孤独騎士の誘惑①
この世界には寿退社という言葉があり、一般企業にはそれに近い制度が導入されている。
結婚して家庭を持つ者が望む場合、退職がしやすくする制度だそうだ。
騎士団にも一応、似たような習わしはあるようで、特に女性の場合は結婚をきっかけに騎士団を除隊するケースは珍しくないらしい。
愛に厳しいこの世界において、愛の妨げになるような行為は憚られる。
夫婦円満に愛し合うためなら、それを邪魔することは何人にも許されない。
俺は少し納得した。
アイギスが男の俺を敵視しながら、強引な方法でジーナを引き留める素振りも見せなかったのは、この世界の普遍のルールがあるからだ。
愛を邪魔する行動は、女神への裏切り行為となる。
加護剥奪とまではいかないものの、他者の愛を尊重し守ることも、騎士の役割らしいぞ。
「そういうわけだから! 私と結婚してくれ!」
「いや、無理だろ」
「なっ……なんでだよ! 結婚の枠は空いてるって言ってたじゃんか!」
「確かに枠は空いてるけど」
「なら問題ないだろ?」
「問題っていうか、そもそも俺、ラランのこと好きじゃないからな」
「なっ……」
ラランは驚愕していた。
出会ったばかりで彼女がどんな人間なのかもわからない。
一目ぼれするようなイベントもなかった。
さすがに今のステータスで好きになるほど、俺も惚れっぽくはないぞ。
童貞の俺なら突然のプロポーズにキョドッたり、告白をきっかけに意識し始めたりしていたかもしれない。
だが今の俺は非童貞!
妻は二人いて、夜の経験も積んでいる。
おかげで焦ることなく、毅然とした態度で振る舞える。
「成長したなぁ、俺も」
「タクロウ身長でも伸びたのか?」
「なんでもないぞ。カナタは可愛いな」
「え? おう。ありがとな!」
俺はカナタの頭を撫でて誤魔化す。
思ったことが口に出てしまっていたらしい。
気をつけないと変人扱いされる。
「はっ!」
カナタを撫でていたら、驚愕していたラランが我に返った。
「そういえば結婚って、好き同士じゃないとできないんだったか……忘れてたぁ」
「この世界の人間が忘れちゃダメだろ」
「興味ないこと一々考えないだろ? 結婚とかする気なかったんだよ! ジーナも私と同じだと思ったんだけどな」
「自分でも驚きだ。タクロウと出会ってから、新しい自分に気づける」
ジーナは自分の胸に手を当て、しみじみと語る。
「タクロウと結婚できたことは、私にとって人生最大の幸運だった」
「なんか照れるな」
「気持ち悪い顔して、痛い痛い痛い!」
「お前はいつになったら空気を読めるようになるんだ?」
(ジーナがあそこまで言うなんて……ヒビヤタクロウ……どんな男なんだ?)
ジーナが俺の顔をじっと見つめていることに気づく。
「そんなに見つめられても、急に好きにはなれないぞ」
「うっ、安心しろ! すぐに惚れさせてやる! これでも私は顔がいいからな!」
「自分で言うのか」
ボッチで人見知りな上にナルシスト入ってるタイプか?
