表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カッコウの幸福  作者: まきぶろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/21

絶好調


 皆がわたくしに優しくて、皆がわたくしに親切で、皆がわたくしの顔色を常に窺って、尊重している……。

 そして何より、レオン様がわたくしの事を「何よりも愛しい」って目で、言葉で、全身で伝えてくれる……!!

 そう、そうよ! わたくしに与えられる世界は、こうであるべきだったのよ!!


 あの、不当に嫌われて、迫害されていた「マリアンヌ」ではない。

 いいえ、もうあの赤の他人になった存在の事なんて、どうでもいいわ。


 頬は笑顔を作ろうとしなくても勝手に緩んでしまう。それほど、今の生活は甘美だった。きっと、今のわたくしの笑顔を見た人は、芸術品と見間違うくらいに感動するでしょうね。この体は、見た目だけは元々美しかったから。

 生まれて初めて感じる至高の幸福。誰もが自分を称賛し、配慮し、優しく微笑みかける。わたくしに与えられるべきだった、わたくしに相応しい日々だ。


「ユリア、傷が痛むだろう、可哀そうに」

「いいえ……大丈夫よ。レオン様が心配してくださってるから、その気持ちが嬉しくて、痛みはあまり感じないの」


 わたくしがそう言うと、レオン様は優しく微笑んでわたくしの髪を撫でた。労わるようにそっと触れて、わたくしの怪我を案じて涙ぐんでくださっている。

 弟だというのにわたくしを敬わないエリオットも、いつも反発してきて憎たらしかったイザベラも、心からわたくしを心配していた。あのお母様でさえ! わたくしに涙ぐみながら頭を下げて、謝罪をしたのよ。

 そして口々に、わたくしからレオン様を不当に奪った「あの女」の罵倒をするの。本当、いい気味だわ!


 わたくしは、やっと手に入れた「わたくしに相応しい人生」に感動していた。日常って、本来は、こんなに幸せでワクワクして満ち足りたものだったのね。


「ユリア、怪我がつらいだろうに、無理して笑顔を作らなくていいよ」

「いいえ。こんな事を言ったら罰当たりだけど……レオン様がこんなに心配してくれるのが、嬉しくて」


 そう言うと、レオン様は困ったように笑った。

 ここはテネブラエの屋敷の「ユリア」の部屋。怪我をしたわたくしは皆に心配をされて、あっという間にベッドに寝かされてしまった。もう、皆心配性なのだから。でもそれだけわたくしが大切なのね。

 夢にまで見た、レオン様との二人きりの空間。夢で見たように、レオン様はわたくしだけを見つめて蕩けるような甘い瞳を向けてくださっている。ああ、その美しい青い目が私を甘やかに見つめるところを、どれだけ望んでいたか。


「そんな事を言って、熱が出ているのだろう。きっと切られた傷が障ったんだ。ちゃんと休まないと」

「でも、レオン様のお顔を見ていた方が、痛みが軽くなりますの。それに、心細くて……一晩手を握ってくださいませんか?」

「そ、そんな……! いけないよ、ユリア。君の卒業後に結婚するとはいえ、まだ俺達は婚約者なんだから」


 レオン様はカッと頬を染めて頭を振ると、ベッドの上に乗りだしていた体を勢いよく引き戻した。握った手はそのままだけど、そんなに離れてしまっては寂しいわ。


「怪我をして心細くなっているんだね。可哀そうに……でも大丈夫、また来るから」

「あ……」


 しかし、わたくしがどんなに求めても、レオン様はこの部屋で一緒に一晩過ごしてくださるとは言ってくださらなかった。紳士的で、ご自身にも厳しいのが、今だけは恨めしいわ。


