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聖女の失墜


 時間を追うごとに、フェリシアーナ様を囲う男子生徒の数は増えていく。それはついに十人を超えてしまった。

 私や周りの学生たちは、それを見ている事しか出来ない。その頃にはもう、正面切って指摘する事もはばかられるような、奇妙な緊張感が学園に漂っていた。

 男子生徒達は、まるで磁石に引き寄せられるように、授業の合間の休憩ごとにフェリシアーナ様の周りに集まっていた。全ての授業が終わった今も、その場を離れようとしない。普段も、教室に残っておしゃべりに興じる学生もいるが、この光景は異質でしかなかった。


「聖女様、どうか僕にも、貴女のおそばに侍る許可をくださいませんか」

「もしよければ、この後カフェに行きませんか。まだ貴女と同じ時間を過ごしたいのです」

「お前、図々しいな。騎士爵の次男ごときがフェリシアーナ様のお手を取ろうだなんて。どうぞ、俺の誘いを受けてください」

「え~~、どうしよっかなぁ~」

「ああ、なんて美しい赤い瞳なのでしょうか。私の方を見てください」

「もう、皆、あたしに好かれたいからって焦りすぎ!」


 まるで小説の中のお姫様をもてなすように、彼女を囲んだ男子生徒が口々に甘い言葉をささやく。フェリシアーナ様がいる場所が、まるでこの場を支配する女王の玉座のようではないかと錯覚した。

 頬杖をつき、自分を取り囲む男性達の顔を見回した彼女が振り返る。彼女とその周りの集団を呆気に取られて眺めていた私や他のクラスメイト達に、三日月形に細められた赤い目が向けられた。まるで、私達の反応を楽しんでいるようだった。


「ヴィンセント様」


 まるでガラス細工を指先で撫でるような、か細く、それでいて決して無視できない、張り詰めた声だった。

 声のした方に視線を向けると、栗色の髪をした令嬢が、胸の前で震える手を握りしめて立っていた。今にも倒れそうなくらいに真っ青な顔をしたその令嬢は、ご友人に伴われる形で、フェリシアーナ様の座る椅子の横で跪く男性を見つめていた。

 あの方は、リンドレッド男爵令嬢。お二人は確か婚約を結ばれていたはずだわ。私は、自分の頭の中の社交界の情報を手繰り寄せた。


「クラリーチェ……」

「ヴィンセント様、今のご自身の姿が、どう見えるかお分かりですか?」


 小さく震えているが、その声には怒りはない。ただ純粋に事実を指摘する言葉に、ヴィンセントと呼ばれた男子生徒はフェリシアーナ様に向けていた虚ろな瞳をご自分の婚約者に向けた。


