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3. vs ミサンダ・スタムディン侯爵令息


 やはり妖精が関わる案件だったか、とトゥノレーは目の前の出来事にどう対応するべきなのか、頭を悩ませていた。減る髪はないからこれ以上困ることはないが、ストレスで胃がどうにかなりそうだった。

 妖精。

 それはライシャール帝国において、魔法使いにとって特別な存在である。帝国南方のウナファータ侯爵領には潤沢なマナに溢れたそれはそれは美しい森と泉がある。

 智慧の泉。

 アモルリーベで、数百年に一度妖精が降りてくる聖なる土地の一つ。

 妖精は魔法使いと縁の切れない存在で、数々の魔法文明の発展は妖精が関わっているのは歴史が証明している。それ故に帝国では妖精がこの地に降りた場合、皇帝の勅命でウナファータ侯爵家が丁重に保護し、妖精が成人するその日まで我が子のように大事に育てることになっていた。

 そして、妖精の子が成人した暁には皇帝より一代限りの特別な爵位、妖精伯を賜り、妖精と愛する人は子をなし、いつまでも幸せに暮らしていくのだ。

その結果として、帝国は代々魔法文明の大きな発展とその恩恵を享受してきたのである。

 まさか今代の妖精様が既にウナファータ侯爵領に降りてきていたとはトゥノレーも思いもしなかったが。

 とどのつまり、ミサンダは最初からやらかしていたのだ。皇帝陛下の勅命である婚約を勝手に破棄するなんてもっての他だ。しかし、今更妖精との婚約を無理くり継続する事も不可能だ。

 トゥノレーはちらりと横目でステイシアに抱かれた赤ん坊、本当のキャンディスを盗み見た。

 赤みを帯びた頬、ぱっちり開いた目。ステイシアのことが本当に好きなのだろう、ニコニコと笑うその姿は人間の赤ん坊と何も変わらない。唯一違いがあるとすれば、頭頂部の後ろから覗くマナで編まれた小さな四枚羽だろう。トゥノレーもマナで視力強化することでようやく気づいた薄い羽、仮に気づいたとしても大きなリボンにしか見えない。

 そんな愛らしい妖精だが、純粋故に残酷でもある。繊細で傷つきやすいし、だからこそ好き嫌いもはっきりしている。妖精の婚約者とは妖精に純粋な好意を持って大切に愛を育まなければならないというのに。顔を知らない、存在すら正しく認識していない、ミサンダのこれまでの態度ではキャンディスに好かれるなど無理な話だ。

大昔には妖精の癇癪による魔力暴走で一国が一夜にして滅んだことさえある。妖精を無碍に扱うなど絶対にあってはならないのだ。

 ステイシアがウナファータ侯爵家として看過できないと言ったのはそういう事だ。人と妖精のバランサー、それがウナファータ侯爵家。陰ながらに国を守る皇帝の忠臣の一つなのだ。



「そんなはずない。最初に会ったとき赤ん坊は一人だった」


「正真正銘お姉様ですわ。妖精であるお姉様だからこそこの地に降りてすぐ婚約が決まり、貴方とお目通りすることになったのです」


「五年後のお茶会、大きく成長した君に会った。会っているんだ。君たちは一人だ、ステイシアなんていない」


「おかしなことを。貴方がお姉様と最初に出会ったあの頃、私は赤ん坊でしたのよ? 婚約者でもない人の子を貴方に会わせる意味がありまして? 5歳のあの日、私はようやくお姉様の側付きとしての許可が下りましたの。それからはいつも一緒でしたわ、このバスケットとともに」


「デタラメを言うな、私はあの日以降そのような赤子見たことがないっ!!」


「貴方がいつもすぐにお帰りになるからですわ。それにちゃんと私達のことを見ることもありませんでしたね。ちゃんと見ていればバスケットの中のお姉様にだって気づけたはずですわ。……本当は可愛いお姉様を婚約者様に抱っこしてもらいたかったのですよ。なのにスタムディン侯爵令息はいつだって取りつく島もない。何度もお声がけしました。でも貴方は耳を傾けることはありませんでしたね」


「っ!? 社交界をずっと断ってきたのはっ!?」


「赤ちゃんですもの。妖精とは言え、社交などできませんわ。ですから、婚約者様とのお茶会のみに限定していたのです」


「嘘だ、嘘だ、嘘だっ! だってあれからもう十余年、何も…何も変わっていないじゃないかっ! どこから連れてきた赤ん坊だ! 私を謀ろうとしているのだろう!?」


「お姉様は妖精ですから成長が遅いのです。二十年は赤ん坊の姿だと聞いておりますわ。あと五年ほどですわね。私、大きくなったお姉様とお茶をするの楽しみにしているんですよ」



 ミサンダの問いかけにステイシアは一つ一つ丁寧に答えていく。その間も楽しみでちゅねーと愛しい姉をあやす事も忘れない。

 そんなステイシアとは対照的にますます顔色を悪くしていくミサンダは今にも死にそうな様子だ。

 認められない、自身が妖精に不興を買っているなど認められないのだ。遠くない未来、天変地異に打たれるであろう自分の姿なんて想像したくなかった。

 だからキャンディスへの口撃を止めるわけにはいかない。ミサンダはステイシアなんて存在を認めるわけにはいかないのだ。それは彼の弱い心が生み出した無様な現実逃避であり、緩やかな自殺そのものだった。



