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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人生謳歌中の転生先が攻略対象全員ヤンデレの乙女ゲームなことを、元バイトS嬢は知らない

作者: 漣 立汰

 程よく日焼けした、そのくせなめらかではりのある肌。他が滑らかであればあるほど目立つのは、ところどころにある古傷の跡だ。首元に残る古傷を、つ、と指でなぞれば、面白いほどびくんと身体を跳ねさせる。


 潤んだ青い瞳は、部屋の電灯の光を反射してきらきらと輝いている。は、は、と短い間隔の息と、上気した頬に、つい口角を上げれば、情けなくきゅうと眉を寄せた。


 顔のいい男は何やっても絵になるなあ、なんて心の中で呟きながらも、大きくは表情に出さないままで手元の鎖を引く。・・・その先は、目の前の男に嵌った首輪につながっている。そこそこの勢いで引いたのと、おそらく男に抵抗する気が全くないのとで、男の身体は簡単に前へと傾いだ。



「、あっ、ローゼマリー嬢、」


「あら?どうしました、フェリクス様。随分情けないお声ですこと。」


「っ!」



とぼけたわたしの声に、フェリクスは声にならない声を上げ、潤む瞳で切なげにわたしを見つめる。着衣の乱れはないものの、だからこそむしろ、そんな姿の男が首輪をつけて跪いているのは、何とも倒錯的な光景である。


 ところで。実を言うと目の前の男は救世の勇者で、わたしは貴族の娘である。さらに付け加えれば、本日は勇者御一行の戦勝記念パーティー開催日であり、ここは会場である我が国の王城の、とある一室である。間違ってもこんな倒錯的なシチュエーションには似つかわしくない場所と言えよう。


 さてさて。なぜこんなことになっているかといえば、少しだけ時を遡った説明が必要となる。




*********




 わたしこと、ローゼマリー・フォン・ノルンは、ノルン伯爵家の一人娘である。長く続く由緒正しい伯爵家の一人娘として、蝶よ花よと育てられ・・・と言いたいところだが、興味をもったことには猪突猛進、やりたいことは何でもやってやれなんていうわたしの性質を朗らかに受け入れる懐の広すぎる父母に見守られ、貴族令嬢としてはかなり異質な仕上がりとなった。


 普通の貴族の家なら、眉をひそめられるどころか無理やりにでも教師やら何やらつけて矯正するような有り様なのだが、遅くにできた子供であるわたしを両親は溺愛するとともに、たった一度の人生なんだからやりたいことをやりなさい、あなたの選択に間違いなんてない、信じてる、なんて目を輝かせて言う。それを真に受けてすくすくと育ったわたしには、そんなおおらかすぎる父母にも言えないことがあった。


 前世の記憶が、ある。


 何を言ってるんだこいつは、と思われて当然なのだが、まあとりあえずちょっと聞いてほしい。


 今よりも大分幼かった頃のある朝。ベッドから起き上がり見慣れた自室を見て、ふと思ったのだ。「世界観がファンタジーだなあ。」と。


 は?ファンタジーって、何?そう思った次の瞬間、頭の奥底から湧き出るように、自分のものではない、いや、「今の」自分のものではない記憶が流れ出したのだ。断片的で鮮明でないものも多いのだが、とりあえず前世のわたしはニホンという国の成人女性で、なんやかんや暮らしていたものの死因は不明、なぜだか多少の記憶を引き継いでここにいる、というわけである。


 なるほど。よくある異世界転生モノか。


 オタク特有の理解の速さで納得したものの、だからなんだというところで。知っている作品の世界に転生したのであれば無双も可能なのかもしれないが、生きてここにいるわたしにとってはあくまでここは現実。というか、無双だとかオレツエエだとかは厨二病の産物であり、もしここが自分の知っている何かの作品であったとしても、実際生きていて「オレ最強」「一旗揚げてやるぜ」なんてこと思うのは、少年漫画のヒーローくらいなものである。


 前世の記憶はといえばかなり朧げだ。うっすらあるのは、ニホンという国に生まれた女だったこと、そのニホンがどんな国だったかというなんとなくの情報、いろいろ学んでシャカイジンとして働き始めた、くらいのなんとなくの流れ。家族や友人の様子などは、詳細があまり浮かんでこない。そのくせ、好きだった作品のあらすじやオタク用語はそこそこポンポン浮かんでくるあたり、社会性を捨てたオタクだったのかもしれない。いや、大学のゼミとかバイト先の記憶とかはうっすらあるな?なんなら何かしらの会社で働いた記憶もある。人と関わりがなかったわけでは・・・。



