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大人の約束

作者: サソリ

 


「皆さんは,学校の七不思議と聞いて何を思い浮かべますか?」音楽室のベートーヴェンの肖像画.夜中に走り回る理科室の人体模型.トイレの花子さん,十三段目の階段.どこの学校にも,少なくともひとつはあるだろう.僕の通っていた学校にも、そういう怪談があった.似たようなものもあるが,その中でも最も奇妙で,最も語られることの少ない話がある.

 それは、図書館の奥にある「秘密の部屋」についての噂だ.学校内で知らない人はいないくらい有名な話だった.その中でも有名だったのは「図書室の奥にある本棚の裏に小さな扉があってその昔、そこに閉じ込められた生徒がいた,その生徒がそこで怨霊としてたまに現れて部屋に誘ってくる.それに乗って扉を開けたら、二度と戻れない」その話を,僕はある日,図書館で偶然耳にした.そのときから僕は呼ばれていたのかもしれない.


 2


 夏休みの学校と静かな図書館,夏休みの学校は,普段とは違う雰囲気に包まれている.

 生徒の姿はまばらだが,部活動の掛け声や,楽器の奏でる美しい音色,校庭を走る足音が響き渡る,

 開いた教室の窓からは,談笑する声や笑い声が聞こえ,時折,先生の怒った声も混じる.

 廊下を歩けば,暑いながらもどこか開放的で,賑やかな雰囲気と冷たい風が漂っていた.

 でも図書室だけは違った.校舎の四階空き教室だらけの一角にありそこは,まるで夏休みの喧騒が届かないかのように,静かで外の暑さとは無縁の涼しさが広がり,本棚の奥では窓から差し込む陽光が,静かに埃を照らしていた.僕は、そんな図書館が好きだった.僕は野寺颯太のじそうた.小学五年生.特別に本が好きというわけではないけれど,静かな場所が落ち着くのだ.家よりも涼しく,うるさくないし部活の予定もない僕にとって,ここはちょうどいい居場所なのだ.中でも入り口から離れ,窓際にある長机が大抵のポジションなのだ.僕は今日も図書館の奥の席に座り,本を開いていた.

 ページをめくる音だけが響く図書館で,ふと,近くで話す小さな声が聞こえてきた.

「マジで?でも先生たちは何も言わないの?」「知らないんじゃない?それか,隠してるとか」「……本当にそんな部屋があるのかな」どうやら何かの部屋の話をしているらしい僕は気にも留めず本を読んでいた「だってさ、沙希が見たって言ってたんだよ.図書館の奥に小さい扉があって,少し押したら開いて鍵もかかってなかったって.」「え,それって開けて中覗いたの?」「ううん,怖くて逃げたらしい.で,次の日にはもう扉なんてなかったってさ.」「え,じゃあ……嘘だったってこと?」「さあ?でもさ……開けたら幽霊が出るらしいよ.」「もしかしたら,あっ後ろ‼」悲鳴と笑い声,どたどたと音を立てて出て行った.

「……秘密の部屋か。」

 気がつくと,僕は恩を閉じ立ち上がっていた.今まで気にしたこともなかったが,もしかすると,本当に何かがあるのかもしれない.なぜ思ったかは謎だが夏休みの謎の高揚感のせいにしておこう.

 ……確かめてみようか?図書室は,もうすぐ閉室時間だった.気になっていたし後数分で買えるならと思い,図書館秘密の部屋の謎へと足を踏み入れた.

 静まり返った室内に、壁掛け時計の針の音だけが響く.まずは、いつも座っている場所の近くにある本棚を手で押してみた.もちろんどれもびくともしない.そのまま奥へ進み,少し薄暗い棚へと足を向ける.そこには古い本や持ち出し禁止の資料が並んでいた.その中でも特に埃をかぶっているものに目を向けた.埃をかぶったページをめくると,昔の学校新聞や,開校当時の写真が載った古い記録が載ったまとめ本だった.その本を元の位置に戻した時に僕は棚の奥になにかがあることに気付いた. 「……?」引っ張ってみると,それは分厚い古書のような本だった.背表紙には何も書かれておらず,開くと黄ばんだページがカサリと音を立てる.そして,ページの真ん中で指が止まった.

「……ん?」本の隙間に,何かが挟まっていた.取り出してみると,それは色褪せた紙切れだった.

