表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/21

4


 それは、食事を取るために教室から移動する学生達がざわめく昼休憩の時間に起こった、らしい。

 レオン様を含め、生徒会に所属する者はランチミーティングを兼ねて、普段生徒会室で昼食を摂っている。同じクラスのお兄様とレオン様は、生徒会室に向かう途中にフェリシアーナ様とお会いしたそうだ。またしても彼女がレオン様の腕に触れようとした……そこに、マリアンヌ様も居合わせてしまう。

 レオン様をお慕いしていると公言して、私にも強い感情をぶつけてくる彼女が、フェリシアーナ様のそのような振る舞いを見て、どんな反応をされたのか。ある程度は覚悟していたつもりだったが、事実は想像のはるか上をいってしまった。

 なんと、マリアンヌ様がフェリシアーナ様に暴力をふるって、フェリシアーナ様はお怪我をされてしまったのだそうだ。


 私はその場にいたお兄様から話を聞いて、めまいがしそうになった。


「怪我と言っても……レオンの腕を掴んでいたフェリシアーナ嬢の肩を、見咎めたマリアンヌが軽く突いただけなんだ。こう」


 そう言ってお兄様は、自分で自分の肩をポンと叩く。


「そうしたら……正直、私から見た話だけど……フェリシアーナ嬢は自分から後ろに跳んだんだよ」

「は、はぁ……」

「それで、突き飛ばされて尻もちをついて、手首をひねったと彼女は主張してるんだ。一応イザベラ嬢が付き添って、医務室で休んでいる」


 お兄様の説明を補足するエリオット様の言葉に、私は目を伏せた。……手首を痛めたのは本当かしらと、疑ってしまったのだ。


「誰かが教員を呼びに言ったお陰でアシュベル様が駆けつけて、そこでようやく騒ぎが収集したんだ」

「ああ。痛くて動けないから抱き上げて連れて行ってと言われて、私もレオンも困ってしまってね。アシュベル殿下にも同じ事を望まれてたけど……」


 素早く警備の人間を呼ぼうとした所で、フェリシアーナ様は立ち上がって歩き出したそうだ。

 疑うなんてうがった見方をしてしまったかと罪悪感を抱いたけど、その必要はなかったかしら……?


 それで神聖教会の方が学園長室にいらしているのだと、そこまで説明をされた私は胃がキリキリと痛む思いがした。

 今はアシュベル様とレオン様が対応しているそうだ。


「申し訳ないわ。肝心な時にいなかったなんて……」

「ユリアこそ、本当に体調を崩していたんだから仕方がないだろう」


 午後から登校してきた私は、学園でこんな騒動が起きてるだなんて、来てから聞いてとても驚いてしまった。

 私とお兄様から学園の話を聞いていたお母様は、ストレス性の腹痛だと決めつけていたけど……原因はともかく、今朝は少し体調が思わしくなかった。最近は休まず登校できていたので少し残念な気持ちはある。


「まぁ、いたとしてもユリア様がどうこうできたものではないですよ。両方共、人の言葉なんて聞き入れない人達ですから」


 エリオット様は重々しくため息を吐いた。実の姉であるマリアンヌ様と、最近の暴風の中心であるフェリシアーナ様の事を指す言葉だった。


「しかし、これは少々困った事になったね。王派筆頭のボヌフォワ公爵令嬢が、聖女に危害を加えたと、神聖教会に付け入る口実を与えてしまった」

「姉が申し訳ありません」

「いや、似た事は近いうちに起きていたよ。私こそ、嫌な言い方になってすまない。君を責めたい訳じゃないんだ」

「……承知してます。大丈夫です、俺に出来る事を考えます」


 お兄様はへにょりと眉を下げて謝罪して、エリオット様もそれを受け入れた。

 ……心を痛めて落ち込んでいる場合ではない。私も自分に出来る事を考えなければ。……やっぱり、特例を作る事にはなるけど、神聖教会から世話係を受け入れるべきだろうか。神聖教会にも彼女のコントロールの責任を負ってもらいたい。

