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旅の夜にて

イストランの街を背に、レオンたちは東へ向かっていた。

行く先にあるのは交易都市ヴァルデン。街道を辿ればおよそ五日の道のりだ。


季節は夏の終わり。

日は高く、空気は乾いている。旅にはちょうどいい気候だった。


けれど三人の表情は、どこか陰りを帯びていた。


「……しばらく、イストランには戻らない方がいいな」


カイがぽつりと呟く。


リィナが苦笑する。


「噂になってたからね。『謎の剣士がクランを沈黙させた』とか、『人ならぬ動きをした』とか……まるで妖怪みたいな扱いだったよ」


「妖怪って言うな」


レオンが短く返す。


「でもまあ、あれだけ派手にやったら仕方ないか」


カイは肩をすくめ、続けた。


「おかげで当分、安宿にも顔を出せねぇな。どこで寝泊まりするか……」


「森でいい」


「いや、あんたはいいだろうけどよ……」


レオンが無表情でそう言うと、カイとリィナは顔を見合わせてため息をついた。


それでも、三人の歩調は乱れない。

旅慣れた足取りで、街道を黙々と進んでいく。


 


三日目の昼過ぎ、事件は起きた。


大きく曲がる街道の脇、雑木林を抜けた先の小さな崖の下。

レオンが、ぴたりと足を止めた。


「……匂う」


「……なにが?」


「魔石の気配だ」


カイとリィナが顔を見合わせた。


「本当にそんなの分かるのか?」


「微かだが、瘴気に似た成分が風に乗っている。最近“開いた”ダンジョンの可能性がある」


レオンの言葉に、二人の空気が変わる。


「新しいダンジョン……」


リィナが呟き、崖の下を見下ろす。

地面は崩れかけており、斜面の下にぽっかりと口を開けた洞穴が見えた。


それは明らかに人工的なものではない。

しかし自然洞窟にしては、妙に整った形をしていた。


カイが肩越しに荷を確認する。


「……路銀、残りいくらだっけ?」


「三人分の宿泊費と食費で二日が限界。あと矢筒も交換しないと残りが心もとない」


リィナが答える。


「コアが取れれば、一発逆転ってやつか」


「あくまで“取れれば”な」


「でも、あの匂いが魔石の気配なら……」


カイがリィナを見て、リィナがレオンを見る。


レオンは短く答えた。


「行く。時間はかけない」


それだけで、全員の意思が固まった。


 


入り口は意外にもすんなり通れた。

湿った岩肌を抜けた先に、ほんのりと青い光が満ちていた。


壁に魔石の欠片が自然発光しており、灯りを持たずとも視界は確保できる。


「おお……幻想的、ってやつだな」


カイがぽつりと呟く。


リィナが弓を軽く構え、低く言う。


「でも、出るよ。魔物。たぶんすぐ」


「ああ」


レオンが頷いた。


その言葉通り、数分と歩かぬうちに――最初の“出迎え”が現れた。


小柄な獣型の魔物。

毛はなく、ぬめった灰色の皮膚。赤く光る二つの目。


「……グリントラット。初級魔物ね。噛みつきが痛い」


「よし、肩慣らしといこうか」


カイが矢をつがえ、レオンが剣を抜く。


戦闘は一瞬で終わった。


 


そして、それが始まりだった。


グリントラット、スパイクウーズ、スケイルパピオン……

次々と現れる低ランクの魔物たち。


三人は淡々と処理していった。


「なんだ、意外と楽勝じゃねぇか?」


「……いや、妙に続く」


リィナの言葉に、レオンも頷く。


「浅いダンジョンなら、もう半ばのはず。だが、感覚的にまだ入り口だ」


「生まれたばかりにしては、広すぎる……ってこと?」


「可能性はある。構造に歪みがある場合、想定より長くなることがある」


カイが肩を落とす。


「あー……嫌な予感がする……」


だが、引き返すには惜しい距離でもあった。


三人は小さくため息をつきながら、さらに奥へと歩を進めた。


黙々と続く探索は、緊張感よりも疲労をもたらしていた。

見慣れた低ランクの魔物、似たような岩壁、湿った空気。

ときおり立ち止まって耳を澄ましても、背後に気配はなかった。


だが、それが逆に不安だった。


「……おかしいよな」


カイが呟く。


「あれだけ魔物が出てきたのに、途中からぱったり消えた。しかもまだ奥に続いてる」


「うん。出現の偏りが大きすぎる」


リィナが不安げに口を開く。


レオンは、立ち止まり、壁に手を当てていた。


「……振動がある。これは……」


 