「エレーナの研究…」



 ミサンダは磔にされながら、震える口調で呟いた。



「エレーナの研究を盗んだじゃないか。貴様がキャンディス・ウナファータではないと言うのなら研究を盗む必要がない。だが盗んだ、盗んだんだっ! 貴様はステイシアじゃない、キャンディスだっ!!」



 ステイシアとトゥノレーは呆れるしかなかった。それはそうだろう、ステイシアとキャンディスは別人だ。今ミサンダが自身で述べた通りだ。盗む必要はない? その通りだ、そもそもステイシアとキャンディスは何も盗んでいないのだから。



「当たり前ですわ、盗んでいませんもの。私はステイシアです」


「違うっ! 貴様は侯爵令嬢でありながら研究発表生に選ばれなかったことを逆恨み、優秀なエレーナを妬み、羨んだっ!! その末に研究成果を盗んだんだっ!!」



 んんん? っとステイシアはミサンダの言葉に合点がいった。なるほど、そこから勘違いしていたのかと。

 じゃらりとワンピースドレスの胸元から取り出したネックレスの先には銅製のプレートがきらりと輝いている。ステイシアは取り出したプレートを掲げ、ミサンダに事実を告げる。



「スタムディン侯爵令息。そもそも私、魔法塔の学徒ではありませんわ。ただの聴講生です」



 それはアモルリーベ全土の冒険者協会でも身分証明に使われている記録板と同じもの。魔法塔でも使われている統一規格で、外部の聴講生が門をくぐる為に発行される身分証に相違なかった。

 もちろん、今日この場に集った各国の重鎮、高位貴族も爵位に応じて、使われる素材は異なるが全員この身分証を身に着けている。特殊な魔法紋が掘られており、偽造することは不可能に近い代物だ。



「なんで、そんな……嘘だ、貴様を魔法塔で見かけない日はなかったっ! それなのに学徒ではない、だと…」


「智慧の子ってご存知?」


「ちえ、の、こ?」


「妖精の別称ですわ。帝国で降りる妖精様は他の地域の妖精と異なり、特別知識欲が強いのです。ですから私、お姉様と一緒にほぼ毎日魔法塔の外部向けの公開授業や研究を拝聴させていただきましたわ」



 もちろん、皇帝陛下の許可は頂いていますわ、とイタズラがばれた子供のようにステイシアは、頬をほんのりと朱色に染めてはにかむのであった。その姿はミサンダが地味だと蔑んだものとは程遠く、実に愛らしい一面だった。

 


「ならキャンディスの研究発表は? 貴様はエレーナの研究を盗んで、それを自分の物のように発表するはずでは?」


「いいえ。私に研究発表の予定などありませんわ。もちろんお姉様も。いくら妖精とは言え、赤ん坊ですのよ、知識はともかく発表などまだまだ一人でできませんわ」


「あっ……あっ、あ、あああああぁぁぁぁっっ!!!!」



 ミサンダ・スタムディン侯爵令息の完全な敗北であった。目の前にいる女性はキャンディスではない。その妹のステイシア・ウナファータ侯爵令嬢。

 そして、本当のキャンディスはステイシアの腕に抱かれた可愛らしい赤子、妖精の子。彼女が本当のキャンディス・ウナファータ侯爵令嬢で、未来の妖精伯なのだと理解した。ミサンダはその事実を理解しないわけにはいかなかった。

 彼女は帝国の繁栄を約束する存在であり、今となっては彼を滅びに導く死神だった。そんなお先真っ暗な未来、絶望と後悔を胸に抱きながら、ミサンダは気を失うのであった。



「さて、皆様。大切なお時間を割いていただきありがとう存じます。邪魔者は早々に退場しますわ。パーゲンセン伯爵、後はお任せしてよろしいかしら?」


「お任せください。少々時間を取りましたが、この二人を拘禁したら研究発表会を再開いたしましょう」


「最後まで聞けないのが残念だわ」


「それでしたら学会からウナファータ侯爵家に学会誌をお贈りしましょう。本日の研究発表ももれなく掲載いたしますので」


「まあ! パーゲンセン伯爵、お心遣い感謝いたしますわ」


「あー、うー!」


「あらあら、お姉様も喜んでいますわ」


「それは良かったです。……ウナファータ侯爵令嬢はやはりこの後は王城へ?」


「えぇ、我が家として聞きたいことは聞けましたので。この婚約は皇帝陛下からの勅命でしたから、色々やるべき事がありますわ」



 人騒がせな婚約騒動もこれにて解決でいいだろう。問題を起こしたミサンダとエレーナの二人は一旦拘禁され、シンポジウム終了後、王城に移送される。

 皇帝陛下の勅命である婚約を勝手に破り、人と妖精の関係を危うくするところだったのだ。それは帝国の未来を危険にさらすのと同義。二人は皇帝陛下直々に裁かれる。

 騒ぎが一段落し、会場の全員が心底ほっとした。皆それぞれが動き出そうとしたその時だった。パリンっと再び割れた沈黙魔法。無音だったため、誰もが見過ごしていた男爵令嬢の悪あがき。地獄の底から響くような嬌声が全員の耳を突き破った。



「ふっざけんじゃないわよおおおぉぉぉぉっっ!!」



 トゥノレーは見た、空中に磔にされながらもゆらゆらと揺らめく幽鬼の姿。その姿は令嬢ではなく悪鬼の如く、恐ろしい形相をしていた。


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