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2.乙女の秘密


 たった一声で場が静まり返った。

 聴講席から立ち上がったキャンディスの姿は威風堂々としており、ピンっと伸び切った背筋とその佇まいは正しく侯爵令嬢の姿そのものだった。

 果たして彼女が本当に研究の盗用などという愚を犯すだろうか、とその場のほとんどの人間がそう思った。



「さぁ、キャンディス。前に出てエレーナに謝罪するんだ!」


「キャンディス様、ご自身の罪をお認めになって! 謝って、私の研究を返してくだされば、それ以上は望みませんわ」



 とんだ三文芝居である。トゥノレーはこれ以上見ておられずキャンディスの前に躍り出た。



「スタムディン侯爵令息、メイルスキー男爵令嬢。いい加減にしなさいっ! もはや君たちに発表する資格などない。この場を下がり、事の沙汰を待ちなさい」


「そんなあんまりだわっ!」


「パー先生っ! 何故です、エレーナは被害者だっ! 罰せられるべきはその女ですっ!!」


「トゥノレー教授、もしくはパーゲンセン伯爵と呼びなさい。今日この場には魔法塔の学徒だけではない。世界各国から帝国の良き隣人達がお目見えしているのですよ。帝国貴族として一魔法使いとして恥ずかしくない振る舞いをしなさい! それとも何ですか? 私が伯爵だからと魔法塔の位階を軽視しているわけではありませんよね?」


「っ!? 申し訳…ありませんでした、トゥノレー教授。ですが、悪いのはキャンディスです。彼女が私のエレーナから研究成果を奪い取ったんだっ!」


「スタムディン侯爵令息。貴族たるもの不用意な発言は避けなさい。それとも君は彼女がメイルスキー男爵令嬢から研究を盗んだ確たる証拠がお有りなのかな?」


「もちろんです。エレーナの証言が何よりの証拠」


「…はぁ、話になりませんね。スタムディン侯爵令息、君は成績優秀品行方正な人物だと思っていましたが、私の見込み違いだったようです。メイルスキー男爵令嬢を連れて、この場を下がりなさい」


「っ!? トゥノレー教授っ! キャンディスの不正は明白じゃないですかっ! 目の前の悪を見逃すのですか!? 公正な判断をっ!!」


「パー先生、信じて! キャンディス様が私の研究を盗んだの!」


「メイルスキー男爵令嬢、貴方は何を聞いていたのですか? 言葉を慎みなさい。二人共、これ以上恥を上塗りするのなら魔法の行使も厭わないと思いなさい。今すぐこの場を下がりなさい」



 ぎゃーぎゃーと喚き散らすミサンダとエレーナの姿にトゥノレーはついため息をついてしまった。貴族の教示などない支離滅裂な発言の数々にうんざりしていた。最後の忠告にも従わない以上魔法で拘束するしかない。今度こそとトゥノレーは両手に拘束用の魔法を構築し始めた。



「お待ちになって」



 再び声を発したのはキャンディス・ウナファータ侯爵令嬢である。



「ウナファータ侯爵令嬢。このような騒ぎになり大変申し訳ありません。この二人なら今すぐこの場より退席させますので」


「あら、パーゲンセン伯爵が謝ることではありませんわ。むしろ、庇っていただいてありがとうございます。ただ私にも発言の機会をいただきたいのです。本来ならばこのような事、神聖な魔法研究発表の場で時間を割いていただくなど恐れ多いことなのですが、ウナファータ侯爵家として看過できないことがありますので。……この意味、金の魔法使いであらせられるパーゲンセン伯爵ならわかりますよね?」