「ここから本棚に沿い進めば扉が出る」ただそれだけが書かれている.僕は紙を持ったまま,辺りを見回す.それが何を意味しているのかわからないまま,僕は本棚に沿いさらに図書室の奥へ進んだ.

 右手で本棚に触れながら歩いていると図書館の一番奥の書架についた.僕は本棚を一つずつ押してみた.「……特に変わったところはないな」当然である.本も見てみたが埃っぽい岳だけだった.「やっぱ 噂か」と諦めかけたその時.

 ギィ……


 かすかに音を立てて,奥の本棚が数センチ動いた.「……!」動いた方を見ると隙間があることが分かった.恐る恐る,本棚をその隙間に押し込む.すると,そこに小さな木の扉が現れた.「……ほんとに,あったんだ.」年季が入っており他の壁の感じと全く違い異彩を放っている.高鳴る鼓動が聞こえてくる.恐怖もあったが好奇心がそれを凌駕していた.震える指で,そっと木でできた取っ手を掴む.木の温かみを感じた.

 カチリ

 鍵はかかっていなかった.扉を開けると,そこには古びた机と椅子,埃の積もった本棚それらを小さな窓から差し込む夕陽が,静かに照らしていた,

 まるで,時間が止まったみたいなまさしく秘密の部屋だった.「……こんな場所,本当にあったんだ.」差し込む日を見ながらそう呟いた瞬間「待ってたよ」背後から、少女の声がした.心臓が跳ねる.驚いて振り向くと,そこに立っていたのは,白いワンピースの少女だった.長い黒髪,真っ赤なリボンを結んだ手首,そして,静かに微笑む唇.しかし体は半透明で見るだけで生きている人ではないと感じる.「……待ってたの?」状況を飲み込むことができなかったが彼女からの質問を質問で返した.「うん」「誰を?」少女はそっと首を傾げた.「颯太くんを」「……なんで,僕の名前を?」僕の困惑の顔を見て少女は,ふふっと微笑んだ.

「いつも図書館で本を読んでるのを,後ろからちらちら見てたの」「……え?」「あとね、その名札」指をさされて,僕は思わずシャツの胸元を見た.そこには,確かに「五年一組野寺颯太」と書かれた名札がついていた.少女は微笑んだまま,そっと手を差し伸べた.「私はみすなよろしくね」「よ,よろしく」ぎこちなく返事をすると彼女は間髪を入れず聞いてきた.「ねえ、一緒に行かない?」急な誘いに僕は「……どこへ?」と返した.「颯太くんが見たかったものの場所」少女の指が、僕が来た扉の向こうを指し示す.僕は彼女の指さすほうを見ると,そこに広がっていたのは,先ほどまでの学校の図書館ではなく少し高い丘の上から夜の町を見下ろしていた.「これは……?」僕の疑問を聞いてみすなは,そっと微笑む.そして扉の近くまで行った.その微笑みに,なぜか僕は逆らえなかった.「じゃあ,行こう?」みすなとともにその世界に足を踏み入れていった.彼女が指さす先に広がるのは、どこか見覚えのある夜の町だった.街並みは古く,美しい石畳が敷かれている.けれど,見上げると街灯の代わりに青白く光る星々が空に浮かび,まるで夜空全体が揺れているようだった.見える家々はどれも,どこかで見たことのある形をしている.「……これ、本の中の町みたいだ」そう呟いた瞬間,ハッと気づいた.この景色は,僕が読んでいた小説の世界に,そっくりだったのだ.「気づいた?」みすなが微笑む.「なんで……?」「ここは、颯太くんが見たかった世界だよ.」「僕が……?」情報を整理できない僕をしり目にみすなは続けた「そう.颯太くんが本を読んで,思い描いた景色.それが,ここに広がっているの.」

 そんなこと,あるわけがない.でも目の前の風景がそれを否定していた.

 見たこともないはずなのに,懐かしささえ感じる.「行こう」みすなが手を引いた.