言い終わらぬうちだった。


洞窟の奥から、鈍く重い“ごうん”という音が響いた。

続いて、天井の岩がばらばらと砕け、崩れ始める。


「伏せろ!」


レオンの叫びとともに、三人は即座に身を低くした。


轟音が鳴り響き、砂塵があたりを包む。

巨大な岩のひとつが通ってきたばかりの通路を完全に塞いだ。


しばらくして、ようやく音が止まる。


「……嘘だろ」


カイが呆然と立ち上がり、瓦礫に近づく。


完全に塞がれていた。通ってきた道はもうない。


「戻れない、か……」


リィナが唇を噛む。


レオンは冷静だった。


「まだ先がある。抜け道があるかもしれない」


「そんな簡単に?」


「ダンジョンの構造は、時にねじれる。入り口が一つとは限らない」


レオンの言葉に、カイとリィナは頷いた。

混乱よりも、現状を整理することを優先する姿勢が三人にはあった。


「けど……そろそろ疲労もあるし、飯も食ってない。どっかで休まないとまずい」


カイが荷袋を確認しながら言った。


「……ここで野営?」


「安全が確保できる場所なら」


レオンはすぐに周囲を見渡した。


やや開けた場所。天井の崩落の兆候はなし。湿度も安定している。

魔石の小さな光が灯り、暗闇もそれほどではなかった。


「ここにする」


レオンが断言すると、二人は肩をすくめた。


「ま、仕方ねぇか」


「野営の準備、手分けしよっか」


カイは焚き火の代わりに魔石ランタンを取り出し、リィナは携帯用の敷物と毛布を展開する。


レオンは通路側に背を向けて、周囲をじっと見渡していた。


「あんた、寝る気ないだろ」


カイの声に、レオンは頷くだけだった。


「警戒してるのはありがたいけどな……。さすがにずっとじゃ、体がもたねぇぞ」


「大丈夫だ」


短く返すレオンに、カイが溜息をつく。


やがて準備が整い、三人はそれぞれの位置に落ち着いた。


 


火がない代わりに、魔石の明かりがぼんやりと周囲を照らす。

静寂に包まれた洞窟の中、三人の呼吸だけが聞こえていた。


岩陰に風はなく、石の天井は低く、仄かに湿り気を帯びた空気がゆっくりと肺を満たしていく。

レオンは入口側に背を向けて座り、剣の柄に手をかけたまま瞼を閉じていた。

リィナは毛布にくるまり、脇腹の小さな擦り傷を手当てしながら焚き火の代わりに照らす魔石を眺めていた。


そしてカイが、不意に口を開いた。


「なあ……誰かに、自分の過去を話したことってあるか?」


唐突な問いだった。


リィナが目を向ける。レオンは反応を見せなかったが、耳を傾けているのは明らかだった。


「昔の話さ。別に重いもんでもない……いや、重いのかもな」


彼は寝袋から身を起こし、魔石の淡い光に手をかざした。


「十年以上前だ。俺がまだ、十四かそこらの頃。小さな町に住んでた。名前はもう忘れた。今となっちゃ地図にも載ってねぇし、呼び名も変わったらしい。たぶん、今はもう誰も住んでない」


「親父が鍛冶屋だったんだ。腕はそこそこだったが、どこにでもあるような街で、どこにでもあるような生活だった。親父は寡黙な男で、俺には道具の名前より先に“炉の温度で嘘を見抜け”って教えてきたようなやつだったよ」


