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演劇の都市

 アラトリアの門は、まるで舞台の緞帳のようだった。


 高く、白く、無駄に豪奢な装飾が施され、金の縁取りが西日の光を受けてまばゆく光っている。その中央に刻まれた言葉に、カイが首を傾げた。


「“世界は舞台、我らはその役者”……か。なんか意味深だな」


 リィナが肩をすくめる。「この国の標語らしいわよ。ちょっと気取ってるっていうか、なんというか……」


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 舗装された石畳。片側に並ぶ豪奢な噴水と生垣。すれ違う市民たちの衣服はどれも色鮮やかで、言葉遣いもどこか芝居がかっている。


「いやあ、それはまさしく運命の再会だ!」

「許しておくれ、私は君を裏切ったんじゃない!あのときは……っ!」


 ……そういった叫びが、日常会話の一部のように町中を飛び交っていた。


「……なあ、これ、本気でやってるのか?」

 カイが小声で訊くと、リィナがやれやれとばかりに答える。


「ここじゃ“演じること”が美徳らしいの。どんな職業でも、どんな場面でも“役者であること”を求められるんですって。つまり――」


「つまり、変な国だな」


 カイがぽつりと呟いたとき、レオンがふいに足を止めた。


 広場の一角、群衆がざわめいている。


 人だかりの中心では、衛兵らしき男が顔をしかめながらシートをかけようとしていた。ちらりと見えたのは、干からびた腕だった。皮膚はまるで枯葉のように茶色く、骨とほとんど変わらない。


「また起きたのか……」


 呟いたのは、現場のひとりの男だ。年季の入った衛兵。見慣れてしまっているのか、その表情は諦めの色に染まっていた。


 リィナが眉をひそめた。「……死体、よね? でも、あの乾き方って――」


「干からびてる。普通の死に方じゃねぇな」

 カイの声がかすかに低くなる。


 レオンはしばらくその場に立ち尽くし、何かを感じ取るように視線を走らせていたが、やがて何も言わずに歩き出した。


 それ以上、彼は一言も発さなかった。


 重たい空気を切るように、カイが声を上げた。


「ま、でもさ。俺はこういう空気に飲まれないタイプだからな!」


 と、急に明るく戻る。


「せっかくだし、この街、ちょっと楽しんでいこうぜ? ――ほら、あれとか!」


 彼が指さしたのは、広場の掲示板に貼られた一枚の大きな紙だった。金色の縁取りに、踊るような文字でこう記されていた。


《第七回 アラトリア市民参加型“英雄審査会” 開催!》

――演じよ!語れ!名乗れ!目指せ、民衆の寵児!

優秀者には、“名誉騎士”の称号と特別演技補助金が与えられる!

*応募はマエスト広場特設演技場にて!*


 カイはにやりと笑った。


「なあリィナ、レオン。ちょっと、ちょーっとだけ寄っていかない?」


「いやな予感しかしないんだけど……」

 リィナが額に手を当てる。


 その横で、レオンがまた無言で立ち止まっていた。


 広場の噴水の水面に映る空は、晴れていた。だがその水底には、わずかな濁りが見え隠れしていた。




 マエスト広場の一角に設けられた“英雄審査会”特設演技場は、まるで見世物小屋だった。


 赤と金の布で飾られたテント。中央には舞台が設置され、後方には審査員席が設けられている。周囲には見物人が絶えず、口々に「次は誰が名乗るのか」「今年は“台詞部門”がアツいらしい」などと騒いでいた。