 トゥノレーは展開しようとしていた拘束魔法を思わず霧散させ、目を見開いてしまった。朗らかな笑みを浮かべるキャンディスの目は笑っていなかったのだ。

 ウナファータ侯爵家として、と述べた上でわざわざ伯爵ではなく金の魔法使いとしてのトゥノレーを指した意味。一瞬で血の気が引いた。トゥノレーは下がらざるを得なかった。

 その様子を見て何を勘違いしたのか、ミサンダもエレーナも矢継ぎ早に口にする。ようやく謝る気になったか、早く謝ってくださいなど好き勝手に騒ぎ立てる。

 トゥノレーは気づいた、ミサンダがキャンディスの言葉の裏に隠された事実に何も気づいていないことを。



「お黙りになって。メイルスキー男爵令嬢、あなたさっきからなんなのかしら? いったい誰の許可を得て発言しているのかしら?」


「ひどいわ! 同じ魔法を学ぶ生徒じゃない」


「恥をしれっ! 探究に貴賎なし。キャンディス、貴様は建学の精神まで穢す気かっ!!」


「『サイレンス』 ねえ、お二方もう黙ってもらえないかしら? 話が進みませんわ」


「「!!?」」



 魔法封じの沈黙魔法。壇上の上には口をぱくぱく動かす哀れな男女の姿があるのみ。キャンディスが放った魔法は容赦なくミサンダとエレーナから言葉を奪い取っていた。



「同じ魔法を学ぶ生徒……ね。ふふ、メイルスキー男爵令嬢は面白いことをおっしゃるのね。……寝言は寝て言えですわ。いつまで学生気分なんですか? 何を勘違いしているのか知りませんが、ライシャール魔法塔は学校ではありませんのよ。学校ではなく研究機関。だからこその生徒ではなく学徒。ここは魔法を究めんとする魔法使いの上澄み達が集まる場所です。仲良しこよし、恋愛ごっこがしたいのならば一昨日来やがれですわ!」



 目を点とするエレーナはキャンディスの言っていることが理解できない様子で、その横では顔を真っ赤にしたミサンダが手を振り上げようとしていた。トゥノレーがすかさず拘束魔法を放ち、二人まとめて空中に磔にした。

 ありがとうございます、とトゥノレーに感謝を伝えるとキャンディスは言葉を続けた。



「スタムディン侯爵令息もずいぶん面白いことをおっしゃっていらっしゃいましたね。探究に貴賎なし。素晴らしいお言葉ですわ。ふふ、お二人とも鏡見たことあります? 先ほど言った通り、ライシャール魔法塔は研究機関ですの。残念ながら貴族のマナーや常識を教える場ではないの。お二人共、一度ご実家に戻って出直してきなさいな。それに何よりあなた達が騒ぎ立てた事で皆さんの貴重なお時間を無駄にしたことを理解しなさい」



 さてとと一呼吸おき、キャンディスは目の前で無様な空中オブジェと化したミサンダとエレーナへ、隣のトゥノレーへ、周りの教授達へ、そして聴講席の人間すべてを順繰りと見回した。



「そもそも皆様、勘違いされていますわ。私はキャンディス・ウナファータではありませんわ」



 思いもしない言葉にこの場にいる全員が驚愕した。磔になっていたミサンダとエレーナも声なき声で必死に何かを訴えている。ぱくぱくと口を動かし続ける様は滑稽でしかない。



「何も驚く事はありませんわ。私はキャンディス・ウナファータではなく、その妹のステイシア・ウナファータです」



 ステイシアが真実を告げた瞬間、パキンッと何かがひび割れる音とともに嘘だっ!! とミサンダの魂の叫びが会場全体に響き渡った。

 腐ってもライシャール魔法塔の学徒。研究発表生に選抜されるエリート。金の魔法使いの拘束魔法こそ抜け出せなかったものの、ステイシアの沈黙魔法を実力で解呪してみせたのだ。



「あら、さすがはスタムディン侯爵令息。才能はあるのですから真面目に研鑽してくださればいいのに」


「ぬかせっ!! 語るに落ちたな、キャンディス・ウナファータ!! 貴様との婚約はお前が赤ん坊で私が5歳の時に結ばれたもの。それから婚約者として何度も顔を合わせているのだぞ。この私をその様な嘘で誤魔化せるとでも思っていたかっ!!」