 僕たちは静かな夜の町を歩き始めた.建物はどこか幻想的で,窓には明かりが灯っている.しかし人の姿は見えない.路地には不思議な影がゆらゆらと揺れていた.「この町には……誰かいるの?」みすなは,少し考えるように黙った.「昔は,いたよ」「昔?」「うん.でも,みんな出て行っちゃった」みすなは空を見上げながら,ぽつりと言う.「颯太くんだけしか,もう覚えてないんだ.」「え?」「みんな,大人になると忘れちゃうの.小説の世界のことも,空想の町のことも……いつの間にか、『そんなものなかった』ってことになってしまうの」「……そんな」こんな風景を大人になったら忘れてしまうんだと思っていると「でもね,颯太くんはまだここを覚えていたから,私はここに来れたんだよ」みすなの声は,どこか寂しそうだった.「どうして?」「……忘れられちゃったから」「忘れられると、この町はどうなるの?」段々この町のことが知りたくなりみすなに質問した.「消えちゃうの」あっさりとみすなが答える「でも,颯太くんが来てくれたから,大丈夫だよ」みすなは僕の手をぎゅっと握りながら,明るく笑った.その笑顔を見た瞬間,僕の胸の奥で何かがざわめいた.この感覚は,なんだろうと思っているとみすなの手首に結ばれた赤いリボンを解いているのが目に入った.「それ,どうしたの?」「あげる」みすなは,するりとリボンを解き,僕の手に握らせた.「え,でも……」「颯太くんに持っていてほしいの」それがどういう意味なのか,僕にはわからなかった.でも,みすなの目はどこか真剣で,断ることができなかった.「……わかった。大事にするよ」

 リボンをポケットにしまった瞬間,どこか遠くから鐘の音が響いた.

「時間だね,今日は,ここまで」みすなが微笑むと町の景色がゆっくりと歪んで気がつくと,僕は図書館の椅子に座っていた.


 目をこする.夢……だったのか?すかさずポケットに手を突っ込んだ.すると中には,みすなからもらった赤いリボンが残っていた.「……なんだったんだ,あれ」図書室は,何も変わらない静けさに包まれている.さっきまでいたはずの,みすなの姿もない.でも,僕は確かに,あの夜の町を歩いていた.手のひらに残る温もりが,それを証明しているようだった.

「また……行けるのか?」リボンを握りしめながら,僕はもう一度,あの扉を探すことを決めた.


 3


 翌日,僕は朝から学校の図書館へ向かった,昨日と同じように、本棚の奥を探し回る.

 どこにも隠し扉なんて見当たらない.そもそも昨日見た紙が挟んであった本すら見つからないのだ.試しに近くの本棚を押してみる.もちろんびくともしない.今思えば本がいっぱいの棚を僕が動かせたのがおかしいことだ. 「……夢、だったのか?」焦りと不安が胸の中で膨らんでいく.

 もう一度,あの町に行きたい.みすなに会いたい.だけど,どうやって行けばいいのかがわからなかった.途方に暮れ,本棚の前に座り込む.そのときポケットの中で,何かが熱くなっていた.赤いリボン.ポケットから取り出そうと探っていると.手のひらに暖かい風が吹き抜ける.まるで,誰かが手を引いてくれるような感覚.ふと目を上げると,昨日見た扉があらわれた.昨日と同じ扉——でも、今まで見えなかった扉.僕は,無意識に手を伸ばす.

 カチリ

 扉の向こうに,再び夜の町の風景が広がっていた.そこにはみすなが,微笑んで立っていた.

 扉を開いた瞬間,ひんやりとした夜の風が僕を包んだ.「颯太くん、おかえり」昨日と同じで白いワンピースを着て微笑んでいる.でも,その顔を見た瞬間,僕はほっとした.「……ちゃんと,また来れたよ」「うん,颯太くんなら,また来られるって思ってた」みすなは,僕のポケットに入っている赤いリボンを指さした.「それが,道を教えてくれたんだよ」「……そっか」