「台詞部門てなんだよ……」カイが笑いながら言った。


 彼の手にはすでにエントリー表が握られていた。リィナが呆れ果てたように隣に立つ。


「本当に出るの? 名乗りとポーズで評価されるって聞いたけど」


「出る出る。こういう場はな、雰囲気を楽しむもんだって」


 カイの口ぶりは軽いが、表情には不思議な熱気が宿っていた。ふだんおどけた態度の多い彼が、こうして何かに真剣になるのは珍しい。


 レオンは演技場の端で壁にもたれ、無言で周囲を見渡している。彼の視線は特設テントの奥、関係者しか入れない区域にまで及んでいた。


 騒がしい広場の喧噪に紛れて、どこか微かに、湿った土の匂いが混じっていた。


「――参加者番号四十七番! 次、どうぞ!」


 呼ばれて飛び出すカイ。見物人たちの視線が集まり、舞台が静まる。


 司会者が張り上げた声で告げる。


「さあ!続いての参加者は東方風の軽戦士、若き冒険者カイ! その“英雄名乗り”、存分にご覧あれ!」


 カイが一歩、舞台の中央へ進む。


 数秒の沈黙。視線が一点に集まるそのなかで、彼はくるりと回って剣を構えた。


「名乗るはカイ! 風を切り裂き影を裂く、俊足の一閃!」


 そして、腰を低く落とした決めポーズ。


 ――一瞬の静寂のあと、どっと笑いと拍手が巻き起こる。


 「意外とキマってるじゃん」「センスあるかも」「あの語感、悪くないわね!」


 観客の反応は上々だった。リィナが思わず小声で呟く。


「……ちょっと悔しいけど、意外とウケてる……」


 カイは退場しながら、軽く片手を挙げて応えた。にやりと笑って、舌をちょろりと出す。


 その様子を、レオンは遠くから無言で見つめていた。どこか、違和感を覚えるように。


 彼の目が向く先――テントの裏で、観客とは別の視線が舞台を見つめている。観察者のように、冷たく、評価するような目。


 だが、それが誰かを尋ねる者はいない。アラトリアでは、目立つ者こそが正義であり、注視されることを名誉とするのだから。


 その陰で何を見ていようと、それもまた“舞台の一部”なのだ。





 審査は順調に進んでいた。少なくとも、観客たちにとっては。


 次々と登壇する“英雄候補”たちが、各々の名乗りとポーズを披露しては拍手を浴び、時にはブーイングを受ける。どれも本気なのか冗談なのか判別がつかず、むしろ“演じきった者が勝ち”という空気が広がっていた。


「審査基準って、これ絶対あやふやよね……」とリィナが言った。


 舞台裏では、次の審査内容が貼り出されていた。


 ――第二課題:“救出演技審査”。

  設定に基づき、即興で困っている村人を救うシーンを演じよ。


「……やっぱり寸劇大会じゃないのよこれ」


 カイが笑いながら応じる。「いや、それがいいんだろ。こういうのは勢いだよ、勢い」


 すでに彼の肩には番号札がぶら下がっており、周囲の参加者たちと共に列に並んでいた。彼の前に並ぶのは、詩を詠みながら剣を振るうという妙な男と、「全身銀粉の魔術師」と名乗る眩しい人物。


 カイは内心で思った。


(やっぱ変な国だな)


 だが、なんとなく嫌いになれない空気でもある。全力でバカをやって、それを真剣に評価する場所。笑われても、貶されても、“自分を貫く”という一点だけは、どこかまっすぐだった。


