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03.ロールス◼️イスハ壊レナヰ






 男が目を覚ましたのは、昼にも近い頃だった。


「……なんでこんなとこにいるんだっけ」


 どうみても、いつもの安宿とは違う。見知らぬ清潔感のある部屋にいた。男は記憶を探るが、頭にぼんやりと霧がかかったように思いだせない。理由はわかりきっている。二日酔いだ。


「うっ、痛え……」


 頭はずきずきと痛み、口のなかは乾ききっている。男は近くにあった水差しをつかむと、じかに口をつけて飲み干した。すると、ふと昨晩の出来事がうかんだ。


「そうだ、富くじだ」


 男はベッドの上でぼんやりと呟いた。

 きのう、男の買った富くじが当たったのだ。庶民の男からすると、しばらく遊んで暮らせるほどの大金を手にした。しかし、幸運に喜ぶべきはずの男は、浮かない顔をしている。それもそのはず、うかれて昼間から深酒をしたあげく、酔いがまわった男は、はしゃぎすぎて大金を使ってしまったのだ。


「なにを買ったんだったか……」


 頭をひねるが、いまだ記憶はおぼろげだ。とにかく高価なものを買ったことは間違いない。ぼんやりと浮かんだのは、ロールス◼️イスという名前。


「あ。そうだ、馬車だ」


 その馬車の話は、きのう酒場で見知らぬ女性から聞いたものだ。

「不思議な話があるんです」そういって彼女は語った。男の興味は不思議な話より、美人なその女だったが、透きとおるような声は耳ごこちがよく、おとなしく話をきいた。

 とある貴族の男が、他国のパーティに参加するため荒野のど真ん中を進んでいたという。すると馬車が故障し、立ち往生してしまった。人里はなれたその場所で途方にくれていると、一台の馬車がやってきた。よくみると、彼が乗っていたものと瓜二つの馬車である。彼らはロールス◼️イス社の者だと名のり、ひいてきた馬車と壊れたものを交換してくれた。貴族の男は、これでパーティに間にあうと喜んで、名前と住所、それから感謝の言葉を告げた。

 しばらくして貴族の男は自宅に戻ったが、いつまでたっても馬車の請求がこない。気になって馬車工房に使者を送ると、「ロールス◼️イスは壊れません」と返答されたという。


 それをきいた男は、馬車の持ち主からすればなんとも得な話だと思った。気づけば女は消えていたが、そのあと偶然にもロールス◼️イスという高級馬車の工房で働く老人と知り合った。酔った男は奇妙な一致を面白がり、おおいに喜んだ。そのうえ、はしゃぎすぎ勢いで馬車を買ってしまったのだった――――。


 すべてを思いだした男は頭を抱えた。馬車の購入で、せっかく手に入れた大金のほとんどを使い果たしてしまったのだ。馬車を使って商売をはじめようにも、馬がない。そもそも男は馬車を運転したこともない。

 あの女と老人にはめられたと、男は悔しさに歯噛みした。しかし、今更どうしようもない。きっと返品もできないだろう。購入した額は戻ってこないだろうが、別のところに売るしかない。

 そこまで考えて、男はきのう買った馬車を確認することにした。宿の裏手にいくと、いくつか馬車がとめられているが、男の馬車は一目瞭然だった。

 艶のある塗装がされた車体は、重厚感があふれていた。いたるところに装飾が施され、その一つ一つが細部までこだわり抜いたものだとわかる。この馬車に比べると、隣にならぶ一般的な馬車が欠陥品にすらみえた。


「さすがは高級馬車だ」


 金をだすだけの価値はあると男は納得した。ただ、それが自分には不釣り合いなだけで。


「……よし。せっかくだから、一度くらいは乗ってみるか」


 この機をのがせば高級馬車とは二度と縁がないだろう。であれば、自分のものであるうちに、一度くらい特別な体験をしてみようという気持ちになった。近くの馬主から馬を借り、御者も雇うと、片道一時間ほどの湖まで遠乗りすることにした。






――――――――――






「うん。なかなか悪くないな」


 男は、流れる景色をながめながら満足そうにつぶやいた。


 馬車の中は快適で、乗り合い馬車とはまるで別物だ。革張りの座席は腰に優しく、そもそも車体の違いか揺れ自体が少ない。そして、豪華な内装はまるで貴族になったかのような気分が味わえる。雇った御者や馬も問題はなく、男はしばし贅沢な時間を堪能した。