 僕はそっとリボンを握った 「今日はちゃんと案内するね.」「案内?」「昨日は,すぐに帰っちゃったでしょ? だから今日は,この町のいろんな場所を見せてあげる」みすなは手を差し出した.僕は,その手を取った.「まずは,私の家に行こっか」みすなの家——,幽霊なのに,家があるのか?そんな疑問を抱きながら,僕はみすなの後をついていった.町の郊外,そこには小さなレンガ造りの家があった.どこか古びているけれど,窓にはレースのカーテンがかかり,ドアには可愛らしいリースが飾られている.「ここが,私の家」「普通の……家なんだね」「普通だよ?」みすなは,くすっと笑いながらドアを開けた.中に入ると,部屋はほんのり暖かかった.木の家具に囲まれたリビングのテーブルには,ティーカップが置かれている.「誰か,他にいるの?」「ううん,今はもういないよ私だけ」みすなは棚からすっとカップを手に取り,何かを注ぎ僕の前に差し出した.「飲んでみて」「……何の飲み物?」「ミルクティー」そういわれてカップを手に取る.「……みすなって幽霊なんだよね?」「そうだよ?幽霊だからって,お茶くらい出せるよ」少しむすっとしながらみすなが答えた.僕は,恐る恐るカップを手に取り,一口すする.「あったかい……」ちゃんと温かいし,ほんのり甘くて美味しい,「でしょ?」目の前に座るみすなが嬉しそうに笑う.「ねえ,颯太くんはどうして本を読むの?」「え?」突然の質問に戸惑う.「えっと……」言葉を探していると,みすなは続けた.「本を読むと,違う世界に行けるでしょ?でも,本を読むだけじゃ,世界の中には入れない」みすなの目が,僕をじっと見つめる.「颯太くんは,そんな本の世界の中に来ちゃったんだよ」僕は,改めてこの町の存在の不思議さを思い知った. 


 みすなの家を出た後,僕たちは町を歩いた.町の中心に向かって進むと,広場に出た.広場には噴水があり,それを見下ろすように大きな時計塔が立っていた.「ここは?」「町の中心だよ.昔はここに,人がたくさんいたんだよ」「……今は?」「もういないね.みんな忘れちゃったから」また,その言葉——本を読まなくなった人たち.物語の世界を忘れた人たち.忘れられた町は,人が消えてしまう.「でも、颯太くんは覚えてるでしょ?」みすなは少し嬉しそうに微笑む.「だから、まだここは消えてないんだよ」それを聞いてみすなに聞いた「じゃあ,もし僕がここを忘れたら?」「……きっと、消えちゃう」悲しい顔をするみすな.なぜか胸が痛んだ.「私ね,ずっとこの町にいるよ」「……ずっと?」「うん」みすなは時計台を見上げる.「私、この町が消えちゃうのが怖いの.でも,颯太くんが来てくれたから、もう少しだけ、大丈夫かもしれない」そう言って,みすなは僕の手を取った.「ねえ,もう少しだけ,一緒に歩こう?」僕は,その手をぎゅっと握り返した.夜の町を抜け,少し傾斜のある坂を登っていく.

 道は細く,レンガの壁に肩を触られている.「どこに行くの?」期待と不安でみすなに聞く「見ればわかるよ」やがて,開けた場所に出た.そこには,丘の上にたたずむ古い建物があった.建物の外壁はレンガ調だが白く,窓の奥には暖かい明かりが灯っている.

 入口の扉には,蔦が巻き付いていて,まるで何年も使われていないかのようだった.「ここ……何の建物なの?」「うん.ここはこの町最後の図書館」みすなは扉にそっと手を当てる.すると,扉は静かに開き,中からふわりと暖かい空気が流れてきた.中に入ると,そこには天井まで続く本棚が並んでいた.空気は暖かくどこか落ち着く香りがする.「この図書館,ずっとここにあったの?」「うん.でも,今は誰も使わない」みすなが本棚の隙間をすり抜けて,奥へ進んでいく.「ここにね,面白い場所があるんだよ」僕は,本棚の隙間を抜けながら彼女の後を追う.本棚に囲まれた階段を登り,さらに奥へ進むと——そこには,天井がガラス張りになった大きな部屋があった.まるで,本棚の隙間から空が覗いているみたいに,星々が瞬いている.本の世界と夜空が混ざり合った,不思議な場所だった.「……すごい」この壮大な景色に僕は見とれていた.それを見てみすなが,嬉しそうに笑う.「ここが私のお気に入りの場所」みすなと並んで窓際にある長椅子に腰を下ろした.「さっきの続き.颯太くんは,どうして本が好きなの?」「……うーん」僕は考える.空を見上げ星々を見ながら.「みすなと一緒かな?違う世界に行けるから」みすなは,小さく笑った.「本が好きだから私も颯太君もここにいるのかな.本の中の世界って,誰にも邪魔されなくて,誰にも消されなくて……」

 みすなは,そっと夜空を見上げた.