「次、参加者四十七番!」


 呼ばれ、再び舞台に上がる。


 舞台中央には“倒れている村人”役の仕込み役者と、道具として転がされた粗末な小道具の馬車がある。観客の期待が集まる中、カイは数歩で現場を把握し、即座に動いた。


「おい、大丈夫か!」


 そう叫ぶと駆け寄り、村人役に手を添える。肩を貸し、よろめく体を支え、観客に向き直った。


「魔物が来る前にここを離れろ! 俺が道を切り開く!」


 抜刀、回転、そして――地面を蹴った跳躍。


 舞台装置の“崩れかけの足場”を飛び越え、見得を切る。


 観客「おおおおっ……!」


「いいぞ!」「けっこう絵になるじゃん!」


 そして最後、肩を貸して村人役を抱えて歩くと、後方にいた案内役の少女役に向けて、叫ぶ。


「こいつを任せた! 俺はまだ、行かなくちゃいけない場所がある!」


 ――退場。


 審査員が沈黙ののち、拍手を送る。


「即興にしては、なかなか筋が良い」「ポーズだけでなく“動き”に説得力があったわね」


 カイは汗をぬぐいながら舞台裏に戻ってくる。リィナがやれやれと出迎えた。


「正直、悪くなかったわよ。いや、悔しいけどね」


「ふふん、まだまだいくぜ俺は」


 そんなカイの背後――

 再び、別の視線が舞台を見つめていた。


 だが今回はそれだけでなく、演技場の外れ、人気のない路地にて。

 誰かが、淡々と現場に向けて歩いていた。


 その者の足元を、小さな黒い影がすり抜けていった。


 それはまだ、誰にも気づかれていなかった。




 審査会場から離れた一角、マエスト広場の片隅で、兵士らしき男たちがざわついていた。


「……また、出たらしいな」


「場所は南側の路地裏。干からびた死体が一体。目撃者はいない」


 簡潔な報告に、上官らしき男が眉をひそめる。


「見なかったことにしろ。祭の最中だ。審査会に水を差すな」


「……了解」


 兵士は敬礼のふりをして、そのまま足早に去っていく。


 誰もが知っている。何かがこの街に潜んでいることを。だがそれを口に出せば、演目が台無しになる。だから誰も“演じる日常”をやめない。


 その頃、会場では最終選考の発表がなされようとしていた。


「――今年の“英雄審査会”、最終試験へ進むのは、以下の五名です!」


 司会者の声が広場に響く。


「番号十二、“陽炎のシルヴィ”! 十八、“黒鉄のエドガー”! 四十七、“俊足のカイ”! 五十二、“詠唱のランベルト”! 六十、“誓いの双子剣姉妹”!」


 名前が呼ばれた瞬間、会場のあちこちから歓声と拍手が上がる。


 カイはポカンとした顔で、その場に立ち尽くしていた。


「……え、俺、通ったの?」


「通ったのよ……どういう審査基準なのかは謎だけど」

 リィナが呆れたように答える。


 その横で、レオンは小さく吐息をついた。


「お前、ちょっとは自覚しろ。目立つのが得意だろ」


「そ、そうか……へへ、まあな……!」


 どこか照れたように鼻をこするカイを見て、リィナは笑ってしまう。


 ――ほんのひととき、街の空気は華やかに見えた。


 しかし、舞台の裏では別の計画が進んでいた。


「……最終試験、例の“演目”を使うのか?」


「ああ。“混沌の魔獣”の再現演技。安全措置はあるが……まあ、予定通りで」


 演技会スタッフのひとりが、舞台裏で資料を見ながら頷いた。


「観客が求めてるのは、見世物だ。命のやり取りすら演出になる。そうだろ?」


