中編
目を焼く程に白い陽光が、橙色を帯び始めた頃。
平浪とりんが囲む囲炉裏には様々な海の幸が入れられた鍋が掛けられ、そのぐるりに何本も立てられた串打ちされた魚が、香ばしい臭いを漂わせている。
「そろそろいいだろう。さ、好きなだけ食ってくれ」
「ありがとうございます。頂戴いたします」
平浪が鍋から椀にたっぷりの具を取り分け、りんに差し出す。受け取り、口を付けたりんの細い目が、心持ち丸くなった。
「大変美味しゅうございます。これは、どういった料理なのでしょうか?」
「どういったも何も、魚だの貝だの海藻だのを適当に放り込んで、塩振っただけさ。そいつらから勝手に出汁が出るんだ」
りんが目を三日月に戻し、頷く。
「成程。これは良い語り種になります」
「語り種?」
「はい。わたくしはあちこちを巡り手に入れた材料で、薬を拵えて売り歩いております。珍らかな話等を披露いたしますと、知らない土地でも商売がやり易くなるのです」
「へえ、そんなもんかい」
「はい。例えば……」
そう言って、りんは話し始めた。
都のお大臣を襲った大鴉の話。ある山でのみ採れるという美味な茸について。人の顔程もある大蝦蟇と猿の幾日にも亘る死闘。玉に閉じ込められた美しい花。
りんの話はどれも面白く、すっかり宴会気分になった平浪は濁酒の入った壺を持ち出すと、空の湯呑二口になみなみと注ぎ、それぞれ自分とりんの前に置いた。
「ああ、楽しくなってきやがった! こういう時は酒だよな! さあ、りんさんもじゃんじゃんやってくれ」
「お怪我の後の酒は良くないのでございますよ。仕方ございませんね、そのような身体に悪いものはわたくしが飲み干して、退治てしまいましょう」
どうやらりんも嫌いではないらしく、平浪に勧められるままに次々と湯呑を空ける。料理に舌鼓を打っては酒を干す。りんが語る。平浪も問われるまま漁師の生活等を聞かせる。
酒の力のお陰か、彼等は――少なくとも平浪は――随分と盛り上がっていた。
やがて、鍋の具も焼き魚も半分程に減って来た頃。
「にゃああ」
小さな鳴き声と共に何処からともなく三毛猫が現れ、囲炉裏の一角に腰を下ろした。
「おや、可愛らしいお客様でございますね」
「ああ、こいつは客じゃねえ、俺の飼い猫だあ。斑ってんだあ。いっつもあの穴から出入りしてんだよお」
「にゃあ」
白い顔のままのりんとは対照的に、日焼けした顔を酒で赤黒く染めた平浪が己の背後の壁の壁を覚束ない仕草で指差す。よく見れば確かに、床の近くにようやく猫が出入りできる程の穴が開いている。
りんは手にしていた湯呑を置き、居住まいを正した。
「斑様、と仰るのですね。初めまして。わたくしは『クスノキのりん』と申します。平浪様のご厚意で一夜の宿をお借りしております。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
「まったく、りんさんは丁寧だなあ。ほおれ、斑、お前も挨拶しろや」
「ふぁああ」
斑は大きくあくびをすると、囲炉裏でこんがりと焼けている魚をじっと眺めた。
「どれにするんだあ?」
平浪が声を掛けると、斑は前脚で、ちょい、と一本の串を指す。
「待っとれー、冷ましてやっからよお」
平浪が串に手を伸ばし、斑に負けない大あくびをする。そして、串を手にしたまま大の字に寝ころび、高いびきを掻き始めてしまった。
「にゃああ!」
抗議の声を上げる斑にばしばしと顔を叩かれても、平浪は一向に目覚める気配がない。一人と一匹の遣り取りを見ていたりんが、平浪の手から串をそっと取り上げた。
「折角気持ちよくお休みになっているのに、起こしては気の毒です。少々お待ちくださいませ、ただいまご用意いたしますから」
「……にゃあ……」
不満気に尻尾を床に叩きつける三毛猫の前で、りんは空けた椀に魚を解していく。皮と骨を除き、程よく冷めた魚入りの椀を置くと、斑はにゃあ、と一声鳴き、はくはくと食べ始めた。
その姿を眺めていたりんが、おや、と小さく呟く。
やがて、椀を空にして満足気に前脚で顔を拭い始めた斑に、
「おみ足に怪我をされておりますよ」
りんは斑の左脚の尻尾の近くを指さした。
「にゃ」
斑が鬱陶しそうに鳴く。りんは首を振り、
「傷が小さいからと言って、侮ってはなりません。膿んでしまってからでは遅いのです。もしも貴女様が痛い思いをなさったら、平浪様が胸を痛めましょう」
「……に……」
「ご安心ください、わたくしは薬屋でございます。どうぞ、そちらでお楽になさってくださいませ」
そう言って傍らの柳行李を開けると、中から布切れと小振りな瓢箪を取り出した。
「少々滲みますが、堪えてくださいませ。その分、効き目は確かでございます」
「…………」
しぶしぶと横になった斑の脚の上に、りんが瓢箪を傾ける。透明でとろみのある液体が、たらりと傷口に零れた。
「…………!」
「もう少しでございますよ。はい、もう、よろしゅうございます」
うー、と小さく唸る斑の傷口を、りんが布切れで軽く拭う。斑は身を起こし、りんの前に小さな両手を揃えて座った。
「暫くはお舐めにならないように留意なさってください」
「……にゃあ」
「お気になさらず。宿をお借りする身、これくらいは当然のことでございます」
「にゃああ」
「はい。明日には発とうと思っております」
「に?」
「いえ、少々探し物がございまして。この辺りに流れ着いたのではと思っていたのですが、見当たりませんでした。明日はもう少し南を探してみるつもりです」
「にゃあ」
「そうですね、これ位の長さで、体の横に毛が生えているいきものでございます。もしかしたらですが、ごく微かにわたくしと同じにおいが残っているかもしれません」
「……み」
「ええ。近しいものなのです」
「…………」
その時、平浪が「うーん」と唸って寝返りを打った。りんが口元に手を当て小声になる。
「つい燥ぎ過ぎてしまいました。明日も早いことですし、わたくしもそろそろ休ませていただくことに致しましょう」
りんは囲炉裏の墨を消壺に仕舞い、椀や湯呑を端に寄せると、
「それでは斑様、お休みなさいませ」
平浪と少し離れた処にごろりと横になった。それを見届けた斑は立ち上がり、とことこと壁に向かうと、そこに開いた穴に細くしなやかな身を潜らせた。