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遺跡の深層へ

陽が昇る前の静けさとは違う、何かが潜んでいるような沈黙がそこにはあった。

踏みしめる土は柔らかく湿っていて、天井の低い石の回廊は、音を吸い込むように沈んでいる。


レオンたちは旧遺跡のさらに深部へと歩を進めていた。


三人の足音は最小限に抑えられ、カイの背に背負われた弓が、時折石壁に微かに擦れる音を立てた。

リィナは前に出ようとしたが、レオンに軽く手をかざされ、順番を改めた。


「視界の幅を取る。俺が先だ」


「……了解」


暗がりに慣れた眼でも、先はほとんど見えない。

松明を灯せば位置が知られる、だが灯さなければ罠にも気づけない。

その矛盾に苛立ちを覚えるリィナとは対照的に、レオンはほとんど音を立てずに歩いていた。


「おい……この空間、少しおかしくないか?」


カイが低く呟いた。


「距離感が狂ってる。最初に見たときより狭いのに、歩いてると広く感じる」


「構造が歪んでる。壁も傾いてるし、空気の流れがない」


レオンの返答は、観察の結果をただ並べたものだったが、それが不安に輪をかけた。


「こういう遺跡、他にもあるの?」


「……これは、造られた後に“変質”したものだ」


「変質……ねぇ」


リィナがわずかに眉をひそめた。


歩き続けるうちに、通路は徐々に広くなり、天井も高くなった。

天井の梁には崩れた痕跡があり、石の粉が床に積もっている。


そしてその粉の中に、踏み跡があった。


「……これ、さっきのとは違う靴跡」


リィナがしゃがんで指差す。

小さく、深い跡。湿った土に沈み込んでおり、乾いた部分とのコントラストが残っている。


「人間かどうかも怪しいな」


カイが指先で触れ、眉をしかめた。


「指が、三本……?」


レオンは無言のまま、周囲を観察していた。

壁の一部に古代文字のような刻印があり、それをじっと見つめる。


「読めるの?」


「一部だけ。祈祷と封印、そして“帰還”……か」


「帰還? 誰が、どこへ?」


「さあな」


と、そのときだった。

レオンが唐突に手を上げて、後ろの二人を制止した。


「止まれ」


瞬間、前方から冷たい風が吹いた。


いや、風ではなかった。

風のように感じたのは、ただの“気配”だった。


ぞわり、と背筋をなぞるような、ひとの気配ではないもの。


空間そのものが、生き物のように息を潜めている。


「……なあ、やっぱり引き返さねえか?」


カイの声が、冗談めいているのに硬かった。


「行く」


レオンの答えは、揺るぎがなかった。


 