「……フェリシアーナ様と、少し、学園生活について話していただけで……」

「そのお話とは、婚約者でもない女性に跪かないと出来ないような話なのでしょうか」

「それは、……でも……確かに……僕は何故……」


 少し瞼を伏せて逡巡したヴィンセント・アルトリア男爵令息は、戸惑うように立ち上がった。何故か、自分の行動に、ご自分でも困惑しているようにも見える。


「ア、アルトリア男爵令息」


 私はこの異様な雰囲気に負けないように、意識して凛とした声を出した。

 ハッと顔を上げた数人が、私の方を見返る。


「リンドレッド男爵令嬢のおっしゃる通り、婚約者でもない女性に対して、不適切な振る舞いをされてますわ」

「テネブラエ公爵令嬢……それは……はい、ご指摘の通りで……」

「それは、他の皆さまも同じ。婚約者がいない方も、この誇り高き王立学園の学徒として、相応しくない行いです」


 私の言葉に恥じ入るように、男性達はサッと目を逸らした。

 フェリシアーナ様と違って、学園の規範を守ってこれまで過ごしてきた方達が、どうして……。


「なぁにそれ。お姫様、あたしに説教? 聖女のあたしと仲良くしたいって人達の行動にまで文句をつけるの?」

「……親睦を深める目的があったとはいえ、この学園の風紀を乱すような行いは注意させていただきます」

「何それ、貴族のルールでしょ。勝手に押し付けないでよ。あたしが平民だからってバカにしてるんだ」

「そのような事は……」


 男性達は言葉で指摘すると思うところはあったようで、フェリシアーナ様とは一歩距離を置いた。しかし当のフェリシアーナ様には、何の言葉も届いていないようだった。


「あたしもう帰る。ねぇ、そのカフェっていうの連れてってよ」

「……」

「は? 何? あのお姫様の顔色うかがってる訳? あーあ、気分悪い」


 神聖教会から迎えに来る馬車の所に向かおうとしたのだろう。しかし、教室を出ようとした彼女の前に立ちはだかる人影があった。


「神聖教会の聖女、フェリシアーナだな」

「そうだけど……何? こいつら……兵士?」


 それは、見ていた私達にとっても突然の事だった。あっという間に、複数人の兵士が彼女を取り囲む。普段女性王族の周りでしか見ない、近衛兵の制服に身を包んだ女性騎士が二人前に出ると、フェリシアーナ様の腕を両側から掴んだ。


「ちょ……ちょっと、何よ?! 聖女にこんな事していいと思ってる訳?!」

「静かに。君には、国が重罪に定める、禁術を使用した疑いがかけられている」

「はぁ?!」

「これ以降の発言は全て記録される。君の身柄は拘束され、取り調べが行われる。これは宣告である」


 中でも一番年配の兵がそう宣言すると、呆気にとられた私達の見ている前で、フェリシアーナ様はあっという間に兵士に囲まれて見えなくなってしまった。

 禁術……疑い……拘束……。今聞こえてきた言葉を、混乱した頭で何とか拾い上げて理解していく。まさか……フェリシアーナ様が……?


「ちが……違う! あたしのせいじゃない! 教会のじいさん達がやれって言ったの!」


 逃げられないと悟ったのか、フェリシアーナ様はその場で叫んだ。


「静かに」

「あたしは悪くない! ほんのちょっと良い思いがしたかっただけで……! ねぇ、聞いてよ! お貴族様は普段良い暮らしをしてるんだから、あたしだってこのくらいいいじゃん!」


 しかし正式な命令を下されて現れた兵士が、言い訳を聞き入れて解放する訳がない。

 廊下に連れ出されたフェリシアーナ様はなおも大きな声を上げる。バタバタと抵抗する足音が聞こえたが、訓練された女性騎士はそれを意にも介さず引きずって連行したようだった。





「教会に戻る前に聖女を確保出来て良かった」

「ああ。翌日になったら、もっと被害者が増えていただろうからな」


 あの後教室に現れたレオン様によって、簡単な説明がなされた。

 フェリシアーナ様を捕らえる前に兵士が言っていたように、事実彼女に禁術を使った疑いがある事、そして、彼女の関心を引こうと周囲から見て異様な行動をとっていた者達は、その禁術によって精神汚染が行われている可能性が高いという事が告げられた。

 彼らはただちに城で保護されて、現在は王宮魔術師と医師によって検査を行われているそうだ。

 同時に、彼女に禁術を与えて学園に送り込んだと思われる、神聖教会への調査も進められている。


「魅了の禁術でしたっけ? やっぱり、おかしいと思ったのよ。あんなはしたない女性に何人もの男性が突然愛を囁き始めて!」

「たしかに、俺の目から見ても異様に映りましたね」


 憤慨するイザベラを宥めながら、エリオット様がそう口にする。


「それで、今現在取り調べによって上がって来た報告によると……」


 レオン様がそこで言葉をいったん切って、気を遣うように私を見た。それを見かねたらしいお兄様が、続きを口にする。


「これは神聖教会が、レオンの側妃の立場を狙って画策した事のようなんだ」


 側妃、その言葉に私の胸はツキリと痛んだ。

 私は生まれつき体に問題があり、子供を産むのなら命と引き換えになる、と医者にも言われている。子供の頃はお茶会でも何度も倒れたし、私が病弱なのは誰もが知っている事だ。しかしこんな私をどうしてもと伴侶に望んだレオン様は、陛下のたった一人のお子様である。

 王弟アシュベル様の生みの親は陛下とは異母になるが、その方のお父上は犯罪に手を染めてしまい、家がお取り潰しになっている。それは私達が生まれる前に起きた話だが、犯罪者の血を王位に混ぜる訳にはいかないと、それ故にアシュベル様は成人前から一生結婚はしない、出来ないと宣言されているのだ。