「君の体調が早く回復する事を祈っているよ。お休み」


 髪を一束掬い取ると、そこにチュッと口付ける。そうして笑顔を残して、レオン様はわたくしの部屋から辞された。もう、そこは唇になさってもよろしかったのに。


「はぁ、……は……」


 しかし、体調が悪いのは事実だった。心臓の音が嫌に耳障りで、時折規則的ですらなくなる。息が苦しく、体の末端が冷たく重いし、頭痛もする。

 原因は……やっぱり、あの女に使った呪いのせいね。あの女の血液も触媒にしたとはいえ、とても複雑で強力な闇の魔術だ。術者への反動がすごい。

 また、「ユリア」の体が酷く病弱なせいでもあるだろう。一気に魔力を失って、本当は全身がだるくて、指先を動かすのすらおっくうに感じていた。


 それにしても、朝あの女が来てから次の休憩時間までに、闇の魔術の呪いの魔法陣を用意してしまうだなんて、わたくしってやっぱり天才ね。子供の頃から、あの女を呪い殺すために勉強していた事が役に立ったわ。

 

 唯一心配なのは、今のわたくしの体に残っているだろう、呪いの残滓に気付かれる事だろうか。……いいえ、誰も、何にも気付かれないに決まってるわ。だって今のわたくしは「ユリア」なんだもの。誰もがわたくしを愛して、好意を向けて、その言葉を疑うなんてあり得ないわ。 

 この罪は、永遠に露見しないだろう。


 やっぱり、神様はわたくしを愛していたのね。きっと、前の体での人生は試練として与えられたものだったんだわ。だってそうじゃなきゃおかしいもの。だからこうして、わたくしが本来手にするべきだった完璧な人生を用意した上で、「魂を入れ替える術」を目に見えるように与えてくださったのね。


 わたくしは、この体を手に入れるまでの、自分自身の素晴らしい手際を思い出していた。

 神聖教会のあの聖女。身の程知らずにもレオン様の側妃を狙って、なんて忌々しい。しかしこの偽聖女のおかげで、わたくしは体を入れ替える魔術の存在を知る事が出来た。その功績に免じて、一思いに死ねるように絞首刑を進言して差し上げましょう。

 最初は、この偽聖女が使っていた魅了の禁術とやらを手に入れるつもりだったのよね。それを使って、レオン様が正しく愛するべきわたくしに、愛を向けさせるつもりだった。

 けど、城の禁書庫に忍び込んで禁術について調べてみたら、あの術を使うには適性が必要だと知ったの。わたくしは……「マリアンヌ」は治癒魔法も使えないし、髪も美しい金色だった。

 でもその代わりに、体を入れ替える方法を見つけた。これこそがわたくしが使うべき魔法術なのだと、すぐに理解したわ。

 そう、レオン様だけじゃない。「ユリア」に向けられた有象無象からの尊敬や、親愛や、信者や、美しい親友、ひっそり想いを抱く数多の美男子たち、娘を愛する家族、そういったものも全てわたくしのものになるべきだと思ったの。


 禁術を使うのに必要な情報を書き写して、こっそり禁書庫から出る時も、誰にも気づかれていなかった。わたくしが仕掛けた魔道具で、宝物庫の方が火事になっていて、皆そちらに注意を向けさせていたから。

 こうして何一つ問題なく入れ替えの禁術を発動させて入れ替われたのも、誰も入れ替えに気付いていないのも、世界がわたくしにこうあれと望んだ証拠だろう。


 ベッドで横になって少し体調の良くなったわたくしは、部屋履きを身に着けると部屋に備え付けられていた大きな鏡の前に立った。

 わたくしはその前で絵画のようなポーズをとる。……あぁ、美しいわ。これが、本当のわたくしに相応しい体なのね。折れそうな華奢で薄い体、女鹿のようなしなやかで細い手足。腰はくびれて、ゆったりとしたネグリジェの上からでもその細さがよく分かる。コルセットすら必要ないだろう。「マリアンヌ」の体の殿方好みの大きな胸を失ってしまったのはちょっと惜しいが、でもこっちの体の方が美しいからもういいわ。これだったらどんなドレスも着られるし、何だって似合う。前の体の半分ほどしかない。

 わたくしは顔に視線を写した。愛らしく庇護欲を誘う顔立ち、頬の肉で潰れていない大きな目、頬に影が落ちる程長いまつ毛、その下に見える美しい菫色。小さい顔、細い顎。ニキビのないつややかで白い陶器のような肌。これが全て、今はわたくしのものなのだわ。

