歪んだ平穏
(`・ω・´)つ
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グランデュクス王立学園には現在、将来の君主である王太子レオンハルト・カリス・グランデュクスが在学している。貴族の義務として通う国内の貴族子息子女ばかりか、国内一の教育機関での修学を望み特待生枠を勝ち取った未来の官僚候補である平民の生徒すらも仰ぐ、優秀な王子だ。
学業ばかりでなく武に長け、しかしそれに驕る事はない。その強く美しい心に相応しく、まるで神話時代の彫刻のような神々しいまでの雄々しさを持つ美しい王太子レオンハルト。学園を運営する生徒会の長としても性別や身分に関係なく慕われ、次世代は安泰だ、と現在の国の中枢も明るい展望を抱いていた。
「ユリア」
レオンハルトがその美しい相貌をふわりと甘くとろけさせた笑みを浮かべて良く通る大きな声を出すと、周囲の女生徒達から黄色い悲鳴が上がった。きゃあ、と楽しげに。隣にいた友人と手を取って、期待とほんの少しの羨望に目を輝かせた彼女たちは、レオンハルトが駆けるたびに揺れる陽を浴びた金色を視線で追った。
周りの生徒達は、空のように鮮やかな蒼色が見つめる先、滑らかな銀髪が振り向く様子をうっとりとした様子で眺める。
王太子レオンハルトと、その婚約者ユリア・イシュ・テネブラエ公爵令嬢の並んだ見目麗しい光景に、周囲は意図せずほぅ、と嘆息を漏らした。
少し垂れ目がちの菫色の瞳がレオンハルトをとらえて優しく微笑み、レオンハルトもそれに応えて笑みを深くする。貴族の社交での笑みではなく、愛しいものに対して浮かべる心からのものだ、と誰もが分かるような。
ユリアの学友達は、若き太陽が自分の最愛の半身を見つけて駆け寄ろうとしているのに気付いてすぐ、守るように囲んでいた彼女から一歩下がっている。中庭で向かい合う二人が立つその場所だけ大きく人が避けているせいで、自然と人の目が集まって来た。
「まぁ、レオン様。規則違反ですわ」
「いいや校舎内じゃない、渡り廊下の外側だから中庭だ」
だから校舎内を駆けた事にはならないと、レオンハルトが蒼い目を片方パチリと瞑っておどけて見せる。騎士課程の生徒など、廊下を走ることすら日常茶飯事で、この規則も形骸化している事を当然知っているユリアも本気で追求するつもりはない。ツンとして言って見せた態度をふわりと崩して「しかたのない方」と言うように笑みを浮かべた。
それを受けたレオンの瞳がさらに優しく溶ける。
「ま本来皆の規範であるべき我が国の王太子殿下が、そのように積極的に準則の死角を渡るだなんて感心できませんね」
「おっと」
「レオンハルト、降参した方が良い」
「ユーリス、俺に味方してくれないのか?」
「妹の敵に回りたくないだけさ」
「ははは、お前は相変わらずユリアに弱いな」
両手を挙げて降参のポーズをとった王太子は、人の多い中庭を、駆け足で横切った慌ただしさを軽く謝罪する。もとより本気で責めるつもりなど無かったユリアも、形だけのその礼を受け取ってちょこんと膝を落とした。
「殿下、どうしたんですか急に駆けだして……! おっと」
「ユリアは移動教室なのかな?」
「エリオット様、ごきげんよう。ええ、そうですわお兄様。魔術紋章学の実践で今日は鍛錬場を使いますのよ」
通常は座学か、紋章を刻む作業をおこなう授業だが今日はその自分で作った紋章を実際に使う授業という内容だ。同じ学年のエリオットも数日前に鍛錬場で実習を行った。
先輩でもあるレオンとユーリスは、去年の自分の履修内容を思い出して口々にちょっとした思い出を語る。
「それで制服じゃなかったのか」
「活動的な服に身を包んだユリアがあまりに凛々しくて可愛いものだから、戦女神が舞い降りて来週の剣術大会の出場者に祝福を授けに来てるのかと思ったよ」
「お兄様ったら」
「おい、ユーリス、自分の妹を口説くんじゃない」
見慣れたやり取りに、幼馴染でもある、王太子を含めた学友達はクスクスと笑った。
「大丈夫かい? ユリアは体が弱いから、日差しのある鍛錬場に出て体を動かすなんて……」
「今日は体調がいいですから、心配には及びませんわ、お兄様」
気遣わしげな視線を受けて、ユリアがそれを払しょくさせるように明るい声を出した。
「それでレオン様、わざわざお声をかけていただいたとは、私に何か御用でしょうか?」
「用が無ければ愛しい婚約者に話しかけてはいけないのかい?」
初めて聞いた、とばかりにレオンが目を見張る。ユリアはちょっと困ったように笑っている。誰もが憧れる、仲睦まじいお二人のやり取り……そこに、この場にいる誰もが求めていなかった闖入者が現れた。
「レオン様ぁ!」
鼓膜にねっとりと絡みつくような、わざとらしい甘く高い声。この学園の中に知らぬ者はいない声の主の方へ、その場にいた者達の意識が吸い寄せられる。
「ボヌフォワ様だわ……」
名前を呼んだのは誰だろうか、その女生徒の声には明らかな嫌悪が滲んでいた。いや、彼女だけではない。レオンハルトとユリアを仰ぎ見ていたこの場の誰もが、レオンハルトの名前を呼んだマリアンヌ・ヘクト・ボヌフォワ公爵令嬢を忌々しげな瞳を向けていた。
「ボヌフォワ嬢、いつも言っているが、俺の名を愛称で呼ぶのは許していない」
「まぁ! レオン様ったら。わたくし達、幼馴染ではありませんか。それに、この学園では友人関係でもありますわ」