 その発言に、誰も異を唱えなかった。


 光の当たる場所で“英雄”を演じる者たちと、

 その影で何かを見下ろす冷たい目が、すれ違う。


 夜が近づいていた。




 最終試験当日。会場はこれまで以上の賑わいを見せていた。


 特設された仮設観客席はぎっしりと埋まり、客たちは皆、手に旗やパンフレットを握っている。中には“推し英雄”の名を手書きで掲げる者すらいた。


「カイさまー!」「俊足のカイ、がんばれー!」


 驚いたことに、カイにも声援が飛んでいた。


「……え、俺ってこんな人気出てた?」


「即興で受けを狙って取れるあたり、才能あるんじゃないの」

 リィナが呆れ気味に言う。レオンは何も言わずに傍らで空を見上げていた。


 舞台裏では、演者たちが準備を進めていた。控室と称されたテントの中では、最終審査の説明が行われている。


「今回の演目は“混沌の魔獣討伐”です」

 係の者が台本を配りながら説明を続ける。


「皆さんにはそれぞれの役割を演じていただきます。戦士、魔術士、斥候、そして……犠牲者役。演出の都合で、順番に舞台へ。制限時間は十五分」


 舞台の隅に設置された黒幕。その奥にある“魔獣役”の仕掛けが、音を立てて動いていた。


 ごつごつとした金属音。だがその中に、不自然な“肉の軋むような音”が混じる。


 スタッフが笑いながら言う。「今回は“本物っぽさ”にこだわってるからな」


 参加者の誰もが、軽く笑ってそれを受け流していた。


 ――ただ一人、レオンを除いて。


 彼は観客席の一番後方、石の柵にもたれながら目を閉じていた。


 肌に刺さるような冷気があった。舞台のほうから流れてくる、妙に湿った気配。それは、空気の流れが逆流するような、鈍く冷たい存在の気配だった。


 誰もそれに気づいていない。舞台が始まることしか、誰も気にしていない。


 開幕の鐘が鳴る。


 司会者の声が高らかに響いた。


「さあ皆さま、お待たせいたしました! これより、“英雄たちの最終試練”――混沌の魔獣討伐劇、開幕です!」


 歓声。拍手。演目が始まる。


 そのときだった。


 舞台の裏、閉ざされた黒幕の奥から――何かが、這い出た。




 舞台は順調に進んでいるように“見えた”。


 順番に登場する“英雄たち”が、台本に沿って見事な立ち回りを演じてゆく。観客は拍手と歓声を送り、まるで本当に魔獣と戦っているかのように熱狂していた。


 そして、カイの出番が回ってくる。


「次、斥候役! 俊足のカイ!」


 舞台袖で呼ばれたカイは、一度だけ深呼吸をしてから剣を握った。


「行ってくる」


 リィナが何か言いかけたが、カイはもう舞台へと駆け出していた。


 その姿は軽快で、風のようだった。観客たちがざわめく。


「おおっ……」「やっぱり俊足のカイは動きがいいな!」


 舞台装置の岩場を飛び越え、舞台中央に滑り込む。そのとき、背後の黒幕が、ゆっくりと開いた。


 “混沌の魔獣”。


 その名の通り、異形の存在が現れるはずだった。


 カイは半ば冗談めかして、台本通りの台詞を叫ぶ。


「見つけたぞ、魔獣……俺が、お前の動きを封じる!」


 だがその瞬間、何かが――おかしいと感じた。


 目の前に現れた“魔獣”は、演出の作り物ではなかった。


 皮膚のように脈打つ表皮。目がないのに、こちらを見ているような圧。口の形をしていない口が、ひくひくと開いた。


(これ……生きてる!?)


