02.ヒキコサン
「いたか?」
「こっちにはいない」
「あいつ、みつけたらただじゃおかないぞ」
村のはずれに住む少年Aは、木の影に身をひそめて、その会話をじっと聞いていた。彼の身体は小さく痩せていて、服の下には無数の傷やあざがある。それはすべて、村の少年たちから暴力をうけた痕だ。彼らはいつも、Aを探しては集団でかこみ殴り、蹴り、ときに道具をつかっていじめる。こうなった経緯として、Aに非はない。小柄でおとなしかったから――――ただそれだけの理由で、少年たちの遊び道具に選ばれた。
いちどだけ、いじめをみかけた村の老婆がAを助けてくれたことがある。その老婆は少年たちを叱り、Aの両親へ事情を説明した。しかしAの両親は、子どものけんかに大人が口をだすのは恥ずかしいと、その老婆を冷たくあしらった。怒った老婆は二度とAを助けることはなかった。他人どころか両親にまで見捨てられ、Aは悲しみに打ちひしがれた。苦痛からのがれるために彼ができることといえば、少年たちから逃げまわることだけだった。
その日は、雨が降っていた。大粒の雨ならともかく、しとしとと降る程度では少年たちが遊びをやめる理由にはならない。Aは、なんどか少年たちにみつかり枝で叩かれながらも、必死に逃げまわった。隠れてやり過ごすことを繰り返しながら、家と反対方向にある村のいきどまりにたどり着いた。ぽつんとある井戸の影にかくれて息を潜めていると、雨が土砂降りへとかわった。
「さすがに帰ったかな」
小さな井戸の屋根を、雨粒が叩く音をききながら、Aはようやく安堵の息をもらした。
「雨がずっと降ってくれればいいのに」
「それは難しいですね」
突然きこえた声にAは驚く。いつのまにか、隣に見知らぬ女がしゃがんでいた。女の髪は黒く長く艶があり、華奢な身体に綺麗な服をまとっている。村の女たちとは違うその姿に、余計Aは困惑した。女は笑みを浮かべると、鈴の鳴るような透きとおる声でいった。
「不思議な話があるんです」
Aの困惑は深まるばかりだが、とっさに言葉もでず話に耳を傾けた。
「題名をつけるならば――――」
――――【ヒキコさん】でしょうか、そういって女は語りだした。
それは、雨の日に現れるという。白いぼろぼろの服を着た、人形のようなものを引きずっている女。
「子どもはぜったいに、その人と出会ってはいけません」
とある牛乳配達の青年がいた。青年の朝は早く、日が明ける前から牛乳を抱えて走りまわるという。その日は雨が降っていたが、配達に休みはない。青年は霧がでて視界が悪いなか、いつものように街を走り回っていた。配達もあと一本で終わりという頃、前方に人影をみつけた。こんな時間に人が歩いているなんて珍しいと青年は思った。誰か気になり、青年は足をとめた。距離が近づくにつれ、それは白い服をきた髪の長い女だとわかった。年頃の青年はつい顔が気になり、そのまま女を待つが、すぐに後悔することとなった。女の顔は、目が縦に伸びているかのように引き上がり、口は耳まで避けている。青年は声をあげそうになるのをこらえ、道のはじに寄って息をひそめた。女は青年を気にかけることなく、なにかを引きずりながら歩いていく。横を通りすぎるとき、それが血まみれの子どもだと青年は気づいた。今度こそこらえきれず青年は悲鳴をあげた。女はそれすら気にすることなく、そのまま霧のむこうへと消えていった。女のとおった道には雨ににじむ血のあとだけが残されていたという。
日が明けてから、教会の前に肉塊が捨てられていたという話が街中にひろまった。それを聞いた青年は、あの子どもは形がわからなくなるほど引きずりまわされてしまったのだと恐怖した。
話を聞き終えたとき、Aはけほけほと咳き込んだ。あまりのおぞましさから、気づけば喉までカラカラに乾いていた。急いで井戸の水を汲みあげ、喉をうるおす。水を飲んで落ち着いてから、Aは女に問いかけた。
「…………ほんとうにあったことなの?」
Aの問いに、女は笑みを返した。Aにはその真意がわからず困ったが、もう一度聞いても答えてくれないような気がしたので、違う質問を投げかけた。
「なぜその人は子どもを引きずっていたの?」
「彼女は、子どもの頃に酷いいじめを受けていました。その恨みから、いじめをする子どもを捕まえては、肉塊になるまで引きずるそうです」
Aはそれを聞いて、その女――――ヒキコさんに同情した。程度はわからないが、自身も同じようにいじめを受ける身だ。
もしかしたら、ヒキコさんのその裂けた口はいじめで受けた傷かもしれない。そう思えば、Aのなかで怖さよりも悲しさのほうが大きくなった。それと同時に、ひとつの思いがAの中で芽生えた。ヒキコさんがこの村にくれば、自分を助けてくれるのではないかと。ヒキコさんを呼ぶ方法を女にたずねようとしたが、いつの間にかその姿が消えていた。もしかしたら、いじめの苦痛がみせた幻だったのかもしれないと、Aは悲しみに打ちひしがれた。
――――――――――