「あら?」



なんてことをつらつら考えていれば、突然くらっとくる。そのままぱたんと、ベッドにリターン、そのまま意識はブラックアウト。


 まあつまり、幼子の体に大量の記憶なんてものは、処理しきれなかったわけである。おかげでこの後、目が覚めては記憶が蘇り、それを整理してはまたぶっ倒れることを1週間繰り返したし、両親にもかなりの心配をかけてしまった。


 こうして前世の記憶、ただし細部はぼんやり、なんてものを得たわたしは、こう考えた。


 どうせなら今世は、面白おかしく生きてやろう。


 前世の知識を活かしてチート、なんて創作物の中ではよく見かける設定だったが、便利な道具を知っていても、仕組みまで詳しく知っているなんてことはそうそうない。ましてや、実はこの世界、本当に世界観がファンタジーで、魔法や魔術があるのである。前世で言うところの冷蔵庫なんかはこの国でもあるのだが、動力は魔力。つまり、仮に前世で家電メーカーの社員で、家電の仕組みに精通していたとしても、それがこの世界でどこまで役に立つであろうか、という感じである。家電メーカーに勤めた記憶はもちろん無いのであるが。


 しかしまあそうは言いつつも、自分のために実現させたいことはあった。


 まず1つめが、下着である。この世界の下着、コルセットにドロワーズである。前世の記憶を取り戻した時点ではまだ子供だったが、これから大人になったとき、ドロワーズはともかくコルセットはちょっとなと思ったのだ。あれだけ締め付けるの、絶対に体に悪い。


 あと単純に、前世のブラジャーとショーツが好きだったというのもある。レースにリボンにフリルにと、前世の下着はもはや芸術というか、服の下に隠れるからこそ好きなものが身につけられる、自分のためのおしゃれという感覚だった。どうせならコルセットより楽で、かつ可愛いのが欲しい。ないのなら、作ってしまえ、ホトトギス。


 とはいえ、今世には私の思い描く下着に必須なワイヤーとゴムの代わりになるものはその時点ではなかった。そこで目を付けたのが、魔物素材。そう、なんとこの世界、ファンタジーの世界でおなじみの魔物がいるのだ。そして、魔物素材はさまざまな特性を持っており、思いも寄らない使い道があったりするので奥が深い。


 幼馴染の商家の次男坊と手を組んで、というか丸め込んで、開発と商品化と販路の確立。お忍び中偶然出会った、というか迷子のわたしを保護する羽目になった魔物討伐部隊の隊員に、渡りに船と魔物素材提供の依頼。あれやこれやあったけども、端的に言うと商売的には大成功。理想の下着を作るだけでなく、そこそこの財まで手に入ってウハウハである。・・・若干下世話な話になってしまったので切り替えよう。


 実現したいこと2つめ。それは、魔術を使いこなすこと。これはもう世界観から言ったら当然だろう。


 なんともラッキーなことに、今世のわたしの家は有能な魔術師を多く輩出している家で、数代前には国の筆頭魔術師までいる。学ぶための環境は整っており、普通なら国の図書館にでも行かなければ読めないような魔術書までわんさとあった。わたし自身の魔力は、一族的には低めだが一般からすれば高めの部類で、さまざまな魔術を使いこなすには十分であった。おかげで、一時は寝食を忘れて勉学にのめり込み、周囲にだいぶ迷惑をかけたりもした。年齢1ケタ台のことなので、子どものやること、若気の至りということで許してほしい。


 ちなみに、この世界では魔術と魔法は別物である。自らのもつ魔力をもとに術を展開して行使するものを魔術、空気中に漂う魔素を使ったり、精霊の力を借りたりして行使するのが魔法である。魔術が様々な研究、工夫により体系づいているのと対照に、魔法は行使できるものが限られている上に、行使者による個々の差異が大きく、体系づいていない。しかし、魔術と魔法を比較すれば、より効果が大きいのは魔法である。ぜひとも使いたいと、ヒントを求めて無理やり魔物討伐部隊の遠征について行ったり、領地にある森やら滝やらで彷徨ってみたりしたのも、今となってはいい思い出である。なんやかんやあって、イレギュラーながらも使えるようになったのは万々歳だった。


