偽りの輝き
午後を少し過ぎたころ、三人は街道沿いの小さな村にたどり着いた。見渡す限り、麦と豆ばかりの畑が広がるのどかな土地で、旅の疲れを癒すにはちょうどよい場所だった。
「んー、静かだねえ。宿あるのかな、こんなとこに」
カイが欠伸まじりに言うと、リィナは視線を巡らせた。
「そこに掲げてあるの、看板じゃない? 『青麦亭』って書いてあるよ」
レオンは何も言わず歩き続ける。背負い袋から覗く剣の柄が、陽の光を鈍く弾いていた。
宿に向かう途中、小さな広場に人だかりができていた。何やら陽気な声が飛び交い、見物人の中には笑っている者もいる。
「おや、何かやってる?」
カイが早足で近づく。リィナも続き、レオンはため息ひとつであとを追った。
「――さあさあ、こちらをご覧あれ! この魔石、ただの魔石と思うなかれ! 火属性強化、しかも安い!」
軽快な調子で声を張り上げる男が、簡易な台の上で魔石を掲げていた。歳は三十前後、髪はオールバックに撫でつけ、口元に常に笑みを浮かべている。指の間には煙草。吸っては吐き、煙をくゆらせながら見物人に語りかけていた。
「出たな……怪しい奴」
リィナが眉をひそめる。
「いやでも、魔石って高いんじゃなかったっけ? これ、安いなら結構お得じゃ……」
「おい、カイ。財布しまえ」
レオンが低い声で釘を刺すと、カイは肩をすくめた。
「ちょっとだけ見てみようよ。旅の途中で掘り出し物に出会うなんて、悪くないし」
群衆の一部が、男の台へと殺到していく。彼は手際よく布袋から魔石を取り出し、「これが本日限りの特価!」と声を張る。その声音には妙な説得力があった。リィナは腕を組んで唸る。
「本当に怪しい……」
レオンは一歩下がった位置で男をじっと観察していた。吸殻を器用に地面に落とす手つき、笑いながら視線を動かす目線、そして何より、あの魔石。
(光り方が軽い。表面が薄い……素材を誤魔化しているな)
男が目を合わせてきた。一瞬、笑顔がぴたりと止まり、煙の向こうから何かを測るような視線が飛ぶ。だが、すぐにまた明るい口調で群衆に向き直った。
「そこのお兄さん、どうだい? 一つ、旅のお供にいかがかな! 魔石は裏切らないぜ!」
レオンは何も答えなかった。
詐欺師――否、まだそれと決まったわけではないが、男は煙草を吸いながら笑みを絶やさない。
「見てのとおり、わたくし元は冒険者でしてね。ダンジョンの縁を歩いては、掘り出し物を拾ってきたわけですよ。命を張って稼いだ石を、こうして旅の方々に還元してるって寸法です」
言葉の節々に芝居じみた抑揚があり、あまりに滑らかすぎて逆に信用ならない。だが、それが逆に“経験豊富な旅人”としての雰囲気を出していた。
「お兄さん、どうです? この魔石。火属性強化の初級版ですが、武器に仕込めば小型魔物ぐらいなら焙ることができますぜ」
そう言って差し出してきたのは、赤黒く濁った石。レオンは一瞥しただけで、手も伸ばさずに言った。
「その石、燃えないな」
男は一瞬止まり、すぐに笑顔に戻った。
「いやいや、見るだけじゃわからないもんですって! この手の魔石はですね、鑑定眼がある人じゃないと――ああ、でも無理にとは言いません。むしろお目が高い」
口調の滑らかさに加えて、レオンの冷たい評価を受け流す愛想のよさ。見物人たちは苦笑しながらも、場の空気に流されていく。
そこへカイが現れた。
「なあ、レオン。これ一つぐらい買ってもいいか? ちょっと気になるんだよ。火を出せるのってかっこいいじゃん」
そう言って手の中には、すでに包まれた小さな袋があった。
「買ったのか」
「さっき少し離れたとこで売ってた。これと似たようなやつ」
リィナの顔色が変わる。
「ちょっと、なにしてんのよあんた! それ、絶対偽物だって!」
「うわ、急に怒るなよ。雰囲気もよかったし、値段もそんなに高くなかったし――」
「そういう問題じゃないでしょ!」
リィナはその袋をひったくると、包みを開いて中の石を取り出す。レオンの前に差し出すようにして言った。
「見てよこれ。見た目だけのハリボテでしょ!?」
レオンは石を指先でつまみ、軽く上下に振った。
「軽いな。魔石は中に核がある。これは空洞だ」
リィナは勝ち誇ったように詐欺師を睨みつけた。だが、男は悪びれることなく、相変わらずの笑みで煙を吐いた。
