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ユリア、いえ今はわたくしの取り巻きとなった彼女達。その中心に立つわたくしは、微笑みを浮かべながら彼女達の顔を順番に見た。
ああ、わたくしと比べてなんてパッとしない人達。でもわたくしの美しさが引き立つからちょうど良いわね。
「ユリアさん、オーギュストの芸術祭はいかがしますか?」
「えっと……ごめんなさい、何の事かしら」
「バルコニー席を取ってご一緒しましょうと言う話をしたと思うのですけど……」
しまった。ユリアが日記に書いてた件だわ。ああもう、他人の人生なんて、多すぎて覚えきれないわよ。
盗まれてなんかない日記はもちろん手元にあるし、ユリアに成りきるために読み込んでいるけど、全部覚えるなんて到底無理だった。こうして、会話の端々にちょっとした矛盾や知らない話が出てきてしまう。
「マリアンヌ様の事などで大変でしたから、仕方がないですわよね。もしご都合が悪くなってしまったようでしたら、遠慮なくおっしゃってね」
心配されるのは好きだけど、こんな気の使われ方は気に食わないわ。でも顔に出す事なんて出来ずに、わたくしは俯いて口の端を歪めた。
「ごめんなさい、実は……」
「どうしたの?」
わたくしははわざと、少し困ったような表情を作り、声を落として話し始めた。周りが心配そうな顔をして、わたくしの方に身を乗り出して尋ねて来る。
「あの事件があってから、少し……記憶が曖昧になってて……。マリアンヌ様の一件が怖すぎて、過去の事を思い出そうとすると、靄がかかったように思い出せない事があるの」
「まぁ」
わたくしが目を伏せ、震える声でそう告げると、イザベラと取り巻き達は悲痛そうに声を上げた。
「それは大変だわ。無理に思い出そうとしないほうがいいわよ」
「ええ、ありがとう。イザベラや皆様がいてくれて、本当に心強いわ」
イザベラが優しく肩に手を置いてそう言うので、わたくしは感謝の笑みを浮かべた。
わたくしは内心で勝ち誇ったように微笑む。
この設定を他でも話せば、多少以前の「ユリア」と違う所があっても上手く誤魔化せるでしょう。ふふ、これで誰も私を疑わないわ。
授業中、教師から指されて質問に答えるのも、今日からは怖くない。
「どうしたんですか? テネブラエ公爵令嬢。リア神国語は得意だったでしょう」
「その……」
「クァドル先生、すみません。ユリアは、マリアンヌ様の起こされた事件のショックで、思い出せない事があるようなのです」
「そんな事が……いえ、私もあの事件は聞きましたよ。大変な事でしたね。怖い思いをしたなら、そういう事もあるでしょう」
わたくしが授業中指されて言いよどんでいると、すかさずイザベラが助け舟を出す。わたくしはメンツを保ったまま、質問に答えずに済んでホッとした。
そして他の科目の教師も、この話が共有されたのか、わたくしを指さなくなったのだ。
ユリアは優等生面して授業中率先して手を上げていたから、それと同じような振る舞いを期待されていたけど、解放されて良かったわ。
以前のユリアは良い子ぶりすぎてたんでしょうね。わたくしが親しみやすくなったから、「ユリア」だった時よりもずっと、お友達も増えている。
彼女達はわたくしの、いえ、より素晴らしい人物になった「ユリア」の変化に気付いたのね。話しかける者も増えて、わたくしは自分が人気者になった事を実感していった。
「ユリア、さっきのロジェ男爵家の令嬢とはどういった関係? テネブラエ家はご存じなの?」
「いいえ。わたくしと仲良くなりたいって、そう言ってきたからお友達にして差し上げたの。家は関係ないわ」
そう言うと、イザベラは少し不安そうな顔をした。
「家や城の調べが済んでない方とユリアがお友達になるのは不安だわ。王太子妃になるあなたには、良からぬ思いを持って近付く方もいるでしょうし」
「まぁ。あの子は良い子よ」
わたくしは自分の判断を否定されたようでムッとした。あの子は事件の後の……この体になった後のわたくしの所作を褒めたのよ。ちょっとした動作でも小指がピンと立ってて美しいって。そういった事に気付ける方が、悪い人のはずがないわ。
しかし、入れ替わった後のわたくしを褒めてくれたからだなんて説明は出来ない。わたくしは、「彼女は感じのいい人だから大丈夫よ」とイザベラを安心させておいた。
順風満帆の日々だが、思い通りにいかない事もあった。
