■第14話 皇帝陛下の兄
「……え、陛下の、お兄さん……?」
驚愕しているこちらと対照に、青年はあっさり「うん」と頷いた。
「今日は未来の妹であるリーニャちゃんに挨拶にきました。シルヴィスのお兄ちゃんとして、君にはそりゃもう積もる話が……あっ、でもリーニャちゃん仕事中だもんね。また会った時にゆっくり話そっか。えーと、顔は見てないけどとりあえず挨拶はできたし、シルヴィスに頼まれてた招待状も渡せたし、よし完璧。じゃあね!」
「え、あ、まっ」
引き留める間もなく、皇帝陛下の兄を名乗る青年は軽やかに懺悔室から退室してしまった。
「陛下のお兄さん……」
そう言われても俄かには信じられない。
帝国の現皇帝に、兄弟はいない。
だって、彼は最後まで生き残ったからこそ、皇帝の座に就いているのだから。
それにこの国の皇族は銀髪であるはずだ。けれど、あの青年の髪は金色だった。
結論、最高に怪しい。でも顔が似ているのは確かだし、あの青年が封筒を私に渡す時に見せた表情なんて、皇帝陛下が事を思い通りに運ぶ際に浮かべる素敵に不敵な微笑みと瓜二つだった。結論、とても判断に困る。
「……」
一応、受け取った封筒を改めて確認する。差出人の名は間違いなくシルヴィス・ハイドラ。筆跡についても、もはや見慣れてしまった皇帝陛下のもので間違いない。
封を開け、中身も確認する。いつも自宅に送られてくる招待状と同様、時候の挨拶と招集日時とおやつの内容が記された、お茶のお誘いの手紙だ。今回のおやつはメロンのケーキらしい。最高か。いや一旦おやつの件はおいといて。確認したかったのは、これが確かに皇帝陛下からの手紙ということだ。そしてそれは間違いないと確信できた。
ゆえにこの招待状を持参してきたあの青年は、兄かどうかの真偽はともかく、少なくとも皇帝陛下に関係する人間ではあるのだろう。服装だって宮廷務めの人の制服だったし。
「……まあ一応、不審者ではない、のかな……?」
メロンのケーキへの招待状を大事に仕舞い、懺悔室の椅子に座り直す。青年のことが気になって仕方がないけれど、今は勤務時間。バイトに集中だ。メロンのケーキ。バイトに集中だ。
というわけで己を強く律して雑念を排し、懺悔室の聞き手の役割に専念した。
「お気をつけて」
そして本日最後の来訪者を見送り、懺悔室バイト午後の部をつつがなくやり終えた。
お昼休みの後に「夕方には戻る」と言って姿を消した神官様が帰って来るまで、まだ時間がある。仕方がないから教会の掃除でもして待とう。でも小腹が空いたから、その前に事務室の戸棚にあるクッキーでもつまんでおこう。
と考えながら懺悔室を出ると、教会内に並んだベンチの一つに、ぽつんと一人で座っている人物が目に入った。金髪の青年は懺悔室から出てきた私に気付くと「あ」と嬉しそうな声を上げた。
「リーニャちゃんだよね? お疲れさまー。君のお義兄さんだよー」
数時間前に別れたばかりの、皇帝陛下のお兄さん(仮)である。
「じゃ、話の続きしようか!」
「……」
『また会った時に』って、今日のことかい。
「もしや私が勤務を終えるまでここで待っていたのでしょうか」
「いやいや、さすがに一旦は仕事に戻ったよ。そしてまたサボりに来た訳だよ。僕はサボるために全力で仕事をして、手を抜くために手を尽くしてるから」
青年は努力家なのか否か判断に困る発言をしてから、「まあまあ座って座って」と、自分の隣をぽんぽんと叩いた。棒立ちで話を聞くのも何なので、促されるまま青年と同じベンチに、ちょっと間を開けて座る。
青年は興味津々と言った様子で、らんらんと目を輝かせて私を見た。衝立なしでの初めての対面なので、青年からすれば私の姿を見るのはこれが最初になる。
「君がリーニャちゃんかあ。ふふ、可愛いなあ。僕の未来の妹がこんなに素敵なシスターなんて嬉しいなあ。そうかあ。君があいつの好きな女の子かあ。感慨深いなあ」