 鏡は大嫌いで、「マリアンヌ」の時には最低限必要な時以外鏡は絶対見なかったが、これからは鏡が大好きになりそうだ。

 わたくしは鏡の前に立って、自分に見惚れて、そうしてしばらく時間を過ごした。


「くしゅん」


 気が付いたら随分体が冷えていて、わたくしは慌ててベッドに戻る。この体は思ったよりもさらにポンコツなようだ。なんて面倒な。

 まぁ、でも、女性はか弱い方が魅力的だって言うし、前向きに考えておきましょう。


 生まれて初めて、心から満たされた気がする。わたくしは満足感を抱いたまま、その日はぐっすりと眠った。




 翌朝、「ユリア」専属の侍女のケリーがわたくしを起こしに来る。


「お嬢様。お目覚めの時間ですが……朝食は食べられそうですか?」

「ん……なんっ……! あ……わたくし、まだ体調が悪いの……今朝はまだ眠りたいわ……」

「そうなのですね、お労しい……。かしこまりました。奥様にはそう伝えさせていただきますね」


 一瞬、カーテンの隙間から差す陽の光の位置を見て、なんて早い時間に起こしてるんだと怒鳴りつけそうになったが、慌てて言い直した。そうだわ、わたくしは今、マリアンヌではない。「ユリア」になったのだから、気を付けないと。昨日久しぶりに自分の体を見たから、つい引きずられていたわ。

 不審に思われてないだろうか、そう思いながら恐る恐る侍女の顔を見た。しかしそこに浮かぶのは「心配」だけで、今わたくしが大きな声を出しかけた事なんて、気にもしていなかった。昨日、怪我をさせられた可哀そうなわたくしを気遣っているのだわ。


「心配をかけてごめんなさい」

「そんな……! ユリアお嬢様が気になさることではありません。今はゆっくり、体を休めてください」


 侍女のその言葉に、わたくしは更に気分を良くした。

 人に心配されるのって、なんていい気分なんでしょう。「マリアンヌ」だった時はこうではなかったわ。わたくしは血圧が低いから朝早く起きられないのに、いつも分かってもらえなくて。具合が悪いと言う時も毎回仮病だと決めつけられて、心が傷付いていた。確かに仮病だった時もあるけど、でも毎回疑われて酷く悲しかったわ。

 けど、今具合が悪いのは本当だ。身体が重くて起き上がるのがだるい。頭痛もする気がする。病弱な身体になってしまったのだから、仕方ないわよね。


 心配する侍女の態度に満足して、私は気持ち良く二度寝に入った。



「ユリアお嬢様。お加減はいかがですか? 食事をお持ちしました」


 太陽が高く昇った頃、再び侍女がやってきた。

 そうね、さすがにそろそろ起きてもいいかしら。お腹も減ったし……。


「な、ナニコレ……?!」


 さぁ、食事にしましょう。そう思って部屋のテーブルに用意された昼食を見て、わたくしは思わず声を上げてしまった。

 山盛りの草、ゆで卵、ソースも何もかかってない肉、ヨーグルトに、カットフルーツ、硬くてまずそうな色の濃い小さなパンが一つ。

 たった、これだけ。

 家畜にやる餌と間違えてない? わたくしはそう言いたくて、横に控えていた侍女の顔を見上げた。


「食欲がありませんか? 量を減らすか、消化の良い物と取り換えましょうか」


 あの女、これが「食事」な訳……?! 鳥がついばむ量じゃない……。

 昨日学園に行くまでのわたくしは、入れ替わりの術を使った反動で体調を崩して寝込んでいた。だからその間は穀物の粥のようなものが少量だけ出て、実際体調が悪かったわたくしの体はそれ以上を食べたら戻してしまいそうだったから我慢していたけれど。