「なるほどなるほど。こりゃ一本取られましたな。どうやらわたしの仕入れ先が良くなかったようで。――しかしお嬢さん、気を付けたほうがいい。人を騙すのと、名誉を傷つけるのは紙一重ですからね」
その声音には、確かな鋭さがあった。
リィナの眉がぴくりと動いた。
その場の空気がわずかに冷えた。詐欺師の一言は、明るい声色のまま、確かにリィナの心に刺さっていた。
「名誉って……何よ。あんたがインチキしてるくせに、被害者ぶらないでよ!」
そう言い放ったものの、リィナの声にはどこか焦りが混じっていた。男の滑らかな話術に、正義の言葉が飲まれそうになっている。自分の怒りが逆に浮いて見えるような、居心地の悪さ。
詐欺師は肩をすくめて笑う。
「いやいや、お嬢さんのような熱い方、大好きですよ。世界はそういう人がいないと腐ってしまう。――ただまあ、世の中、証拠がすべてです」
村人たちの視線が揺れる。疑念と好奇心、どちらにも傾けないままの群衆。その中で、カイだけが呆れたように頭を掻いた。
「まあまあ……とりあえず、飯でも食おうぜ。お腹すいたし……な?」
レオンは手にした石をもう一度見つめた。表面の模様、重さ、手触り、そして匂い――魔石には特有の金属臭があるが、これは明らかに違った。
「炭酸鉱石の削りくずを樹脂で固めたものだな。これは模造品だ」
それだけ呟いて、石をリィナに返す。
「証拠になる?」
「ならない。口頭じゃ群衆は動かん。だから――見せてやる」
レオンは小さく笑った。
その夜、レオンは宿の子どもたちを何人か呼んで、小さな袋と石ころを渡していた。
「これ持って、『本物の魔石を売ってるおじさんを見た』って言うだけでいい。そしたら村の人たちが集まってくるから、あとは任せろ」
「うん、わかった!」
笑顔でうなずく子どもたち。リィナは少し不安そうに彼らを見つめた。
「子どもを巻き込んで、大丈夫なの?」
「安全な範囲だけだ。大人の手口に対しては、大人のやり口でやるだけさ」
翌朝、村の広場は再びにぎわっていた。
詐欺師は同じ調子で魔石を売っている。だが今日は、見覚えのない男が同行していた。背の高い、無精髭を生やした中年男。袖には銀の紋章。
「鑑定士……? どこから湧いて出たのよ……」
リィナが首を傾げる中、レオンは静かに答えた。
「さあな。ただの通りすがりかもな」
その頬に、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
「――では、鑑定を始めさせていただきます」
詐欺師の隣に立つ中年男が、ゆっくりと頭を下げた。口調は丁寧だが、その目は冷たく鋭い。銀の紋章が付いた袖口が、村人たちの視線を引く。
「へえ、なんだい急に。まあ、かまいませんよ。私の品に疑いがないこと、証明していただけるなら願ってもない」
詐欺師は煙草をふかしながら応じた。余裕の笑みを浮かべているが、額に薄く汗が浮いていた。
中年男は、台の上に置かれた魔石を一つずつ手に取って確認する。指先で撫で、耳元で振り、最後に舌で軽く舐めた。
「……ふむ」
集まった村人たちは息を呑む。リィナは少し身を乗り出していた。
「何やってんの、あの人……舐めた?」
カイがぽつりと呟く。
「鑑定って、そういうもんなのかね……」
やがて中年男が顔を上げた。
「この魔石は、いずれも模造品です。本来の魔石に含まれる核結晶が存在せず、触れたときの反応も皆無。加えて――」
そこで男は少し間を置き、詐欺師に向き直った。
「表面に施された輝きは、炭酸鉱石を粉砕して樹脂で固め、銀粉で誤魔化したもの。外見を整えた精巧な偽物です」
どよめきが広がる。村人たちの表情が、にわかに怒りへと変わっていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! それはつまり……私も騙されたってことでしょう? 仕入れ元が悪かっただけで、私は……!」
詐欺師が慌てて声を張り上げるが、もう遅い。群衆の空気は変わっていた。誰かが「返金しろ」と怒鳴り、別の誰かが「騙された」と叫ぶ。
詐欺師は舌打ちし、袋を掴んで逃げ出そうとした。
だが、足元に何かが絡みついた。
乾いた音を立てて、地面から麻縄が跳ね上がり、詐欺師の足を締め上げる。
「うおっ……なんだこれっ……!」
足を取られて転んだ詐欺師が、もがくように身をよじる。だが縄はすでに両足首を縛っていた。
「――あれ、昨日の夜のうちに仕掛けてたのか……?」
カイが目を丸くする。