せっかく取った距離をあっさり詰められ、大型犬よろしく頭をぐりぐりと撫でられる。なぜ。なぜ撫でる。宮廷関係の人だとしても素性不明な人には変わらないので、警戒して二メートルくらい距離を取ろうと思って腰を浮かせたら、青年は「あ、そうだ。おやつにシュークリーム買ってきたんだけど食べる?」と言った。いい人である。
大人しく座り直した私の隣で、青年は持参してきたらしい大きな籠からシュークリームを二つ取り出す。水筒とグラスも出して、二人分のお茶を注いでくれた。爽やかな香りのハーブティーである。おやつにお茶まで用意してくれるなんて。確実にいい人である。
「ありがとうございます。いただきます」
「どうぞどうぞ。このお菓子屋さんのシュークリーム好きでよく買うんだー。今日は期間限定の桃のクリームにしてみました」
「最高ですね」
「ねー。絶対美味しいやつだよねー」
そして始まる和やかなおやつタイム。果たして礼拝室は飲食可だったかな、あとで神官様に怒られるかな、ふと浮かんだそれらの懸念はシュークリームにかぶりついた瞬間に雲散霧消、幸せな気持ち一色でクリームのとろける甘さを味わっていると、同じくシュークリームを食べている青年が目を細め、優しい声で言った。
「シルヴィスがやたらと君におやつをあげたがる理由が分かったよ」
皇帝陛下の名前が出て、我に返った。そうだった、この人の言葉の真偽を確かめなくてはならない。
咀嚼し終えたシュークリームを飲み込み、気を引き締めて油断のない目を向けた私に、青年は人懐こそうな笑みで応じて、片手を恭しく胸に当てて自己紹介をした。
「二度目まして。僕はエオルス・レスト。シルヴィスの兄だよ」
「……リーニャ・コールです」
すでにリーニャちゃん呼びをされている以上、相手は私のことはある程度は把握しているのだろうけれど、一応こちらも名乗り返す。
しかし皇帝陛下の兄を名乗る割に、家名が「ハイドラ」ではないのはどういうことなんだろう。髪色の件もあるし、やっぱり兄というのは虚偽なのでは……というこちらの疑念の眼差しに気付いたようで、青年もといエオルスさんは「怪しい者じゃないよ!」と慌てて言った。
「ちゃんとシルヴィスのお兄ちゃんだよ! ほんとほんと! いやまあ御覧の通り皇族ではないんだけどね。おかげで皇位継承争いに参加せずに済んで、今生きているわけだけれど」
おどけたように言って、エオルスさんは自分の金髪を摘まんでみせた。
「皇族ではないけど、陛下のお兄さん……?」
「うん。えーと、ちょっと長くなるけど説明するね」
そしてエオルスさんは、自身と皇帝陛下の生まれについて話を始めた。
ハイドラ帝国の皇帝は代々、北領公、南領公、西領公、東領公の四大貴族から妃を取るのが通例なんだ。そして次代の皇帝争いは、四大貴族の代理戦争の側面も持っている。皇帝の母親の生家がその代の権勢を誇る。なんとも分かりやすいし、いちいち本当の内紛を起こすよりはずっと被害が少なくて済むから、まあまあ理に適ってるのかな。
西領公出身の母を持つ先代皇帝は、母方の血筋から妃を選んではならないという慣習に則り、北領公、南領公、東領公からそれぞれ一人ずつ姫を娶った。皇妃たちはそれぞれ一人ずつ子を成した。第一皇子、第二皇子、第一皇女だね。
ゆえに、今代は北領公、南領公、東領公での争いになるはずだったんだけど。
先代皇帝が、四人目の女性を娶った。
皇帝が四人目の皇妃を得ること自体は珍しくはない。皇妃の数に制限はないし、四大貴族以外の有力貴族から輿入れした例だって、これまでにもあるしね。
ただ、今回の四人目の皇妃については、ちょっとした騒ぎになった。
何が問題視されたかと言うと、彼女の生家が皇帝の妃にはおよそ釣り合わない階級の貴族だったことと――。
すでに皇帝以外の男との子供がいる、未亡人だったことだ。
四人目の皇妃と前夫との子が、エオルス・レスト。
その後に生まれた先代皇帝との子が、シルヴィス・ハイドラ。
「そしてシルヴィス・ハイドラは皇帝になり、エオルス・レストは弟のもとで働く事務官となったのでした。めでたしめでたし」
エオルスさんはまるでお伽話のように、そう締めくくったのだった。