 そして陛下には側妃はおらず、昔からずっと……他の女性を新たに王家に迎えてレオン様以外の子を設ける事、これも拒絶している。

 なので次の王位を継ぐ、レオン様の実の子供が絶対に必要なのだった。……そのため、将来レオン様は、私以外の女性と子供を設ける事が決まっている。

 まともなお家の方は、このように私だけを愛すると宣言して、実際私を溺愛するレオン様に自分の娘を側妃として献上しようとは思わず……側妃やその実家という立場だけを見てその椅子を求める者の中には相応しい方がいないと、だから側妃選びは難航していると王妃様がおっしゃっていた。

 ……たしかに、レオン様がもしこの術にかけられて彼女を選んでしまっていたら、すんなり側妃に決まっていたかもしれない。


「思い切った策のわりに、使った駒が随分とお粗末だったわね」

「神聖教会の中では、上手に猫を被っていたらしい。まぁでも一番は、あと三か月で殿下は卒業されてしまうからだろう」

「確かに、学園に通っている間でないと、神聖教会の聖女という肩書を付けても……おいそれと会えもしなくなりますものね」


 神聖教会が聖女と定めたのも、この王立学園に送り込むための名目だったらしいが。

 納得顔をしたイザベラが小さく息を吐いた。ひとしきり言葉で指摘をして、苛立ちは収まったようだ。


「しかしその、魅了の術をかける方法というのがちょっとなぁ……」

「何かあるのでようか?」


 話題を変えようとしたのか、しかしまたしても歯切れの悪いレオン様に、私は首を傾げた。


「両手で素肌に触れて……目を合わせるんだそうだ。こう……向かい合って手を繋ぐ格好を思い浮かべてみて欲しい。それで、両目に刻まれた特殊な魔術紋様を出来るだけ近距離で、長い時間見せる……そのようにして魅了の術をかけるらしいんだ」

「それは……」


 私はその光景を素直に思い浮かべてしまい、少し頬が熱くなった。

 こんな……はしたない事だわ。両手を繋ぎ合い、近距離でお互いの目を見つめ合う男女を想像してしまった私はその絵を追い払うように小さく頭を振った。


「もっと上手く動かれていたら事態の把握に時間がかかっていたでしょうね。少ない被害で済んで良かったとは思うけど……」

「見つめる時間が長い程、魅了が強くかかってしまうそうだが、そもそもそんな距離で手を繋いでいたというのは、な」


 お兄様とレオン様が苦笑した。


「そうですね。被害者ではありますが、彼らも適切な距離で接していれば禁術はかからなかったはずですから」

「今後はこのような事が起きないように、正気に戻った学生達には注意をしておこう」

「でも、もし目を覗き込まれていたら禁術を使われていた訳でしょう? レオン殿下が彼女にそのような振る舞いを許すような方でなくて良かったです。国が傾くところでした」

「当り前だ! ユリアを心から愛している俺が、そんな不適切な事をするはずが……」


 コホン。エリオット様の言葉につい勢いよく言い返してしまったレオン様が、一つ咳払いをする。


「まぁ、布の目隠し一つで封じる事が出来る力だと判明したので、今は問題なく取り調べが進んでいるらしい」

「そ、それは良かったですわ……と言ってもいいものか分かりませんが」


 私はそう口にしてこの場を流した。

 こうして、神聖教会が送り込んだ聖女によって起きた騒動は、一旦の決着を見せる事になる。

 フェリシアーナ様に禁術を操る術を与え、この国の王太子の側妃に、言い換えれば次世代の国王に魔の手を伸ばそうとした神聖教会の企みは暴かれたのだ。指示をしていた神聖教会の者達もすぐにとらえられるだろう。

 神聖教会は、選出した聖女を国の貴族に害されたなんて話から一転、禁術を与えた魔女を王太子の元に送り込んだ悪の組織だったと広められ、民衆は衝撃を受けるだろう。これで、最近影響力を強めてきた神聖教会の勢いは一気に削がれる事となる。神聖教会は国内での立場を失い、影響力をかなり弱めると予想された。これによって、神聖教会の勢力を強めたい信徒達による過激な行動が収まればいいのだけど。


 しかし、学園に起きた問題はこれで解決した陰で、新たな事件が起きている。城の宝物庫が放火された、そんな話をしているお父様とお兄様を夕食の席で眺めていた私は、自分にも忍び寄って来る悪意に、この時も全く気付いてなかったのだった。

 

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