 それは、林道に入ってしばらくした頃だった。急に馬車がガタンと揺れ、止まった。

 なにごとかと、あわてて男が馬車から降りると、御者がしゃがんで馬車を確認しているのがみえた。


「脱輪したようです、少しお待ちください」

「本当かよ。なおるか?」

「ただ脱輪しただけであれば大丈夫だと思います。それ以上の故障だとしたら、私では修理は難しいですね……」


 思わぬトラブルに、男はため息をついた。さきほどまでのよい気分も、これでは台なしだ。目的地につかないどころか、なおらなければ馬車を放置して帰らねばならない。


「馬も男二人はきついよなぁ……」


 御者の男を放置するわけにもいかない。もしもの場合は交代で馬にのりながら帰るべきかと男は悩んだ。修理には、しばらく時間がかかりそうだったので、男は馬車から荷物を持ちだした。中身は、湖についたら一杯やろうと持ってきた酒瓶と軽食だ。予定とは違うが、男の心情としては、飲まなきゃやってられない気分だった。


 男は瓶に直接くちをつけ、酒を含んだ。地面に尻をつけ、木に背中をあずける。御者が車輪をいじくる様子をながめながら、酒をちびちびと飲んでいるうちに、ふと女の話が頭をよぎった。故障した馬車の新品を交換する夢のような話。それが本当であれば最高だと男は思う。故障した状態で売れば値はおちるし、修理するような金もない。なにより、歩いて帰らずにすむ。


「ま、どうせ作り話だろうけどよ」


 男が吐き捨てるようにつぶやいた。すると、遠くから馬車の音が聞こえてきた。


「あん?」


 男は顔をあげ、音のする方向をみつめた。歩いて帰るぐらいなら、相乗りさせてもらうよう交渉するのも手だ。貴族でもなければ交渉に応じてくれるだろうと、音の先をじっとみつめる。すると驚くことに、その馬車が自分ものと瓜二つなことに男はきづいた。


「まさか……!」


 本当に馬車を交換してくれるのではないかと、男のなかで期待がふくらむ。だが、同じ型の馬車がたまたま走っているだけの可能性もある。うずうずとしながら馬車の様子をうかがっていると、やがてその馬車は男の目の前で停車した。なかから、身なりのいい商人のような男がひとり静かに降りてきた。


「故障ですか?」

「あい、困ったもんで」

「ロールス◼️イスは壊れませんよ」


 そういって商人風の男は笑みを浮かべる。それは男にとって、望んでいた言葉のはずだった。なのに、なぜか素直に喜べず、男は戸惑う。なぜだと考えて気づく――商人風の男の目が、弧を描いているだけで笑ってないのだ。男の背筋に冷たいものが走る。

 すると突然、御者が叫び声をあげた。男が振りむくと、御者が血まみれの状態で倒れている。


「なっ、どうした!?」


 つぎの瞬間、馬のいななきが響いた。轡をはずされた馬が、森の奥へと駆けていく。


 あっという間のことだった。


 孤立したと気づいた頃には、挽回できない状況に陥っていた。男は必死に考えた。なんだこの状況は、どうすればいいのかと。



――――ロールス◼️イスは壊れない。



 その瞬間、男はすべてを理解した。故障をなおさずとも、もっと簡単に隠蔽ができる――――持ち主さえ消えてしまえばよいのだ。話す口がなければ、故障した事実は闇に消え去る――――。


 本能的に、男は駆けだした。思考を放棄し、森のなかを無我夢中で走った。背後を気にする時間がおしい。出来るだけ遠くへと力が果てるまで走り続けた。木の根に足をとられても、転がりながら前に進んだ。走って、走って、走って――――森の奥深くで力つき、男の足がとまった。荒ぶる呼吸をおさえて、あたりを確認する。聞こえるのは森のざわめきのみ。追ってきてはいないようだ。


 男は安堵し、脱力して座りこんだ。

 みつかれば今度こそ殺されるだろう。元の街には戻れまい。あげくに、所持金はわずかで荷物もない。大金を手にしたはずが、一夜明けてすべてを失った。だが、命があった。命だけは守った。


「もともと貧乏だしなぁ、金はしゃあねぇ」


 男は開きなおって笑うと、震える足に力をいれ歩きだした。

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