余波と静けさ
イストランの空気が、ひどく薄く感じられた。
三人が街に戻ったのは、騒動から三日後のことだった。
最低限の装備補充と情報収集のためだったが、通りを歩くだけで、無数の視線を感じた。
表立って話しかけてくる者はいない。
ただ、目が合うと逸らされ、背を向けるとひそひそと声が漏れる。
「あの黒髪の大男……あいつが、って……」
「三人しかいなかったらしいじゃない。なのに……」
「副長まで出てきて、引き下がったって話よ……」
リィナは歩く速度を自然と速めた。
肩をすくめ、フードを深く被りながら、できるだけ目立たぬようにと振る舞ったが――すでに、手遅れだった。
「なんか、逆にこっちが悪者みたいな空気ね……」
「ああ、こりゃあ長居無用だな」
カイも眉をひそめる。
道行く人々の表情が、好奇心と恐怖心の入り混じったものになっているのが、じわじわと精神を削った。
一方で、レオンは――まったく気にしていない様子だった。
歩く姿勢も、視線も、いつも通りだ。
まるでこの街がただの通過点にすぎないとでもいうように、表情は淡々としている。
「……堂々と歩けるの、すごいよね」
リィナがぽつりと言うと、カイは苦笑した。
「あいつ、自分のこと人間だと思ってないフシがある」
「ひどい」
「褒めてんのか、呆れてんのか、自分でもよく分かんねえよ……」
三人は街の裏手、顔見知りの道具屋に立ち寄った。
中年の店主は口元に愛想笑いを浮かべていたが、明らかに距離をとっていた。
「……あー、悪いね、今日は品出しの途中で……」
「在庫確認だけでも頼めるか?」
「あ、いや、その、ほら……ちょっと立て込んでてね。あんたらが悪いわけじゃないんだ、うん、分かってる。でもね……まあ、ほら……」
明らかに“来てほしくなかった”と顔に書いてある。
レオンは何も言わず、そのまま踵を返した。
リィナとカイも、それに続く。
「……なんだか、いじめられてる気分になるわね」
「なあ、これもう完全に“英雄”じゃなくて“厄介者”扱いだよな」
「勝ったほうが疎まれるって、どういう理屈なのかしら……」
「まあ、勝ちすぎると怖がられるってのは分かるけどな……」
ため息交じりに言い合いながらも、三人は真っすぐに宿へと向かった。
宿の親父だけは変わらず対応してくれたが、言葉の端々に“出立を促すような”雰囲気が滲んでいた。
「……もう一泊ぐらいしていくか?」
「いや、今日のうちに出る」
レオンが断言すると、親父はほっとしたように小さく頷いた。
部屋に戻った三人。
カイは荷物をまとめながら、ぼそりと呟いた。
「なんかさ……せっかく助けたのに、って気になっちまうな」
「助けられたくなかった、って思ってる人もいるのかもね。特に、鉄鱗に世話になってた人たちとか」
「筋は通ってるつもりだったけどなあ……」
カイが苦笑いする。
リィナは窓辺に立ち、街を見下ろしていた。
広場には人の気配が戻りつつあったが、どこかよそよそしい。
「……でも、たぶん、誰も私たちを“間違ってる”とは言わないのよね」
「言わないけど、歓迎もしない」
「ええ、きっとそう」
リィナは窓から目を離すと、レオンに視線を向けた。
「ねえ、こういう時、レオンは……どう思ってるの?」
「何も」
即答だった。
「気にしないの?」
「関係ない。他人が何を思おうと、俺のやることは変わらない」
それは本心なのか、それとも言い聞かせているだけなのか――
少なくともレオンの声には、一切の揺らぎがなかった。
翌朝、陽が昇る前に、三人は宿を出た。
早朝の街はまだ寝静まっている。
露店の屋根は閉じたまま、路地には夜露が残っていた。
歩く足音だけが、静かな石畳に響いていた。
誰にも見送られず、誰にも声をかけられず。
それでも、三人は黙々と歩いた。
ふと、リィナが立ち止まる。
「……ちょっとだけ、振り返っていい?」
誰に言うでもなく、ただ小さくそう言った。
彼女はゆっくりと振り返る。
まだ朝焼けに照らされきらないイストランの街並みが、静かに広がっていた。
賑やかだった通り。
何度も通った広場。
無言で追い出されるように去るには、あまりに思い出が多すぎた。
「ちょっと、寂しいね」
「……なあ」
カイが言った。
「ここに帰ってくること、あるのかな」
リィナは少し考えてから、微笑んだ。
「噂が全部、笑い話になった頃なら……きっと、ね」
カイも苦笑いで頷く。
「まあ、何年後かにこっそり顔出して、“誰だったっけ?”って言われるくらいがちょうどいいかもな」
二人のやり取りを聞いて、レオンは足を止めずに言う。
「帰ってこなくてもいい」
「えっ」
「街なんていくらでもある。ひとつが駄目でも、次がある」
「……あんたってやつは」
カイがあきれたように笑い、リィナもため息をついた。
三人は再び歩き出す。
街門を抜け、見慣れた石橋を渡ると、後ろにはもうイストランの影は見えなかった。
代わりに、広がる空と街道が、どこまでも続いていた。
その道の先に、何があるのかは誰にも分からない。
だが――
「さ、次はどこ行く?」
カイが気軽に訊ねる。
レオンは前を向いたまま、短く答える。
「南。次の遺跡がある」
「ほいきた、遺跡探検か。また変なの出てくるんじゃねえの?」
「出てきたら倒す」
「出てこなくても、たぶん倒すでしょ、あんたは」
リィナがくすりと笑いながら言うと、レオンは少しだけ、目を細めた。
それが笑ったのかどうか、二人には分からなかったが――
その瞬間だけ、空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
そして、三人は再び、旅路へと歩き出した。
背中には、誰にも理解されなくても貫いた矜持と、
それでも共にいてくれる仲間の気配を背負って。
風が、彼らの背を押していた。