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喪失



「……が、ァ……?!」


 ミシミシ、と首の骨が音を立てる。首が締まっていた。苦しい。額から頭のてっぺんにかけて激痛が走り、頭蓋骨の中から眼球が押し出されてしまいそうな圧迫感に襲われる。息が。目の前が暗く、真っ赤に染まって、何も見えない。息を吸おうとしても口をはくはくと開閉させるだけで、空気は胸に入って来なかった。

 喉が何かで締め上げられている、息が、息が、息が。

 自分の足は宙をかき、ジタバタともがくだけ。今全体重がかかっている首に、本能的に手が向かったが、喉に食い込む太い紐のようなものは緩んでくれなかった。


 真っ赤になっていた視界がさらにどんどん暗くなっていく。もがいていた手足にも力が入らなくなってきた。

 バキッ。

 どうして、なぜ。理由も分からず苦痛と混乱の中にいるまま再び意識を手放しそうになっていた私は、何かが壊れるような大きな音と共に突然解放された。


「グェッ……」


 そのまま地面に落下した私は、したたかに体を打ち付けて痛みに呻いた。

 さっきまで締まっていた首、その影響で視界が暗い。そのまま目に光が戻って来るまで、私は荒い息を吐いて横たわっていた。

 ……手触りから、絨毯の上にいるのが分かる。私は何故、首が締まって目覚めたのかしら……? 昨日は普通に夕食をいただいて、学園の授業の予習をして、友人への手紙を書いた後は普通に就寝したはず。首に紐状の何かが絡んで、寝ている間に締まってしまったとか、変な寝方をした記憶もない。


 しかし、ようやく焦点が合うようになってきた視界の中に写った光景に、私は違和感を覚えた。


「ここは……どこ……?」


 そこは昨晩眠りについたはずの、自分の部屋ではなかったのだ。天井も、すぐ横にあったベッドも、家具も壁紙も全く見覚えがない。


「何……? 私の体じゃない……」


 視界に入る手は……とても柔らかそうな肉付きの良い手だった。しかしそれは何故か私の体として動き、今も表に裏にと思い通りに操れている。

 さらに視線を下に向けると、下半身が見えない程の大きな肉に阻まれた。私は不健康で骨の浮いた体をしていたはず。胸ももちろんそうだが、胴体にも……まるで、タオルを何枚か巻き付けたくらいに太くて、いつもの視界と違う違和感が強かった。

 だがそのお腹も、手で触れるとたしかに自分の体だという感触があるのだ。


「どういう事なの……」


 混乱からつい呟いて、視線を室内に巡らせる。しかしその途中で首に激痛が走って、思わず痛む所に手を添えた。さっき首が締まった時に痛めたらしい。

 そこからは首を動かさないように、慎重にゆっくりと視線だけで周りを確認した。


 どうやら私は……いえ、この体は、このベッドの天蓋を吊るす枠にかけた紐のようなもので首を吊って、すんでの所で枠が壊れて命が助かった、という所らしかった。

 折れた木枠がぶら下がり、自分の首には輪になった紐がかかったままだ。痛めた首に障らぬようにそっと頭から抜き取ると、それは素材的にバスローブの腰紐に見えた。


「一体ここは誰なの……? どうして他人の体で目覚めたの……?」


 自分の体に何が起こったのか、理解が追いつかない。必死に記憶に何か手がかりがないか思い出そうとするが、いつも通り自分の部屋で眠りについた、それだけしかない。

 そして何故、この体の持ち主はこんな事をしようと思ったのか。分からない事ばかりで、ひたすらに怖かった。


「……この部屋、鏡がないわ……」


 現状を把握するために見回した部屋には、しかし私の求めている物はなかった。家具や内装は私とは趣味が違うようだが、とても豪華で……しかし、この体の持ち主も女性であるのに、ここには鏡が一つもなかったのだ。