 我が一族は、生まれもっての魔力至上主義なところがあり、かつわたしは女なので、家を継ぐには足らない。そんな一族の当主家であるにもかかわらずのんびりした性格の父母は、正直それは全く気にしていなかったのだが、周囲はそうとらなかったらしい。わたしが勉学にのめり込むのは悔しさからだと、一部は同情し、一部は嘲笑したが、まあ、そんなことはわたしの知ったことではなかった。その誤解も、家を継ぐための存在として我が家にやってきた義弟をわたしが猫可愛がりしたため、徐々に解けることとなったのだが。


 とにかく、自分の魔力量を存分に活かし、そこからさまざま工夫することで、自分より魔力量の多い魔術師相手であっても、ねじ伏せるくらいのことはできるようになった。わたしを馬鹿にしていた一族の鼻をあかせてすっきり、かつわたしを軽んじていた学院の同級生をこてんぱんにしてやったのも胸のすく思いであった。・・・わたしの品のない性格が全面に押し出されてしまった気がするので、この話はここまでとしよう。

 

 実現させたいこと3つめが、食事内容の充実であった。この世界、せっかくファンタジーな世界観で、前世にはなかったさまざまな素材があるのに、その調理方法に関してはあまり発達していない。切って焼く、煮込む、蒸すなど、素材を生かすと言えば聞こえはいいが、正直に言えば手の込んでない料理が多いのだ。前世と比べるとお粗末である。この国に生まれたからか、それほど米!醤油!なんてことになってはいないが、せっかく貴族の娘に生まれて融通が効くのだし、どうせなら突き詰めたいところ。


 ということで、自邸に様々な設備を整え、かつせっかくだしとあれこれ魔法や魔術での調理にも挑戦してみた結果、美味しい料理を開発するばかりではなく、なぜか食べることでさまざまな効果が得られるものまで出来上がった。ある種の魔法薬みたいなものということで、近くの神殿や救護院に相談し、治験も兼ねて炊き出しを行った。すると、ちょっとした怪我や風邪なら治る上、ものによっては病の進行を遅らせるなんて効果まで見られて、その上副作用もほとんどなし。ちょっと厄介な神官に目をつけられるなんてハプニングはあったものの、これは新たな商売になるぞ、と内心ほくそ笑んだものである。・・・ここで人助け、とかいう発想じゃないあたりにわたしの人間性が滲み出てしまっているのだが、もうなんというか。これはしょうがない。


 とにもかくにも、自分の目的のためにあれやこれや好き勝手やってきた。するとそのうち、この世界に暗い影を落とす出来事が起こる。それが、魔王の復活だ。


 魔王なんておとぎ話の産物だろうに、まさかそこまでファンタジーな世界だったとは。驚いていれば、ファンタジーに輪をかけるように、勇者の選出と聖女の召喚なんてものが行われて、その上にうちの可愛い義弟や、顔見知りたちまで勇者御一行に組み込まれてしまった。


 一族最強と言われるうちの子ならまあ大丈夫かと思いつつも、ついつい心配になってしまうのが姉心である。そして、異世界、というかおそらくわたしの前世と同じ世界から突然転移させられた聖女サマについても心配だった。


 何しろどうやら17歳の女子高生。つまり未成年である。いくら前世ニホンで成人年齢が20歳から18歳になろうと、前世のわたしの感覚から言えばまだまだ子どもな年頃だ。世界の一大事とはいえ、庇護を受けるべき年齢の子どもに勝手に使命を負わせて旅に出すなんて、正気の沙汰ではない。


 とはいえ、この国では18歳で成人扱いされる。貴族子女ならば、下手するとそのくらいの年頃で婚約、結婚なんてこともあるから、わたしの感覚はこの世界では通用しづらい。しかも、聖女サマ自身が、皆さんのためならと旅に乗り気だったのと、さすがに国の決定にはとやかく言いづらかったことで、正面切って反対はできなかった。


 聖女は戦闘には参加せず、浄化の祈りとやらが本分らしいのだが、心配なものは心配である。ちょいちょい様子を見に行ったり差し入れをしたりしていたのだが、有能な人物ばかり集められた精鋭であるからして、聖女をしっかり守りながら危なげなく旅を進めていった。その様子に安心しつつも、会いに行けば素直に喜ぶ義弟や安心したような笑顔を見せる聖女が可愛かったため、最終決戦直前まで顔を出し続けたのだった。


 そのお陰というかなんというか、聖女とはそこそこ仲良くなった。だが、聖女と仲良くしていると何となく他の勇者御一行からの視線が痛かったのだが、なんなのだろうか?