「——だから、私がここにいて,この町から離れられないのかな」「……」「颯太くんは,本の世界が好きでしょ? だから,ここに来れたんだよ」その言葉を聞いたとき,僕の胸が少しだけざわついた 「もしかしたら颯太くんがここに来たのは,運命みたいなものかもしれないね」

 運命——そんな言葉,今まで本の中でしか見たことがなかった.けれど,今はなんだか,それを信じてもいい気がした.


 4


 ふと,みすなが僕の袖をつまんだ.「……颯太くん,私のこと,忘れない?」みすなの声は,少しだけ不安そうだった.「僕は……」僕はみすなを見つめる.昨日会ったばかりのはずなのに、ずっと昔から知っていた気がする.何より——「忘れたくない」気づけば,僕の口から自然とそんな言葉が出ていた.

「そっか」みすなは,少し安心したように笑う.その顔が,星空の光を受けて,ほんのりと輝いて見えた.みすなが,そっと僕の肩にもたれかかる.「……眠くなってき.ちょっとだけ……このまま……」彼女の体温は,意外なくらいに温かかった.幽霊なのに,本当に生きているみたいで.今だけは,何もかもが現実みたいだった.「みすな」まっすぐ前を向いて声をかける.

「んー……?」「ありがとう」様々な意味を込めてみすなに言った「ふふ,どういたしまして」みすなの微笑みを見ながら,僕も小さく笑った.しばらくの間,僕たちは星降る図書館で時間を過ごした.気づけば,僕の心の中には,みすなのことばかりが浮かんでいた.

 すこし図書館内を散策した.蔵書されているの本を開いてみると,どのページも読めるようで読めない,不思議な文字で書かれていた.図書館を出るとみすなが僕の袖を引っ張ってきた.

「ねえ,もうひとつだけ行きたい場所があるの」「どこ?」もうここまで来たらみすなについていこうと決めていた.「この町の端っこにある湖.星が綺麗に映るの」「いいよ,一緒に行こう」

 星降る図書館をあとにして,僕たちはまた町を歩き始めた.夜の冷たい風が心地よく,みすなの隣を歩き自然と手を繋いでいた.

 湖は,町の外れに静かに広がっていた.周囲には木が湖を囲うように生えており,湖は波ひとつ立たない鏡のような水面が空を映している.まるで地表にもうひとつの星空が広がっているようだった.「ね? 綺麗でしょ?」みすなが湖のほとりに立ち,水面を覗き込む.「すごい……」水面にみすなの姿が映っている.夜空と星々に包まれながら,みすなはそっと手を水に触れた.すると,水面が小さく揺れ,僕たちの姿が波紋に溶けるように歪んだ.「ここはね,この町が消えちゃっても,最後まで残る場所なんだって」

「最後まで……?」「うん.この町が完全に消えちゃうとき,きっとこの湖も消えちゃうだろうけど……そのときは,ここに映ったものだけが,どこかに残るんだって」「……どこかって?」「わかんない.誰かの記憶の中かな,それこそ夢で見る場所みたいになるのかな」そう言って,みすなは僕の方を見つめた.

「どんな形でも颯太君といたいな」「……」みすなの瞳が,星の光を受けて淡く輝いていた。


 5


 涼しい風が抜ける.湖畔で二人夜風を浴びていた.「颯太くん」「うん?」自然とみすなの方を向く「私、ここでお願いごとをしてもいい?」「……いいよ」みすなは,僕の手をそっと取った.その指先が,ほんのり温かい.「私のこと,忘れないでね」その言葉に,僕は息をのんだ.