そのとき、遠くから石が転がる音が響いた。

乾いた石が何かを擦って、階段を落ちるような音。


反射的に三人は身構える。


しかし、音はそれっきり、何も続かない。


「……落石、か?」


「いや。今のは、誰かが“何かを投げた”音だ」


レオンがそう言ったとき、リィナの顔色が僅かに青ざめた。


「まさか、見てる……?」


「そうかもな」


カイが矢をつがえ、天井を見上げた。


「でも、どこにもいないじゃん。見張りでもいんのか?」


レオンは首を横に振る。


「視られているのは、俺たちじゃない」


「え?」


「――ここ全体が、“誰か”を見張ってる。ここに居るだけで、侵入者と“何か”に伝わっている」


その言葉に、リィナもカイも沈黙した。


ただの遺跡ではない。

ここは、ただの墓でも、神殿でもない。

“何か”の記憶が、今も“生きている”。


レオンが再び歩を進める。

その背中に、二人も黙って従った。


彼らの知らぬところで、足元にうっすらと浮かび上がった影が、ゆらりと歪みながら伸びた。


進むにつれて、空気は冷たさを増していった。

だがそれは気温の変化ではない。

肌の上にまとわりつくような湿気と、胸を圧迫するような圧力――まるで空間そのものが意志を持っているかのような、不快な重さだった。


天井が低くなり、壁の装飾も粗雑なものへと変わる。

一貫していたはずの建築様式が歪み、石材の継ぎ目はねじれ、床はわずかに傾いていた。

リィナが小さく吐息をつく。


「ここ、……息が詰まりそう」


「もうとっくに、“まともな建物”じゃないな」


カイが石壁に指を這わせると、黒い粉がこびりついていた。

それは煤のようでもあり、何かを焼いた灰のようでもある。


レオンが唐突に足を止めた。


「前方、開けている」


その言葉通り、狭い通路を抜けた先に、広い空間があった。

天井は高く、ドーム状に広がっている。

壁際には巨大な石柱が立ち並び、その中心に崩れかけた台座が鎮座している。


まるで、礼拝堂のような場所だった。


しかし、そこには“人”がいた。


老人だった。


痩せ細り、肌は土のように乾ききっている。

服装は布きれ同然の法衣で、ほつれた紐が体に巻きついていた。

顔には深い皺、頭髪はほとんどなく、白く変色した爪が石床に触れている。


彼は、彼らに気づいていた。

だが、目を動かすことなく、じっと台座の前に座っている。


「……生きてる?」


リィナが呟く。


「ああ。息はある」


レオンが即答する。


「なあ……こいつ、人間か?」


カイが一歩前に出かけた瞬間、老人が口を開いた。


「……愚か者が、また来たか」


それは枯れたような声だった。

だが、不気味なまでに滑らかで、言葉に濁りがなかった。


「この地を踏むなど、影の加護も受けぬ者には、過ぎた行いよ」


「……影?」


リィナが眉を寄せる。


「まだ“信じてる”のかよ、そんなもん」


カイが笑ったように言ったが、老人の反応はなかった。


「我は影に選ばれし者。光など恐るるに足らぬ。

 やがて再び、闇は地を覆う。

 その時こそ、我が時代が戻る」


「影の信徒か……時代錯誤にもほどがあるな」


リィナが呆れたように吐き捨てる。


だが、レオンは剣に軽く指を添えたまま、動かない。


「この男……ただの信徒じゃない。何かが“抜けた後”だ」


その言葉に、カイとリィナの表情が変わった。


「抜けた?」


「何が、って……まさか、“影”?」


レオンは答えず、老人をじっと見ていた。


彼の眼は濁っているが、焦点がどこかを見ているわけではない。

それでも時折、ほんのわずかに眼球が揺れる。

それは、彼の内に“まだ何かが残っている”ことを示していた。


「お前たちに、何が分かる……

 我はこの地の主であり、影の代弁者……

 やがて、真なる夜が戻るのだ……」


そう呟きながら、彼は石の床を爪でなぞる。

その指先に、かすかに銀色の痕跡――誰にも理解できない記号のようなものが残された。


「見てろよ……影が戻れば……貴様らなど……地を這う虫けら……」


その言葉に、リィナは無言で顔を背けた。

カイは軽く頭を振り、「相手にするだけ無駄だ」と吐き捨てる。


「もう行こうぜ。こいつ、頭おかしいだけだ」


レオンはしばらくその場を動かなかった。

だがやがて、一歩後ずさり、くるりと踵を返す。


「先に進む」


 


三人が礼拝堂を離れようとしたとき。


背後で、老人の声が低く、乾いた空気を震わせた。


「……見ているぞ」


その言葉に、リィナとカイが同時に振り返る。


だがそこには、ただ暗がりと崩れた石柱があるだけだった。

どこにも“誰か”の姿は見えなかった。


暗く、深い静寂だけが三人を包んでいた。

老人の「見ているぞ」という言葉は、不気味なほど耳に残り、石壁に反響するように消えていった。


だが、振り返っても誰もいない。

闇があるばかりで、そこに人影はなかった。


カイが舌打ちする。


「……ああいうの、嫌いなんだよ」


「あの男、もう長くはない」


レオンが呟いた。


「でも、放っておくの?」


「影はもう、あの体にいない。あれはただの残骸だ」


リィナが苦い顔をした。


「見てるって……誰が?」


「“何か”が、だ」


それ以上、レオンは語らなかった。


 