 もしかしてこれ、前世で人気だった逆ハーレムものか・・・?ということは、わたしは悪役、いや別にいじめてないから邪魔なモブってのところ?


 そんなどうしようもないことを考えつつ、ヲタク特有の現実と2次元をごっちゃにするやつだいかんいかんとセルフツッコミをしているうちに、なんやかんやありつつも魔王討伐にも成功したらしい。そして、世界を救った勇者一行を讃えての戦勝パーティーが開催されたのが今夜、というわけである。


 で、なんで今夜の主役の一人である勇者とわたしがこんな倒錯的な状態に陥っているのか、という話であった。これはまあ成り行きというか、酔ったうえでの悪ノリというやつだ。


 戦勝パーティーということで、大変盛大に行われていたのだが、もともとが庶民の出である勇者サマことフェリクス的には居心地があまり良くなかったらしい。ダンスはしたことがないし、あわよくばと近づいてくる貴族令嬢の扱いにも困っていた。顔見知りのわたしを見つけるやいなや、側を離れなくなったので、おいおい主役なんだからもっと愛想を振りまいてこいよと思いつつも、一緒にグラスを傾けながら談笑することとなった。


 わたしもお酒は大好きだが、フェリクスもそうだったらしい。そして王城のパーティーということで、良い酒が飲み放題である。ついつい杯を重ねるうちに、酔いが回ってきたらしいフェリクスがポツリと言った。



「・・・俺、頑張ったので。ご褒美を頂けませんか?」



わたしよりもよほど背の高いはずのフェリクスなのだが、なぜだか上目遣いをされているような気分になった。その表情に、何となく既視感を覚える。


・・・ん?これはいつの記憶と重なってるんだ?


 いまいちピンとこないものの、うちの可愛い義弟と旅をし、聖女と世界を守りきった勇者の言うことである。モブであるわたしなんぞになんの頼みが?と思いつつも、ひとつくらい言うことを聞いてやるのもやぶさかではない。もしかすると聖女との仲を取り持ってくれとか、そういうやつか?!ならちょっとお節介ババアの真似事でも、ということで、酔った時の気分の良さもあり、わたしは頷いた。すると。



「今夜だけでもいいんです、だから、お、俺を・・・、貴方の、犬にしてもらえませんかっ!」


「は・・・?」



一瞬、何を言われているのか分からなかった。だが、その言葉を咀嚼したところで、ふと、先ほどの既視感の理由に行き当たった。


 そう、それは薄ぼんやりしたわたしの前世の記憶である。好奇心旺盛な学生だった頃のわたしは、とあるバーでバイトをしていた。・・・言ってしまうと、そのバーというのがコンセプトバーだった。じゃあ何のコンセプトかというと、非常に言いづらくはあるのだが、SMだった。


 念の為言わせてもらうが、本当に本当に本格的なものではなく、あくまでもコンセプト程度のものだった。だからSMといっても、手錠とか軽い緊縛とかその程度であったし、どんなにハードでも、音だけ大きくてそれほど痛くないバラ鞭や、垂らされても熱くない蝋燭程度だった。・・・いや、もしかするとわたしの感覚がバグってる?でも吊りとかはなかったし。


・・・そのあたりの感覚はともかく。わたしはバイトS嬢として老若男女問わず、簡単に、本当にライトな感じで、自称Mの客やちょっと興味あるかも〜くらいの客やキャストを縛ったり言葉責めしたりしていた。


 興味本位で始めたバイトだったため、自分がMだかSだかは考えていなかったし、なんなら最初はキッチンとして入ろうとしたのだが、面接時にオーナーから、ぜひキャストを、多分S嬢に向いている、と言われてキャストとなった。どうやらオーナーの目は確かだったようで、そこそこの適性があったらしい。固定客もついて、Sの中ではNo.3くらいになった。


 お客の中には、ちょっと変わった体験をした、位の気持ちで終わる人もいれば、中にはほんのり、本物のMっぽくなる人もいた。キャストの子は、さすが自称Mだけあってノリノリで演じる子が多かった。その中で、あくまでも仕事だというのに何人か、本気でプレイにのめり込んでしまうような子もいた。