「そんなの……忘れるわけないだろ」「……ほんと?」「本当」僕は,強くうなずいた.かっこつけではない.みすなの手を握り返す.みすなは,少しだけ不安そうな顔をしたあと,握られた感触を感じたのかふっと微笑んだ.そして——そっと,僕の頬に唇を寄せた.驚いて目を見開く.触れるだけのキスだった.それなのに,心臓が大きく跳ねるのを感じた.みすなは、そっと僕を見つめる.「これで,少しは忘れないでくれる?」「……そんなの,ずるい」僕は,思わず顔を赤くして目をそらした.みすなが,小さく笑う.「ずるくないよ.だって,好きな人に忘れられたら,悲しいでしょ?」「好き……?」「うん」みすなの笑顔が,夜の湖の光に溶けていく.「私,颯太くんのこと,好きだよ」その言葉に,僕は何も言えなかった.みすなが僕の肩に頭を落としてくる.しばらくしてみすなが小さな声で「颯太くん」「……ん?」「そろそろ,戻らなきゃ」「戻る……?」この時間が終わってしまうことを僕は恐れた「うん.だって,もうすぐ朝になっちゃうもん」気づくと,空の星が少しずつ霞んできていた.「もうそんな時間……?」僕の悲しい声を察したのか「また,来れるよ」みすなが微笑む.「赤いリボンがあるでしょ?」ポケットに手を入れると,そこには確かにみすなからもらったリボンがあった.「また会いに来てね」「……うん」扉は,湖からすぐ近くにあった.もっと一緒にいたい.でも帰らないといけない僕は,扉の方へと歩く.その途中で、ふと振り返ると——みすなが,ゆっくりと手を振っていた.「バイバイ颯太くん」僕は,みすなに駆け寄って,抱きしめた.「絶対来るから,待っててね」みすなも抱き返してくれた.

「じゃあ私と約束,そのリボンずっと持ってて,大人になった時持っていたら.私と結婚しよ?」突飛な約束だった.結婚,小学生ながら本気で叶えたいと思った.「うん,毎日来るしリボンも持ってる.結婚も絶対する」僕は,全てを約束した.「ふふ,あっもう変わっちゃう.またね」みすなと離れ扉を開ける.開けた瞬間,強い光が目の前に広がった.

 次に目を開けると——僕は,図書館の奥の席に座っていた.「……」辺りを見回す.図書館は静かで,何も変わらない.時計を見れば,もう四時近かった.まるで何もなかったかのように,日常が続いている.すぐポケットに手を入れる.そこには——赤いリボンが残っていた.まだぬくもりがあった.僕は,そっとそれを握りしめる.みすなは、あの町は、本当にあったんだ.

 そして——みすなとのキスの感触が,まだほんのりと頬に残っていた.「また……会えるよな」

 僕は,静かにリボンを結び直した.再び,扉を開けるその日を信じて.

 それから数日後——僕は,再び図書館の奥へと足を運んだ.みすなが待っている.あの夜の町へ行けるはず.そう思って,学校開放と同時に図書室へ向かった.「……え?」図書室は改修工事をしていた.昨日と同じように,リボンを握りしめて目を閉じる.けれど,何も起こらない.焦る僕の後ろで,先生の声が聞こえた.「颯太どうした?」「あ,あの図書室はいれないんですか?」「建物の老朽化で修繕工事をするからしばらくは使えなくなるな」

「……」言葉を失った.「返却か?それなら先生が返しとくが」「大丈夫です・・・」

 先生不思議そうな顔をして去っていく.僕は,この場から一歩も動けなかった.

 扉は消えた.あの町に,行けなくなってしまった.——もう,みすなには会えないのか?自然と涙が出た.リボンも何の力もなく垂れている.家に帰る足は,夏の暑さを感じていた.




 6


「終わった……!」宿題のプリントを最後まで埋めた僕は,大きく伸びをした.気づけば,夏休みはもう半分が過ぎていた.僕は,ここ数日宿題に追われる毎日を送っていた.朝起きて,ラジオ体操に行き,昼は自由研究.たまに友達と遊びに出かけ,夜は読書感想文.なぜだか活力が沸いて,以前より活発になった.そんな日々の中で,図書館に行くことはなかった.

 修繕工事が終わってから行ってみたが,全くの雰囲気が変わっていてとても扉なんて探す気力も出なかった. そして——僕は,だんだんと思い出さなくなっていた.みすなのこと.あの町のこと.夜の湖で交わした約束のこと.気がつけば,僕の夏休みは,ただの「いつも通りの日々」に埋もれていった.八月の終わりが近づいたある日,僕は部屋を片付けていた.

 机の引き出しの中から,整理されていないノートやプリントが次々に出てくる.要提出のプリントがしわしわになって出てくる.その中に,何か柔らかい布のような感触があった.「……?」取り出してみると,それは赤いリボンだった.「……これ,なんだっけ?」何かの余り物かと思った.ふと指先で触れる.どこかで,大切にしていた気がする.そんな気持ちになったでも,何のリボンなのか,思い出せなかった.