 直感が、警鐘を鳴らす。


 カイは即座に飛び退いた。舞台の床が、魔獣の足で叩き割られる。


 観客の一部が笑った。「演出すげぇ!」


 だが、カイの顔は青ざめていた。


「おい……これ、本物だぞ! 逃げろ――!!」


 そう叫んだとき、魔獣が跳ねた。


 その動きは、訓練された人間のものではなかった。床を破壊し、柱をなぎ倒し、宙を舞う。観客席が一瞬で静まり返る。


 レオンが立ち上がった。


 その目が、いつもの“旅人”ではなく、“狩人”のものに変わる。


 リィナが叫んだ。「レオン!」


 レオンは応えない。


 静かに腰の剣を抜いた。


 舞台上、カイの姿が消える。


 次の瞬間、観客には見えなかった何かが、爆ぜた。





 爆ぜたのは、風だった。


 突風のような何かが舞台を薙ぎ払い、魔獣の動きが一瞬だけ止まる。その隙を突いて、カイが地面を転がりながら距離を取る。


 次の瞬間、舞台上にレオンがいた。


 どうやってそこまで来たのかを誰も見ていなかった。ただ、気づいたときには彼が魔獣の前に立っていたのだ。


 空気が変わった。


 それは剣を抜いたからではない。ただそこに“いる”というだけで、観客席の誰もが息を呑んだ。


 魔獣がレオンに向かって吠える。口らしき器官から、ぬめるような音と腐臭が飛び出す。


 だが、レオンは動かない。


 その手に握られた剣が、まるで時間すら切り裂くように、静かに振り上げられる。


 次の瞬間、魔獣の片脚が吹き飛んだ。


 観客の誰かが悲鳴を上げる。


「うそ……今の、剣……!?」


 舞台が騒然とする中、魔獣は咆哮し、怒り狂ったように跳ね上がった。だが、レオンはそれすらも見切っていた。


 一歩。もう一歩。


 その足取りは静かで、正確で、恐ろしく速い。


 魔獣が振り下ろした腕をかわし、懐に飛び込み、逆袈裟に斬る。


 肉が裂け、血が吹き上がる――かに見えたが、魔獣の体液は黒く、煙のように蒸発していった。


 舞台装置が悲鳴を上げるように揺れ、破片が飛び散る。


 誰かが叫んだ。


「本物だ――あれ、本物の魔物だ!!」


 ようやく観客たちは“演目”ではないことに気づき始める。


 だが、逃げるには遅すぎる。混乱と恐怖が広がり、悲鳴があちこちで上がる中、レオンの動きだけが異様に静かだった。


 まるで、そこだけが別の時間にあるかのように。


 魔獣が最後の抵抗として口を開く。毒のような瘴気を吐き出す。


 レオンはその中心に踏み込んだ。


 剣が、振るわれた。


 視界を覆っていた瘴気が裂け、光が差し込む。


 魔獣の頭部が地に落ちるまで、誰一人として声を出せなかった。




 静寂が、会場を包んでいた。


 斬り伏せられた魔獣の残骸が、黒い霧となって空中に溶けていく。その中心に立つ男――レオンの姿を、誰もが言葉を失って見つめていた。


 やがて、司会者が震える声でマイクを握った。


「……えー、演目は、以上をもちまして、終了と……いたします……」


 だが、拍手は起こらなかった。


 観客の多くは、何が“本当”で、何が“演技”だったのか理解できていなかった。ただ一つ、わかっていたのは――あれは本物だったということだけだ。


 舞台裏では混乱が起きていた。


 スタッフたちは動揺し、誰があの魔獣を仕込んだのか、誰が許可したのかと責任を擦りつけ合っている。


 レオンはその喧騒を無視して、静かに舞台袖へと戻ってきた。


 そこには、膝をついて肩で息をするカイがいた。


「お、おつかれ……マジで、助かったわ」


 レオンは無言で、カイの隣に腰を下ろす。


「……俺、完全に舞台の延長だと思ってたんだ。みんなが演技してるから、俺も演じてた。……でも、あれ、本物だった。あのとき、一歩でも遅れてたら、俺……」


 カイの声は小さくなっていく。リィナが後ろから歩み寄り、彼の背に手を置いた。


「あなた、ちゃんと反応してたじゃない。演技じゃなくて、本気で動いた。その判断が命を繋いだのよ」


「……そう、かな」


 レオンはふいに立ち上がる。夕暮れの光が彼の背を照らしていた。


 ひとことだけ、低く言った。


「演じてるうちは、何も守れねぇよ」


 その言葉は、カイにも、リィナにも、そしてまだ騒ぎの収まらない会場全体にも、静かに染み渡った。


 そして、奇妙なタイミングで拍手が一つ、また一つと起こり始めた。


「……す、すばらしい演出だったな!」「まるで、本物のようだった!」


 観客の一部が無理やり納得しようと笑い、スタッフたちは顔を引きつらせたまま頭を下げる。


 真実を受け入れない者たちの中で、レオンの背中は静かに遠ざかっていった。


 その夜、街の片隅ではまた一つ、干からびた死体が見つかった。