 監視する目があれば、もう少し振る舞いが変わるのではないだろうか。神聖教会も、聖女の神聖性が損なわれる事は歓迎しないだろうし。


「あまりいい結果にはならなかったな……」


 神聖教会の使者が、手首に包帯を巻いたフェリシアーナ様をお連れして帰った後。学園長室にやってくると、そこにはぐったりとした顔をしたアシュベル様とレオン様がいた。相当話し合いは難航したらしい。


「この国の貴族が、神聖教会が公に認めた聖女を害するのかと、酷い剣幕でな」

「フェリシアーナ嬢の態度を理由に停学を警告していた所だったのだが、難しくなってしまった」

「まぁ……」


 平穏な学園生活は遠のいてしまったようだ。

 最初は、少しずつ溝を埋めていって、フェリシアーナ様に学園で色々な事を学んでいただければと思っていたのだけど。私はもう、これは話し合いをしていって解決できるものではないのではないかと考えていた。この学園の規範は、フェリシアーナ様には合わないと思うのだが。

 しかし神聖教会は、聖女を何としてもこの王立学園に通わせねばならない理由でもあるのだろうか。国との関係が悪化する事は分かっているであろうに、学園の忠告を一切聞き入れることはなくて、何か裏がありそうにすら思える強固な姿勢を取っている。


「礼儀の正しい学生達がほとんどだったから、彼女に対応できる規範がないのがな。新しく作った所で、神聖教会が騒ぐだろうし」

「はっきり罪に問えるような事まではしないのが、随分と賢いですよね」


 難しい顔をするお二人に私も気持ちが沈む。

 神聖教会がやったように、相手の失態を待ってそれを糾弾するのは卑怯な行いのようで気が引けるが、もうそれしかないのだろうか。



 そして翌日、事態は更に穏やかでない状況となる。

 ボヌフォワ公爵家は事態を重く見て、マリアンヌ様の謹慎処分を学園に申し出たのだ。

 たしかに、起きた事だけを見れば目撃者も大勢いる中「暴力をふるって怪我をさせた」と言えてしまうのかもしれない。しかし、皆が認めている所であるように、フェリシアーナ様の態度や行動には問題があったのは明らかだった。それでも、本当に手首を痛めたのか、そしてあの場で彼女がわざと後ろに倒れたのだと証明する手段はない。


「ボヌフォワ公爵家は保守派筆頭の責任として、神聖教会へのパフォーマンスを含めてあえてマリアンヌに厳しい処遇を与えたのだろうね」


 だから、不在だった自分の事を責めなくていい。そう言外に語るお兄様に頭を撫でられるが、私はやはり後悔していた。やっぱり私がいたら、マリアンヌ様がフェリシアーナ様の肩を突く前に止められたと思うし……。


「おはよう、ユリア」

「おはようございます、イザベラ」


 教室に入ると、張り詰めた空気が私を包んだ。

 イザベラは不機嫌そうにしているけど、そのせいではない。……イザベラも、皆も、フェリシアーナ様の事を気にして遠巻きにしているせいだった。マリアンヌ様の一件と、それに下された処分の事を知ったのだろう。

 皆、触れてはならない禁忌を見る目を向けていた。いつも親し気に話しかけられている令息達も、離れるように注意する口調が弱い。強く拒否して、神聖教会から聖女を否定する加害者と思われる事を避けたいのだろう。

 我が家、テネブラエ公爵家とて、神聖教会と敵対したい訳ではない。しかし、学園に在籍する女性の中で一番身分が高い存在として、彼女の暴走を放置する事も出来ない。昨日に引き続き、お腹が痛くなってきたわ。昼食は……食べないと心配されてしまうから、消化の良い物をほんの少しだけいただく事にしましょう……。


 そして……変化は、それだけではなかった。


「この学園で誰かとお昼ご飯を一緒に食べるなんて初めてだったから楽しかったわ!」

「それではぜひ、明日以降もご一緒させてください」

「いいの? 嬉しい♡」


 午後の授業が始まる頃、突然、フェリシアーナ様と親し気にする男子生徒が現れたのだ。今まで、この学園では見た事のない振る舞いをされるフェリシア―ナ様にほとんどの方が戸惑い、マリアンヌ様の一件の前から、女性も男性も距離を置いていた。

