■第10話 皇帝陛下と休憩
右にポメコ、真ん中に私、左に皇帝陛下という、移動時と同じ並びでベンチに座る。
これまでの人生でベンチに腰掛けた回数は数え切れないけれど、自国の皇帝と隣り合ってベンチに座る日が来ようとは思ってもみなかった。人生は何が起こるか分からない。
なお、ポメコの紐を離した右手は解放されているが、左手は依然、皇帝陛下に握られたままである。なぜ。引率目的ならまだしも、なぜ着席時に手を繋がれる必要が。駄目だ。気にしたら負けだ。だって皇帝陛下、人を揶揄って楽しんでいる奴の表情である。反応したら負けだ。
精神安定のため、傍らのクッションで伏せをするポメコを撫でる。早くもお昼寝に移行しているポメコに急速に癒されていると、皇帝陛下が「そういえば」と言った。
「さきほど言っていた『知り合いの神官様』とは、リーニャがシスターをしていた教会の神官のことですか?」
「え、はい」
「やはりそうでしたか。確かにあの人なら言いそうですね」
「陛下は神官様と知り合いなのですか?」
神官様のことを知っているような様子だったので訊ねると、首肯が返ってきた。
「リーニャのことを調べる過程で接触して仲良くなりました。リーニャ情報の主な出所は彼ですね」
神官様かい。
「あとで神官様には個人情報保護の観点を説きたいです」
「リーニャとの結婚を望んでいることを告げたら、ぜひ協力すると言ってくれて。『リーニャが皇帝に求婚されてるなんて面白い話に乗らないわけがない』と。人の恋路を応援してくれる、いい人です」
あの神官め。
「本当にいい人は面白いからという理由で協力しやがらないです」
「賄賂、間違えた、教会への寄付をお渡ししたら、それはもう快くリーニャ情報を話してくれました。彼とは話が合うので今後も懇意にしたいですね」
神官あの野郎。
「賄賂の横行だ……大人同士で汚いんだ……」
ほくほく顔でお金を受け取ったであろう神官様の脛を蹴りに行く決意を固める私の仏頂面を見て、皇帝陛下が「まあまあ」と宥めに入る。
「彼が情報をくれなかったとしても遅かれ早かれリーニャのことは調べ尽くすつもりでしたし、いいじゃないですか」
「宥め方の方向性がおかしいです陛下」
「それに、あの人のお金の使い道は素敵じゃないですか」
「……まあ、そこは認めますけど……」
お金儲けが大好きな神官様の主なお金の使い道は、貧しい孤児院の支援等の人助けである。彼は屋根の修理代の捻出にも困る小さな教会に在籍しながら、なんやかんや走り回っては人助けに精を出している。
なお、神官様は人助けを「趣味みたいなもん」と言っており、つまりは趣味で使うお金を受け取って私の個人情報を流したと言う事であり、すなわち純然たる賄賂受領、脛を蹴る予定は変わらない。まあ、少しは手加減するにやぶさかではないけれど。
「情状酌量で神官様への蹴りは二連撃に留めます」
「それは優しい。ところで俺も蹴られるのでしょうか」
「陛下に蹴りなんて入れたら不敬罪では済まないので、その分を神官様に回しての二連撃です」
「それは優しい」
このやり取りの時点ですでに不敬な気もするけれど、皇帝陛下は面白そうに笑っている。思い返すと、私はレモン水を飲みながら誓った「身分をわきまえる」を実行できていないのだけれど、この際、物申したくなるような言動ばかりする皇帝陛下が悪いのだと責任を丸投げしよう。
「教会管理の孤児院にはあまり環境がよくない施設もあるのですが、国が手を出したり、実態を把握することが難しいんです。あの神官はそのような施設に対して、謎の人脈と手管で独自に支援をしている。今後も彼には継続的に賄賂を渡すつもりですが、大目に見てあげて下さいね」
賄賂と偽悪的な表現はしつつも、その実、神官様のお金の使途を把握したうえで、彼を経由して福祉に資金を回す算段であることが分かって、少し見直した。神官様が喜んで応じることも、お金を悪用しないことも確信した上での賄賂なのだろう。なんだかんだ、しっかり者の皇帝陛下である。
「あ。では、陛下が懺悔室に来た時の、あの多額が過ぎる寄付金は、最初から神官様の使い道を知った上で?」
「いえ。あれは単に相場を分かっていなかっただけです」
「あ、そうなんですね……」
やっぱりちょっと抜けている皇帝かもしれない。
「リーニャを調べる過程であの教会のことも調べ、そこで初めて彼の活動を知った次第です。結果的にいい人に寄付ができたのは幸いでした」
「……陛下、金貨の袋じゃりんは、あの規模の教会への寄付としては一般的でないということを、ご留意くださいね……? 心臓に悪かったですよ……?」
当時の心境を思い出しながら訴えると、皇帝陛下は「それは悪いことをしました」と苦笑した。
「政務として訪れることはあっても、個人的に教会へ行ったのはあれが初めてだったので、勝手が分からず」
「初めて……?」
そう聞いて、懺悔室バイト初日から抱いていた疑問を思い出し、この際なので聞いてみることにした。
「陛下はなぜ、あの教会に来たのですか?」
あの辺りは皇帝どころか貴族が通るような場所でもないから、通りすがりという訳でもないのだろう。皇帝陛下があの教会をわざわざ目指してきたことは間違いない。
初めて教会を訪れようと思ったからには、それなりの理由があったのだろう。帝都にはもっと大きくて立派な教会もあるし、神教の本部とも言うべき、神聖地区を擁する大聖堂だってある。皇帝陛下のような人が訪れるなら、そちらの方がよほど相応しいだろうに、なぜ下町のみすぼらしい教会を選んだのだろうか。
「人に勧められて、ですね」
「人に……?」
「部下の中にものすごく仕事をサボるのが上手な事務官がいて。本当、働けよこの野郎と思うこともしばしばある困った奴なのですが」
いつも私に丁寧な口調で話しかける皇帝陛下の口から、働けよこの野郎という粗雑なフレーズが出てきて少し驚いたけれど、その表情は穏やかなままで、なんとなく「あいつも仕方のない奴だなあ」みたいな、気安い雰囲気が滲んでいた。
「その事務官に、あの教会を勧められて……」
と、皇帝陛下が途中で言葉を切った。