「それでも、幸せだった。少なくとも、あの夜まではな」


カイは指先をこすり合わせる。擦れる音が、空気の中で異様に大きく感じられた。


「その夜、空が赤かった。雷もねぇのに、稲妻みたいな閃光が何度も走ってな。

 “雷雲か?”って誰かが言ってた。けど……雲は一つもなかった。

 代わりに、井戸から黒い煙が上がったんだ。地鳴りもしてた。地面の下で、何かが動いてるような音がした」


リィナが目を見開いた。


「その日から、町の人間が一人ずつ……いなくなり始めた。

 最初は迷子か、出奔か。そんな風に誰もが思おうとした。

 でもな、三日目には、死体が出た。目と口を開けたまま、壁に指を突き立てて、爪を剥がして……助けを呼ぼうとした跡だった」


カイの声が低くなり、沈黙が落ちる。


「それから、連日誰かがいなくなった。死体は少なかった。代わりに、影があった。

 道端に、玄関前に、井戸の周りに……人の形をした影だけが、焼き付いたみたいに残ってた。

 人間は消えてるのに、影だけが残ってる……。誰が見てもおかしかった。けど、逃げるって発想が、なぜかなかったんだ。

 今思えば、あれも“影”の仕業だったのかもしれねぇ」


レオンが目を開ける。リィナは口元に手を当て、息をひそめていた。


「五日目、親父が俺を道具小屋に押し込んだ。“絶対に外に出るな”ってな。鍵をかけられて、何時間も、何日も――」


「音が、外からずっとしてた。金属の落ちる音、叫び声、笑い声……誰かが泣いてた。

 でも、ある瞬間から何も聞こえなくなった。あまりにも静かすぎて、俺は死んだかと思ったよ」


「三日目に、鍵が外れてた。外に出てみたら、町は……空っぽだった。人が誰もいねぇ。死体もない。

 けど、家の前や道端に、影だけが残ってた。まるで太陽が照らしたわけでもないのに、焼き付いたみたいに」


リィナは思わず立ち上がりかけ、レオンが目線で制する。


「俺は……逃げるようにその町を出た。もう戻らなかった。

 誰に話しても信じてもらえなかったし、信じてもらおうとも思わなかった。

 ただ、“ああいうことはどこにでもある”って、そう思って生きてきた」


「それ以来、誰かと深く関わるのが怖くなった。気づいたら、俺はいつも冗談ばっかり言って、他人との距離を測ってた。

 だけど今になって思う。あの夜のこと、あの煙のこと、影のこと……

 全部、どこかで“影”に触れていたんじゃないか、ってな」


しばらく、誰も口を開かなかった。


魔石の光だけが、洞窟の壁に淡く揺れていた。


「……今こうして、お前らと一緒にいるのも、奇跡みたいなもんかもな。

 だけど、あんたらとは変な縁だ。もう少し、付き合ってくれよ。な?」


カイが力なく笑うと、リィナは静かに歩み寄って、そっと彼の肩に触れた。


「話してくれてありがとう、カイ」


レオンは、短く言った。


「生きて、ここにいる。それだけで十分だ」


カイは一拍の間を置いて、目を細めた。


「あんたに言われると、重みがあるな。……ありがとよ、レオン」


 


こうして三人はしばらく、焚き火もない闇の中、互いの温もりだけで静かに過ごした。


その夜、眠りは浅く、夢はなかった。


 


――だが、確かに誰もが感じていた。


目に見えぬ“影”は、かつてどこかで確かに存在し、

今もまた、どこかに潜んでいるのだと。


 


そして、翌朝。

レオンが真っ先に立ち上がった。


「……風が動いた。出口は近い」


静かに立ち上がる三人。

再び歩みを始める足音が、洞窟に響く。


 


