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【お知らせ】
「レオンハルトくんは入れ替わりの禁術の存在について知らない方が良い味になるなぁ」と思ったので書庫で調べものしてる所を少し変更しました
入口に控えていたのは、城の中でも特別信頼の厚い者達だった。
俺の姿を確認して扉が開けられる。部屋の中には蒼い顔をしたユーリスと、ユリアの侍女がいた。部屋に入って来た俺に、沈んだ瞳が向けられる。
「何故……彼女は……。どうしてこんな事が起きてしまったんだ?」
耐え切れなくなった俺の口からはさっきまで表に出せなかった言葉が零れた。感情が、コントロール出来ない。受け止めきれない現実が目から溢れて頬を濡らした。
それに応える声はない。
信じたくない。こんな事が起きたと信じたくない。けれど全てはたった一つを指し示している。一体誰がテネブラエ夫人を殺したのか。
どうして、どうして。ただそれだけが頭の中をこだまする。
「どうして信じられない……何かの間違いじゃないか。いや、結論が一つしかないのは分かっているんだ。でも、彼女がこんな事をするとは思えなくて……」
俺は、この時情けない顔をしていたと思う。弱音を吐きながら、同意の言葉をどうしようもなく欲していたのだ。
しかし部屋には沈黙だけが横たわっている。
「彼女がユリア君じゃなかったとしたら?」
「叔父上……」
いつの間にか、後ろから叔父上が入って来たのにも気付かなかったようだ。
そこで俺はやっと、座る事も忘れていた事に今更気付いた。叔父上が座った隣に腰を下ろす。皆、憔悴した酷い顔をしていた。
「アシュベル殿下は先にここで話をしていたんだ。父上もいたのだが、今は事情を聞いた陛下と共に、この事件について対応されている」
「私は確認する事があったので、一度学園に行っていた」
俺は保護、という名目で彼女を城に留め、周囲に必要な連絡をしていた。その間に思ったより時間が経っていたようだった。
それで、この部屋にやって来た俺と同じタイミングで戻って来たのだろう。説明する叔父上とユーリスの言葉にそう理解した。ここで話が交わされていた内容を知らないのは、俺だけらしい。
「ユリアではなかったとは、どういう……?」
「言葉の通りだ。彼女は……今の『ユリア』は、我々が知っているユリア君と、同じ人物ではない」
「な……?!」
その言葉はあまりに衝撃的すぎて、俺は言葉を失った。
けれど、その言葉が俺の中で輪郭を持っていなかった違和感を急速に形作る。ユリアは、俺の体にこんなに積極的に触れようとしていただろうか。こんなに強く感情を出しただろうか。俺を見つめ返す目は? ……婚前に体を重ねるようとするか、それも、自分の命を盾にしてまで求めるなんて。そんな事をする女性だっただろうか。
ユリアへ向ける愛情に、同じくらいの重みが返って来るようになって嬉しい、そう思っていた。俺の方がユリアへ向ける愛情が強いのは分かっていた。でも、ようやく愛し合えるようになったのだと。
今までの違和感を麻痺させていた俺の喜びに、じわりと陰が広がる。
「でも……そんな……どう見ても本人にしか……」
見えていなかった違和感を指摘されて、納得しそうになる自分もたしかに居た。だが別人だと言われても、その言葉をすぐさま飲み込む事は出来ない。
「ああ、体はユリア君本人だ。だが魂が別人のものだとしたら?」
「魂が……」
「魂を入れ替える……調べたら禁術に、そのような力を持つものがあったんだ」
叔父上はテネブラエ夫人が殺されたこの度の事件の概要と、その犯人がほぼ特定されているという事実を踏まえた上でそれでも強く否定した。ユリアではないと。
しかし最初から、入れ替わりという突拍子もない事に気付いたのではない。状況は全てたった一つを指し示していたが、ユリアがこんな事をするはずがない、その確信だけで調べ始めた事だったのだそうだ。
それこそ……ユリアに黒づくめの男の幻覚を見せた上で、ユリアがやったように見せかけた証拠を残して殺人をしてのける方法がないか、またはユリアを……他人を操って殺人を犯させるような方法がないか、そんな事まで考えていたらしい。そうして行き着いた事だった、そう語った。