 だが、それを報じる声は――なかった。




 翌日、マエスト広場では昨日の騒ぎが嘘のように、いつもの喧騒が戻っていた。


 通りには露店が並び、人々は笑い合い、昨夜の出来事については一言も触れない。まるで最初から何もなかったかのように、街は“演目”を続けていた。


 カイはその中央の噴水の縁に腰掛け、揺れる水面をぼんやりと眺めていた。


 リィナが隣に立つ。「……珍しくしんみりしてるじゃない」


「いやー……昨日のこと、いろいろ考えててさ。俺、調子に乗ってたよな」


「まあ、否定はしないけど。だけどあんた、あの状況でちゃんと動いた。演技じゃなく、自分の意思で」


 カイは水面に小石を投げ込んだ。波紋が広がっては消えていく。


「昨日のアレ、演技だって思ってた方が楽だった。でも本物の魔物だったし……レオンがいなかったら、どうなってたか……」


「でも、あなた生きてる。それがすべてよ」


 カイは顔を上げ、笑った。


「……ありがとな、リィナ」


 そのとき、背後から声がかかった。


「俊足のカイ殿!」


 振り返ると、昨日の審査会の司会者と、数人の関係者が近づいてくる。


「我々、改めてあなたを“名誉騎士”に推薦したいと考えております!あの演目での勇敢な立ち回り――市民の誰もが称賛しております!」


 カイはぽかんとした。


「……え、あれって“演目”扱いなんですか?」


「もちろん!あれこそが、即興演技の極致!演者としての覚悟と、民を守る英雄性を兼ね備えた、見事なパフォーマンス!」


 横でリィナがため息をつく。


「もう、何も聞こえてないのねこの人たち……」


「では、どうでしょう! 今夜の晩餐会にご出席を!市政評議会主催で、アラトリアの名士たちが集う舞踏会です!」


 カイは少しだけ迷ったが、やがて笑って首を振った。


「すまない、俺は……そういうの、ちょっと苦手で」


 司会者たちは残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「それもまた、英雄の“在り方”かもしれませんな!」


 彼らが去っていったあと、リィナが肩をすくめる。


「断ったの?意外」


「うん。ああいうのって、なんか俺じゃないっていうかさ……」


 そのとき、噴水の向こうから子どもたちが駆けてきた。


「俊足のカイだ!」「すごかったよ!」「昨日の斬り返し、あれマネしたい!」


 カイは驚いたように目を見開き、照れたように頭をかいた。


「へへ……ありがとな。もっとカッコよくできるように、頑張るよ」


 その背を見て、リィナはふっと微笑んだ。


「……なんだかんだで、ちゃんと“なってる”じゃない。あんたなりの英雄に」


 カイは照れ隠しのように空を仰いだ。


 アラトリアの空は、演目の幕が降りたあとのように、静かに澄んでいた。





 夕暮れのアラトリア。


 賑やかだった広場も少しずつ静まり、街に灯る明かりが石畳に反射して揺れていた。


 レオンは人通りの少ない小道を歩いていた。いつも通り、誰とも言葉を交わさず、必要最低限の足音だけを残して。


 その背後から、カイの声が追ってくる。


「なあ、レオン!」


 レオンが振り返ることはなかった。だが、歩みを止めた。


「……あのさ、昨日のこと、ありがとう。……マジで、助かった」


 しばらくの沈黙。


 やがてレオンがぼそりと呟いた。


「礼を言うのが遅い」


「うっ……た、確かに。でも、ほら……色々考えてたんだよ。俺、あのとき何ができたのかなって」


「何もできなかった。それが答えだ」


 あっさりとした言葉に、カイはむっとする。


「そりゃそうだけどさ! でも少しくらい、俺なりに動いたつもりで――」


 レオンはようやく振り返り、カイを真っ直ぐ見た。


「だから、生きてる。十分だ」


 その言葉に、カイは目を見開いた。続く言葉が、喉の奥で止まる。


 レオンは再び歩き出す。


「……演じるのは、向こう側だけでいい。」


 その背中に、カイがぼそりと呟いた。


「うん。俺、本物になりたいわ」


 彼の目には、昨日までにはなかった静かな光が宿っていた。


 ***


 夜。スラグ地区の片隅。


 ごみ捨て場の影で、一人の衛兵が何かを見下ろしていた。


 干からびた死体。目は開いたまま、口には悲鳴の残響が刻まれている。


 だが、その姿を誰かに見せる者はいなかった。


 街はまた、明るい朝を迎えるのだ。


 英雄審査会は終わった。


 しかし、アラトリアの仮面は、まだ剥がれていなかった。

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