実際、この王国内でも影響力の強く王家との縁も強いボヌフォワ家の令嬢である上に、この学園内では不敬だと罰する事も出来ない。せいぜいが両家の親を通じて正式に苦情を伝える程度になるが、その程度でマリアンヌに効かないのはいつもの事だ。
しかし流石に聞く耳のなさすぎるマリアンヌが、レオンハルトの腕を取ろうとさらに身を寄せようとする。豊満、とだけ言うにはかなり行き過ぎた太い体に触れぬようにさっと離れると、レオンハルトはユーリスを盾にした。
「ねぇ、レオン様。わたくしを生徒会に入れると言うお話、考えてくださいました?」
「前にも伝えたが、それは却下だ」
「まぁ、どうしてですの?! わたくしはボヌフォア公爵家という相応しい身分ですのよ?!」
「生徒会運営は身分で行うものではないからな」
通常、このグランデュクス王立学園の生徒会は王族、または公爵家の者が会長となって運営を行う。しかしそれは命令指示系統をスムーズにするためのものであり、身分で選ばれるものではない。
むしろ、成績優秀な平民の特待生など、実力で選ばれた学生も在籍している。成績も平均以下、生徒会運営に必要な知恵や知識もないマリアンヌを加えるのはデメリットしかなかった。
「お前の婚約者だろう、どうにかしろ、ユーリス」
「嫌ですわ、レオン様。こんな貧弱な男、国から定められただけで、わたくしは婚約者だなどと認めてません」
嫌そうな顔をするレオンハルトに、なおしなだれかかろうとするマリアンヌ。神殿の彫刻のように恵まれた体躯のレオンハルトと比べられて、線の細いユーリスは困ったように「おやおや」と眉を下げた。
「そりゃアンタに比べたら、大抵の男は貧弱に見えるだろうさ」
周りを囲む学生の誰かから、横に広いその体形を揶揄うそんな声が聞こえて、マリアンヌは怒りで真っ赤な顔で後ろを振り返った。声の主は誰か知れず、誰もその犯人をマリアンヌに教えたりしない。
「……フ、フン! お可哀そうに、レオン様ったら、まだユリアなんかに騙されて」
「おい、俺のユリアを愚弄するな」
「独り言ですわ。はぁ、お労しい。いつかユリアの本性を知らしめて、真実の愛に気付かせて差し上げますわね。それでは、ごきげんようレオン様」
愛する婚約者に言いがかりを付けられて激怒したレオンハルトをユーリスが宥める。言うだけ言って場をかき乱した悪女マリアンヌは、当てつけでレオンハルトの名前だけを口にすると、不満をあらわにするように、ドスドスと音を立てて中庭を立ち去った。
「ユリア。大丈夫かい? またあの女に絡まれて」
「……大丈夫ですわ」
はかなげに微笑む、今にも光に溶けてしまうと錯覚する柔らかな笑みを見つめて、レオンハルトは労わるようにユリアの髪に触れる。
「あの女には気を付けるんだよ。二人きりで会わないように。イザベラ嬢も、くれぐれもよろしく」
「もちろんですわ。何をされるか分かったものではありませんものね」
ユリアの後ろで、任せなさいとでも言うように胸を張る。ユリアの友人のイザベラ・ルイズ・フィメロ侯爵令嬢は、肩にかかったその豊かな赤い髪をふわりと払うと、不安げに眉を寄せた。
「でも、心配ですわ。ユリアは気が弱いから、あの人に強く言えないでしょう」
「う~ん、その控えめな所もユリアの長所ではあるが……」
「姉がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
心配そうな顔をするレオンハルト達に対して、エリオットが深々と頭を下げた。彼はラインハルトが運営する生徒会のメンバーだが、先ほどのマリアンヌの弟でもある。
エリオットの為人を知っている皆が、ボヌフォワ公爵夫妻から、どうしてマリアンヌだけがあのように育ってしまったのかを不思議に思っていた。
「エリオットは何も悪くない。私こそ、婚約者として彼女といい関係を築けていないからね」
「いいえ、それこそ、ユーリス様の過失ではないでしょう。父と母もまともな人間で、こんなに素晴らしい婚約者もいるのに、何故あの人は……」
騎士道を学んだ真面目な人間として、そして血が繋がっているからこそ余計に許せないのだろう。エリオットは悔し気に唇を噛んだ。
「本当に、テネブラエ公爵令息という誰もが羨む婚約者がいながら、王太子殿下にいつもああしてしつこく言い寄って、みっともない」
「あんな人、婚約破棄されてしまえばいいのに」
「無理よ。国が定めた婚約者ですもの」
「お労しいわ」
ユーリスはグランデュクス王国史に残るような強大な魔力量を持っている。それが分かってすぐ、ユーリスの婚約相手には「国内一の魔力量を持つ令嬢」が宛がわれると決められた。それがマリアンヌである。
夫婦間に魔力の差があると子供が出来にくい事による、より強力な魔法使いを求めた国の下した横暴な決定だった。貴族の義務として、あの婚約者のマリアンヌの横暴を粛々と受け止めているユーリスに、事情を知っている者は皆痛ましいものを見る視線を向けていた。
「それではレオンハルト様。もうじき予鈴も鳴りますわ、私達は鍛錬場に向かいますわね」
「ああ、引き留めてしまってごめんな、ユリア」
手を振るレオンハルトに軽く会釈をしたユリアは優しく微笑んだが、心の奥には疲れが滲んでいるのが見て取れた。
しかしこの光景は学園ではいつもの事だった。マリアンヌは婚約者のいる身で何かと言ってレオンハルトに絡み、拒絶されてもやめようとしない。新入生はギョッとするが、しばらくすると「いつもの事」になってしまう、そのくらいよくある事だった。