どことなく地雷臭がするんだが……。
「とりあえず! まずはお前のことを教えてくれ!」
「いいけど、その前に一旦王都に戻ろう。話はそれからでもいいだろ」
「ダメだ! 結婚して既成事実を作ってからじゃないと辞めさせてらもらえないからな。逃げられても困るんだよ」
チッ、頭が回るな。
面倒そうだったら逃げるつもりで考えていたのに。
「待ってくれ。こっちも一週間というリミットがあるんだ。のんびりはしていられない」
「じゃあ一週間以内に結婚できるようにしてやるよ」
「ギリギリもダメだ」
「ダメダメばっかりだなジーナは! じゃあ何日まで許されるんだよ」
「そうだな……」
ジーナは頬に手を当てて考えている。
一週間が期限で、すでに一日は消費している。
余裕をもつなら前日には王都に戻りたい。
となれば、残された最大日数は――
「五日くらいじゃないか?」
「そうだな」
俺の意見にジーナが頷き、ラランに提案する。
「五日間だけ待つ。その間に結果が出るなら、私たちも協力しよう。タクロウと結婚するなら、ラランも家族の一員になるのだからな。カナタはそれでも構わないか?」
「あたしはタクロウとジーナがいいならいいぞ! タクロウが好きになる相手なら、きっといい奴だろ!」
曇りなき眼で熱い信頼を向けてくれるカナタを、今すぐ抱きしめたい。
我慢していたら、ラランが俺に呟く。
「随分と信頼されてるんだな」
「嬉しいことにな」
「ふーん……」
「なんだ?」
意味深な表情で見つめるラランに尋ねると、彼女は目を逸らして、別にと答えた。
「それじゃいろいろ教えてくれ! 異世界からきた転生者ってだけでも、私は興味があるからな」
「あたしらはどうしてればいいんだ?」
「適当に寛いでくれていいぞ? 余ってる部屋もあるし、しばらくここに泊まっていけばいい」
「だってさ、タクロウ! どうする?」
「じゃあお言葉に甘えるか」
ジーナの屋敷も快適ではったが、常に他人の視線を感じてしまう環境は、元ボッチの俺にはきついものがあったんだよな。
申し訳ないから言わないけど。
「じゃあさっそく質問していくぞ?」
「おう。何でも聞いてくれ」
四時間後――
◇◇◇
「はぁ……疲れた」
ラランの質問攻めからようやく解放された俺は、彼女の隠れ家にあるお風呂に浸かってくつろぐ。
まさか四時間ぶっ通しで話し続けるとは思わなかった。
「途中から俺じゃなくて元の世界の話だったしな」
俺の好みとか趣味とか。
そういう話の中にあった元の世界の話に興味が逸れて、質問の内容も俺に対するものではなくなった。
気持ちはわからなくもない。
ここが俺にとって異世界であるように、彼女たちにとって俺が生まれた世界は異世界だ。
興味を抱くのは必然。
カナタやジーナも俺の話に耳を傾けていた。
サラスだけは両方を知っていて興味もないから、適当に周囲を散策して疲れて寝ていたけど。
「さすがにしゃべり疲れた」
今夜はゆっくり休もう。
そう思ったところで、がしゃっと浴室の扉が開いた音がする。
カナタかジーナがやってきたのか。
期待した俺が目にしたのは、見慣れない体型だった。
「お、お邪魔するぞ!」
「……何してるんだ? ララン」
タオルで前を隠しながら、恥ずかしそうにラランが浴室に入ってきた。
冷静に質問する俺に、彼女は赤面しながら応える。
「見ての通り、一緒に風呂でも入ろうかと思ったんだよ」
「なぜ?」
「な、なぜって! 惚れさせるために決まってるだろ!」
「ああ、そういう」
俺としたことが鈍感だった。
質問攻めも、元をたどれば俺と結婚するための情報集めだったか。
異世界談議に熱心で、本来の意図を忘れていた。
「お色気作戦か」
「そうだよ! というか、お前はなんでそんなにも普通なんだ! 女が裸で風呂場に入ってきてるんだぞ! もっと慌てたりしろよ!」
「悪いな。俺はもうそういう童貞っぽいことは卒業したんだ」
「なっ……」
ラランは驚愕し、口と目を大きく開けて固まった。
かつて俺はボッチの引きこもりだった。
ニートではない。
働いてはいたから、そこは断じて違う。
だがこの世界に転生し、結婚をきっかけに多くのことから卒業した。
家族を持つことでボッチを脱し、夜の営みに逢瀬することで、童貞を卒業した。
わかるだろうか?
今の俺は人として、男として新たな次元に立っている。
「女性の裸程度で慌てたりしないのさ」
と、無駄に格好つけてみる。





