■第7話 三メイドと身支度
セットさんとシャインさんが衣装棚の脇に立ち、左右の扉を開いてみせた。
大きな衣装棚いっぱいに色とりどりの服が掛けられていて、圧倒される。好きなものを選べと言われても戸惑うばかりだ。
「……えっと、お勧めのものはありますか」
傍らに立つライズさんに困った視線を送ると、彼女はこくりと頷いた。
「陛下からは『城から逃走する気配があれば流行りの服だと言ってさり気なく罪人護送用の拘束衣を勧めて機動力を削ぐように』と指示を受けております」
「すみません逃走の意思はないので大丈夫ですあと流行りだと言われて拘束衣を選ぶ人間がいるかと叫びたいのですが」
この場にいないというのに突っ込みを休ませてくれない皇帝陛下だ。
「それは安心しました。念のため灰色で味気ない拘束衣を桃色に可愛く染め直して備えてはおりましたが、やはりリーニャお嬢様にはもっと可憐なお召し物で装っていただきたかったので」
ライズさんの気遣いの方向性が謎だけれど彼女の優しさは伝わったし、可憐な服を望んでくれていることが気恥しくもあった。そして桃色の拘束衣を持ってこられなくて本当によかった。
「では僭越ながら私共の好みでお選びいたしますね。選定の参考にしたいので、何かしらご要望はないでしょうか。淡色がいい、派手なものが好きと言った、漠然としたもので構いませんので」
「そうですね……」
確かに何の指針も示さずにお勧めを求められても困るだろう。今の自分が衣服に求める要素で一番大事なことを考える。この城から逃走を図るつもりはないのだけれど、なんかこう、なんとなく、万が一のために、身軽な方がいいなと本能が告げた。
「動きやすいものがいいです。あと、あまり豪華じゃないもので……」
衣装棚にずらりと並んだ服の中には、豪華絢爛を形にしたようなドレスも見えているのだが、あんな大層な衣装で身を固めて普通に歩ける自信がない。裾を踏んで転びそうだ。あと、高価過ぎる衣服は汚すのが怖くて、その点でも普通に歩ける自信がない。
「かしこまりました」
「なるべく装飾品も少ないもので」
「お靴も踵の低いものを合わせましょう」
私の希望を取り入れ、てきぱきと服の選定を始める三メイドのみなさん。靴にまで配慮をしてもらえてありがたい。
「あと、できれば自分で脱ぎ着がしやすいものだとありがたいのですが」
皇帝陛下が私を寝間着で家に帰すとは思えないから、ここで選んだ服を着て帰ることになるのだろう。さきほど三メイドは当然のように私を脱がしにかかったので、城では服の着脱を人が手伝うのが通常運転なのかもしれない。その認識のままに、一人で脱げないような難解な構造の服を着せられてしまうと、家に帰ってから困ってしまう。
と思って言ったのだけれど、三メイドが急に目を輝かせた。
「脱ぎやすいつまり脱がされやすい服」
「陛下が脱がせやすい服」
「展開が早い」
「すみません違いますもう一度言います自分で脱ぎ着がしやすい服でお願いします」
「可愛さよりも妖艶さに寄せた服を選ばないと」
「あえて清楚系のままというのもあり」
「下着の方も選び直さなければ」
「自分で、脱ぎ着が、しやすい服で、お願いします」
死んだ目で再三要求すると、三メイドたちは「かしこまりました……」と残念そうに選定作業に戻った。残念がるんじゃない。
三メイドは「予選」を勝ち抜いた服を代わる代わる私に当てて、「あり」「良き」「だがこれも」と悩み出す。もはや私は棒立ちで黙っているだけなのだが、こんな風に誰かに真剣に悩まれながら服を選ぶことなんて今までなかったから、ちょっと新鮮な気分だ。
「選び抜きました」
「これぞ一推しですの」
「この服しか勝たんですわ」
三メイドたちの厳しい「本選」を勝ち抜いた服は、水色の襟付きワンピースだった。裾に襞があしらわれたくらいの控えめな装飾で、丈も床を摺るような長いものではなく、歩きやすい。要望通り、自分でも着脱が可能な意匠だったけれど、三メイドの意向で着せてもらう。
ワンピースに合わせて選ばれた靴下と靴も一緒に履かせてもらう。服を着せてもらった時にも思ったのだけれど、どれも丁度いい大きさだった。たぶん、衣装棚に用意された服も靴も全て、私に合った大きさのものなのだろう。
