。 「非常に、非常に言いにくいんだが…また、決起してもらえないだろうか?」

「………へ?」 聞き間違いであってほしい。 「いや、もちろん、無理強いはしない! お前にだって都合があるだろう! でもな、一度元気になったとはいえ、まだ本調子とは言えなくてな…。なんていうか、定期的な“メンテナンス”が必要というか…。できれば、月に一度か二度くらい、その…ご協力いただけると、非常に助かる、というか…」


俺は、喫茶・田園の、黄ばんだ天井を仰いだ。なんだこの状況は。新手のドッキリか? それとも、俺はまだ夢を見ているのか? いや、現実だ。目の前には、かつてないほど真剣な表情で、俺に懇願している先輩がいる。

「もちろん、今回も、俺は見るだけだ! 絶対に手は出さん! そこは信じてくれ!」 いや、論点はそこじゃないんだ、先輩。


しかし、断れるだろうか? この、あまりにも奇妙な状況を受け入れてしまった俺に。それに、あの夜の、恥じらいながらも俺を受け入れてくれたユキさんの表情と、その柔らかな肌の感触が、脳裏に焼き付いて離れないのも、また否定できない事実だった。俺の中の、僅かに残っていた倫理観の最後の砦が、ガラガラと崩れ落ちていく。


「………まあ、先輩と、ユキさんが、それでいい、って言うなら……」 俺は、力なく、そしてどこか諦めたように、頷いていた。


それからというもの、俺の平凡だったはずの日常には、「山田夫妻の夜の営み活性化プロジェクト(覗き見付き)」という、極めて特殊な「ミッション」が組み込まれることになった。月に一度か二度、週末の夜に、俺は山田家を訪れる。先輩は「おー、佐々木、よく来たな! ちょっと俺、急な仕事思い出したから、後はよろしく!」などと、白々しい理由をつけて家を“空け”(実際は、クローゼットの中とか、床下収納とか、毎回違う場所に巧妙に隠れて、息を潜めて覗いているのだろう)、俺はユキさんと、あの夜と同じように、戸惑いと、罪悪感と、そして抗えない感情の入り混じった、複雑な時間を過ごす。ユキさんも、最初は戸惑いを見せていたが、最近ではどこか吹っ切れたように、以前よりも少しだけ積極的になった気がする。それがまた、俺の罪悪感を刺激するのだが…。


これでいいのだろうか、俺の人生。38歳、独身、趣味は「人妻との逢瀬(夫公認、覗き見付き)」。そんな肩書き、絶対に履歴書には書けない。そんな疑問が、夜中にふと頭をもたげることもある。だがしかし、いつもお世話になっている先輩夫婦の「家庭円満」に、ある意味で貢献している(?)、という奇妙な達成感と、ユキさんとの、誰にも言えない秘密の関係が、俺の灰色だった日常に、鮮やかで、しかし歪んだ彩りを与えているのも、また確かな事実なのだった。


今日も今日とて、会社の給湯室で、山田先輩が俺の肩を叩き、「佐々木くん、今週末、例の“会議”、よろしく頼むよ!」と、周囲に聞こえない声で、しかし満面の笑みで囁いてきた。俺は、曖昧に苦笑いを浮かべながら、コクリと頷く。湯けむりの向こう側で始まった、この常識外れで、少しおかしくて、そしてどこか切ない三角関係は、どうやら、まだまだ終わる気配はないようだ。俺の人生、どこへ行く。



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