心境の変化
「花瓶あるかしら?」
「持って来ますね、少々お待ちください」
パールが持って来た花瓶は2つ。どっちがいいかな…と両手に持って考える。
「(………はっ!?お嬢様、まさかその花瓶でご自分の頭を…っ!!)重いでしょうお嬢様!?私達がお持ちしますからっ!!」
いや…膝の上に乗せてるんだから重くはないけど。
まあいいわ。ベッドに腰掛けて、エマとパールが少し離れた所に花瓶を持って立っている。
「んー…そっち。エマの持ってる丸い花瓶にするわ」
「はい、ではお花を生けておきますね」
さて…この後どうしましょう。
叔父様は1週間滞在するって言うし…と思考を巡らせていたら、誰かが扉をノックした。
「その…トアです」
「トア様?」
まさか来るとは思わず驚いた。
扉を開けると、彼は裾を握り締めて立っていた。
「あの…外に行きませんか?」
「外に?」
「伯父さんから聞きました。イグリットさんはここに来てから、ずっと屋敷で過ごしていると」
「ええ、まあ…」
「僕はここに来る度、よく近所の子と遊ぶんです」
え。島は平民と貴族が随分近いのね?
王国では酷い場合、平民を家畜扱いする貴族もいるもの…
「大人は弁えてますが…子供同士はそんなものなんです。
あの、無理強いはしませんので…」
トア様は気まずそうに顔を逸らす。
貴族令嬢が、平民と一緒に外で遊ぶなんて…なん、て…
「分かりました、支度しますね」
「…!はい、では玄関で待ってます!」
彼はパアァ…と顔を明るくして走って行った。
ここは王国ではなく、私はただのイグリット。郷に入っては郷に従え、ってね。
シャツとハーフパンツに着替えて、背中まである髪はポニーテールにして部屋を出る。
玄関に行くと、トア様も最初のラフな格好に戻っていた。
「お待たせしました」
「あ…」
…?彼は何を固まっているのかしら。変な格好だった…?
確かに貴族女性がズボンを穿くなんて、王国じゃ非常識だったけど…パールは「これで平気です!」って言ってくれたのに。
「その…さっきのドレスもお美しいですが、今の格好も可愛らしいでひゅ」
「…ありがとう、ございます?」
「………行きまちょう!」
……トア様、首まで真っ赤。
ちょっと…可愛いかも。
「ねえ、トア様」
「ふぇいっ!?」
「私のことは、イグリットとお呼びください。どうか敬語もなしになさって」
美しいとか、可愛いとか…お世辞だってのは分かってる。
レディを褒めるのは紳士としてマナーだもの。
本当に可愛いっていうのは、アウロラのような娘を指すものよ。
でも…緊張しながら褒められて、なんだか嬉しい。
流暢に社交辞令を言う人よりずっと信用できるわ。
「ぼ、僕のこともトアと呼んで!えっと…いとこに、なる訳だし…」
「うん…トア」
「……………」
トアはふにゃりと笑ってくれた。
その笑顔が…演技かもしれないなんて。疑ってしまう自分が嫌になる。
「…どうしたの?イグリット」
「いいえ…」
お母様大好きなお父様は、信頼できる。
だけど他の人は…エマもパールも、いつか私を裏切るんじゃ。みんなみんな…
だって…みんな、私を見捨てたんだもの…
「……ット、イグリット!」
「あ…っ」
気付けばトアに両肩を揺さぶられていた。
「具合が悪いの…?無理はしないで」
「いいえ、大丈夫…。だけど…やっぱり遊ぶのは…」
やめておく、と言いかけて。
「あーっ!トア様、来てたんですねー!!」
え?どこから声が…あっ。
屋敷を囲む柵の向こうに、数人の子供がいる…?みんな獣人の子だわ。
「やっぱり、あの馬車そうだと思ったんだよー」
「そちらは誰ですかー?」
「み、みんな待ってて!イグリット、君は部屋に…イグリット?」
「「お嬢様?」」
子供は3人。それは、いいんだけど。1人…
めっちゃ首長いのがいるわ…
あの子キリンかしら?なんで…肩までは普通の子供なのに…首だけ……
「……ふ……んふふ…っ!」
ちょ…アンバランス、すぎて…っ!