 体調が戻ったから、久しぶりに人間らしい食事にありつけると思っていたのに。わたくしはげんなりしてしまった。


「…………」


 よっぽど、「新しくパンケーキを用意なさい。たっぷりのシロップとジャムも忘れないように」って命令したかったけど、わたくしはぐっと呑み込んだ。

 いつも食べていたメニューを急に変えさせては、別人になったなんて疑いを持たれるかもしれない。万が一にもありえないけど、警戒するにこした事はないわ。

 そうして、わたくしは渋々、味気のない昼食を口にした。……肉には薄い塩の味しかついてなくて、サラダはお酢の味しかしない。ヨーグルトなんて砂糖すら入ってないのよ?! さすがにあまりに苦痛になって、厨房からジャムと砂糖を持ってこさせて、紅茶とヨーグルトにたっぷり入れて味わった。

 ふう……やっと人間の食事らしいものにありつけた気がするわ。


「それで、ユリアお嬢様。体調の方は少し回復されましたでしょうか。目が覚めたら、奥様がお話をしたいとおっしゃっていたのですが」

「テネ……お母様が? もちろんいいわよ」


 危ない。今「テネブラエ公爵夫人」と呼びそうになったわ。

 私がこっそり焦っていた事なんて気付かないまま、侍女は一旦部屋を出て行くと、テネブラエ公爵夫人……今のわたくしのお母様を連れて戻って来た。


「ユリア、体調は大丈夫かしら?」

「あまり……手が痛くて、よく眠れなかったの」


 わたくしは、より可哀そうに見えて何かしてあげたいと思われるようにほんの少し事実を脚色して話した。昨日の夜はぐっすり眠れたけど、今も傷が痛むのは本当だ。包帯の上から押すとツキンと痛むもの。


「昼食の時もカトラリーを扱いづらそうになさって、取りこぼす事もありましたの。きっと、手が痛むからでしょう」

「まぁ、なんて可哀そうなの、ユリア」


 わたくしは「ええ……」と悲しそうに目を伏せながらもイラついていた。さっきは、普通に食事をしただけだ。カトラリーの使い方が未熟だ、マナーが悪いと言われたようで腹が立つ。


「明日も学園を休ませた方が良いかしら」

「いいえ。きっと明日は大丈夫だと思うの。出来るだけ頑張って学園に行きたいわ」

「まぁ、ユリアは頑張り屋さんね。でも無理しないでね」


 心配するお母様に、わたくしは笑顔で返した。

 昨日はわたくしも疲れる事が多かったからさすがに学園を休んだけど、そうでなければ行きたかったわ。だって、周りからちやほやされるのは気分がいいですもの。


 翌日、わたくしはかなり早い時間に起こされて不機嫌になりながら朝の身支度をしていく。しかし、もう我慢の限界だった。


「ねぇ、ケリー。明日から、起こす時間は一時間遅くしていいわ」

「何故ですか? そしたら、朝の学習と、運動の時間が取れなくなってしまいます」


 そう、「ユリア」は毎朝昨日勉強した内容の復習と、朝食前の運動なんてものを行っていたのだ。ケリーは「軽い運動」なんて言っていたがとんでもない。

 今日までは、「ユリア」の生活習慣を変えたら怪しまれると思って我慢してたけど、こんな生活をして無理をした方がきっと体に悪いわ。


「いいの。明日から朝はゆっくり過ごそうと思って。その分別の所で気を付けるわ」

「はぁ……ユリアお嬢様がそうおっしゃるのでしたら……」


 ちょっと心配したが、怪しまれることはなかったようだ。わたくしは明日から朝ゆっくり眠れることに安心して、学園に向かった。


  今の学園生活は、まるで夢のようだった。


 朝、教室に入ると、すぐに周囲がざわめいた。もちろん、嫌な意味ではない。――憧れの視線、尊敬のまなざし。誰もが、わたくしを中心に話題を広げ、笑い、会話を弾ませるのだ。