 どうしよう。この体が誰なのか、顔を確認しようと思ったのだけど……。


 机の中に手鏡もないだろうかとライティングデスクに近付くと、そこには一通の封筒が置かれているのに気付いた。普段の私だったら他人の手紙を見るなんてしなかっただろう。しかしさっき死にそうな目にあったばかりで頭がぼんやりしていた私は、何も考えずにそれを手に取って、中身に目を通してしまっていた。


『レオンハルト殿下を心から愛していました。レオンハルト様をわたくしから奪ったユリアが殺してやりたいほど憎い。どうしてわたくしを見ていただけないの。レオンハルト様と結ばれないのなら、この世に救いはありません。レオンハルト様、貴方の心がわたくしに向かないのなら、せめてわたくしを忘れないで。愛しています。 マリアンヌ・ヘクト・ボヌフォワ』


「これは、遺書……? そして……この体は、マリアンヌ様という事?!」


 私は愕然とした。自分が今入っているこの体は……マリアンヌ様のものなのだと。そう考えて見てみると、たしかに見覚えがあった。この豊かにうねる金髪も、なめらかで白い肌も、ふくよかな体型も。しかし、なぜ自分がマリアンヌ様の体に? 今の本当の私の体はどうなっているのかしら?


 混乱と恐怖で頭がいっぱいになりながらも、なんとか冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返す。

 落ち着いたところで部屋を出て誰かに助けを求めようとしたのだが、廊下と通じるドアには鍵がかかっていた。ここは二階なので、バルコニーから庭に出る事も出来ない。寝室にはもちろん個人の浴室とお手洗いがついているからそこは問題ないけれど、何故部屋の中に閉じ込められているのかしら。


 私は残されていた手紙の内容を思い出す。……レオン様への叶わない恋に絶望して、死を選んだようにしか見えなかった。マリアンヌ様がレオン様をお慕いしてるのは知ってたけど、自殺なんてするほど、そんなに思い悩んでいたなんて……。

 レオン様に恋愛感情を向けていない私は罪悪感を抱いた。私が選ばれていなければ……いえ、マリアンヌ様も、国からの命令でお兄様との婚約が結ばれたのですもの。私がいなくても、レオン様の婚約者になるのは難しかっただろう。

 苦手な方だと思って出来る限り避けてしまっていたけど、自死を選ぶほど悩んでいたなら、もっと話しかけていれば、力になれたかもしれないのに。

 私はマリアンヌ様の事を思った。想像通りなら、私の体の中にマリアンヌ様が入っている事になるだろう。ならば、死を選ぼうと決意し、行動を起こし……そこで体が入れ替わってしまった事になるのだろうか。

 何の偶然か。けど、きっととても混乱されているわ。


「ひとまず明日、家に連絡をして……マリアンヌ様……自分の体とも話をしなくてはならないわね」


 私は一人、確認するようにそう呟いた。



 不安で目が冴えて眠れなかった私は、そのまま部屋の中で日が昇るまでの長い時間を過ごす事になる。木枠が折れてあんなに大きい音がしたのに、誰も様子を確認しにも来ない。

 貴族の家なら普通は置いてあるような使用人を呼ぶベルもなかったのもあって、私は息を潜めて時間を過ごした。


 そうして翌朝、いえ、昼が近くなった時間、ようやく使用人がやって来た。

 しかし食事を乗せたワゴンを押してきた年配の使用人は、私がマリアンヌ様ではなく、マリアンヌ様の体に入ってしまったユリアという令嬢である事を話しても一切取り合ってくれなかったのだ。


「寝覚めたら何故かマリアンヌ様の体になっていたのですが、私はテネブラエ公爵家のユリアです。ボヌフォワ公爵家の方にお話しして、家に連絡を取らせてください」


 必死に説明する私を、その女性は一瞥すると深いため息を吐いた。


「珍しくお食事をお持ちする前に目が覚めていたと思ったら……そのようなおかしな事を言い出すとは」

「な……! 本当です! 信じられないような事ですけど、目が覚めたらこうなっていて……でも私はユリア・イシュ・テネブラエなんです!」


 しかし、女性は自分の状況を訴える私の言葉をまともに取り合おうとせず、ワゴンを置くとすぐに出て行ってしまった。話しかけても無視されて、取り付く島もなかったわ……。ハッと思い出してドアに手をかけるが、そこは再び施錠されてしまっていた。