駄目よイグリット、人の容姿を笑うなんて、失礼なんてレベルじゃないわ。
「綺麗な子だねえ、お嬢様かな?」
ぶっっっ!!!!
キリンの子が…首を傾げて…っ!分度器欲しい…角度測りたい…!
首の長さと肩から下が同じじゃない?2頭身ってやつじゃない?それ生活しづらくない?
「わああっ!?蜂だー!」
「「ぎゃーーー!!」」
「ぶーーーっ!!!!」
キリンの子が、首をぐわんぐわん振って、横の2人をふっ飛ばした…っ!!
「……あっははははは!!!あは、んははははっ!!!」
「イ、イグリット…?」
「ごめ、ちょ…っ!ひぃーーーっやはぁははっははは!!!」
とっても些細なことなのに、面白くて仕方ない!
こんな風に、大声で笑うなんて初めて!
だって淑女は必ず口元を手か扇で隠して、小さく「うふふ」と笑うべきで。
「げほっ!ごほおっ!!んふふ…ぶわははははっ!!!のほほほほっ!いやむり!!」
無理、微笑んでなんかいられない!!
私は地面に転がり笑い続けた。
笑いすぎて咳き込むし涙は出るし。
トア、エマ、パールがオロオロとしているけど、ごめん止まらない!
地面をバンバン!と叩いて手も痛くなるし、服は汚れるけど!
結局私が落ち着くのに、30分かかったのである…
*
「大丈夫…?」
「なんとか…」
冷静になれば…どうしてあんな大笑いしてたのか理解不能ね。
トアの助けを借りて、ヨロヨロと立ち上がった。
「何がそんなに面白かったの?」
「なん…だろう…?」
「ええ〜…?」
そんな困り顔されても、本当に説明できないのよ。
でもエマは微笑んでる…ちょっと、いやかなり恥ずかしいわ…
「それより…」
柵のほうに目を向けると、変わらず3人の子がいる。
もう長い首を見ても笑わないわ。
「彼らが一緒に遊んでる子?」
「うん。左からキリエ(キリン)、ターニャ(狸)、マイク(熊)だよ」
私はこほん、と咳払いして彼らに歩み寄る。
どうやらみんな10歳前後みたいね、新参者の私に興味津々みたい。
「初めまして、私はイグリット。貴方達の領主の娘よ」
「はじめまして!イグリット様は人間ですか?」
「ええ。私も仲間に入れてもらえる?」
「「「もちろん!」」」
3人は満面の笑みで答えてくれた。よかった…
女の子であるターニャが手を伸ばし…そっと取った。温かい…
「みんな、イグリットはここに来たばかりなんだ。今日は町を案内してあげよう」
「「「はーい!!」」」
わわっ!みんな元気いっぱいに走り出す…もちろん私も。
チラッと後ろを向けば、狼騎士が2人こっそりついて来る。護衛はいるわね。よし。
ガヤガヤと、町は活気が溢れている。
いらっしゃーい! 安くしとくよっ! そこの別嬪さん、寄ってってー! もうひと声!
呼び込みの声が新鮮だわ。あれは値切りってやつかしら?
そして獣人が多い…人間もちらほらいるけど、化けているだけかも?
キリエも今は人間の姿だ。やっぱりあの長い首は不便らしい…
それにしても、いい匂い…何か屋台で食べてみたいなぁ。でもお金を持って来てないのよね。
「エマ、パール。お財布ある?」
「うふふ、お嬢様。お金の心配はご無用ですよ!」
「?」
パールは得意満面だけど…ああ、ツケかしら?