 フェリクスは、そんな真正Mっぽいキャストの子たちがおねだりをする時と、同じような目をしていたのである。


 いや、王城のパーティーで何言ってんだこいつは、と素面のわたしなら思っただろうし、突然そんな冗談を仰って〜とかなんとかはぐらかしただろう。だが、この時のわたしはなにしろ酔っていた。良い酒をたらふく飲んで、気分が良くなっていたのもある。確かにこの人頑張ってたもんなあ、わたしにできることならまあ良いかと、ついつい言ってしまったのだ。



「・・・つまり、ご褒美に今夜だけ、わたしのワンちゃんになりたいということで?」


「は、はいっ!」


「まあ、今夜だけなら、飼って差し上げても構いませんよ。」



にっこり笑って告げれば、フェリクスは顔を真っ赤にしつつも、喜色満面の笑みを浮かべた。顔がいい男はどんな表情でも様になるなあ、やたらきらきらしいなあ、なんて間の抜けたことを考えていれば、さっと手を取られて、休憩室として開放されていた王城の部屋の一つに連れ込まれたのだった。


 フェリクスは、どこから出したのかわたしに黒い首輪を渡して、自分につけてくれとせがんだ。わあ、なんだか懐かしいなあ、なんて思いながら首輪をつけてやり、皺にならないようにととりあえず上着だけ脱がせて掛けておいた。


 やたらに嬉しそうなフェリクスを前に、ところどころ欠けた前世の記憶を思い起こしながら、とりあえず首輪につながった鎖を引いてイニシアチブをとっていることをアピールしたのが、冒頭であった。




*********




 潤んだ瞳を見つめ返しながら、ここからどうしたらいいんだっけか、とりあえずワンとでも鳴かせてみるか、なんて考えていると、わたしが指示を出す前に、フェリクスは喉の奥からきゅう、と切なそうに鳴いてみせた。躾けてないのに犬らしいな、なんて思い、気分よく笑んで見せれば、鎖を持ったわたしの手に甘えるように頬を擦り寄せてくる。


 なるほど、犬として可愛がればいいのか?と、頬を両手で包んでこちらを向かせる。いったん鎖を離し、真っ赤な顔のフェリクスの、パーティー用にセットされたのであろう髪を、お構い無しにわしゃわしゃと撫でた。



「ふふふ、いい子ね。」


「っ!」



気分よく言ったわたしに、フェリクスは蕩けるような笑顔を見せる。これまで頑張りすぎたせいで、犬みたいに無条件に甘やかされたくでもなったのかな、なんて考えて、じゃあ椅子にしたりぶったりじゃなく、撫でたりブラッシングしたりしてみようかな、と算段をつけたところで。



 バターン!!



「嫌です嫌です義姉様義姉様!!こんな、こんな男となんて!!!犬なら僕が、僕がいるでしょう!?あなたの犬は僕だけで十分です!お願いです義姉様、こんなやつじゃなくて僕を・・・・!」


「あなたという人は、以前からとんでもない女だとは思っていましたが、まさかこんな・・・!いえ、そんなあなたでも神はお見捨てにはならないはず。今ならまだ間に合います、わたしが責任を持ってあなたの更生を・・・・!」


「なんだお嬢ちゃん、そういうことがしたかったのか?手近にいたのをとっ捕まえたのは分かるが、そいつは勇者だぜ?後腐れないのは俺だろうが。俺を選んどけば・・・・。」


「さすがお姉様、倒錯的な場面でも絵になります・・・!でもでもっ、やっぱり抜け駆けはいけないと思うんです!お姉様はみんなのものなのに、1人だけだなんてやっぱりずるい!わたしだって・・・・!」



突然、部屋の扉が吹っ飛んだ。は?と驚いていれば、フェリクスまで吹っ飛ばされて部屋の隅に転がっていく。そうして弾丸のように入ってきた4人に囲まれ、あれこれわあわあ言われているのだが、わたしは聖徳太子ではないので一気に喚かれても聞き取れない。何が何だか分からないわたしに構わず、勇者御一行である義弟、神官、騎士、そして聖女までが、わたしに詰め寄ってくる。



「あいつが、あいつが勇者だから、断れなかったんですよね?でも大丈夫です義姉様、聖剣があるといえど、僕だって能力的には負けていません。僕が義姉様を守ります、さあ僕の手を取って・・・・。」


「さあさあ、わたしと一緒に行きますよ。大丈夫です、あなたの更生のためなら、わたしは何でもいたしましょう。・・・ああ、いっそわたしが還俗して、あなたを四六時中見張るというのも・・・。」