三人はさらに奥へと進んだ。


やがて通路はわずかに下り勾配となり、足元の石がしっとりと濡れていた。

壁には苔ともカビともつかぬものがこびりつき、空気はより重く、粘ついている。


そして――その空間は、不意に“開けた”。


巨大な広間だった。


半球状の天井は高く、天窓らしき穴が天井に口を開けているが、そこから光は差していない。

代わりに、床に散らばる結晶のような粒が微かに光っていた。


中央には、巨大な獣のような影が、うずくまっていた。


「あれ……何だ?」


リィナが、思わず声を潜める。


それは、異形だった。

体は獣のように四つ足で、全体が粘土のように不定形。

ただし、その背には幾つもの“顔”のようなものが浮かび上がっていた。


人間の顔にも似ていたが、いずれも歪んでおり、眼だけが妙に澄んでいる。


その獣が、レオンたちの気配に反応してゆっくりと頭を上げた。


 


カイが弓を引いた。


「撃つぞ……!」


「待て」


レオンが制止する。


異形はまだ、動かない。

ただこちらを“見ている”ようだった。いや、それ以上に――視ている、という表現のほうが近い。


まるでこちらの心の奥底まで、覗かれているかのようだった。


 


そして、異形の背からひとつの影が浮かび上がった。


それは人の形をしていた。

輪郭は曖昧で、煙のように揺れていたが、その姿に見覚えがあった。


「……あれ……!」


リィナが声を漏らす。


その影は、先ほどの老人と同じ法衣を身に纏っていた。

だが、すでにその姿には肉はなく、意志だけが残っている。


「あれが……あの老人についていた“影”か……!」


「ああ。今は、別の器を得た」


レオンが剣を抜いた。


影が、ゆらりと異形の背から剥がれ、再び融合するようにその体に沈んだ。


すると異形が、獣とも人ともつかない叫びを上げた。


空気が震える。


石の天井が軋み、床が揺れる。


異形が跳ね起き、突如として四足のまま地を這うように突進してきた。


 


「下がれッ!」


レオンが前に出て、剣を構えた。


鋭く、しかし静かな一閃が走る。


だが、異形の体は柔らかく、斬撃を受け流すように歪む。


そのまま振り下ろされる爪――!


カイが矢を放つ。

だが、刺さったかと思った矢は、異形の肉に吸い込まれるように沈んでいった。


「くそっ、効かねえ!」


リィナが別方向から矢を連射するが、効果は薄い。


異形がレオンに狙いを定める。


しかしその瞬間――


「ここだ」


レオンが地面を踏み鳴らすようにして、一気に跳びかかる。


その体重と剣圧を活かし、異形の肩口に剣を突き刺す。

めり込む。

剣が異常な粘性に引っ張られそうになるが、レオンは力でねじ伏せる。


「……あった」


その目が、異形の胸元に埋まっていた“核”のようなものを捉えた。


光を吸い込むような黒い宝石のようなそれを、レオンは抜刀の勢いそのままに、切り裂いた。


異形が絶叫した。


身体が引き裂かれる。

影が飛散し、黒い霧が吹き上がる。


 


そして、その残骸の中から――何かが転がり出た。


それは、小さな金属の塊。


リィナが思わず拾い上げようとして、手を止める。


「……これ……」


煤けた銀の置物だった。

翼を広げた双頭の蛇――どこかで見た意匠。


「あの老人が……」


カイが呟く。


レオンはそれを見たが、何も言わなかった。

ただ、


「捨てろ」


とだけ言った。


その場に置かれた置物は、静かに、ひとりでに崩れた。


そして、静寂が戻った。

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