08.消エタ花嫁
「よし、ここは完成」
花壇の手入れを終え、女はつぶやいた。
「とうとう結婚ね」
ひとり微笑む女の顔は、喜びでみちていた。
女は三日後、この場所で結婚する。ここは女の祖母の家であり、両家の親戚を呼んでも問題がないほどの大きな庭は、昼の披露宴会場として最適だった。
近所に住む親戚の手を借りながら、女は会場の準備を整えた。倉庫からテーブルをだし拭きあげ、色とりどりの花が咲く花壇に手をいれる。おおよその準備は整い、あとは当日の料理を母たちと打ち合わせるだけだ。
親戚から祝福され、優しい彼とあたたかな家庭を築いていく。絵に描いたような幸せの中で、ひとつだけ、女の心を翳らせるものがあった。それは、失踪した妹の行方だ。
三年前、この場所で女の妹は結婚をする予定だった。準備は滞りなくおこなわれ、妹の顔は幸せにみちていた。だが当日、花嫁衣装に着替えた妹は、会場にあらわれることなく姿を消した。親戚全員で捜索したが、妹の痕跡はなにも見つからなかった。
女は深い悲しみに打ちひしがれた。仲の良い姉妹で、いつも一緒にいた。喜びも悲しみも分かちあい育った。妹の婚約者だった男も同じく妹を諦めきれないでいた。二人は慰めあい一緒に妹の行方を探すうちに、いつしか恋仲になった。誘拐か、事故――――それが、二人のだした結論だ。おそらく妹はもう生きてはいないだろうと、失踪してから三年目の同じ日に、結婚することを決めた。
頭を納得させても、心では妹の存在を諦められない。
花壇の前で、女が静かにため息をついたときだった。ふと視線を感じ顔をあげると、柵のむこうから、黒髪の美しい女がこちらを見つめていることに気づいた。見知らぬ顔だった。目が合うと、その彼女は穏やかに微笑んだ。
「お悩みのようですね」
その言葉に、心の弱い部分を刺激され、女は彼女を庭に招いた。いくつか世間話をしていると、唐突に彼女は「不思議な話があるんです」といった。
「題名をつけるならば――――」
――――【消えた花嫁】でしょうか、そういった彼女に女はぎょっとした目をむけた。
まるで妹のことである。揶揄いか、それとも妹の行方を知っているのか。早鐘のようにうつ胸に手を当て、女は耳を傾けた。
とある家の結婚式で、新郎新婦と参列者たちが余興でかくれんぼをしたという。
「ですが、いつまでたっても花嫁がみつからないのです」
異変に気づいた式の参列者たちも協力し捜索したが、結局花嫁は見つからなかった。失踪から数年後、花嫁の妹が結婚することになり屋根裏部屋にある衣装を借りようとしたときだった。大きなトランクを開けると、なかには花嫁衣裳を着た姉の遺体があった。花嫁は結婚式のかくれんぼの最中トランクに隠れ、はずみで鍵が閉まり出られなくなったのだ。花嫁は人生で一番幸せな日に、一番最悪な方法でその生を終えた。
最後まできき、女は苛立ちを覚えた。妹の失踪を知っていて、わざわざ話を創作してまで、なぜ嫌がらせをするのかと。
しかし気づいた頃には黒髪の女の姿は消えていた。言うだけいって、逃げたのだ。
くだらないと思う一方で、まさかという思いが女の頭を駆けめぐる。
妹の花嫁衣裳は、式の直前まで屋根裏のトランクにしまってあった。しかし、失踪後すぐに確認したが中はからだった。偶然の一致だろうと思いながらも、女は気になって屋根裏へと足をむけた。
久々に入った屋根裏は埃がつもり黴の匂いが漂っていた。トランクは変わらず、同じ場所にある。女は意を決してトランクの蓋をあけた。そこに妹の姿はなかった。女がほっと息をつく。「やはり嫌がらせだったのだ」と、トランクを閉じようとしたとき、中に一冊の古びた手帳を見つけた。前に開けたときは気づかなかったものだ。
手帳を開くと、そこには妹の筆跡で結婚までのことが綴られていた。義両親との会話、結婚への期待と不安、そして祖母宅の裏手の森へ散歩に出かけたことが書かれている。その森は、姉妹が幼い頃よく遊んだ場所だった。踏み固められた道をまっすぐ歩いていくと、子どもの足でも十五分程度で、小川の流れるひらけた場所にたどり着く。両親に叱られたときの愚痴や、気になる男の子の話、そこは二人だけの秘密の話をする特別な場所だった。成長するにつれ足は遠のき、ひさびさに女は思いだした。なんだか懐かしくなり、気分転換にその森へ向かうことにした。