「なあ、お嬢ちゃんは俺を選ぶよな?甲斐性はあるつもりだぜ、衣食住は心配いらない。掃除も洗濯も、ああ、もちろん料理だって俺がする。俺が何でもしてやるから・・・。」


「わたし、ヒロインですよ?この世界の。みんなのお姉様であっても、わたしが優遇されるルートがあってもいいと思うんです。こんなヤンデレどもよりも、女の子同士のほうがお姉様も安心ですよね?だから・・・。」



いや、だから一斉にわあわあ言われても1個も分かんないって。しかしわたしの困惑などお構い無しに、義弟が左手に抱きつくように縋り、神官は肩を抱き、騎士は腰に手を回し、聖女は右手に自分の手を重ねて指を絡めてくる。どういう状況なんだ。そして部屋の隅に転がったフェリクスは大丈夫なのかあれ。動かないけど。


 場が混迷を極めている。いっそ逃げてやろうか、なんて思い隙を伺おうとした、そこへ。



「うーん、王城でこういう騒ぎは困るんだけどなあ?全く、君は本当に面白いよねえ、ローゼ。」


「でっ、殿下・・・!」



しまった。ますます場がややこしくなりそうなのが来やがった。不敬だが、そう思う。


 吹っ飛んだ扉を見て苦笑するのは、この国の王太子殿下である。銀糸の髪にアメジストの瞳、なんていう神秘的なカラーリングかつ、線の細い中性的な見た目の御仁だが、きらきらしい笑顔はわたしから見れば胡散臭く見える。今だって、口では面白いとか言いつつも、よく見れば目の奥が笑っていないのだ。


 ものすごく優秀なお人で、この人が次期国王ならばこの国は安泰であろうとは思う。だが、それと個人的な好悪はまた別である。嫌いなわけではないのだが、何となく苦手というか、面倒くさい人なのだ。鷹揚に構えているようで、よく周囲を観察し、自分の意に沿うよう周囲を誘導していくようなところがある。それでいて、イレギュラーを楽しむようなところもあり、有能な分、質が悪い。


 実を言うと幼少期、わたしは彼のたくさんいた婚約者候補の内の一人であった。だが、王家に嫁ぐなんて、そんな堅苦しそうなこと絶対にごめんである。しかもこの方は王位継承権第一位。配偶者は自動的に次期王妃である。悠々自適に生きたいわたしは、もちろん王子に胸をときめかせるような質でもないので、両親にわたしには無理だと告げた。おおらかかつ権力欲の薄い両親は、すんなりと聞き入れてくれたのだった。



「ほらほら、勇者御一行。淑女を集団で囲むなんて外聞が悪いよ。ああいや、ローゼは淑女っていうにはお転婆さんかな。まあ、そこは婚約者である私が引き受けるからいいんだけど。」


「いや、あなた婚約者じゃないでしょう。」



すらすらっと台詞のように言う殿下に、すかさず突っ込む。何の冗談だ本気でやめてくれ。


 この方にとってはちょっとした戯れのつもりかもしれないが、こっちとしては死活問題だ。何しろこの方、いい年して婚約者の1人もいないもんだから、家臣をやきもきさせている。


 なんでこんな状況になった。あんなにいた婚約者候補はどこに行ったんだ。


 我が伯爵家はなんだかんだ歴史があるため、家格としても釣り合いが取れてしまう。殿下がわたしを気に入っているかもなんて、ほんのちょっとでも周囲に誤解されては、そのままとんとん拍子に話をまとめられてしまうかもしれない。身分不相応な地位になど絶対に就きたくはない。相手がほんの少しの冗談のつもりだとしても、断固として拒否しなければ。


 頼むからやめてくれ、そんな気持ちを込めて睨んでやれば、つれないねえ、なんて言って笑う。こういう飄々としたポーズをとるところも気に食わないな、と思っていれば、一団の割り込んできて、わたしの右手を引いた。しかし、やはり目は笑っていない。何だこの人、そんなに王城で騒ぎを起こしたことに怒っているのか。まあそりゃ当然か。


 わたし自身、酔った勢いとはいえ王城でやるには行き過ぎたことをした自覚はあるので、殿下を睨みつけている場合ではないなと思い直す。とりあえずお怒りを収めてもらおうと、弁解してみることにした。



「あ〜、ええと?祝いの席で浮かれた勢いとはいえ、王城でこのような騒ぎを起こし、」


「・・・浮かれた?君が、あんな男相手に?」


「ひっ!?」



途端にひやりと纏わりつく冷気。こいつ、うっすら氷魔法発動しやがった…?!