彼らの行き先に待つのは、

このダンジョンの“最奥”――


朝と呼ぶにはまだ薄暗く、だが夜ではない。

湿った空気に僅かに混じる風の動き。

ダンジョンの奥から、微かな空気の流れがあった。


レオンがそれを感知し、三人は立ち上がる。

食料を軽くかじり、水を喉に流し込み、それぞれが装備を整えた。


「……あんたの鼻、やっぱり化け物だな」


カイが呆れ交じりに言うと、レオンは無言で先頭に立った。


 


進む道は、これまで以上に狭く、湿っていた。

足元には苔が生え、石畳の間に根のようなものが入り込んでいる。


「このダンジョン、まだ生まれたばかりとは思えないわね……ずいぶん奥行きがある」


リィナが低く呟く。


「生まれてすぐに拡張したんだろ。魔力の濃い土地なら、こういう急成長もあるって話だ」


カイがそう答えながらも、どこか落ち着かない様子だった。


やがて、空気が変わった。


空間が開け、石壁が湿り気を増し、周囲の音が消えていく。


開けた空間の中心――そこにいたのは、“それ”だった。


 


巨大なトカゲのような体躯。

だが、皮膚は石のようにざらつき、斑模様が浮かんでいた。

四肢は異様に太く、背中には甲羅のようなものが張り付いている。


目はない。代わりに、頭部の中央に黒く光る魔石が埋め込まれていた。


「……見張りじゃない。こいつが“核”だ」


レオンが断じる。


それは“ボス”だった。


 


気配を察知したのか、巨大な異形は体を震わせた。

その振動で天井の石が数片、ぱらりと落ちる。


「来る!」


リィナが叫び、即座に矢を放った。

だが矢は、相手の皮膚に弾かれた。


「っ、硬い!」


「甲羅を避けろ! 脚か腹だ!」


カイが横に飛び、矢を数本連射する。

一発が脚の付け根に食い込み、異形がわずかによろめいた。


その隙を突いて、レオンが駆ける。


右手に構えた剣を、地面すれすれに滑らせながら突進。


異形が尻尾を振り上げ、迎撃を図った。


だが、レオンはその動きを見切っていた。


前のめりの体勢から滑り込むように床を転がり、尻尾の下をすり抜ける。

そのまま胴体下部、甲羅のない腹を、斜めに斬り裂いた。


鋭い金属音が響く。

だが、肉に食い込む感触はあった。


「もう一撃!」


レオンが再び間合いを詰めようとした、その時。


異形が吠えた。


声ではない。

空気を圧迫する魔力の波。


天井の魔石が共鳴し、地面がわずかに隆起した。


「地震……っ!?」


リィナが体勢を崩し、カイが手を伸ばす。


異形がその隙を狙って、腕を振り下ろしてきた。


「レオン、後ろっ!」


リィナの叫びに反応し、レオンが咄嗟に跳ぶ。

腕が石床を砕き、火花が散った。


間一髪の回避。


レオンは体勢を立て直しつつ、短く叫ぶ。


「頭部の魔石、あれが本体だ!」


 


カイが矢を番える。


「一発で仕留める……レオン、囮になれるか?」


レオンは頷き、再度突進。


異形の気を引きつけ、右へと誘導する。

その瞬間、カイの放った矢が、魔石の中心を正確に射抜いた。


ギィイイイン――


甲高い金属音のような共鳴とともに、異形の体が痙攣する。


やがて、それは崩れるように倒れ、動きを止めた。


静寂が戻る。


 


「……終わった、のか?」


リィナが呟く。


レオンは剣を収め、異形の残骸に近づくと、魔石――ダンジョンコアを取り出した。


掌に収まらないほどの大きさの、淡く青白く光る石。


「これで、路銀の心配はなくなったな」


カイが息を吐き、地面に座り込む。


リィナも同様に腰を下ろしながら、天井を見上げた。


「……出口は?」


「風は左から。奥に抜け道があるはずだ」


レオンが道を指さし、三人はゆっくりと立ち上がる。


 


ダンジョンの最奥で得た対価。


それは金では測れぬ、“無事に生きて帰る”という約束でもあった。


 


――そして彼らは、光の差す地上へと戻っていく。


次なる旅路が、また始まるのだ。

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