リィナも驚きの声を漏らす。
「でも、どうやって……あんな広場のど真ん中に……」
レオンは静かに近づき、縄の端を確認した。
「この村、朝は水汲みに出る場所が決まってた。集まる場所と、立ち位置を予測できれば、罠の位置も決めやすい」
カイがぽつりと呟く。
「……すごいけど、なんか怖ぇな」
レオンは無言で立ち去った。
詐欺師は地面に倒れたまま、なおも足掻いていた。だが縄は緩む気配すらない。村人たちは戸惑いながらもその光景を見下ろし、次第に怒りを強めていく。
「どういうことだ、これ」
「騙されてたってことか……」
「金、返してもらわないとな」
レオンは無言で群衆の後ろに立ち、静かに観察していた。騒ぎに紛れて目立つことなく、だがすべての動きを見通すような目で。
一方、詐欺師はいつもの軽口を失っていた。歯を食いしばり、額には汗、指先には微かな震え。だがその中で、煙草だけは口にくわえていた。火は消えていたが、それでも咥え続けていた。
「……強情ね」
リィナが吐き捨てるように言った。
そこへ、あの鑑定士が一歩前に出た。
「この者の所業については、近隣の村にも知らせるべきでしょう。通報のための飛脚を手配します」
詐欺師が顔を上げた。
「通報? あんた、何者だよ……」
「さあ?」
男は答えず、詐欺師の前でしゃがみこんだ。そして耳元で、誰にも聞こえない声で囁いた。
「これが最後の公演だ。役者としては、なかなかの演技だったぞ」
その一言に、詐欺師の顔色が変わった。
それでも男は何も言い返せなかった。ただただ、あらゆる視線に晒されながら、縄に縛られたまま俯いていた。
騒ぎが落ち着いたころ、レオンたちは村を離れる準備をしていた。カイは買ってしまった偽物の魔石を見つめていたが、ぽいとそのへんの藪に放り投げた。
「ま、勉強料ってやつかね」
「最初から私の言うこと聞いてれば、そんなもん払わずに済んだのよ」
リィナが呆れた声で言い、カイは肩をすくめた。
その横で、レオンは足元に落ちていた短い煙草の吸殻を拾い、空を見上げて呟いた。
「光らせるだけなら、偽物でも十分だ。だが輝きは……芯がなきゃ続かねぇ」
リィナとカイが顔を向けるも、レオンはもう歩き出していた。背中には余計な言葉もなく、ただ静かに、その村を後にしていく。
「……やっぱ変な人だよな、あいつ」
「でも……」
リィナはわずかに口元を緩めた。
「……ちょっとだけ、かっこよかったかも」
カイが振り返って聞き返すより早く、リィナは早足で歩き出していた。
村を出る直前、広場の片隅で、カイが足を止めた。地面に置かれた木箱の中に、詐欺師が収容されていた。縄を巻かれたまま、背を壁につけて座っている。見張り役の老人が椅子に腰かけ、居眠りをしているのをよそに、詐欺師はただ黙っていた。
「なあ……さっきのやつ、なんかさ」
カイがレオンに問いかけた。
「別に、根っからの悪人ってわけでもなかったんじゃねーか?」
レオンは少しだけ足を止め、詐欺師の方をちらりと見る。
「……そうかもな」
それだけ言って、また歩き出す。
リィナは首を傾げる。
「レオン、怒ってるようには見えなかったけど、ああいうの許せないタイプよね」
「うん。でも、決して責めたり罵ったりはしなかった」
カイもそれに頷く。
「嘘は、つくなら徹底的に。中途半端なやつが一番みっともない、って顔してたな」
レオンの背中に、そんな思いが宿っているように見えた。
三人は村を出て、ゆるやかな丘陵地を歩く。木漏れ日が揺れる道、鳥のさえずりが風に乗って聞こえる。重苦しい空気はすっかり抜けていた。
やがて休憩のために腰を下ろした草原で、カイが急に笑い出した。
「でもさ、俺、あの石ぜんっぜん熱くならなかったんだよな。火属性って言ってたのに、手が冷えたくらいだよ」
「そりゃ炭酸鉱石だもの。保冷剤みたいなもんよ」
リィナが呆れて言う。
「でも、俺もいつか本物の魔石、手に入れてみせるぜ! かっこよく剣に仕込んでさ、火柱ドーン!」
「……火柱出したら、後ろに立ってる私が焦げるでしょ」
そんなやりとりに、レオンはふと立ち上がった。
「行くぞ」
「え、もう? ちょっとくらい休もうよ」
「昼過ぎには山を越える」
容赦ない一言に、二人は顔を見合わせてため息をついた。
それでも、誰も文句は言わない。ただ、また三人で歩き出す。
偽りの輝きに踊らされた村を後にして、本物だけを手に入れる旅は、続いていく。