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こうしてまともに話を聞いてもらえないまま、どうにも出来ない日々が経過してしまった。今の私の言葉は誰にも届かないのか、そう思うととてつもない絶望を感じる。
数日マリアンヌ様のお体で過ごしながら、くじけないように年配の女性使用人に話しかけ続け、無視されつつもいくつが分かった情報もある。
この使用人の女性の名前はバリー、ボヌフォワ公爵夫人の生家から一緒に来ていて、マリアンヌ様でさえ一方的には強く出られない方らしい。
特別に強い防御魔法の魔道具をボヌフォア公爵家から貸し与えられているほど信頼が厚いようだ。「だからご存じのように私はお嬢様が怖くありませんよ」という言葉は気になるけど……。
「ボヌフォワ公爵夫人にお会いできるんですか……?!」
しかしある時、この暗闇に光が差した。
何度もボヌフォワ公爵家のどなたかと直接話をさせて欲しいと頼んでいたのだけど、それが叶ったようだ。この体の持ち主のお母様と顔を合わせるのに、使用人の方にお願いするというのがちょっと不思議な感じだけど……。
だって、私の家だったら、家族が在宅してる時なら思い立った時に部屋を訪れてノックすればいつでも会えたもの。
そもそもマリアンヌ様の部屋にカギがかけられて閉じ込められているのも気になるし……。
「失礼します」
「最近は多少大人しくしているようね、マリアンヌ」
先導するバリーの後をついていって、私はボヌフォア公爵夫人のお部屋を訪れた。
社交の場でしかお会いした事がなかったが、屋敷の中で日常使いのワンピースをお召しになってるボヌフォワ公爵夫人も素敵だった。お化粧をしてないので私の知ってる顔立ちと違う印象だけど、とても凛とした、自信と経験に基づく美しさを感じる。
その重厚な雰囲気で整えられた上品なお部屋の中で私は姿勢よく立った。マリアンヌ様のお部屋とかなり趣味が違う……廊下に置いてあった調度品も夫人のお部屋と同じテイストだし、きっとこの屋敷の中でマリアンヌ様のお部屋だけタイプが違うのね。マリアンヌ様の趣味かしら。
久しぶりにあの部屋の外に出て、目に入るものが新鮮でキョロキョロしてしまった私は、少し出遅れてしまったようだ。ボヌフォア公爵夫人が先に話し始める。
「今度は……『実は私はユリアなんです』なんて事を言い出したって聞いた時はまた胃が痛くなったけど……ようやく静かになってくれて良かったわ」
「あの……」
「あなたの魂胆は分かってるわ。自分が本物のユリア様だと、そう言ってレオンハルト殿下の婚約者になりたいのね。言っておきますけど、そんな話誰も信じませんよ。お願いだからもう面倒を起こさないでちょうだい。わたくし達が何回王家とテネブラエ家に謝罪しているか分かる?」
「……」
その、あまりにも勢いのある圧力に、私はつい黙ってしまっていた。
同時に、入れ替わりについての話を信じてのらえないだろう、という現実を突き付けられた。少なくとも、今どんな説明をしても聞き入れてもらえないに違いない。……私がマリアンヌ様の体でいる限り。
「公式ではない場のものも含めたら、百じゃ効かないわ。怪我をさせた使用人やその家族の賠償だって次から次へと……エリオットはあんなに良い子なのに、どうしてこの子はこんなふうに育っちゃったのかしら……」
「奥様……」
ポロポロと涙をこぼし始めたボヌフォワ公爵夫人と、彼女を慰めるバリーのやり取りに、私は居心地の悪い気持ちでその場に佇むしか出来なかった。
「も、申し訳ありません」
「!!」
「あの……何か……」
あまりに気まずくて、私はつい謝罪を口にしていた。するとボヌフォア公爵夫人とバリーが、ギョッとした目をこちらに向けて来たので、ついひるんでしまう。
「あなた……謝罪なんて口に出来たの?」
え、そんな事で驚かれていたの?! で、でも……たしかに、私もマリアンヌ様に謝罪された事はなかったような気がする。いえ、レオン様に謝ってる所は見た事はあるかしら……?