「ねえローゼ。君はそんなに安い女じゃないだろう?あんな男じゃあ君の相手には役者不足だ。君ほどの女性がまさか、まさか、あんな男に靡く訳がないよね・・・?」



殿下がなにかをぶつぶつ言っているのだが、こちらは氷の刃を喉元に突きつけられているような気分である。魔法を使えるものは、魔法に敏感になる。その上、自分よりも強力な使い手や精霊相手には、本能的な恐怖を感じる。


 だからこそ、王族の特能により魔素がぎゅっと寄ってくる気配と、それに呼応した精霊の気配を、わたしはこの部屋にいる誰よりも敏感に察知した。


 義弟は魔術師であり、神官や聖女の浄化は魔法でも魔術でもない特殊なもの、騎士は魔剣は使うが魔法は使えない。それでも敏感な義弟は、おそらくわたしの次に魔素の気配を感じているだろう。だが、わたしほどではないため、なぜわたしが身体を強張らせているのか分からないはずだ。



(やばいやばいやばい、誰か助けて・・・!)



 本能的な危機感に、無意識の内に脳内で助けを求める。すると。



バリーン!



さっき破られたドアとは反対側の壁にあった大きな窓が、大きな音を立てて割れた。


え、割れた?あれ、王城の窓ってめちゃくちゃ魔術で強化されてなかったっけ?それ以前に衛兵何してんの?なんて思っていれば、バサバサという翼の音とともに、見慣れた相手が窓枠から入ってきた。



「えっ、あれっ、師匠、なんでここに、」


「自分で助けを呼んだんでしょ。」



目を白黒させるわたしの身体を、魔法で引き寄せて抱き上げたのは、わたしの友人かつ魔法の師匠でもあるヴィドだった。師匠なら普通の人間にバレないように王城に入るくらい容易いだろう、と納得してしまう。


 長い黒髪を緩く束ね、黒い服に黒い翼のカラスみたいな見た目の彼とは、子どもの頃に領地の森で出会って以来の仲だ。強力な精霊の類なのだろうが、人語も解せば魔法を知りたいとごねる幼子の相手をする程度には温厚な質である。好き勝手しがちなわたしにとって、両親の次くらいに頭の上がらない相手だ。



「師匠、何で窓割ったの?」


「かかってる魔術解こうとして、面倒になってやった。そんなことよりほら、帰るよ。」



混乱したわたしの間の抜けた言葉に律儀に応えながら、また窓枠から外に出ようとする。ふと、殿下や勇者御一行の方を見れば、どうしてか動かない。あ、これめちゃくちゃ上位の遮断魔法使ってるすごい。



「えっ、何あれどうやってるの?」


「空間遮断と時間操作だな。まあ、人間には無理な技だ。」


「だろうねえ。でも後で構築の仕方だけは教えて。」


「いいだろう。」



 ついつい状況を忘れて、のんびりと師匠と会話する。なにはともあれ、混乱した場から一度離れるというのは名案である。ここは師匠兼保護者に甘えてしまおう。



「何をどうしたら王太子に脅されるようなことになるんだ。」


「いやあ、ちょっと懐かしさに駆られて悪ノリしたら、思ったより怒られちゃって。とりあえず今夜は、師匠のとこに連れて行ってもらってもいい?」


「構わないが・・・。」


「やった、久しぶりのお泊りだー。」



窓枠をとん、と蹴ると、重力を感じさせない動きで空に昇る。翼は動いているものの、風魔法を使っているので揺れはない。飛び立った窓から、何やら騒ぐ声がするが、それもそのはず、彼らからすればいきなり窓が割れ、わたしがいなくなったように見えたのだろう。代々王族についている精霊でも、ヴィドには敵わない。あの場にいた誰一人、わたし達の動きを追えた者はいなかっただろう。


 明日以降が面倒そうだなと思いつつも、とりあえず今日は目を背けることにする。それよりも、先ほどのヴィド魔法について講義してもらうことのほうがよほど重要だ。

 

・・・ここで逃げたせいでまあとんでもなく面倒な事態に陥るはめになるのを、この時のわたしは知らない。まさしく、後悔先に立たずである。


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