「ユリア様、おはようございます!」

「大変でしたね。今日はもうお加減はよろしいのですか?」

「今日はお顔を見れて良かったです」


「皆さん、おおはようございます。ご心配おかけしましたわね。ありがとう」


 次々に投げかけられる言葉。わたくしはそのすべてに微笑み返し、柔らかに頷いて見せる。すると彼らは心から嬉しそうにするのだ。

 ああ……どうしてこうまで簡単な事が、以前は与えられてなかったのか。

 わたくしの心は、喜びに満ちていた。そうよ、これが本来のわたくしにふさわしい世界。誰もが優しくて、親切で、遠慮がちにわたくしの顔色を窺い、わたくしを崇めるような。


「ユリア、回復したようで良かったわ。今日は移動教室の時は、私が荷物を持つからね」

「まぁ、イザベラ、ありがとう」

「貴女のためだもの、当然よ」


 ねえ、見て? こんなに簡単に、わたくしが中心に立てるのよ。わたくしの事をいつも睨みつけてたいけすかないこの女だって、私の事を「大好き」ってキラキラした目で見て来るの。

 少し丁寧に話して、気取った上品な振る舞いをしていれば、皆うっとりとした視線を向けて来る。さすがユリア様だ、って。

 ――ああ、たまらない。あの忌々しい身体と過去は、やっぱり何かの間違いだったのよ。ようやく手に入れた、わたくしに相応しい本当の幸福。


「ユリア」


 聞き慣れた、けれど決して慣れることのない甘やかな声音。あんなに焦がれた愛しい愛しい方の声。振り向けば、光を纏ったかのようなレオン様が教室の入口に立っていた。


「レオン様……!」


 わたくしは、今度は演技ではなく心からの笑顔を浮かべた。この方の愛情が、溢れる程にわたくしに向けられている、その事実が何とも心地いい。


「体調はどうだい? まだ無理していないか?」

「ええ、大丈夫ですわ。昨日ゆっくり休めましたから。それに、こうしてレオン様のお顔を見れば、すぐに元気になりますもの」


 そう答えると、レオン様は嬉しそうに微笑み、わたくしの髪を撫でた。周りで見ていた女生徒達が、羨むような、見とれるような声を漏らす。


「また昼食の時に迎えに来るよ」

「はい……お待ちしてます」


 大勢から、理想のカップルを見る視線を向けられて、レオン様からの愛情も感じて。わたくしは大変いい気分になりながら授業開始の鐘の音を迎えた。




「ユリア、今日学園はどうだった? 体調は?」

「具合が悪くなる事もなく過ごせましたわ、お母様。皆さんも親切にしてくださいましたし」

「それなら良かったわ」


 夕食の時間、わたくしはテネブラエ公爵家の家族達と食卓を囲んでいた。城に勤めるテネブラエ公爵は仕事が仕事が忙しくて夕食を一緒に摂れない事が多いらしく、今日も姿はなかった。

 ボヌフォワ公爵家の当主も似たような感じであまり夕食の時にはいなかったわね。ただ、わたくしはあの家では不当に嫌われて、嫌な態度を取られるから自室でなるべく食事をするようにしていた。なので、家族団欒は新鮮だ。


「何かあったら、遠慮なく言うのよ。家の事よりも、お母様達は娘の方が大切なのですからね」

「分かりましたわ、お母様」


 こうして温かく優しい態度をされれば、わたくしだって同じように返してあげるくらいはする。やっぱり、「マリアンヌ」は不当な環境に置かれていたんだわ。そのやるせなさが発露して、周りにいる誰かにぶつけられたとしても、それは仕方のない事だったのよ。


「そうか、なら良かったよ。明日はいつも通り、私と一緒の馬車で行こうね」

「……ええ、お兄様」


 今日はわたくしの仕度がちょっと遅れて、普段早めに出ているユーリスの出発に間に合わずに別の馬車を使ったのよね。

 まぁ、「家族と仲がいいユリア」でいる事も大切だし、さすがにユーリスと違う馬車で向かうのはやめておきましょう。見目が良くて羨ましがられる兄と仲が良い、と思われている方が気分が良いもの。