「あの、どなたかいませんか。聞いていただきたい話があって……!」


 まだ昨日首が締まった影響で声は掠れて喉に痛みもあるが、ドアをノックしながら自分の出来る限りの声を張り上げる。しかしいくら待っても、誰も来なかった。


「どうして……? ボヌフォワ公爵令嬢のお部屋よね……?」


 様子を常に窺う使用人がいないなんてあり得ないと思うのだが。

 私はひとまず、用意された食事が載せられたワゴンの前に立った。目が覚めてから何も口にしていないせいで正直お腹もすいていたし、用意していただいた朝食を摂る事にしたのだ。

 私本来の体はとても食が細いから、こんな空腹感なんて初めてだ。


「これは……とっても体に悪そうな内容だわ……!」


 被せられていた覆いを取ったそこに並んでいたのは、山もりのパンケーキだった。一目見て分かる、じっとりとシロップを吸って色が変わった生地。付け合わせの皿には色取り取りのジャムと、たっぷりのバター、さらに追加のシロップが添えてある。

 野菜も、肉や卵も見当たらない。とても偏りがある内容に、私は思わず恐れおののいて一歩下がってしまった。

 もしやマリアンヌ様は、日頃……いつもこんな食事を摂られているのだろうか。なるほど、人よりかなり豊満だとは思っていたけど……とちょっと納得してしまった。

 しかしせっかく用意してもらったのだからと手を付けようとしたのだけど、どれもこれも甘すぎて。パンケーキは山もりの中の一枚の、さらに六分の一を食べた当たりで胸が一杯になって残してしまって大変申し訳なくなった。

 添えてあったポットから紅茶を飲もうとしたけど、こちらにはあらかじめ砂糖がたっぷり溶かしてあったようで、思わず咳き込んでしまったし。


「あの、どうかお願いします。話を聞いてください。大切な話なんです」


 マリアンヌ様の扱いは、絶対におかしい。だって昼前に食事を持って来たきり、使用人の姿を見ていないのだもの。

 陽が傾き、空が赤く染まり、外が薄暗くなった頃にようやくまた食事を運んでやって来た年配の使用人を、今度は逃がさないとばかりに部屋の出入り口を塞ぐように立って必死に訴えた。


「信じられないような話なんですが、本当なんです。私の中身はテネブラエ公爵家のユリアで……」

「……はぁ、奥方様には報告してますよ」

「ありがとうございます……! ぜひボヌフォア公爵夫人に、ちゃんと説明をさせてください」

「話したのは、またマリアンヌ様がおかしなことをし始めたって報告ですよ」

「え……?」


 いきなり冷たい目と声を向けられて、私は固まってしまった。


「奥方様は、そう訴える事で自分が本物の王太子殿下の婚約者であると言う事にしたいのだろうと、すぐに見抜かれていました。無駄ですよ」

「そんな……! 違うんです! 私は本当にマリアンヌ様ではなくて……!」


 私は慌てて訂正する。しかし、本当のことを言っているのに、私の言葉は届くことはなかった。


「いい加減になさってください。メイド長の私は忙しいんです。マリアンヌ様が使用人を酷い目にあわせるせいで、ここに来てもいいという使用人はもう誰もいないんですよ。……全く……今日は癇癪を起さないと思ったら……」

「あ……」


 縋ろうとした手をすげなく払われてしまい、あまりに悲しくてつらくて、私はつい涙をこぼしてしまった。


「はぁ。今更嘘泣きなんかでどうにもできませんよ」


 昼前に置いて行ったワゴンを押して部屋から出て行く彼女の背中を、今の私は見送る事しか出来ない。自分の言葉を聞いてくれないのが、無視されるのが、こんなにつらい事だなんて。


「どうすればいいの……誰か……助けて……」

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