私達は大通りを堂々と歩く。
みんな、トアの姿を見ると目を輝かせた。
「お久しぶりです小領主様!おや、そちらのお嬢様は…もしや!領主様のご令嬢ですか!?」
「そうだ。彼女はイグリット、みんな覚えておくように」
「「「おおおおおっ!!」」」
え、何?思わずトアの背中に隠れる…あ。
尻尾触っちゃった、いけないいけない。
「ねえトア、尻尾を仕舞ったほうがいいわ。うっかり触っちゃうもの」
「………いや、事故だし、いいよ、うん。化けるの、少し疲れるから、さ」
そうなの?キリエは「そいやっ」と簡単に変化してたけど…個人差があるのかしら?
でも本人が言うんだからいいわよね。偶然を装ってモフってしまおう。
「(……触ってる。可愛い…)」
モフモフ。お父様の尻尾よりやや硬いけど、大きくて温かい。
思いっきり抱き着きたい…我慢我慢。
ん?トアの尻尾が私の腰に絡みついた。本人気付いてないのかしら?
なんだか領民が騒ついてるわ。
「おい、小領主様が尻尾を触らせてるぞ…」
「てことは、まさか」
「イグリット様は小領主様の…!?」
私はこの時まだ、獣人の特性を理解しきっていなかった。
事故で触れていいのは1度だけ。それ以上を許すのは…特別な存在だと公言しているようなもの。
トアのように高貴な者は、避けられない人混みでは人間に化けるものなのだ、と。
「(きゃあ!ついにトア様に春が…!)」
「(わ〜、トア様顔ゆるゆるだねえ)」
「(イグリット様は全然見てないけど…)」
「(これは…!旦那様にお知らせしなきゃ!)」
「(仲良しですねえ)」
私と同様に、人間のエマだけは事の重大さを理解してなかったけれど。
「(お腹が温かいわ…なんだか安心する)」
「お嬢様ー!よかったらこちら、持って行ってください!」
「え?」
青果店の前を通ったら、猪店主が紙袋いっぱいにリンゴをくれた。
彼を皮切りに、みんなが「これも」「あれも」「それも」と品をくれる!?
「わわ、持ちきれないわ」
「お手伝いしますねぇ」
そう言って子供達が、ひょいっと荷物を持ってくれた。
す、すごい。私が両手で抱えていたのに、ターニャまであんなに軽々と。
「ジュースいかがですか!?」
「美味しいホットドッグありますよー、辛いの平気ですか?」
モゴモゴ。大通りを抜ける頃には…手だけじゃなくて口もいっぱいだわ…
公園があるというので、トアと並んでベンチに腰掛ける。
「…………」
「?イグリット、どうしたの?」
「…外でこうやって食べるの、初めてだから」
マナーも何もない、まるで平民のように…
子供達も口元や手を汚しながら、美味しいねー!と笑顔で食べている。
その姿は貴族から見たら汚らしいのだけど…とっても魅力的。
生きてる…って感じがするわ。
「んー…イグリット、見てて」
トアは私に見せるように、大きく口を開けてホットドッグにかぶりついた。
いいのかしら?はしたなく、ないかしら?
「あー……む」
真似して私も…美味しい。
誰の目も気にしない、食事が楽しいなんて…初めて。
殿下と同席しても、マナーばかり気にして味なんて分からなかった。
より美しい所作を要求され、常に微笑み…
「かんらっっっ!!?」
「あ、当たりだね」
ヒーーーッ!!口から火が出そう、何これ!?
「あのおじさん、たまーにカラシ爆弾仕込んでるんですよー」
「当たったらもう1個貰えますよ。ほら、イグリット様の包み紙に印が!」
「水、みず〜〜〜!」
「お嬢様、ジュースですっ!!」
ごくごくごく と一気飲みしてしまったわ。ぷはー!
「げほっ…あははっ」
食事中に大声出して、変な顔もしちゃった。
でも誰も気にしない…むしろ笑顔になってくれる。
「ふふ、じゃあ貰いに行きましょう」
「「「は〜い!」」」
ヒールではなく、ぺったんこの運動靴で。
コルセットで絞めない、緩い服で。
私はトアやみんなを連れて走った。
「……お嬢様。やっと笑ってくださいましたね」
後ろから追いかけてくるエマが、そう呟いて涙を流している。
ちょっとずつだけど、私。
前に進めている気がするわ。