「でもユーリス、今日は家に戻るのが遅かったわね」

「エリオットの家に行って、マリアンヌについて話をしてきたんだ」


 そこに、以前の体だった時の名前が出てきて、わたくしはビクリと食事を進める手を止めた。


「ボヌフォワ公爵家がマリアンヌに下す処罰や、私との婚約についてなどの話を……ごめんね、ユリア。食事中にこんな話をして」

「い、いいえ。お兄様。……隠してはおけない事ですから、仕方ありませんわ。それに、大事な話ですから。わたくしにも聞かせて欲しいの」


 わたくしは笑顔を取り繕った。

 呪いをかけて口封じはしてあるけど……魔術というのは必ず、時がたつにつれてほころびが出てきてしまうものだ。それは、作った建物が段々風化していくように。今は大丈夫だろう。けど一年後、五年後、その先はどうだろうか。いや、その前に、ユリア自身がどうにかして、呪いを解いてしまうかもしれない。

 天才のわたくしがかけた呪いだが、授業中に教師の目を盗んで描き上げた突貫の魔術だ。いつか解呪されてしまう……その可能性は、絶対にないとは言い切れない。死ぬからと思って心配してなかったけど、今マリアンヌの部屋に残ってるはずの、入れ替わりの魔術の痕跡も気になる。……それらが万が一表に出る前に、今度こそきちんとあの女を殺さなければ。

 わたくしは、あの女の動向を探るために、心配を装ってそう尋ねた。


「テネブラエ公爵夫人は、マリアンヌはユリアに入れ替わろうとしていたんじゃないかと、そう言っていたんだ。なんでも、傷害事件の数日前から自分はユリアだ……なんて事を言っていたらしい」

「まぁ、そんなとんでもない事を?」

「ああ。それで、ユリアをあそこで亡き者として、魂がマリアンヌに入ったとか言って、だから自分はユリアだ……そう主張するつもりだったんじゃないかと」


 その言葉に、ズクンと背中が冷たくなる。チクショウ……あの女に呪いをかけたのは、入れ替わって四日も経ってから。それまでに入れ替わりについて訴える時間が出来てしまった。

 あの仕掛けを作って首を吊ってから入れ替わりの魔術を発動させたのに、まさか死ななかったなんて。悪運の良い女よね。


「そんな夢みたいな事を言ったって誰も信じないでしょう」

「……でも、気になる事を言っていたんだ。自分がユリアだという証拠? にテネブラエ公爵夫人にユリアの過去や秘密をいくつか口にしていたみたいで……確かにその中に、私とユリアしか知らないはずの思い出があったんです」

「まぁ、不思議な事もあるのね。その様子では、昔ユーリスが話したんじゃないのよね?」

「ええ。言われるまで私も忘れていました。だから、不思議で」


 嫌な汗が流れた。まだ皆、何故とそう思っているだけだが、万が一疑いを持つ者が出てしまったら……もう一人、人を殺さないといけなくなってしまう。この体で犯罪を犯すなんてダメ。せっかく完璧な幸せを手に入れたのに。絶対に、気付かれてはいけないわ。疑いすら持たれるのは避けたい。


「あ、あの……わたくし、そう言えば、日記を紛失しているのです」

「日記を?」

「ええ。その……少し前に日記を学園に持って行ったのですけど、その時、紛失してしまって……失くしてしまったのかと思っていたのですけど、今お兄様の話を聞いて、もしかしたらマリアンヌ様が盗んだんじゃないかと……そう思いましたの」


 私が素早く頭を回転させて紡いだこの言い訳に、皆様は納得したように頷いた。

 呪いのせいでわたくし自身も「入れ替わり」なんて口にする事は出来ないが、上手く説明できたようだ。


「なるほど、そうして自分がユリアだと主張する時に信憑性を持たせるつもりだったんだな」

「浅はかな……」


 良かった。信じたみたいね。わたくしはホッと息をついて顔を上げた。


「という事は、わたくしあの談話室で、マリアンヌ様に本当に命を狙われていたのですね。怖いわ」

「本当に恐ろしい事。すんでの所で助けていただいたそうね。レオンハルト殿下に一層感謝しなければ」


 思わぬところから、あの女の罪状が重くなりそうで、わたくしは内心声を上げて笑いたいくらいだった。ちょうど良いわ。次期王太子妃殺人未遂で死刑に出来ないかしら。

 わたくしは怖がって俯くふりをして、こっそり笑みを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