まず、毎日朝晩飲むようにと出される薬湯。苦くてまずくて、口の中に嫌な味が残る。わたくしの体のために必要なものだと言われたけど、こればかりは我慢ならない。美容のためにまずいものを食べるとか、そういうのと似たものでしょうけど、わたくしは耐えられなかった。なので、人の目を盗んでこっそり部屋の観葉植物の根元に捨てている。
さらに何より……厳罰に処して、出来るなら処刑して欲しかったマリアンヌ……あの女の魂が入った肉体に、ろくな刑罰も下されないと分かったのだ。
とんでもない話だわ。わたくしは、未来の王太子妃よ? レオン様と、一点の曇りもない結婚生活を送るには、あの女はさっさと死んでくれないと。退学と社交界の出入り禁止で済むなんて、あんまりだわ。
何でも、ボヌフォワ家の体面を考えての事らしいが、とんでもない話だ。わたくしに優しくなくて、弟ばかり依怙贔屓して、あまつさえ当てつけのように他所の家のユリアを褒めて見せるような人達だ。家ごと取り潰しになったっていいのに。
「そんな……わたくし、恐ろしいですわ。それでは、あの方が生きている限り、いつまた害されるかと思うと怖くて怖くて……夜もよく寝られませんわ」
「確かに、マリアンヌに下された罪は、事情を鑑みたものになったが……」
今伝えられたあの女への処遇では納得できないわ。
わたくしは学園長室の床に視線を向けて、俯きながら悲しげにつぶやいた。薄っすら涙ぐんで見えるように、そっと指先で目の端をぬぐう。
なぁに。続く言葉がないわね?
わたくしはうかがうようにそっと視線を上げて三人の顔を見た。わたくしをここに呼び出して処遇を伝えたアシュベル殿下、レオン様にユーリスが眉を寄せてわたくしの方を見ている。どうかしたの? そう問いかけるように、可愛らしく小鳥のように首を傾げて見せた。
「いや……ユリア君がそんな事を言うとは、意外で」
「そうですね。ユリアはいつも、マリアンヌに何かされても気を遣っていたから、てっきり彼女の減刑を望んでしまうかと思ったけど……」
「たしかに、そちらの方がユリアらしいな」
困惑する彼らの表情を見て、わたくしは失敗を悟った。マズイ……。
皆の考える「ユリア」の言動から、少し外れた事を口にしてしまったらしい。
「あ、あの、新しく友人になった方が、どうにも驚かすんですの。マリアンヌ様が生きている限り心が休まりませんね、とか。それでわたくし怯えてしまって、怖くて眠れていないのもあって、つい心にもない事が口をついてしまいましたの」
わたくしは慌てて言いつくろった。
ちょっと失敗しちゃったわ。でも殺されそうになった事になってるんだし、普通そんな事をした相手には死んでほしいと思うわよね? 死を望むのは、やりすぎじゃないはずだわ。
むしろ、わたくしを守る立場の貴方達が、率先して「あの女を殺そうか?」と聞かなければならないのに。わたくしはイライラしながら俯いた。けど、無理にこれ以上処刑を推す事は出来ない。怪しまれてしまうわ。
「何だその友人とやらは。イザベラが近寄らせたのか?」
「え? どう……だったかしら」
「あんな事があったばかりだ。もっと注意を払うように言っておこう」
イザベラに確認されては困るわね。
わたくしは、その後は「マリアンヌ様が改心してくださるといいですわね」と、心優しい聖女のような事を言っておいた。
「やはりユリアは優しいな」
途端、また甘やかな瞳になるレオン様。わたくしはホッと安堵した。そうそう、わたくしはレオン様に何の憂いもなく愛されないとね。
まぁ、死なない程度に、わたくしから見える所で苦しんでくれた方が、わたくしの気持ちも晴れるし。それにあの女には、わたくしが幸せになる姿を特等席で見せたいわ。むしろこれで良かったのかも。
わたくしは今のままの処分でいいか、と思い直してやった。呪いがほつれたら、またかけ直せばいい。難解な闇の魔術でも、わたくしなら造作もない。
「ユリア様、近頃親しみやすい態度でいてくださるから、以前と違って身近に感じるよね」
「ほんと、気さくっていうのかしら。以前は、選ばれた方だけがおそばに行ける感じだったけど」
そんな声が、ふと耳に入ってきて、思わず笑みがこぼれた。
ふふん、当然よ。これこそが、わたくしの本来あるべき幸せな人生なのだもの。前のユリアよりもたくさんの人に好かれて、あの女だった時よりももっと幸せになるわ。
今まで周りが、この世界が間違っていたのだ。レオン様も間違った人を愛してしまったのよ。わたくしを評価しない周囲も、わたくしを冷遇する家族も、そっちの方がおかしかったの。そう、間違っていただけ……でも、もう大丈夫。全ては、正しい状態に直ったのだ。