 その瞬間、ミサンダは死んでしまうかのような怖気に襲われた。呼吸が、心臓が止まってしまったのかと思ってしまった。冷ややかな視線はステイシアのものだ。



「それです」


「へっ?」


「それこそが、我がウナファータ侯爵家が看過できない事情。ねぇ、スタムディン侯爵令息。あれだけ私と姉様に会っていたというのに、まさか貴方はご自身の婚約者を正しく認識していなかったと?」



 姉と一緒に? ミサンダは訳が分からなかった。そんなはずはない。婚約者同士の交流の茶会で何度も彼女に会っているのだから。彼女がキャンディス・ウナファータでないなどあるはずがない。

 そもそもスタムディン侯爵家とウナファータ侯爵家の政略結婚、その婚約でありミサンダが5歳の時に二人は引き合わされた。

 生まれたてのウナファータ侯爵家の秘宝。その赤ん坊がミサンダの婚約者だった。ふざけるな、と思った。いくら政略結婚とは言え赤ん坊の婚約者などふざけている。赤ん坊と交流などできるはずもなく最初の出会いはそれっきりで終わった。

 再開したのは五年後、キャンディスがミサンダと出会ったときの年齢に追いついてから。初めての婚約者との茶会、彼が再会した彼女は黒髪三つ編み円縁眼鏡で大きなバスケットを携えた地味で変な女だった。少しは見れた容姿になっているかと期待した自分が馬鹿だったとミサンダはがっくりしたものだ。

 それからの付き合いは最低限顔を合わせるだけの日々。さすがにほったらかしにするのは父に雷を落とされるのが目に見えていたので、茶会に行っては最初の一杯だけは共に過ごした。ぐいっと飲み込んで、席を立つ。それが婚約者とのルーチンだった。キャンディスが何か口にしようとしていた気もするがすべて無視した。救いだったのはキャンディスが社交嫌いなのかパーティーに出てくる事がないこと。父からも彼女をエスコートするよう催促されたことはない。だからミサンダは見てくれの悪い女を連れて回らなくて済んだのだ。

 そんな冷え切った関係だったが、間違いなく言えることは、ミサンダは婚約者と会うときは他の誰でもない彼女と会っていたという事だ。ステイシア、といもしない妹を騙る忌々しい女と。



「何を言っているんだ、キャンディス。侍女たちはいたかもしれないが、私と君が会うときはいつだって二人だったじゃないか。苦し紛れの嘘など見苦しいだけだ!」


「……よくわかりました。こんなことならもっと強引に確認しておくべきでしたわ。スタムディン侯爵令息様、初めてのお茶会のあの日から私たちはいつだってお会いするときは姉のキャンディスと三人一緒でしたわ」



 まっすぐな瞳でミサンダを捕らえたステイシアはゆっくりと両手を動かした。向かう先は先ほどまで座っていた聴講席のテーブルの上。

 ミサンダもまた目を見開いた。それはよく見知ったバスケット。ミサンダがキャンディスと会うとき彼女が必ず携えていたバスケットだ。

 ステイシアの両手がバスケットの中身を抱き上げた。かけ布が落ちると、きゃっきゃっと嬉しそうな声を上げる小さな赤ん坊が姿を現した。



「改めてご紹介しますわ。こちらがキャンディス・ウナファータ侯爵令嬢。貴方の元婚約者で、未来の妖精伯。私の可愛いお姉様で妖精様よ」



 愛らしい小さな妖精の赤子を抱き上げるステイシアの姿にミサンダは先ほどの比ではないくらい一瞬で血の気が引いた。病的なまでに白く見える顔、ガクガクと身体の震えが止まらない。

 ミサンダ・スタムディン侯爵令息はここに来てようやく己が犯した過ちに気がついたのだった。


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