「信じがたい事だ。けれど、これが真実だとすると、全てに説明が付く」
それを可能とする手段が、実際に存在する。そうと分かってからさらに調べを進めると、その仮説を補強するような話が次々と出てきた。今は関係者に一通り話を聞き終わった所来意。
ユリアの侍女のケリーは、ユリアと接する時間が一番長かった。だからこそ、彼女が違和感を抱き始めたタイミングがある、そこで入れ替わりが起きたのではないかと推測された。
「ある日を境に、目覚めた時に機嫌が悪そうになさるようになりました。そう言う日もあるかと思っていたのですが、数日後には起床の時間をずらして、朝の運動もやめてしまわれました。同じころに、あれだけ気を遣ってらっしゃった食事の内容も、段々健康的な物ではなくなっています」
「確かに、食事の自己管理には人一倍厳しかったユリアが不摂生をするようになったと母上が心配していた。注意をしても聞き入れない、と聞いた時の方が私は驚いたが……言われてみると、いつからか、ユリアの仕草が乱暴になったとは感じていたかもしれない」
「生徒会の仕事が滞っているのも、そのせいだったのだろうな。イザベラ君からも、ユリア君について相談されていた」
イザベラは、ユリアの「性格が変わってしまった」と、そう言っていたらしい。……俺も、どこか違和感は抱く事はあった。けど、俺に甘えてくれるようになったのだと、それを押し込めてしまっていた。
「これは、学園から持って来た提出物だ。これが、過去のユリア君のもの。こちらが、最近のユリア・イシュ・テネブラエのもの」
「こうして並べて見ると……字が違う」
「そしてこれが、過去のマリアンヌのもの。これは……退学のきっかけとなる例の事件が起きた日に、マリアンヌ・ヘクト・ボヌフォワの名義で提出された課題だ」
「……っ」
俺は息を呑んだ。筆跡鑑定などという専門技術は持っていないが……。どれを、誰が書いたか……並べて比べると、分かってしまった。
彼女の中身がユリアではなかった、だなんて信じたくない。でも、全ての状況が真実を浮き上がらせていた。
それに、そうでもなければユリア・イシュ・テネブラエ公爵令嬢が実の母親を殺すなんて、あり得ないのだ。
ユリアはユリアではなかった。そうならば、そうであるならば。三カ月以上もの間俺が婚約者だと思っていたのは。俺が愛していると囁いたのは……。あの日俺が抱いたのは……。
「ユリアと、マリアンヌの魂が入れ替わっていた……」
「ああ。確証は得ていないが、その可能性が高い」
「……そんな」
この世で一番嫌悪する存在。それが、俺の最愛の皮を被って、俺を騙して、俺の腕の中にいたなんて。
俺はずっと騙されて、愛を囁き、取り返しのつかない事までしてしまった。
「……ウ、ェ……」
それが事実であると認識した瞬間、俺は本能的な吐き気に襲われて、膝をついた。自分がひたすら汚い存在になってしまったような気がする。中身があの女だと気付かずにあんな事をしただなんて、おぞましい、今すぐこの体を捨ててしまいたい。
絨毯の上に口から汚物をまき散らしている俺の視界に、誰かの脚が見えた。
「被害者の顔をするのはやめろ、レオンハルト」
「ユーリス……」
「一番つらい思いをしているのは、ユリアなんだぞ?!」
「あ……」
そう指摘されて、俺はより強い罪悪感に襲われた。そうだ……この事件で唯一の、全く落ち度のない被害者は、ユリアだけなんだ。
俺達は……俺は、ユリアが入れ替わっている事に、こうして事件が起きるまで気付けなかった。その意味では、マリアンヌの罪に加担したとも言える。……それによって、ユリアはどれだけ苦しめられただろうか。
「ユリアは……本物のユリアは?」
「ここでの話し合いは、兄上にも共有されている。ボヌフォワ家にも連絡した。今、城に向かっている最中だろう」
「そうですか……」
「レオン、お前は着替えて……顔も洗ってきなさい」
「はい……」
何もかも信じたくない。気を失って倒れてしまいたい。目が覚めたら、テネブラエ夫人が亡くなったという話も嘘であって欲しい。心からそう願うが、自分の吐瀉物の臭いも、顔を洗う水の冷たさも、夢ではない。
ふと息を吐くだけで、涙が溢れそうになる。けど俺に泣く資格なんてない。必死に堪えながら、叔父上達が待つ部屋へと向かった。