翌朝、Aは両親の騒ぐ声で目覚めた。走って出ていった両親が気になり、その姿を探すように村の中心部へ向かうと、村自体が騒然としていた。村の集会場の前に人だかりができている。Aは鼓動がはやくなるのを感じた。大人の隙間をぬうようにして、騒ぎの理由をのぞこうとしたとき、それに気づいた村の大人に「みてはだめだ」と目を覆われた。しかしAの目には一瞬、血だまりのなかの肉塊がうつった。さらに、Aの鼓動は早くなった。
その後両親にみつかり、ともに家に帰ると、父からAをいじめていた少年の一人が失踪していることを告げられた。それから、きっと夜遊びをして獣に食い散らかされてしまったのだろうと説明をされた。父親からすれば、Aも同じような目にあわないようにと注意の意味もあったのだろう。しかし、Aは確信していた。ヒキコさんが助けてくれたのだ、と。Aは歓喜に震えた。両親は震えるAをみて、悲しみゆえにだと哀れんだ。その夜、また雨が降った。Aは雨音を聞きながら布団のなかで、いじめが終わるかもしれない、と期待し喜んだ。
翌日、また肉塊が同じ場所でみつかった。二日連続で起きた事件に村全体が不安に包まれるなか、村の少年たちは大人以上に怯えていた。大人たちは獣のせいだというが、少年たちはもっと理解のしやすい答えを求めた。
両親が仕事で家を空けた頃、Aの家に少年たちが棒をもって乱入してきた。さほど広くはない家で、Aはすぐに少年たちに拘束されると彼らから問い詰められた。
お前が何かしてるんだろうと、集団でAを取り囲み、いつものように殴り始めた。Aは痛みで声をあげもがく。いつもであれば、苦しみから逃げるため、抵抗するより隙をみて逃げること探す。だが、今回は違った。彼らもじきに死ぬという期待が、Aの心を歪ませた。Aは殴られながら、大きな声で笑いだす。Aの異様な挙動をみて、少年たちはひるんだ。その隙をみてAは拘束から逃れると、笑いながら声をあげた。
「お前たちが僕をいじめたから、ヒキコさんが罰を与えたんだ」
少年たちは、やはりAのせいなのだと、怯えと困惑の表情を浮かべた。
「謝ったら助かるかもね」
ニヤニヤと笑うAに、ひとりの少年が恐怖から声をあげた。ごめんなさい、二度としません! ひとりがいえば、自分も助かりたいとみな同じように謝った。声が震え泣きだすものまでいた。
「棒をもって謝っても、謝罪にはならないよね」
Aの言葉に、少年たちは掴んでいた棒を即座に手放した。やめてと泣いても叫んでも、いじめをやめなかった少年たちが、素直に従い懇願するさまに、Aは胸のすく思いを感じた。そして、床に転がる太い棒をみて、ひとつの考えが浮かぶ。Aはそれをひろい、ひとりの少年の腹を全力で殴りつけた。
「痛いでしょ? 僕も痛かった。許されたいなら、同じように傷をもつべきだよ」
身体をくの字にまげて少年が泣き叫ぶ声と、手に感じた暴力の手ごたえ。その快感にAは喜びを感じた。ほかの少年たちが逃げだしても、笑いを止めることができなかった。雨がふれば、また誰かが死ぬに違いない。そう思うと、胸の奥から湧き上がる歓喜がとまらなかった。足もとでいまだ呻く少年のひとりを見据え、Aは笑みを浮かべ棒を振りおろした。
――――――――――
それから、しばらく晴れの日が続いた。今日も犠牲者はなしかと、諦めてAが布団をかぶったとき、雨が屋根を叩く音がきこえた。Aは布団のなかで笑みをうかべ、次の犠牲者は誰だろうと妄想をふくらませる。
すると、急にAの足首がなにかに掴まれた。ふと顔をあげると、黒い人影がAをのぞきこんでいる。
「お母さん……?」
答えはない。目をこらし、暗闇のなかで影を見つめていると、その瞳が異様な形をしていることに気がついた。
「ヒキコさん!」
その瞬間、Aは胸が熱くなるのを感じた。少年たちに制裁をしたヒキコさんに、Aはつねに感謝の気持ちを抱いていた。いつか会えたならば、お礼を伝えたいと思っていた。
Aが口を開きかけた瞬間、足を掴んだ手が強い力で引かれた。ベッドからずり落ち、勢いよく地面に身体を叩きつけられる。痛みに呻くも、そのままAは地面に引きずられた。
「ヒキコさん! 僕は違う、違うよ!」
痛みが全身を襲うなか、Aは必死に声をあげたが引きずる力はかわらない。
「お母さん! お父さん! 助けて!」
寝ている両親に助けを求めるが、誰も助けに来ないまま家の外に連れだされた。雨のなか、砂利まじった土のうえを腹這いの状態で引きずられる。Aは必死に顔を守ろうと腕で守るが、腕に木の枝が刺さり悲鳴をあげた。抵抗の意味なく引きずられるうちに、その力は次第に奪われていった。どれだけ泣いても、叫んでも、ヒキコさんは止まらない。皮膚は破け血が吹きだし、道を赤く染めるが雨ですべてが流されていく。痛みが麻痺し、薄れゆく意識のなか、Aはなぜこうなってしまったのかと考えた。少年たちにヒキコさんのことを教えたのがだめだったのだろうか。それとも、殴ったことがいけなかったのだろうか。やり返しただけなのに、ヒキコさんにとっては自分もいじめっ子になってしまったのだろうか。見つからない答えを探すAの脳裏に、あの女の言葉がふとよぎった。
『子どもはぜったいに、その人と出会ってはいけません』
「そうか、出会ってしまったことがだめだったんだ」
――――その呟きを最後に、Aの意識は闇にのみこまれた。