 いえ、ほとんどの学生が貴族で構成されるこの学園では、男性の方がフェリシアーナ様との接し方には気を使っているように見えた。

 それが、昨日あんなことがあった上で、あのような近い距離でお話をするような関係性になるだなんて。

 私は若干、今見ている光景に現実感を持てずにいた。彼の名は、ハーヴェイ・グレン。平民だが、ご実家は大きな穀倉地帯を管理する大地主。お付き合いのある貴族家も多いが、どなたも神聖教会とは距離を置いている家のはず。

 さらに驚いたことに、彼はその後も放課になるまで休憩時間の度に終始彼女の隣に侍り、席を立つような事があれば手を取ってエスコートまでしていたのだ。

 ……午前中までの彼からは考えられない態度だった。


「……何が起きてるのかしら」

「聖女様とご友人になられたの?」

「いや、ハーヴェイは、かの方の振る舞いには戸惑っていたはずだが……」


 ざわつく生徒達。しかし、その異変はグレン様だけにとどまらなかった。

 次の日。今度は、別の二人の男子生徒が彼女に付き従っていたのだ。朝から教室でフェリシアーナ様を待ち、熱のこもった瞳を向け、競うようにエスコートをする。そしてその日の昼食後には、なんと違うクラスからさらにもう二人がフェリシアーナ様のお近くを取り巻く方に加わっていたのだ。

 明らかに、異様な現象だった。

 皆さま、この学園の模範的な生徒として、異性と適切な距離をとって紳士的に接していた方なのに。フェリシアーナ様のお手に触れたがり、何とか目を合わせようと殿方同士で牽制までし合っている。


 ――彼らの目はどこか虚ろに感じて、私はその瞳を見ているのが怖くなって思わず視線をそらしてしまった。

 一体、何が起こっているの……?




 本来、授業が行われているはずの時間であはあったが、レオンハルトとユーリスは学園長室へと呼ばれ緊急的に会合を開いていた。


「二人は見たか? 聖女に侍る男子生徒達の様子……あれは、正気とは思えん」


 アシュベルの言葉に、レオンハルトも眉を寄せて頷く。


「まるで操られているようです」

「そうだな。あれは、突然あの聖女が魅力的に感じて親しくし始めたとか、そんな話ではないだろう」

「彼らの家も、神聖教会の聖女と積極的に関わるような事を指示するとは思えません」


 ユーリスの言葉にアシュベルも同意した。聖女フェリシアーナに近付くメリットは彼らには無いはずなのだが。


「彼らの行動には原因があるのだと思う。……一つ、この状況に心当たりがある」

「心当たりとは……」

「禁術の記録で、人の心を操る術……というものを見た記憶があってな」


 レオンハルトとユーリスはその言葉を聞いて、考えを巡らせた。禁術とはその名の通り、禁じられた魔法術について記載されたものだ。存在する事自体が秘され、情報に触れる事さえ通常は出来ないはずなのだが。


「禁術という事は城の書庫ですか?」

「ああ、王族が直接管理している区画のものだ。二人にはそこで、この件について調べてきて欲しい」

「私も閲覧してよいのでしょうか」

「ユーリスも王家の血の入った公爵家の嫡男だろうに」

「それに公文書で使われる古典語はユーリスの方が得意だろう。俺一人で探すよりも効率がいい」


 二人の頼もしい後押しによって、ユーリスはレオンハルトとともに、学園の授業を早退して城に向かう事となった。


「彼女が男子生徒達を操っているのが禁術によるものだとすれば、大変な事だ」

「はい。まず城に報告すると共に、捕縛の人員を動かします」


 王太子としてどう動くべきか、学園と生徒会の問題を超えて大きくなる事が予想されるこの事件に、レオンハルトは気持ちを引き締めた。

 一時的とはいえ、あの聖女が存在する学園内に最愛の婚約者を置いて動かなければならない事に焦燥感を抱きつつ、レオンハルトは事態の解明を急いだ。


「これが禁術と、それによって起きた事件についての記録か」


 王城の書庫の奥、鍵のかかった重厚な扉の中。人の出入りのない、ほんのりと埃の匂いの漂う窓の無い部屋で二人は本のページをめくる。持ち込んだ明かりは十分ではないが、贅沢は言えない。