祖母の庭から森へはいると、昔とは雰囲気が違っていた。今は誰もはいるものがいないのか、草がぼうぼうと茂り、かつて道だった場所が埋もれている。獣道のようなものをたどって十分ほど歩くと、ようやくひらけた場所にでた。女は驚いた。その場所は人の手が入り草が切り揃えられ、一軒の小屋が建っていた。煙突から煙がでていて、人の気配を感じる。間違った場所に出てしまったのかと不安になるが、ここまでほぼ直進の一本道だ。迷うはずがない。戸惑う女の背後から、突然声がかかった。
「どなたですか?」
ずっと探していた、記憶の中の舌足らずな声。振り返ると、そこには妹がたっていた。
「やっと見つけたわ!!」
女は感極まり抱きしめようと駆け寄るが、怯えた様子の妹をみて足をとめた。
「なぜそんな顔で私をみるの? ずっと探していたのよ」
懇願するように女はいった。
すると「どうした?」と、小屋からひげむくじゃらの大男が出てきた。その姿をみて、妹の顔は安心した表情を浮かべる。大男といえば、女と妹の顔が似ていることに気づき、女を丁寧な態度で小屋へと招いた。
女は、手づくりのハーブティーでもてなされながら、大男から話を聞いた。彼は五年前から森林管理人としてこの地に住んでいるのだという。街へ出ることは年に数回であり、雇い主の関係から祖母宅のほうから村へ入ることはないといった。
彼はある日、小屋の前で、綺麗な衣装を着て倒れている妹をみつけた。介抱し、目覚めた妹と話して驚いた。彼女は記憶を失っていたのだ。誰か探しているかもしれないと街へ連れて行こうとしたものの、それを聞いた妹は恐怖で震えだした。その怯えようから、酷い目にあって逃げてきたのかもしれないと大男は推測した。記憶が戻るまでは、面倒をみようと決意したのが三年前。ともに暮らすうちに二人の間に愛が芽生え、昨年街の教会で二人だけで結婚の誓いをたてた。いま、妹のお腹のなかには命が宿っているという。
話を聞き終え、女はまず安堵した。無事生きていてくれたことが、なにより嬉しかった。妹の失踪に悲しんだ両親や婚約者にいますぐ会わせたい気持ちもあったが、妹の記憶はなく妊娠までしているとなると、かなり話はややこしくなる。なにより、妹が失踪するに至った経緯などいまだ謎が残る。話を整理する時間が必要だ。自身も結婚式を控えている。それに、この距離であればいつでも会いにこれる。女は一度、祖母の家に戻ることにした。
最後に「私はあなたの姉よ」と告げると、妹は不思議そうな顔をしたあと、花が咲くように微笑んだ。
「だから、なんだかあたたかい感じがするのね」
その言葉を聞いて、女の目からひとすじの涙がこぼれた。
それから日が経ち、結婚式当日。いまだ妹のことは誰にも話していなかった。まずは自分のことを優先するべきだと、女は結婚式に意識を集中させた。段取りの確認を終え、着替えようとしたときだった。花嫁衣装が消えていた。女があわてて探していると、親戚のひとりが気づいて「それなら屋根裏にあるわよ」といった。
なぜそんなところにと思ったものの、はやく取りにいかねば予定がくるってしまう。だが、このタイミングで屋根裏にいくことに、嫌な予感を感じた。黒髪の女の声が脳裏をよぎる。あれは嫌がらせの作り話だとわかっていても、女は二の足を踏んだ。
すると、「どうしたの?」と通りがかった婚約者が、女の様子がおかしいのをみて声をかけた。屋根裏に衣装があることを説明すると、重いから一緒に行こうと彼はいった。心強い助っ人の登場に、女は安心して屋根裏へとむかった。
屋根裏にたどり着くと、あいかわらずそこは黴の匂いが漂っていた。文句をいいながらトランクを開けると、そこには用意していた花嫁衣装がはいっていた。
「皺になっていないといいのだけれど」
そう女がいったときだった。突然髪をつかまれ引っ張られた。驚いて悲鳴をあげるが、次の瞬間には口に布を詰めこんで縛られた。抵抗しようともがくが、腹を思いきり蹴られその場でうめくことしかできない。
すると、「きみが彼女を隠していたんだね」と婚約者が冷たい声でいった。
「僕が愛しているのは彼女だけなんだ。彼女が消えたからきみを選んだけど、その必要はもうないね」
婚約者はトランクを開け、女を無理やりその中に押し込めた。出ようと手を伸ばすと、トランクの蓋で挟まれ鈍い音をたてて腕が折られた。くぐもった悲鳴をあげ身体を折って痛みに悶える。
婚約者は「これはもういらないな」といって、花嫁衣裳を女の上に被せると、重い蓋をしめた。
暗闇の中、女は恐怖に包まれた。声を出そうにも口を縛られて声がでない。トランクを叩こうとしても折れた腕の痛みで動かせない。呼吸が苦しくなり、だんだんと意識がぼやける。最後に、
「妹はなにに怯えて、なにから逃げたのか――――」
そこまで考え、女の意識はおちた。