その点については、うん、もう、驚くまい。もはや自宅も来歴も筆跡も把握されている身である。採寸前に身体の概寸まで事前に把握されて服や靴を用意されていてもおかしくない。だって皇帝陛下だもの。
着替えが終わった後は、ライズさんに促され、立派な造りの化粧台の前に腰を降ろした。
ぴかぴかに磨き上げられた大きな鏡には、たぶん人生で一番上等な服を着ている自分が映っていて、まじまじと観察してしまう。
特別目を惹く容姿でもない、普通の町娘。栗色の髪、同じ色合いの瞳も、皇帝陛下の銀の髪と赤い瞳という希少さと比べるべくもなく、帝国ではごく一般的なものだ。
この別段珍しくもない髪と瞳の色を、「焼き上げたパンの色と同じ」「焼き立てパンの妖精のごとし」と、世にも類まれな美しさとして称賛してやまないのは、うちの父母くらいだろう。
鏡に映る自分自身はいつもと変わらないのに、服だけ急に貴族のお嬢様風。ちょっと恥ずかしい。でも一度はこういう服も着てみたかったので、選んでくれた三メイドのみなさんにお礼を言いたい。
が、別任務があるのか、セットさんとシャインさんは「失礼いたしますの」「失礼いたしますわ」と退室していった。残ったライズさんは、白い布で私の肩周りを覆ってから、身嗜みの仕上げにかかる。
長い髪をブラシで梳かされ、いい匂いのする香油を馴染まされる。「少々整えさせていただきます」と言ったかと思うと、ライズさんはどこからともなく鋏を取り出し、閃く、としか言いようのない速さで毛先を切り揃え始めた。一瞬で終わった。手にしていたはずの鋏も一瞬でどこかへ仕舞われていた。
「ライズさんは手練れの鋏使いか何かですか……?」
「滅相もございません。担当武器はナイフ、他の刃物は少々嗜む程度です」
とても物騒な世界の扉が開きそうだったので手芸用品か調理器具の話だと思うことにしてこれ以上踏み込むのはよそう。
枝毛を切られ、毛先を整えられ、丁寧な手付きで梳かされた髪が、すっかり艶を帯びる。ライズさんは一人頷くと、鮮やかな手捌きで髪を編んで結い上げ、仕上げにワンピースと同色のリボンを結び、無表情ながら満足気に「完成です」と言った。
服を覆っていた白い布が取られ、全身が映る姿見の前に案内される。改めて、三メイドの手で整えられた自分の姿を見た。
普段、三つ編みにしているか否かの二択しかない自分の髪が優雅に結われているのは、見慣れなくて不思議な気持ちだ。三メイド推薦の上品な服と合わさって、中身は私のままでも、見た目だけなら良家の子女と言う感じがしなくもない。
そう言えば昔、幼い私に神官様がどや顔で語ったことがある。
『いいかリーニャ。人間はその社会的立ち位置を見た目で9割判断される。そしてその見た目の9割は衣服や髪の整え方、要するに身嗜みで判断される。つまり神官の服を着ている俺は、ほぼ間違いなく神官だと断じられるわけだ、中身に関係なくな。いや無免許じゃないから。ちゃんと神官だから。ほらこれ見ろ偉い神官しかもらえない徽章なんだぞ。こらリーニャ詐欺師を見るような目で恩人を見るんじゃありません』
今の私を初対面の人が見たら、皇帝陛下が連れていても問題のない、ちゃんとした令嬢だと思うのだろうか。
衝立を隔てた会話で「恋に落ちた」らしい皇帝陛下の好意は、私の見た目に左右されるものではないのだろう。けれど、今の姿で現れたら、何かしら反応をするのだろうか。
ふと我に返り、鏡に映った自分を見つめているのが恥ずかしくなり、ちらりとライズさんの方を見る。ライズさんは無表情のままこくりと頷き、「推せます」と言って親指を立てた。ちょっと何を言っているのかは分からないけれど、たぶん褒め言葉だ。
音も気配もなく部屋に戻って来ていたセットさんとシャインさんも、身支度を整え終わった私を見て、「推せますの」「推せますわ」と言った。どこに推薦されているのかは分からないけれど、たぶん褒め言葉だ。
「あの……ありがとうございます。素敵な服を選んでいただいて」
最初は、全員揃って無表情で隙のない所作で気配を消し気配を読む謎の精鋭感がちょっと怖かったけれど、短いやりとりのなかで、今やすっかり親しみを抱いている三メイド。
やっとお礼を言えたら、ライズさん、セットさん、シャインさんは、雄弁な無表情のまま、一糸乱れぬ美しいお辞儀を返したのだった。