 この国の表沙汰には出来ない、しかし残しておかねばならない外交文書などは置いておいて、この鍵のかかった部屋の中でさらに魔術的な封印が施されている書架の中身を一冊ずつ改めていった。

 薄く削った木の板を束ねた古文書のようなものもあり、半分ほどが今主流となっている植物紙ではない、動物の革で作られた冊子だった。貴重な記録でもあるそれらを損ねないように、慎重にそこに記された文字を追っていく。

 そこには禁術の内容と、どういった経緯でそれが禁術として指定されるにいたったか、そしてその禁術を用いた術者に与えられた末路などが記録されていた。そこには、学園で学んだ歴史とは違う話も書かれていた。二人共王族と公爵家として公に出来ない歴史がある事とその内容は既に学んでいたが、そこにはさらに驚くような話が、起きた事実として書かれていたのだ。

 禁術一つにつき、一冊。このような事態でなければ衝撃の史実について語りたいところだが、今はそんな場合ではない。


「当時とある政界の重鎮が突然……多くの女性を侍らせ……別人となり……」


 性別は逆だが、今起きている事と似ている。今起きている問題に似た事件の記述。ユーリスはその先を読み進めた。


 その男はまるで別人となり、悪徳と享楽の限りを尽くしはじめ……そこまで読んだユーリスはほんの少し落胆した。

 その事件では周りの精神を操ったのではなく……この男は魂を入れ替えられてしまった、そのような力のある魔術が使われた、そう書いてあるようだった。


「何かあったか?」

「聖女が使っていると思われる作用ではないようです」

「そうか」


 人が変わったようになったのはその貴族本人で、それによって異性を侍らせたり悪事を働くようになってしまったという部分が目に付いたせいだった。

 ユーリスの返答に、レオンハルトも今読んでいた本に視線を戻した。この本に目的の禁術は書いてないと判断したユーリスは羊皮紙に書かれていた本を閉じると書架に戻す。


「……これ、ではないか? ユーリス、間違いがないか、お前も確認してくれ」

「これは……」


 突然、レオンハルトの手が止まった。先頭に戻ってしっかりと読み直し、そこに書かれている記述を確認する。それは現在起きている事件とあまりに似ていた。ただの既視感ではない。それは、レオンハルトから厚い本を受け取って読み進めたユーリスも同じ感想を抱いた。

 それは、今から百年ほど前の事件だった。ある日突然当時の王子が一人の女性に愛を傾け、側近達も交えてその女性に侍り、虜になって愛を競い始めたのだという。今の状況に酷似していた。

 そして婚約者だった公爵令嬢に婚約破棄を告げたばかりか、その女性を害したと疑いをかけ、なんと公爵令嬢を処刑してしまう。しかし後から冤罪の証拠が次々と上がり、最終的に……この事件を引き起こした女性によって王太子とその側近を含めた者達は精神に異常をきたす魔術がかけられていた事が判明した……記録はそう綴られていた。

 あの聖女の周りに同じ事が起きるかもしれない。そう想像して、二人の背中にゾクリと冷たいものが走る。


「この事件は王子やその側近だけでなく、主犯の女性が接した大勢の人間に精神症状を引き起こし、後遺症も大きな問題となった……これを『魅了の魔眼事件』と名付け、禁術に指定する……」

「なんてこった……」

「それだけではありません。……術者の条件も、フェリシアーナ嬢と一致している」


 記述によると、この禁術を使うには適性があるらしい。要は本人の魔力の持つ性質が関わるらしいのだが、それが「治癒術が使える」そして「ピンクの髪に赤い瞳」という事だった。両方とも、フェリシアーナに当てはまっている。


「禁術を使うには……眼球に、直接特殊な魔法紋様を刻む必要があるようです。直視する事で発動する呪いの一種でしょう」

「目に……捕縛する根拠になるな」


 一瞬痛い物を想像するように顔を歪めたレオンハルトは、腕を組んでしばらく思案すると、勢いよく立ち上がった。


「ユーリスは王宮魔術師に声をかけてくれ。俺は陛下に報告し、あの聖女を捕縛する許可を得る。準備が整い次第学園に戻ろう」

「承知しました」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