「あの…………少し、思うところがありましたの」
「まぁ……。ギャレットがいないから閉じ込めるしかなかったけど、一人で謹慎している間に改心するようなきっかけがあったなら良かったわ。これなら、また学園に通わせても大丈夫かしら」
ギャレットとは、マリアンヌ様のお父様、軍務長官のボヌフォワ公爵のお名前だ。やはり私は社交の場でしか関わった事がないけど、家ではとても厳しい方だとエリオット様がおっしゃっていたわね。
「はい……もう人にご迷惑はおかけしませんので、学園に通わせてくださいませんか?」
「本当に、マリアンヌに何があったのかしら? まぁ心を入れ替えてくれたのなら、喜ばしい事だけど……」
不思議そうな顔をしていたボヌフォワ公爵夫人は、しかし何かに気付いたようにハッと顔色を変えた。
「そう言って大人しくしたふりをして、また王太子殿下にご迷惑をおかけするつもりじゃないでしょうね?! あなた、婚約者のユーリス君にもいつも失礼な事を……」
「だ、大丈夫です。もうしませんわ、お母様」
「本当に……?」
マリアンヌ様がお母様にどう思われているか、しかし普段どれだけの事をしているのか。私は会話の端々からそれらを感じてお腹の中が冷たくなるような感覚を味わった。
尊重し合い、確かな愛情のある家庭で育った私には、想像もつかなかった環境だ。
「……いえ、まともになろうとしてるのなら良いわ。それでは、明日から学園に通う事を許します。神聖教会への対応も一段落したところですし、ちょうど良いでしょう」
フェリシアーナ様については、神聖教会の人間の思惑によって聖女として偽られ、魅了の禁術を使ってレオン様の側妃の座を狙っていたという背景が既に調べられていた。
私がマリアンヌ様の体に入ってしまって部屋に閉じ込められている間に、そちらの事件は一旦の終わりを迎えたらしい。
「はい、明日から学園に戻らせていただきます」
「本当にどうしちゃったの……?」
困惑しているボヌフォワ公爵夫人には申し訳ないが、私はマリアンヌ様のフリをさせてもらう事にした。それに、入れ替わっている、と本当の事を言っても信じてもらえないのだから仕方がない。
今の状況では、私の体に手紙を出す事さえできないもの。学園で直接顔を会わせて自分の体と話をするしかないわ。突然入れ替わってしまったのだから、マリアンヌ様もきっと大変な想いをされているでしょう。
そうして復学の許可を得た私はまたバリーと共にマリアンヌ様の部屋に戻る。そして、夕食後には新しく身の回りの世話などをするため専用の使用人を遣わせると約束していただいた。
良かったわ。バリーに最低限の世話はしてもらっていたが、学園に通うとなるとやはり個人専属の使用人は必要ですもの。実は、普段から侍女のような方もいないのが気になっていたのよね……。
これで明日は私の体に入ったマリアンヌ様と話をして……何が理由で入れ替わってしまったのかなんて分からないけど、詳しい現状を話し合えば事態の解明は進むだろう。魔法の研究をされてるアシュベル様や、お兄様にも事情を説明して協力していただかなければいけないわ。
この時の私は、自分の身に降りかかった大きな問題が動き、やっと解決に向けて進みだしたと思っていた。自分の体に入ったマリアンヌ様と話をすれば、あとは力を合わせて問題を解決するだけだと、そう思っていたのだ。
しかし、私の体……ユリアの方から入れ替わりについて何の問い合わせもされておらず、周りの人も全て今のユリアを「ユリア」として扱い……「マリアンヌの入ったユリア」だなんて言っている人が誰もいなかった時点で、私は悪意がどこにあるのか察するべきだったのである。