「まあ,いっか.」僕は,そのリボンをゴミ出そうとしたが何かを感じて机の引き出しの奥に押し込んだ.そして,その日を境に——僕は,完全にみすなのことを忘れてしまった.


 7


 冬の澄んだ空気が,頬をかすめる,今日は成人式だった.久しぶりに再会した同級生たちと,懐かしい話をしながら笑い合った.小学校を卒業してから,もう何年も経つ.あのころの記憶は全くと言っていいほどない.

 だがそれぞれが違う道を歩み,もう会うこともないと思っていた友人たちと,こうして肩を並べているのが不思議な気分だった.「なあ,せっかくだし,ちょっと小学校に寄ってみないか?」仲の良いグループで盛り上がり,俺たちはそのまま母校へと向かった.夕暮れに包まれた校舎は,ほとんど変わっていなかった.新しく塗り直された壁や,少し整備された校庭はあれど,そこに立てば,過去の時間がふわりとよみがえってくるような気がした.「うわ、懐かしいな!」「ここでドッジボールやったよな?」「給食、めっちゃ残してたやつ誰だっけ?」

 廊下の一部分でさえ一時間話せる思い出がどんどん出てくる.思い出話で笑いその声が廊下に響く.そんな賑やかな空気の中で,俺は,懐かしさとは少し違う感覚を覚えていた.心の奥が,妙にざわつく.(……何か,忘れているような……)でも,それが何なのか思い出せなかった.

 俺たちは,昔使っていた教室に集まり,机を囲んで話し始めた.するとこんな話題になった.「七不思議ってさ,あったよな?」「うわ,あったあった!音楽室のベートーヴェンのやつとか!」「トイレの花子さんもあったっけ?」「あー,でもそれ,どこの学校にもあるよな」

 懐かしい話が次々に飛び出す.それと比例してざわざわした感覚が上がってくる.「そういえば、うちオリジナルのやつあったよな?」「なんだっけ,部屋だっけ?」その言葉を聞いた瞬間,僕の心臓が跳ねた.そして「図書室の秘密の部屋」俺がぽそりと呟く.「それだよ,よく覚えてたな」みんなが懐かしさに浸る中俺は何かにおびえていた.(……何か……何か,あった)

「結局,あれって本当にあったのか?」「いや,なかっただろ.噂だけだったんじゃね?」

 改修工事だっけした後めっきり聞かなくなった気がする」「よくおぼえてんな,たぶん先生用の部屋だろうな」たわいもない子供の想像,大人になると簡単に結果を出してしまう.友達が話題を変え,話しをしていても僕は,ずっと黙っていた.胸の奥がざわついて,何かがこぼれ落ちそうな感覚だった.「ちょっとトイレ行ってくるわ」そういって俺は立ち上がった.廊下は昔より短く感じ,トイレでさえ懐かしさを感じる.俺は,トイレの蛇口をひねり,冷たい水で手を洗う.

 流れる水の音だけが響く静かな空間.成人式のあとはしゃいでいたせいか,火照った頬に水をつけて冷やした.その時,背中から妙な違和感を覚えながら,ふと顔を上げる.

 ——その瞬間,血の気が引いた.鏡の向こう.そこには,白いワンピースの少女が立っていた.見てすぐ振り向く.だが,そこには誰もいない.鏡に視線を戻す.

 ……もう,何も映っていない.「今の……何……?」心臓の音が大きく鳴る.

 怖いという恐怖ではなかった.何かを,思い出しそう,とても重要なことに.

 俺は,ゆっくりとトイレを出た.廊下に出て教室に戻ろうとしたとき,向かいの曲がり角に白いワンピースの裾がひらりと揺れた.考える間もなく,俺の足は勝手に動いていた.「待って!」俺は,廊下の向こうへと駆け出した白いワンピースが,角を曲がるたびに,ほんの少しだけ見える.追いかける.知っているはずの学校なのに,妙に長く感じ.それは,ただ静かに,僕を導くようだった.そして——気づけば,僕は図書館の前に立っていた.昔のままの図書室.手が.震える.僕は,扉にそっと手をかけた.

 静寂.昔と変わらない,本の香り.だけど,違う.少女を探し奥へと歩く.本棚をなぞる指先が,わずかに震えていた.僕は,ゆっくりと奥の書架に向かい,かつて「扉」があった場所に立った.「……何もない」何度も手を伸ばす.押してみる.だけど,そこにはただの本棚しかなかった.「……やっぱり,夢だったのかな」呟いたそのとき——


 ふわり


 ポケットの中で,何かが揺れた.「……?」そっと手を入れる.そこにあったのは——

 赤いリボン.心臓が,ドクンと鳴る.記憶が,脳裏を駆け巡る.——忘れていた何かが,急速に蘇ってくる.「……っ!」頭の奥が熱くなり,強い眩暈に襲われる.目を閉じた,その瞬間—カツン……カツン……

 後ろから,小さな足音が聞こえた.ゆっくりと近づいてくる.「……っ。」僕は,ゆっくりと振り返った.そこに,立っていたのは——白いワンピースの少女だった.「……颯太くん」「みすな……?」僕の声が,小さく漏れる「覚えててくれたんだ嬉しい」 みすなが立っていた.立ちすくむ僕を見てみすなは,続ける「約束通り迎えに来たよ」黒髪が風に揺れ,赤いリボンが手首に結ばれている.その光景を見て僕の足が,逃げろと伝達する.足だけではない全身が警鐘を鳴らしていた.「……帰らないと」「どうして?」「俺は……もう,あの世界にはいけない」「なんで?」「忘れたから,さ,さっきまで思い出せなかったから」小さく笑うみすな.あの頃とその笑顔は変わっていない.「リボン持って覚えててくれたじゃん」微笑みながらこちらに近づいてくる.「俺は……帰らなきゃ……!」僕は,みすなの横を抜け逃げようとした.

 ——次の瞬間,図書館の灯りがふっと消えた.思わず立ち止まる.するとリボンの流れる音が聞こえ赤いリボンが,僕の足元に絡みついた.


 動けない.まるで足が床とくっついているようだった「颯太くん……忘れちゃったの?」みすなの声が,どこか悲しげだった.「ねえ,行こう?結婚式はあの図書館,湖ピクニック,いろいろできるね」「……嫌だ!ぼ,僕は帰るんだ!」バタバタと足を動かそうとするが,リボンが強く締めつけられ全く動けない 「僕は……行かない」「どうして?約束破るの?」「あれは無効だ!は,早く帰してくれ」必死にみすなに頼み込んだ.

 そのとき——

 ガラガラガラッ!

 突然図書室の本棚が崩れ始めた.というよりあの扉に吸い込まれて行っていた.「——っ!?」

「危ないね」みすなが,淡々と呟く「だから,あの世界に行ったほうがいいよ.そうしないと颯太君も飲み込まれちゃうよ」「いや……っ!」必死に逃げようとする.すると遠くから,同級生たちの声が聞こえた.「颯太どこ行ったんだろうな」僕は,人生最大声量で助けを求めた.

「おーーーーーいここだぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」これで助かるはず,

 しかし次の瞬間「あれ?こっち行き止まりだ!」——違う.そんなわけない.僕は,図書室の奥にいるはずなのに.同級生たちは,もう入口前に来ているはずなのに.なぜか,遠い.


 するとみすなが僕にささやく「修繕工事後なのに昔のまんま,颯太君なら気付くかと思ったけどなぁ」そうここは修繕されなくなっているはずなのだ.視界がぐにゃりと歪む.「——さあ、行こっか」みすなの手が,僕の頬に優しく触れる.次の瞬間——僕は,闇に吸い込まれた.

 暗闇の中,すぐ近くにみすなの気配を感じる.

「……ねえ、今度は忘れないでね」





この町での生活も慣れた.みすなとは,仲直りした.今はあの家で暮らしている.みすなに見られる生活も慣れた.そしてみすなから意外なプレゼントをもらった.パソコンだった.

みすな曰「これで私たちの事を小説にして」とのことだった.そしてこの話を書いたのである作業は,みすなの前でしかできないし文章もチェックされる.

 唯一みすなから許可されたことを皆さんに伝えたいと思う.みすな,これをキーボードの日本語打ちのところでみてほしいNRUこれにOをつけてほしい何が言いたいかわかるだろう.つまり最初からこういうことだったのだ.新婚生活

は二人の記憶から消えるまで続く.


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